「あまりこういうことは言いたくないんだけど」
厳しい表情で、深雪はそう、口火を切った。
「私は、多少なりとも退魔士という職業に理解をしているつもりだわ」
時間としては、刃が星診行きの特急に乗り込んだ頃。
織姫家の応接間で、深雪は祖父の司を前にしていた。
昨日、刃から聞いた、真の事情。
それは、彼らより5年長く生き、それなりに「真の事情」というものを理解していた深雪でさえ、逆上するには十分すぎるものだった。
このような状況に、祖父の司は何をしているのか?
本来ならば退魔士をバックアップしなければならないはずのJGBAが、何故真を監視しなければならないのか?
そして何より、何故、澪がこのような惨劇に巻き込まれなければならなかったのか?
誰に矛先を向ければよいのか分からない怒りほど、辛いものはない。よく、自制できた――それが、昨日を振り返っての、深雪の感想である。
「本当に命がけで、常に生死が隣り合わせになっている職業だ、ということも、何より、私たちがこうして平和に生きていける礎になってくれていることも、ね。……でもね。だからといって、今の真君が置かれている状況は、何かおかしい。そう思うの」
怒りに燃えた、と表現するにふさわしい瞳で、深雪は司の目を見つめる。
「お祖父ちゃん」
声を震わせて、深雪は尋ねた。
「あなたは今、何をしているの。どうして、澪と真君が、こんなことにならなくちゃいけないの?」
グッ、と握り締めた拳が、小刻みに震える。
湯気の立つお茶を、司はゆっくりと口に運んだ。
「……真は今、星診にいる」
「知ってるわ、そんなこと」
はき捨てるように、深雪が答える。
「緋月家に世話になっているそうだ。昨日、そういう電話があった」
コトリ、と、司は手にした湯飲みを置く。
「何かを見つけようと、必死でもがいている――そういう印象を受けたそうだ」
「それで?」
「迷惑をかけるかもしれないが、気がすむまで、そちらに置いてやって欲しい――そう、返事をして置いた」
「それだけ? それだけなの!?」
非難がましい目で尋ねる深雪に、司はゆっくりとうなずく。
「それが、真の意思ならば」
バンッ!
司の答えに、深雪はついに、テーブルを激しい勢いでたたいた。
「もう……あなたには頼まないわ」
キッ、と司をにらみつけ、深雪は立ち上がる。
「私は、私にできることをやるだけよ」
そう、言い捨てると、深雪は応接間を後にする。
「あれ、あの子……」
ものすごい勢いで廊下を歩いていく、深雪。
そんな彼女を、司に会いに来たゆかりが、不思議そうに見送っていた。
「あーあ、せっかくの日曜日だというのに、パトロールかよ」
JGBA星診一課職員・河原孝弘は、同僚の弥侘枝葉司を隣に乗せて、市内のパトロールに出ていた。
「しっかし、これでいきなり織姫真が現れたらどうしようもないな」
「なーに言ってやがる。しっかり追いかけろよ?」
ぼやいた河原に、弥侘が無責任な発破をかける。
「ばか言え。ヴィッツとS2000じゃぁ話にならん。だからお前の車で出ようって言ったんだ」
「あの代車でかぁ?」
「ヴィッツよりレビンのほうがまだましだぜ。そもそも、この非常時にメンテに出すか?」
「しゃーねぇだろう。ここんとこ妙に感触がおかしかったからな。事故るよりはましってもんだ」
「そいつはお前が無茶な乗り方するからだろう? 結局、自分で自分の首をしめてるじゃないか」
「はっはっは、こいつは一本とられたねぃ」
「ったく、無責任に笑ってる場合かよ」
軽くため息をつきながら、河原はステアを切る。
「……で、どうだったんだ?」
「何が」
「行ったんだろ、昨日」
「ああ、行くには行った」
「それで?」
「響子さん曰く、『そういう動きがあることは否定しない』とさ」
「なんだ、そりゃ。答えになってないじゃないか」
「うーん、やっぱり限界があったのかねぇ。ま、いきなり氷浦の動きを調べろ、っつーほうが無理だと思うぜ。いくら彼女のネットワークでも、つかめないことだってあるさ。むしろ、俺はよく調べてくれたほうだと思うけどね」
「となりゃぁ、やっぱり自分の足で探さなきゃならん、ということか」
「そうとも限らないぜ」
そう答えて、弥侘は煙草を取り出す。
「夢人――ああ、例の後輩だ――が、こっちに戻ってくるそうだ。昨日、本人から電話があった」
「何のために?」
「今更、あいつが星診に用があると思うか?」
外の景色を見つめながら、弥侘が車の窓を開ける。
「夢人の話では、JGBAや広特以外にも、すでに星診に向かった奴がいるらしい。名前までは聞かなかったがな」
「織姫真と、その夢人という後輩――その両方と関係がある、ということか」
「まぁ、織姫の同級生ということから考えても、それで間違いないだろうな。どうやら向こうには、JGBAや広特の情報網をしのぐネットワークの持ち主がいるらしい。おそらく、響子さんのネットとも何らかのつながりがあるだろうな。実は響子さん、織姫が星診に入ったことはずいぶん前につかんでいたらしいんだ。多分、その情報が氷浦に流れたんだろう」
「じゃぁ、やはり織姫は緋月さんのところに?」
「だろうな。星診で立ち寄りそうなところといえば、あそこしかない」
「そうなると、俺たちだけじゃ踏み込みにくいな」
「俺たちだけじゃない。ウチの二課の連中だって踏み込みたがらないさ。前福岡県支部教導部長・緋月義澄――引退してもなお、その影響力は強いからな。だが、氷浦の連中にとって見れば、んなこたぁ何の関係も無い。踏み込むとすれば、氷浦二課の連中だろうよ」
ゆっくりと紫煙を吐き出して、弥侘は顔をしかめる。
「どうした?」
「ああ、いや……買い間違えた煙草ほど不味いものはねェ、って思っただけさ」
「ハハハ、そりゃぁきっと、日ごろの行いが悪いからだぜ」
「………言ってろよ、バカ」
ふてくされたような表情で、弥侘は煙草を口にくわえる。
「河原」
「何だ?」
「悪いが、コンビニに寄ってくれ」
「何でまた」
「のどが渇いた。コーヒーでも買おう。……それと、煙草もな」
「わかったよ」
そう言うと、河原はかすかに笑いながら、左にステアを切った。
同じ頃。
「澪、ちょっといいかしら」
家に戻った深雪は、そう言って、澪の部屋に姿を現した。
「何、お姉ちゃん?」
ベッドの上に寝転んで、ぼうっとCDを聞いていた澪は、起き上がると、リモコンでボリュームを落とす。
「真君のことで、話があるの。ちょっと、付き合ってくれる?」
そう言って車のキーをちらつかせた深雪に、澪は慌ててベッドから飛び降りる。
「何? どこにいるか分かったの? ねぇ、どこにいるの!?」
目にうっすらと涙を浮かべ、思いつめたような表情で、澪は深雪に尋ねる。
「ねぇ、どこにいるの!?」
グッ、と、胸元をつかまれた深雪は、そっと、澪の肩に手をやる。
「落ち着いて。ちゃんと、話してあげるから」
そのまま、まっすぐに、澪の瞳を見つめる。
「……よし」
コクリ、と小さくうなずいた澪に、深雪はにっこりと笑いかける。
「準備ができたら、下へ降りてきなさい」
そう言って、深雪は澪の部屋を出る。
(これでよかったのかしら……)
階段を下りながら、深雪は顔を曇らせる。
「あら、深雪。またどこかに行くの?」
そんな深雪を、母親が不思議そうな顔で見上げる。
「うん。澪と一緒に、ドライブにでも行ってくるわ」
「そう? 気をつけていってくるのよ」
「分かってるって」
「本当に分かっているのかしら……」と首をかしげながら、母親は抱えた洗濯物を持ってリビングのほうへと歩いていく。
梅雨前の、貴重な晴天日である。
どうやら、洗濯物を干しに行ったらしい。
やれやれ、とため息をつく、深雪。
澪が連れ去られたときに見せた、まさに「鬼気迫った」母親の姿とは、まるで違っている。
血は争えない、と言うか、なんと言うか。
どうも、織姫家の人間は急激に熱くなったかと思うと、すぐに冷めてしまうところがあるらしい。
まず、真がそうだ。
怒ると手がつけられない。
普段おとなしいために、ありがちな「おとなしい奴ほどキレると怖い」を地で行っているのかと思っていたが、その割には見ているこっちが拍子抜けしてしまうほど、あっさりと「鎮火」してしまう。
どうやら、親譲りの性格であるらしい。
その、真の祖父である司と、司の娘である母親――美沙もそうだし、その性質は深雪や澪にもしっかりと受け継がれている。
「澪の性格は折り紙つき、か……」
微かに苦笑いを浮かべて、深雪は玄関を出た。
「これは、昨日、榊君が話してくれたことなんだけど」
家を出てしばらく走ったところで、深雪はそう切り出した。
「真君、星診にいるみたいなの」
「ほし、み……」
聞き慣れない、だが、つい最近聞いたような、そんな地名である。
「星を診る、と書いて星診ね。それで、榊君、真君を探すために星診に行く、って言ってたわ」
「そうなんだ……」
答えて、澪は、じっと考え込む。
(えっと……どこで聞いたんだっけ……)
記憶を反芻する澪の脳裏に、レイファの顔が浮かぶ。
「あっ」
「何、どうしたの?」
「その、星診って所……この間転入してきた子が、『明日から星診に行く』って言ってた」
「そうなの?」
「うん。仕事の社長さんと一緒に旅行に行く、って言ってたけど……。刃君が星診に行ったのと、何か関係があるのかな?」
「さぁ……それはどうか分からないけど……」
小首を傾げる、深雪。
「それで、真君の話に戻るんだけどね。真君、美春伯母さん……真君のお母さんの実家にいるみたいなの」
「美春……伯母さん?」
「ああ、澪は、会った事なかったわよね。真君が生まれてすぐに亡くなったから」
「うん。どんな人だったの?」
「うーん……私も小さかったからあまり覚えてないんだけど……優しい人だったわよ」
「ふぅん……」
うなずいて、澪は窓の外に目をやる。
「お姉ちゃん」
「何?」
「私も、星診に行きたいな……」
「それは、駄目」
呟くように言った澪に、深雪はきっぱりと否定する。
「どうして?」
すがるように見つめる、澪。
「いい? 真君は、自分の意思で星診に行ったの。何故だかは分からないけどね。そこへ押しかけていったとして、真君が快く迎えてくれると思う?」
「…………」
「確かに、何も言わずに言ってしまったのは、気になるわ。でも、それが真君の意思だったとしたら……。多分、真君は、澪に言っていくことすら、辛かったんじゃないかしら」
「そんな! そんなことって……」
思っても見なかった言葉に、澪は愕然とした表情で深雪を見つめる。
「私には、澪と真君の間に何があったのかはわからないわ……。ただ、そんな気がするの」
「お姉ちゃん……」
グスン、と涙ぐむ澪に、深雪は唇をかむ。
二人の間に何が起こったのか――それは、昨日、刃から聞いた。
だが、それをそのまま澪に話すことは絶対にできないことだった。
真が、澪をも手にかけようとしたかもしれない――そんなことを話してしまえば、今の澪には致命傷になりかねないし、第一、澪はその時の記憶を失っている。
何が起こったのかはわからない――深雪はそう答えるしかないのだ。
「だから、今は待つことしかできないの……。真君が、自分の意思でココに戻ってくることを、ね」
「…………」
澪の視線が、痛い。
『本当は、俺たちが騒ぐ問題じゃなかったのかも知れないっすけどね……』
昨日、別れ際に刃が呟いた言葉が、深雪の脳裏に蘇る。
無言で、彼女はステアを切った。
「澄馬君、ご飯でも食べに行きませんか? 少し早いですけど」
そう言って真が澄馬の部屋に顔をのぞかせたのは、部屋の時計がちょうど11時を指した頃のことだった。
「いいけど、俺、あんまりお金持ってないぞ」
「心配しなくていいですよ。私が出しますから」
「ホント?」
「ええ。結局、昨日はお相手できませんでしたし。ドライブがてら、どこかに食べに行きましょう」
「ラッキー」
「それでは、準備ができたら降りてきてくださいね」
「わかった」
澄馬の返事にうなずくと、真は部屋を出て、階段を下りていく。
「どこか出かけるのか?」
「宿舎」にあてられた客間に戻ってきた真に、咲夜が尋ねる。
「ええ。澄馬君と一緒に、昼ご飯を食べに行こうかと」
「そうか。結局、昨日は相手にできなかったからな。その埋め合わせというわけか」
「まぁ、そんなところですね。咲夜さんは、どうするんですか?」
「まさか、あの車に3人乗るわけにも行くまい?」
「それは、そうですけど」
「そういう顔をするな。もともと、今日は家にいようと思っていた」
すまなさそうな顔をした真に、咲夜はニィ、と笑いかける。
「お前のことだから下手はしないと思うが、一応、用心はしておいたほうがいい。そろそろ、外野がうるさくなってくる頃だ」
「ええ。そうですね」
表情を引き締めながら、真はレーシンググラブをつける。
「それでは、行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
「やっぱ、かっくいーよな、この車」
真の操るS2000の助手席で、澄馬は一人、はしゃいでいた。
「何か食べたいものはありますか?」
そんな従弟に微かに笑いながら、真は尋ねる。
「ん? んー……そうだ、焼肉食べに行こうぜ、焼肉」
「いいですよ。それでは、焼肉屋までナビをしてくださいね」
「オッケー」
「この道を、しばらくまっすぐな」
「まっすぐ、ですね」
うなずいて、真は車を左車線に寄せる。
「そういえば、さ」
「何ですか?」
「真って、何で退魔士になったんだ?」
窓の外に顔を向けたまま、澄馬が尋ねる。
「何で……ですか」
「うん。退魔士って、どう考えても普通の職業じゃないだろ? 研修所の奴に聞いてもさ、『親が退魔士をやってたから』って答えがほとんどなんだよな」
「うーん………」
「何だよ、そんなに難しい質問じゃないだろ?」
「いえ……私の場合、気がついたら退魔士になってましたから。そういうことを、考えたこともなかったですね」
「気がついたら……て、研修所に行ったんだろ?」
「いえ……私は、私設研修も実地研修もなかったんです」
「なかった?」
「ええ。ライセンスを申請して、すぐに許可が降りましたから」
「……………何だよ、それ?」
「父が死ぬと同時に、祖父から退魔士としての訓練を受け始めたんです。4歳から15歳まで、11年間……最初は何のためにやっているのかさっぱり分かりませんでしたけどね」
(やっぱりこいつ、とんでもない奴だ……)
無言で、澄馬は真の横顔を見つめる。
「澄馬君は、どうして退魔士になろうと思ったんですか?」
「俺か? 俺はな……かっこいいからだ」
自信たっぷりに言った、澄馬。
「…………はぁ、かっこいいですか?」
意表をつかれ、間の抜けた答えしかできない真。
「かっこいいじゃん。そう思わないか?」
「………ノーコメント、ということにしておきます」
「……………逃げた」
「何か言いましたか?」
「いーや、何も」
ボソリ、と呟いた澄馬は、チラリ、と横を見た真に、慌てて目をそらすのだった。
同じ頃。
「緋月……ここね」
赤い、小柄なスポーツカー――アミアの乗った、ロータス・エリーゼが、緋月家の前に停まっていた。
門の表札を確認して、車を降りるアミア。
「さて……どうしたものかしら」
門を前にして、アミアは考え込んでしまった。どう切り出してよいものか、迷ったのである。
真に会わせてくれと言ったところで、一筋縄では会わせてくれないのは簡単に予想がつく。もちろん、葛城やゆかりの名代として訪れた旨を伝えることができれば通してくれるかもしれないが、果たしてそれができるかどうか。
氷浦二課が監視対象に指定したことは当然知っているだろうから、真の名を出せば途端に警戒されるのは目に見えているのである。
と。
不意に、玄関のドアが開いた。
(誰かが私を見つけたのかしら?)
そうであれば、都合はいい。
「あの……」
家の中から現れた若い女性に、アミアは遠慮がちに声をかける。
と――
「残念だが、真はここにはいない」
「………!?」
ニヤリ、と笑みを浮かべながら、女性がアミアに答える。
「……誰?」
「それはこちらのセリフだ。真に何の用だ?」
女性は別にアミアを警戒する風でもなく、ただ、興味津々、といった表情で尋ねる。
「……アミア・ベル・レイジーン。氷浦市の、葛城蒼雲の代理よ」
「ほう。あの若当主の代理か? あの男もご苦労なことだ。ここまでして真の行方を追ってくるとはな」
再び、女性はニィ、と笑みを浮かべる。どうやらこの女、真と関係があるらしい。
「あなたは?」
「私……か? ふむ。真の守護神だ……と名乗ったとして、お前は信じられる口か?」
まるでアミアをからかうように、女性が尋ねる。
「信じるか信じないかは、返答次第によるわ」
ムッとした表情で、アミアが答える。
「……面白味のない女だ。まぁ、いい。私は、咲夜」
「サクヤ?」
鸚鵡返しに尋ねたアミアに、咲夜はうなずく。
「まぁ、本名は別にある。この名前は、真がくれたものだ。大方、此花咲夜姫からとったものだろうがな」
謎めいた、というよりは理解しがたい答えに、アミアは首を傾げるしかない。
「……それで、アミア……とやら。真に何の用だ。返答次第では、すぐにでも帰ってもらうぞ」
「真君に、話があるの」
「JGBAがらみのことなら、もう知っているぞ」
「それとは別件よ」
「……ほう。別件、か」
こちらを探るような目で見つめる咲夜に、アミアはうなずいて、車のほうを見やる。
「できれば、あなたにも話しておきたいわ」
「真が帰ってくるまで待てばいい」
「……あなたが、真君の守護神を名乗るのなら」
意味ありげな笑みを浮かべたアミアに、咲夜も釣られて笑みを作る。
「いいだろう」
うなずく、咲夜。
二人が乗ったエリーゼを、再びパトロールを始めた弥侘と河原が見かけるのは、それから十数分後のこととなる。 |