真のスピリチュアルメッセージ - 高級霊魂からのメッセージ
四の章 一、 感情 (130616)
Q
確認の意味で質問します。
「怒ることは霊的に低く、笑顔は高い」と言う人がいますが?
A
多数の人がそのように考えているようですが、
実は、そうした事は霊的な進歩とは関係がありません。
人は怒っているよりも笑っている方が幸せを感じます。
ですから、笑っていることは悪い事ではありません。
健康に良いので笑うというのであれば、自由です。
ですが、霊的な進歩とは関係がないということです。
霊的に進歩した霊魂でも、悲しければ泣きますし、
下の世界の霊魂でも、嬉しければ笑います。
問題なのは、感情の動きがどのようであろうと、
本人の自由であり、
霊的な進歩とは関係がないという事なのです。
誰でも子供を殺されれば怒ります。
それが自然だからです。
それは、進歩でも退歩でもないのです。
四の章 二、 奉仕 (130619)
Q
困った人への奉仕は大切ですか?
A
善い事です。
ですが、霊的な進歩とは関係ありません。
人が何をしようと、それは単に行為にすぎず、
何を考えたとしても、表面意識の判断や決定にすぎません。
その事と魂としての進歩は無関係です。
Q
災害などで困っている人達に奉仕活動をする事も
霊的な進歩とは無関係なのですか?
A
あらゆる行為は人々の自由です。
そして、それらの行為は霊的進歩とは関係ありません。
ただし、困っている人達に奉仕する事は善い事です。
つまり、その事が霊的な進歩に繋がらなくても、
善い事は善い事なのです。
霊的に立派な行為をするので神様見ていてください、というのでは、
偽善と言われてしまいます。
Q
その人が信仰する施設に奉仕するのはどうですか?
A
霊的な進歩に繋がります。
ただし、その宗教施設に高級な幽気が降りている場合のみです。
高級な幽気が降りている施設に奉仕すれば、
その施設がその後も高級な幽気を維持する事に繋がります。
それは、奉仕者にも他の信者にも善い事です。
共に高級な幽気を吸収して進歩することができます。
また、その施設に働く霊魂の信頼も深まります。
高級な幽気の吸収は魂にとって最も大事な事ですから、
当然、そうした奉仕は善い事です。
Q
宗教施設以外への奉仕は社会にとっては大切な事です。
霊的な進歩には繋がらなくても必要な事は必要なのですね?
A
はい、そうです。
霊的な見返りを求めて行なう行為ではなく、
純粋に困った人達を助けるのは善い事です。
その結果、たとえば、困っている人達の生活が安定すれば、
将来的に霊的に目覚める人も出るかもしれません。
そうなれば、霊的には大きな貢献です。
Q
つまり、奉仕は何でも本心から行なうのであれば貴いけれども、
神様との取引では駄目だという事ですね?
A
本来、どのような行為も霊的には自由なので、
善も悪も高低もないのです。
奉仕であっても、
人として、困った人を助けるのは善い事だというだけで、
それは、社会にとっては善であるけれども、
霊的には善悪ではないという事です。
ただ、目の前で苦しむ人を救ってあげたいと思う気持ちは、
人として自然に沸いてくる心情です。
そうした気持ちに善悪や高低はありません。
Q
他の人を助けるのも、無視するのも、自由ですか?
A
社会人としては、無視するのは善くない事でしょう。
ですが、霊的には自由です。
しかし、イエス師は、隣人を愛せよ、と言われました。
人の意識の奥には深い愛が眠っています。
表面の意識は皆、自分勝手です。
表面の意識を教育しないと、住み良い社会にはなりません。
社会のためには隣人への愛が必要です。
教育が行き届かない社会では隣人に対する愛を説く必要があります。
人が霊魂の世界にのみいるならば、
災害もなければ、食べられない人もいません。
隣人愛という思想はないのです。
ですから、人間という霊的な生命体にとって、
一番大切な事は、「汝の神を愛せよ」 なのです。
ですが、人がこの世に生きるようになったので、
不自由な世界に生きる事になり、
自由ばかりを主張すると、他者の自由を奪う事になる。
そのため、この世は不自由に耐える事が前提の社会となり、
その中で霊的に進歩しなければならなくなったのです。
仏陀が言うように、この世には苦しみが付き物です。
だからこそ、他者を愛する教えが必要なのです。
皆が自分勝手では、誰も幸福にはなれなくなったのです。
四の章 三、ありのままの自分 (130624)
Q
ありのままの自分とか、
自分に正直に生きる事が良い、
という考えは正しいでしょうか。
A
どのように生きようと、その人の選択です。
法律に違反していないのであれば、
他者が干渉する事ではありません。
ただし、人間として良い事かどうかというのであれば、
話は別です。
人間としての成長のためには、あまり良い事ではありません。
たとえば、「ありのまま」という事は、
進歩しないという事です。
ある人がとてもわがままだという時、
そのままで良いという事はありません。
人間としても、社会人としても、わがままは困ります。
そうした人は現状を変える努力が必要です。
人は完全ではありません。
どんな人でも欠点があります。
それを少しでも改善しようとしなければ、
人間としての進歩もありません。
もっとも、多少の欠点よりも長所を先に伸ばすというような、
進歩の為の考え方は良いと言えましょう。
自分に正直に、も同じです。
自分の気持ちに正直に、と言えば、聞こえは良いのですが、
要は、自分の欲望のままにと、いうのが現実です。
それでは、社会人としての進歩はありません。
欲望の性質をチェックして、
改善すべき欲と、
そうでもない欲を、
分けるなどの工夫が必要です。
社会人としても、ある程度の人格は備えておくべきです。
そうしなければ、霊的な話も誰も聞いてはくれません。
人格が低いと信用されないからです。
それでは、霊的な分野に貢献することはできません。
自分自身の霊的な進歩も大切ですが、
他の人達の進歩を促す事も大切です。
霊的生命体としての人類の進歩に貢献できる事は素晴らしい事です。
四の章 四、社会人 (130629)
Q
社会人としての成長も大事なのですね。
A
人は本来自由です。
ですが、この世で生きねばなりません。
その為には、社会人としても成長しないと生きて行けません。
ある程度の社会性は必要です。
家庭でも一日中怒っていたのでは、
家族は誰も相手にしてくれません。
人間としての良識、周囲の人への思いやりは必要です。
Q
会社には大抵の場合、嫌な人や困った人がいるものです。
そうした人達にはどう対処すれば良いのですか?
A
その人達にも、人格も、人権もあります。
嫌な人だからと、殺してしまうわけには行きません。
仲良くできれば最善ですが、
どうにもならない人は居るものです。
それが上司だったりすると、文句も言えません。
それでも不景気な時には転職できません。
心の中はストレスで一杯になり、
やがて、心身とも壊れてしまいます。
そうした時には、家に帰って愚痴を言うべきです。
愚痴を言うと心が晴れるものです。
それなのに、家に帰っても
家族は愚痴を言う人を良く言いません。
愚痴ばかり言っていると、
揚げ句の果てには、
もっと楽しい話をしてくれとか、
家に仕事を持ち込まないでとか、言われて、
嫌われてしまいます。
家に帰ると、他の家族も皆、それぞれに、
一日の生活でストレスを抱えています。
他人の愚痴など聞きたくありません。
でも、そこは家族です。
お互いに相手の人の愚痴を聞き合うと、
心が晴れて明日からも、また仕事に行けるのです。
夫は会社でストレスを溜め、
妻も姑や近所の奥様の事でストレスを溜めています。
疲れているのは分かりますが、
お互いに少し相手の話を聞けば、
心が和むのです。
会社で悔しい思いをして落ち込んでいる人が家に帰っても、
誰も話を聞いてくれないと、
聞いてくれる人がいるかもしれない飲食店街へ
ついつい足が向かってしまうのです・・・。
四の章 五、今、何をすべきなのか? (130704)
Q
今、何をしなければならないのですか?
A
それは決まっています。
契山館を担当している私達としては、
今、まず契山館に入る事が一番大事です。
人類の歴史上初めて世に出るような霊的トレーニングの体系が
地上の世界にもたらされたのです。
それを実習することが最善です。
更に、霊魂の学問を学んでいただければ、
それ以上、言う事はありません。
その上で、
自分の幸福や自分の霊的進歩のためだけではなく、
霊的世界、霊的生命体全体のための幸福や進歩の為に
生きてほしいと思います。
Q
霊的トレーニングや霊魂学を知らない人達にとって、
自分以外のために生きるというのは難しくないですか?
A
易しいとか、難しいとか、そういった問題ではありません。
たしかに、他者のためには生きられないかもしれません。
たとえば、「地獄のような世界で苦しんでいる霊魂達を助けましょう!」
と言っても、ピンとは来ないでしょう?
ですが、「地球の環境を良くしなければ!」、という活動であれば、
大勢の人達が参加するはずです。
それは、全体のためでもあるし、自分や子孫のためでもあるからです。
今や、地球の霊的な環境は物質の世界の環境以上に悪いのです。
それを知れば、皆、分かるはずです。
今、黙っていてはいけないのです。
一人でも多くの人達が霊的に高度な儀式や行事に参加し、
高級な幽気を降ろす事に協力すべきなのです。
そうしなければ、自分だけでなく、子孫も困るのです。
この世の環境が悪ければ、
人は病気になり、生きにくくなり、不幸になります。
霊的な環境が悪ければ、
幽体が不調になり、
いわゆる悪い霊魂や質の低い幽気の悪影響を受けやすくなり、
死後も下の世界で苦しむ可能性が高くなるのです。
今、どうして他の選択肢などありえましょうか。
他に同様の事を主張し、
その対策を持っている集団があるでしょうか?
私達が活動しているこの会しかありません。
すぐにも立つべきなのです。
それが人類の未来のためだからです。
Q
世間では、
「ここだけしか道はない」というような言い方をすると、
必ず「邪教だ」とか、「カルトだ」とか言って
批判するのですが...。
A
では、お伺いします。
どこかの国が核兵器を発射することが確実になったとします。
ある集団が、「その核兵器の威力を消滅できる」 と強く主張したとします。
それに対して人々は、「自分だけが一番だと言っている」とか
「売名行為だ」とか、「金儲けだ」とか言って批判したとします。
人々は何を選択すべきでしょうか。
答えは一つです。
その技術が本当に力があるのかどうか、
力があれば採用する、
他に手段はありません。
ある集団が、「あらゆる病気を治癒させる技術を発見した」と
主張しました。
さて、人々はそれを金儲けだと批判すべきでしょうか?
金儲けでも、売名行為でも、一向に構わないのです。
その能力と成果に対する報酬は正当に得て、何の問題もない事です。
大切なのは、それが本当なのか、嘘なのか、です。
世界中に、霊魂からの通信と称するものは多数あります。
それらのほとんどは私の主張とは相反しています。
正反対と言えましょう。
そうである以上、正しいのはどちらか一方だけなのです。
結局、二者択一しかないのです。
そしてそれが、科学なるもので証明できることでない以上、
結局、一人一人が自分の責任で選択するしかない事なのです。
人々は、結局、「自由である」 ということです。
[霊相談へ] [死後の世界への入口へ] [契山館]