氷浦市街がある氷浦区から東に行くと、遠野区と呼ばれる場所にたどりつく。
その一角に存在する住宅街に、遠野と書かれた表札の家がある。
遠野澪の家である。
「やっぱ、言ってかなきゃ後が怖いか……」
澪の家の前に愛車を止め、愛車にまたがったまま家を見上げる。
つい先ほど聖と別れたばかりの刃であった。
「ふぅ、どうするかな?」
家の前まできたのはいいが、どうやって話を切り出せばいいのかと先ほどから頭を悩ませている。
「都合よく出てきてくんないかなぁ」
そんなことを考えてると、家のドアが開き中から人が出てくる。
「あら、家に何か?」
ドアから出てきた女性が刃に気づいたらしくそういって近寄ってくる。
「あ、えっと榊っていうんすけど……」
別にやましい事があるわけではないのだが、いきなりだったのでまともな返事ができずに慌てふためく刃。
「ん、確か澪の同級生よね? ちょっと待っててね」
「すんません」
澪の姉らしく、さっさと場を仕切って家の中に入っていってしまう。
「血はあらそえないってか……。真の偉大さを垣間見た気がした」
とてもじゃないが自分の手には負えそうにもない。
実際は真の手にも余っていたようではあったが……。
暫くすると澪が出てきた。
「あれ、どしたの?」
そう言うと上履きを履きながら出てくる。
「あぁ、ちっとな」
そう言って苦笑いする。
「しばらく氷浦から離れるんで、それ伝えとこうと思ってな」
そうだけ伝えると、片手を挙げて逃げるように愛車にまたがろうとする。と、後ろから澪の手が伸びる。
「で、何処に行くの?」
そう言いながら刃を引き戻す。
「星診ってとこ」
「それって、真のやつと関係あるの?」
真剣な顔で澪が問い詰める。
(どうするかな、……一緒に行くなんていわれた日にはどうしようもないし、かと言って先延ばしにしててもな)
暫く二人の間に沈黙が訪れる。
「関係は、……まったく無い訳じゃないけどな」
頭をバリバリ掻きながらそう答える。
うつむいていた澪が顔を上げる。
「どういう事?珍しくハッキリしないじゃない」
そう問い詰めてくる。
「……」
澪の言葉に沈黙を返して刃が立ちすくむ。
二人がそうしていると、玄関のドアが開く。
「何してるの?」
そう聞こえてくる。
「あ、お姉ちゃん」
後ろから深雪が姿をあらわす。
「どうしたのよ、玄関で? 話すんなら部屋にあがってもらえば良いじゃない」
そう言って二人を中に招きいれようとする。
「あ、良いです。これから駅行かないと間に合わないんで」
そう深雪に言う。
「あ、ちょっと話終わってないわよ!」
澪がなおも食い下がる。
「ちゃんと答えてよ、真と関係あるんでしょ!?」
澪がそう叫ぶように問い詰める。
すると、深雪が真の名前に反応する。
「榊君……だったわね? 少し、時間いい?」
そう言う深雪の迫力に押され、とっさに首を縦に振る刃。
「そうねぇ、家だとあれだからちょっと外に出ましょうか」
刃にそう言うと、今度は澪に向き直る。
「澪は家で待ってなさい」
「でも……」
深雪には澪も弱いらしく、しぶしぶ引き下がる。
「真君の事はちゃんと聞いておくから」
澪に向かってそう言うと、車を出すからと言い残して家の中に入っていく。
「まぁ、その、なんだ…。今は言えんが、悪いようにはしないからさ」
刃がその場を取り繕うように笑いながら話し掛ける。
「…うん、分かった」
澪はそう答えたが、やはり納得している様子ではない。
暫くすると、深雪が家から出てくる。
「それじゃ行きましょうか。後ろからついてきて」
そう言うが早いか車に乗り込む深雪。
「じゃぁな」
澪にそう言ってから刃も愛車をまたぐ。
重低音を響かせながらエンジンが始動する。
ガレージから出てきた深雪の車が先導するように走り出し、それを追走するかたちで刃の操る単車も動き出す。
「しっかし、すごい迫力だったな」
ため息混じりに刃がつぶやく。
先ほどまで深雪と駅の近くの喫茶店で話していたのだが、今は星診に向かうための新幹線の中にいた。
深雪と話して分かったことだが、織姫家と真の母方の実家――緋月家というそうだ――とは疎遠だったらしく、真が立ち寄るとは考えにくいという事だった。
「疎遠……ねぇ」
一面の壁が映し出されている窓を見ながら刃がそうつぶやく。
「取りあえず、向こうの住所が分かったから良しとしとくか」
そう言うと、星診についてからの事を考え出す。
真がいるであろう星診については、地元ということもあって夢人のほうからある程度の情報をメールで送ってもらってある。
監査部の動向も気になる。
「少なくとも、情報的にはこっちが有利とはいえ……」
問題があるとすれば、真の行動であった。
「素直じゃねぇからな、あいつは」
そう言って嘆息する。
「と、そう言えば、ここにも一応顔出しとかなきゃな」
そう言って一枚の名詞を取り出すと、
「聖さんがらみかぁ」
つい溜息がもれてしまう。
名詞には、簡単に住所と名前が書き綴ってある。
「田尻響子……ねぇ」
刃がそんなことを考えていると、前のほうから騒がしい声が聞こえてくる。
なにやらおかしな日本語で騒がしくまくし立てながら刃の席より前のほうに座ったようで、まだ喋り声が聞こえてくる。
興味を引いたが、今日一日動き回っていたのでさすがに疲れておりしばしの間仮眠することにした。
目を閉じると、周りの騒がしい空気も聞こえなくなってくる。
車内アナウンスが流れ、終点の博多駅へついたことを知らせている。
「うぅーん、ついたか」
軽く伸びをしながら刃が席を立つ。
時間が時間なため、乗客もそう多くは無い。
「さてと、取りあえず飯でも食ってくか」
そう決めると、駅のホームへ降り立つ。
人ごみに流されながら改札を出ると、周りの景色を見渡す。
「こっちは結構暑いな」
梅雨独特の湿気を含んだ空気が刃の肌をなぞる。
刃は見慣れない町を適当に探索するべく歩き出す。
「あ、そういや夢人さんに連絡するか」
ポケットから携帯を取り出しメモリから夢人の名前を見つけると、通話ボタンを押す。
2、3回コールすると、最近では聞きなれた声が返ってくる。
「もしもし、もうついたのかい?」
「えぇ、今つきました」
刃はそう答えると、どこかおいしい店が無いかたずねる。
「ははは、いきなりそれかい? それなら天神のほうに行ってみるといい、いろいろ店があるから」
ははは、とひとしきり笑う。
「それはそうと、夢人さんはどうするんすか?」
「俺も、明日の夜ぐらいにはそっちにいけると思うけど」
そう答えると、それがどうしたのかと聞いてくる。
「いや、なにやら複雑な地形で何処に居るのか分かんなくなりそうなんですよ」
刃がそう言うと、夢人が思いっきり笑い転げているのが電話ごしでも分かるぐらいに笑う。
「そんなに笑わなくても良いじゃないですか」
そう言って、刃が少しだけむくれる。
「ははは、悪い悪い。まぁ星診につくごろには俺も追いついてるだろうから」
そう言いながらも夢人はまだ笑っていた。
「今夜はそっちで一泊するんだろ?」
何とか笑いを抑えた夢人がそう聞いてくる。
「そうっすね、一応、場所が決まったらメールします」
そう言うとそれじゃと言って電話を切る。
「ちぇっ、そこまで笑うこと無いと思うんだけどな」
携帯に軽く毒づくと、地下鉄のホームらしき場所へと歩いていく。
翌朝。
なれないベッドで眠りについていた刃が目を覚ます。
「ふぁーあ、よく寝た」
そう言って上半身を起こすと、サイドテーブルに置いてある時計を見る。
「もう9時半か」
ベッドから身を起こして顔を洗うべく洗面台に近づく。
「さーてと、行動しますかね」
そう言って身支度を済ませ、チェックアウトすべくフロントへと降りていく。
チェックアウトして見慣れない街並みの中へと歩いていく。
「と、そういやぁ聖さんのくれた名刺に……。住所だけじゃわかんねーよな」
名刺を片手に道の真中で立ちすくむ。
「どうしろってんだ、まったく」
しばらく考えて、ひとつの結論を下す。
「まぁいいか。夢人さんがきた時にでも聞いとくか」
そう言うと、星診に乗り込むべく、駅へと歩いていく。
星診へ行く電車は二つばかりある。
一つはJR鹿児島線で、もう一つは私鉄の西鉄星診線である。
「夢人さんはこっちが良いって言ってたけど、……確かに分かりやすいな」
駅名が記されている掲示板を見て、刃はそう呟く。
西鉄は福岡の天神から、県内を縦断する形で、星診まで一直線でつながっている。
「確かにこれなら迷う事は無いな」
星診までの区間の切符を買うと、早速電車に乗り込む。
どうやら星診までは、1時間ほどでつくようだ。
「西鉄電車をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は、10時30分発、星診行き、特急です。途中停まります駅は、薬院、二日市、久留米、柳川、新栄町です。発車までしばらくお待ちください」
しばらくしてから電車が動き出す。
「さーてと、忙しくなりそうだな」
電車に身を揺られながらそう呟く。 |