梅雨空幻燈
<<Prev.<<  >> Next.>>
18
 「はぁ……」
 深いため息をついて、澄馬はベッドの上で寝返りを打った。
 「一体、どうなってんだ、あいつ……」
 ぼんやりと天井を見つめながら、澄馬は、自分だけでは答えの出しようがない疑問に頭を悩ませていた。
 単に静養に来ている真が、どうしてあのような荒事にあわなければならなかったのか。
 そして、何故に真は、JGBAの人間に襲われなければならなかったのか。
 一つ目の答えは皆目見当がつかないが、二つ目の疑問に対する答えは、なんとなく分かりかけていた。
 「多分、あれ、だろうな……」
 目にしたのは、ほんの一瞬だった。
 だが、真がどれだけすさまじいことをやってのけたのか――それを理解するには、その一瞬だけで、十分だった。
 危ない。
 あの時、澄馬はそう思った。
 同時に、真がJGBAに襲われた理由が、なんとなく分かったような気がした。
 咲夜の言うとおり、JGBAが「魔」と判断したモノを退魔士が屠っているとするなら、あの時の真はまさに、JGBAに言わせる「魔」そのものだ。
 人は、自分よりあまりに強いモノに対しては自然と恐怖を覚え、その存在を遠ざけるようになる。そしてその恐怖が臨界点を超えると、今度は遠ざけるだけでは安心できなくなり、やがては命を奪おうとする。
 それと同じ事が、JGBAに起きているのではないか? だからこそ、真はJGBAに襲われたのではないか?
 「だけど……」
 そうだとするなら、真は何故、退魔士にこだわり続けているのか。
 自分だったら、そういった職はさっさと捨てるだろう。それどころか、逆にJGBAを相手にケンカを売っているかもしれない。
 「聞いてみるしか、ないか……」
 そう言って一人頷くと、澄馬は勢いよく起き上がった。


 それとほぼ同じ頃――日時にすると、2000年5月29日、午前8時30分。
 「よし、全員そろってるな」
 いささか緊張した面持ちで、JGBA星診一課課長・村山光司はオフィスの中を見渡した。
 「夜勤明けの者もいるから、例によって手短に行こう。昨日の夜10時過ぎ頃、織姫真を襲撃した氷浦二課の連中が返り討ちにあったそうだ」
 瞬時に、オフィスの中に緊張が走る。
 「重傷2人、軽症3人――計5人のけが人が出てる。さっきウチの二課から話を聞いてきたんだが、星診に入った氷浦二課の連中はほぼこれで全滅したらしい」
 「ほぼ……っていうと、まだ生き残りがいる、ということで?」
 尋ねた弥侘に、村山が頷く。
 「七瀬という若い男が一人、無傷で二課のオフィスに駆け込んできたらしい。おかげで昨日はとんだ騒ぎになった、と二課の連中がぼやいてたがな」
 「それで、今後の対応は?」
 「今までどおりでかまわん。まぁ、どちらかというと関わり合いにならんほうがいい、というのが本音だな。下手に手を出して怪我をしても何にもならん」
 「そりゃぁ、そうだ」
 軽くため息をつく村山に、弥侘がニヤリ、と笑みを浮かべる。
 「それと、もう一点。これも織姫がらみだ。これも昨日の夜のことなんだが、氷浦在住の退魔士から連絡があった。……どうやら、海外の退魔士機関に所属している人間が星診に入り込んでいるらしい」
 「海外? 何処の人間です」
 「その退魔士……名を葛城というんだが、その男の話によると、EGC――欧州退魔士委員会に所属する退魔士だそうだ。加えて、JGBAにもフリー登録しているらしい」
 「……ってことは、JGBAが発行した身分証を持ってる、ってことか」
 「そういうことになる。名はアミア・ベル・レイジーン。イギリス人だ。赤のロータス・エリーゼに乗っているということだ」
 「それで課長。その女が星診に来た目的は一体何なんです? まさか星診くんだりまで観光、というわけでもないでしょう?」
 「問題はそこだ」
 難しい顔をしながら、村山は続ける。
 「葛城氏の話によれば、織姫をEGCに短期間レンタルできないか、との打診を行っているらしい」
 「レンタル……ですか?」
 「ああ。葛城氏も詳しいことを話してくれなかったからなんとも言えんが……EGCの意図がよく分からない、というのが今の感想だな」
 「ったく……どいつもこいつも厄介事を持ってきやがる」
 「同感だな」
 ぼやく弥侘に、村山が苦笑いを浮かべる。
 「まぁ、予備知識として、今の情報を押さえておいてくれ。俺も裏を取ってみる。今朝は、以上だ。弥侘と河原はこのあと俺のところまで来てくれ」
 「了解」
 「では、解散」
 オフィスがあわただしくなる中、弥侘と河原の二人は、村山のデスクの前へと向かう。
 「何かありましたか?」
 怪訝な面持ちで、河原が尋ねる。
 「ああ。何処の誰がやったのか知らんが、甘木山山頂の公園で妙な事件が起きたらしい」
 「妙な事件、ですか」
 うなずいて、村山が数枚の写真を並べる。
 「なんです、これ?」
 「昨日の夜7時過ぎ、110番と119番通報があったそうだ。それで星診署の人間と救急車が急行したところ、地面には血痕。辺りを見回してみればその有様、というわけだ」
 「地面が綺麗にえぐれてますね。まるで鋭利な刃物で切り取ったみたいだ。……こんな芸当、ショベルカーじゃできっこありませんよ」
 写真を見ながら、河原が感心したように呟く。
 「河原、こいつを見てみな」
 「……一体どうやったらこんなことができるんだ?」
 弥侘に手渡された写真を見て、河原は眉をひそめる。
 中央を真っ二つに両断されたベンチやテーブル、そして落下防止の鉄柵。
 「あきらかに一撃でやってるが……そうだとして、一体どうやって?」
 首をひねる、河原。
 「現場検証を行った星診署もお手上げらしい。そこで、だ」
 「俺たちが調査にいけ、ってんですか?」
 露骨に嫌そうな表情を作る弥侘に、村山が無言で頷く。
 「まぁ、そんな顔をするな。ひょっとしたら、織姫の件とつながりがあるかもしれん。それでなくとも、こういう怪現象はウチの領分だ」
 「……わかりました。とりあえず、行くだけ行ってみます」
 「すまんな」
 「それじゃぁ、河原。行くとするかね」
 「あ、ああ……」
 クルリ、と回れ右をして、弥侘は一足先にガレージへと向かう。
 「やっぱり、昨日は逃げ出しといて正解だったな……」
 呟いて、弥侘は軽く、ため息をついた。


 「…………………」
 その頃、緋月家の茶の間では。
 朝刊の片隅にあった小さな記事に目をとめて、義澄は渋い表情を作っていた。
 「……これは、君の事ではないのかね?」
 向かい側で朝食をとっていた咲夜に、義澄は新聞を折りたたんで、その記事を示す。
 甘木山公園に夥しい量の血痕――そう、見出しがついた記事に、咲夜はゆっくりと口の中のものを飲み込み、
 「どうやら、そのようだな」
 と、まるで他人事のように頷く。
 「記事によると、ベンチやテーブル、鉄柵を真っ二つにしてきたようだが……少し、やりすぎでは?」
 「つい、カッとなってしまってな。いらぬ力を使ってしまった。それより、真が一蹴した連中のことは記事になっているか?」
 言われて、義澄は再び新聞を手に取る。
 「……いや、そういうことは、何処にも書いていない」
 「そうか。記事になるとすれば、むしろそちらのほうかと思ったが。どうやら、JGBAが握りつぶしたようだな」
 「……真君の様子は?」
 尋ねた義澄に、咲夜はゆっくりと首を振る。
 「もともと、真は持っている力と身体能力の釣り合いが取れていない。まだ身体が成長していない、というのもあるが――あれはおそらく、何処まで行っても、身体が追いつけないだろう」
 「つまり、身体のほうの限界がかなり低い所にある、と?」
 「そう考えて間違いない。一度や二度くらいでは深い眠りにつくだけだが、こう立て続けに力を使い続けると、身体が壊れるか、あるいは――」
 「あるいは?」
 「真の人格そのものが、壊れるかもしれない」
 「……………」
 「天は、二物を与えない――まさに、その通りだな。強すぎる力をもって生まれたが故に、真は身体と心が著しく弱い。線が細すぎる、とでも言うべきか」
 「……JGBAはそのことを知っているのかね?」
 「知らない――いや、知らなかった、というべきだろうな。だから、今になってこのような騒ぎになっている」
 ため息をつく、咲夜。
 「そういう意味では、今から退魔士になろうという少年には、いささか酷なものを見せてしまったかもしれん。すまないことをした」
 「……それは、別に君が謝ることではない。遅かれ早かれ、いずれは、経験することだ」
 「ふむ……そう、か」
 頷いて、咲夜は湯飲みを口に運ぶ。
 「……それで、今後は、どうするつもりかね?」
 「……真が回復し次第、氷浦に戻る。あれだけのことをやった直後だから、向こうもすぐには手を出してこないだろうが……もともと、これは氷浦で起こった問題だ」
 「やはり、氷浦に戻ってから決着をつける、と?」
 頷く、咲夜。
 「それしかあるまい。そうしなければならない理由が、ある」
 湯飲みをテーブルに戻して、咲夜はため息をつく。
 「真には辛いことだが、な……」


 「まだ、寝てるかな……」
 客間と廊下を隔てる襖の隙間から、澄馬は中の様子を伺っていた。
 恐る恐る、といった風に、澄馬は襖を開ける。
 「……………」
 真はまだ、眠っていた。
 それは、一瞬死んでいるのではないかと勘違いしてしまうほどの、深い眠り。
 注意してみていなければ分からないほど微かに、胸の辺りが上下に動いている他は、身じろぎ一つする気配はない。
 昨日の夜。
 星診神宮から車を運転して帰ってきた真は、玄関のドアをくぐった途端、崩れ落ちるようにして意識を失った。
 当然の如く、家の中は大騒ぎになった。
 だが。
 咲夜はこともなげに真を抱きかかえると、さっさと布団に寝かせ、自分以外の者が客間に入ることをきっぱりと拒否したのである。
 それはまるで、怪我をした子供を守ろうとする母親のような姿でもあり。
 また、何か重大な秘密を必死で隠そうとしているようにも、見えた。
 (よく、寝てる………)
 枕元にそっと腰をおろして、澄馬はわずかながら、顔を曇らせた。
 真が普段、どういう寝顔をしているのかは、知らない。
 知らないが、今、澄馬が見下ろしている真の寝顔は、血の気がなさ過ぎた。
 身体が衰弱しきっているのは、澄馬の目にも明らかだった。
 肌は、白蝋のように白い。
 そして何より、枕元に誰かが座ってもなお、それと気づかぬままに、眠っている。
 現役の退魔士としては、まず、ほとんどありえないことだ。
 寝ていてもなお、誰かが近づけばすぐさま目を覚ますくらいの感覚がなければ、現場では通用しない。不意打ちを食う可能性が大だ。退魔士が相手にする「魔」というモノは、それくらい物騒なものだ。
 そういうふうに、澄馬は研修所で教えられていた。
 もちろん、退魔士が実際にそうであるのかどうかは、知らないが。
 (出直すか……)
 まったく目を覚ます気配のない真に、そう判断して座を立ちかけた、その時。
 「何を、している」
 という声とともに、ポン、と、肩に手をおかれた。
 「え………っ?」
 振り向こうとして、澄馬は言葉を失った。
 「あ……ぅ………っ」
 軽く手を添えられただけにしか見えない右肩が、ものすごい力で締め付けられたのだ。
 「何をしていると、聞いている」
 振り向くことさえ許さない、激痛。
 骨が軋むような嫌な音とともに、耳元で、咲夜の囁く声が、聞こえた。
 その声音は、恐ろしく冷たい。
 「何をしていた」
 「その……目が、覚めたかな……と、思って………それで」
 痛みに身体を反らせて、澄馬は答える。
 「部屋に入るなと言ったはずだ」
 「あ……く……ぅ」
 「言ったはずだな、少年」
 咲夜が囁いたのと同時に、澄馬の身体が、わずかに浮き上がる。
 慌てて、澄馬は何度も何度も、頷く。
 「ならば、何故に入ってきた」
 そう、囁いて、咲夜はようやく力を緩めた。
 「いくら少年と言えど、場合によっては、ただでは済まさぬ」
 振り返った澄馬に、咲夜は冷たく、言い放つ。
 警告ではなく、宣言だった。さっきも、もう少し頷くのが遅ければ、咲夜は遠慮なく澄馬の肩を砕いていただろう。
 「ごめん………」
 「分かれば、いい」
 頷いた咲夜に、澄馬はよろよろと立ち上がりながら、客間を後にする。
 「少年」
 澄馬が襖を閉める間際になって、咲夜が声をかける。
 「真が起きたら、教えてやる」
 こちらを振り向こうともしない咲夜に、澄馬は頷く。
 「宮……」
 襖が閉じられてから、しばらくして。
 咲夜は、誰にともなく、呟いた。
 「私は真を……何から守ってやればいい?」
 その問いに答える者は、誰一人として、いない。


 「織姫君、大丈夫なのかしら……」
 今日も学校に姿をあらわさなかった真の机を見つめながら、唯はため息をついた。
 真が学校に来なくなってから、すでに10日近くがたっている。
 さすがに担任の稲葉や、同級生の伊藤が心配しはじめてはいたが、家に連絡をとってみても「事情があって学校を休んでいる」の一点張りで、取り付く島もないらしい。
 首をひねるばかりの稲葉や伊藤、そして、澪。
 それは唯にしても同じであったが、彼女には一つ、引っかかることがあった。
 つい、昨日。
 日曜日で休日だというのに、父親の日出男が、急遽、出張したのである。
 行き先は確か、星診と言っていた。
 聞けば、職場で行方を追っていた人物が星診にあらわれたという情報があり、その真偽を確かめに行くのだと言う。
 前の職場――県北にある、鷹野警察署で刑事をやっていた時にも似たような出張はあったから、いささか急とはいえ、日出男の出張という事自体は、別にどうということもない。
 だが。
 ついこの間、唯は日出男が「JGBAが織姫真を監視対象に指定したらしい」と電話で話していたのを聞いたばかりだ。
 なんとなくではあるが、日出男の出張と、真が学校に来ないこととの間に何か関係があるのではないか――そう、思ったのである。
 まさか、真が星診で深い眠りに落ちているとは思いも寄らない、唯である。
 ただ、顔を見たい。
 ただただ、そう、願っていた。


 どうして、高校にあがってすぐ、退魔士になったのか――かつて、咲夜はそのことを尋ねたことがあった。
 不思議に思ったのだ。
 退魔士になるのは、高校を卒業してからでも遅くはない。むしろ、そのほうが一般的だし、一線で活躍するために要求されるスキルが年々上がってきている今では、正式に退魔士としてライセンスを受けたのが20代半ば、というケースも珍しくない。そういった点から見れば、真が退魔士として活動を始めた15歳という年齢は、早すぎると言っても過言ではない。
 にもかかわらず、真が高校入学と同時に退魔士として活動を始めたのは、他でもない、彼本人の決断による。
 司は高校を卒業してからでも遅くはないと言ったし、それは葛城も同じ。さらには、JGBAも高校入学と時期を同じくしてのライセンス交付にはかなり渋ったという経緯がある。
 基本的には、咲夜も同じ意見であった。
 まだ、早い。
 そう、思ったからである。
 だから、咲夜は尋ねた。
 それに対して――真は、自分が生きているという証がほしい、と答えた。さらには、自分を受け入れてくれる所がほしい、とも言った。
 退魔士としての素質が十分すぎるほどあったが故に、真はこの世ならざるものを、常にその目に捕らえていた。
 恨めしそうな目でじっとこちらを見つめるモノ、憎悪に満ちた視線を向けるモノ、ただただ、立ち尽くしているモノ。
 様々な「モノ」が、真には見えた。
 そして、それは周りの人間にも見えていると、思っていた。
 そうであるが故に、真は幼い頃から、奇異な目で見られていた。
 自分を受け入れてくれるところがほしい、と言ったのは、そういった理由によるものだろう。
 そんな真に、咲夜は「守る者」としての戸惑いを覚えた。
 今までは、単に刃を交える「魔」という存在から守っていればよかった。
 そうすることが自分の役目だと思っていたし、相手も、それ以上のことを求めることはなかった。
 だから、どんなに冷淡だと言われても、さして気にするほどのことでもなかった。
 冷淡であるが故に、できることがある。
 そのせいで嫌われようとも、咲夜は別にかまわなかった。
 だが。
 真は、違った。
 彼を何から守ればいいのか――その判断が、つきかねたのである。
 そしてその判断は、真に出会ってから10年がたった今も、ついていない。
 戸惑いは、ますます大きくなるばかりだ。
 冷淡な咲夜に対して、真は血の通ったぬくもりを求め、実の母親であるかのようになついた。
 そんな真を、咲夜はただただ、「守りたい」と思った。
 何から「守る」のか――その判断が、つかないままに。
 「ふぅ………」
 深いため息をついて、咲夜は苦笑いを浮かべた。
 真のことを考えるたびに、ため息をつく回数が、確実に増えていた。
 「お前も、ずいぶんと罪作りな奴だ」
 眠ったままの真に、咲夜はそう、呟いたのだった。
this page: written by Tanba Rin.
<<Prev.<<  >> Next.>>
■ Library Topに戻る ■