梅雨空幻燈
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7
 藤丸探偵事務所の窓から、詩狼はよく夕刻の街を眺める。
 だが今日はその景色に対して、いつもの安堵感とは逆の感情を多少なりとも覚えていた。
 聖華高校に編入させたレイファによって、ターゲットである織姫真の人物像、および周囲の人間関係などはある程度ではあるが掴むことが出来た。
 また情報屋の聖から買ったネタを取ってみても、彼がこの街に戻ってくるのには多少の時間を要するだろうと思われた。
 詩狼にもそれなりの人脈はある。
 時間こそかかれど確実に織姫真の居場所を追いつつあった彼のもとに、つい先程ある情報が届いた。
 「……星診、か」
 それこそ織姫真の居場所。
 詩狼は正直、彼に対して多大なる興味を抱いていた。
 織姫はまだ高校生でありながら、その卓越した能力と若さを補って有り余る経歴の持ち主だ。
 出来ることならば、ターゲットとしてではなく純粋に能力者としてのこの少年と話がしてみたかった。
 だがすでに諸々が動き出した後だ、後手に回りすぎたことが痛い。
 もしそれが適うのならば、無論なんら根拠は無いのだが、自身の中で何かが変わる気がする。
 何故だか知らないが、織姫のあの「事件」の話を聞いて以来、詩狼の心は妙に疼くのだ。
 その変化が良いものであろうが無かろうが、それに関しては興味は全く無い。
 織姫真、ただその名前だけが詩狼を揺さぶりつづけるのだ。
 興味があるとしたらその少年だけだ。
 だがそれが適わないとすれば……
 「……それも面白い」
 彼は刺青の入った右手の甲を見やる。
 大陸にて幾多の能力者を葬り去ってきたこの手で、彼等の居る場所へと送り届けてやるだけだ。
 詩狼は葉巻を取り出すと、父親の形見のジッポーで火を灯した。
 部屋を振り返れば、相変わらず助手達が談話に花を咲かせている。
 聖華高校やこの街でのいろんな出来事を、レイファが面白おかしくマリに聴かせているのだ。
 「……レイファ、マリ」
 詩狼の呟きは慣れないと聞き取れないくらい小さいものだが、それでも2人は敏感に反応する。
 彼との間には少々濃度の高い白煙が、遮るように立ち上っていた。
 「……ターゲットを捕捉した。準備をしろ」
 マリはその言葉に不安そうな表情を見せる。
 「ご一緒して宜しいのですか?」
 「……明日の朝に出る。レイファ、支度金だ」
 マリの問いには答えずに、詩狼は机の上に出しておいた封筒を投げやった。
 「要る物があるなら、今買って来い」
 レイファはその中身を取り出し、紙幣が20枚入っていることを確認すると
 「可以!了解!」
 と言って脱兎のごとく事務所を飛び出していった。
 「ふふっ、レイファさんは元気で羨ましいですね」
 それを見送ったマリとは逆に、詩狼はまた窓の方を向く。
 「済まんな……」
 そして急にそう言ったのだが、マリにはすぐにその意味は理解できた。
 「……いいえ」
 そう返したマリだったが、詩狼がこちらを向いて微笑んでくれることは無かった。
 
 
 「フゥ……」
 事務所からでもエレベーターより早く下に降りれるレイファだったが、今回は文明を利用することにした。
 密室で考え事をするととても集中できる、と今日クラスメイトが言っていたのだ。
 「とは言っタものノ……何が要るのカナ?」
 相変わらずのカタコト日本語ではあるが、本当は彼女も日本語をスムーズに話す事ができる。
 ただ詩狼の指示に従って、このような言葉使いを日常としているだけなのだ。
 詩狼は言う。
 今時分になっても日本人と言うものは、人種・民族はどうであれ「外国人」という存在に対しては何らかの畏怖の念を抱いているものである。
 言葉が通じない、つまりは意思疎通が的確に取れないということがそもそもの原因なのだろう。
 だがあまりに日本語が上手すぎる外国人に対しては、逆に反感すらも覚えるという始末の悪さだ。
 その証拠に、中途半端な日本語を使う外国人タレントの方が大多数の日本人の支持を得ている、と。
 この持論がどうやら正しいことは、レイファもマリと買い物に行くとよくわかる。
 八百屋の邦夫さんも、魚屋の源さんも、肉屋の仁さんも……とにかく商店街のおじさんたちは、2人が来るとたいそうなくらいの客贔屓をしてくれる。
 駅前パン屋のトミーおじさん(本名・十三)だってそうだ。
 この人などはレイファの為だけに特製カレーパンを作ってくれる、とっても素敵なおじさんである。
 だから例え笑われようが、レイファはこの喋り方をする自分も結構好きなのであった。
 「あ、カレーパン!」
 結論からすると、どうやらクラスメイトが言っていたことは本当だったらしい。
 そしてエレベーターを飛び出したレイファは一目散に駅へと向かった。
 「よ、レイファちゃん! 今日はどうしたの?」
 そしてこの挨拶は、相変わらず独身の上レイファを愛してやまない駅前パン屋のトミーおじさんだ。
 「あのネ、私明日カラ此処居ない。ダカラ、カレーパン沢山買ウの」
 笑顔でそう言ったレイファだった。
 が、反してトミーおじさんは真っ青な顔になり
 「ええっ? レイファちゃん、もう引っ越すのかい?」
 とカウンターから飛び出してきた。
 「不是不是。違うヨ、トミー。少し旅行に行くダケヨ」
 「なぁんだ、ビックリさせないでよ」
 「対不起」
 「旅行かぁ、でも寂しくなるねぇ」
 「私モ、トミーのカレーパン無い寂しいヨ」
 「ははは、嬉しいこと言ってくれるねぇ。ところで何処にいくんだい?」
 ホッとしたのか満面の笑みを浮かべたおじさんは、カレーパンを袋に詰め始めた。
 「ホシ……ホシ……」
 「もしかして星診? 福岡の?」
 「是!」
 カレーパンが並べられたトレーを更にレジに持っていくおじさんに、レイファはこくこくと頷く。
 「そっかぁ星診か……あそこにも俺の弟子がいるんだよなぁ」
 「トミー?」
 「ん、なんだい?」
 「カレーパン、ソレだけ?」
 レイファは普通程度に膨らんだ袋を見て、なんとも寂しそうな目をして言う。
 「最近あんまり好評すぎて、作ってもすぐに売り切れちゃうんだよねぇ」
 「ソウ……仕方ないネ」
 「時間あるなら、今からでも作っちゃうよ」
 その言葉を待ってましたとばかりに、今度はレイファがおじさんに飛びつく。
 「だからトミー大好きヨ!」
 それをやられたパン屋の親父は
 「よし、バイト!店番頼んだぜ!」
 と男らしく叫ぶと、脳内麻薬を大量に分泌させながら工房へと向かったのであった。
 「アレ……?」
 そんな時だった。
 ふと店の外を見たレイファが、見覚えのある人物を発見した。
 あれは確かに密室でなんたらを教えてくれた、クラスメイトの遠野澪だ。
 「澪! 今カラ帰るところネ?」
 買い占めた5、6個のカレーパンを持って外に出て、そう声をかけてみた。
 「あ……レイファちゃん」
 どこか目が虚ろだ。
 学校にいたときはあんなに元気な子だったのに、とレイファは意外に思った。
 どう見ても何か悩み事があるようにしか見えない。
 「レイファ、ネ。……澪ドウシタ? 元気ナイ?」
 だから素直にそう尋ねてみたのだ。
 「うん、あのね……」
 澪は大きく息を吸って、そしてまた吐く。
 だがそれは深呼吸と言うよりは、むしろ膨大な嘆息にしか感じ取れなかった。
 「……ううん、やっぱり何でもない」
 そして少し寂しそうな笑顔で、彼女は首を横に振る。
 レイファは聞かないほうがよいことなのかな、とも一瞬思ったが
 「何でも無いヨウに見えナイヨ? ……だから『ドウシタ』ッテ聞いたよ」
 と少し強く言ってみた。
 澪もそのレイファの態度に少し意外そうな顔を見せた。
 だが「ハイ」とカレーパンを差し出してくるレイファを前にしては、自分も少し素直になるべきかな、と思い直したのであった。
 「実はね……」
 パン屋のすぐ傍には待合のスペースがある。
 そこのベンチに腰掛けた2人は、制服姿のままで話をした。
 なまじっかお互いをあまり知らない同士だからだろうか、澪は懇々と話しつづけた。
 自分にとって大切だと思っていた人が、急にいなくなった。
 事故や事件でないとは思うが、いなくなった理由を誰もが知らないと語るのはおかしい。
 そしてもし真が自分の意思でこうなったと仮定して、何故自分にすら何も言わなかったのか。
 普段明るく元気な澪が見せた意外な一面にレイファは少々新鮮さを感じたが、自分にも似た様な経験があった為か、徐々に感情移入してきてしまったのだった。
 「……ということなの。まぁでも私が悩んでも仕方ないし、連絡が無いのは元気な証拠って言うもんね?」
 澪はそれにより幾分か気が紛れたようで、大きく背伸びをしてレイファのほうを向いた。
 「レ、レイファ?」
 しかしそのレイファはなんとまぁ、眼が真っ赤で鼻も真っ赤になっている。
 「ウヴっ……ヴっ……」
 更に涙と鼻水をみっともない位に流して、駅行く周囲の人々の視線を満遍なくひきつけている。
 「ちょ、ちょっと大丈夫?」
 「ダ、大丈夫ヨ……チョ、ちょっと昔を思い出したダケだカラ……」
 「そ、そうなの?」
 どう見ても、これではどっちが慰められていたのかわからない。
 結局レイファが落ち着いた頃にはもう辺りは暗くなってしまい、パン屋のトミーおじさんも心配して捜しに来てくれたようだった。
 「謝々……」
 出来たてのカレーパン両手に3袋づつ抱え込んだレイファは、少し鼻をすするようにそう言った。
 「気にしなさんな、レイファちゃん」
 トミーおじさんが笑顔で言う。
 「澪も……対不起」
 「私の方こそ御免ね、レイファ。ううん……有難う」
 軽くレイファを抱きしめるた澪は、もういつもの明るい笑顔に戻っていた。
 「また明日、学校で色々話そうね」
 そう言った澪に、レイファは我に返って言った。
 「澪、私明日カラ少し学校休みするヨ」
 「え?」
 レイファはまた軽く鼻をすする。
 「旅行に行くネ。仕事の社長サン達も一緒」
 「……そうなんだ。じゃあ、帰ってきてからだね」
 「ウン。澪、コレ上げる」
 レイファはカレーパンの詰まった袋を一つ差し出す。
 「トミーのカレーパンは真好吃ヨ」
 「ふふっ、それじゃあ遠慮なく。あ、そういえば何処に旅行に行くの?」
 「ホシ……ホシ……」
 眉をしかめて必死に思い出そうとするが、またもやレイファからは出て来ない。
 「星診、だよね?」
 だがトミーがサポートしてくれた。
 「是。ホシミ、ネ」
 「星診? 聞いたことないなぁ……」
 「福岡の最南端の街さ。何も無いけど、のんびりしていいところなんだよ」
 そう言ったトミーは、新入りバイトが接客に追い詰められているのに気付いて店の方に戻っていった。
 「トミー!再見!」
 おじさんはブンブンと手を振る。
 「じゃあ私モ、そろそろ帰るネ」
 「うん。再見!」
 「再見、澪!」
 そして相変わらずの俊足で走り去ったレイファによって、一人取り残される形となった澪だった。
 「旅行かぁ……」
 雨は今日も午前中だけで、見上げた夜空は眩しいくらい星が輝いている。
 「真も?……まさかね」
 視線を落とし、少し軽くなった足取りで澪も家路を辿るのだった。
 
 
 詩狼とマリは、もう数十分は無言のままだ。
 「……お前には、星診は辛かろう」
 だが珍しく、今日に限っては詩狼から沈黙を破ってきた。
 「……だが最近『奴』が動き出したと聞く」
 その言葉に、マリは鋭く反応する。
 「北上しているのですか?」
 「あるいは既に……」
 ソファから立ち上がったマリは、相変わらず窓から外を眺める詩狼の傍らに寄った。
 「そう……ですか」
 「……だからお前も連れて行く。レイファと共に、実家で隠れていろ」
 詩狼はそう言って、やっとマリの方を向いた。
 「それは御命令でしょうか?」
 マリはその眼を見て聞き返す。
 「そうだ」
 「では断らせて頂きます」
 「な……」
 そのマリの強い口調に詩狼は驚きを隠せなかった。
 「もしそれが許されぬのでしたら、いっそ私を殺して下さい。何者とも知れぬ郎等に怯えて暮らすあの日々から、私を救って下さると約束されたのは……他ならぬ詩狼さまでは無いですか」
 「だが」
 「もう嫌です……あの頃にはもう戻りたくは無いのです」
 「マリ……」
 普段情緒が安定している彼女だけに、こうなったマリを詩狼が説き伏すことは出来ない。
 だが何が起こっても、互いを激しく愛し合って夫婦となったのならばそれで良い。
 そのような人間的な考えを詩狼に思わせるようになったのは、紛れも無くこのマリなのだ。
 「ならばいっそ私を……真理を殺して下さい」
 ひしとしがみつく彼女を、詩狼も強く抱きしめる。
 「……俺が悪かった……許せ」
 「許しません……」
そう言い返したマリの舌に、少し苦い、彼の煙草の味が広がった。
this page: written by Tanba Rin.
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