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霊をさぐる

霊をさぐるためには

霊魂学の主張

霊的技法編


2 霊術



日本には昔から多数の霊的な技術がありました。その大多数は人間の欲望や願望を叶えるための法でした。祈祷がその代表です。

人間は困った時にはどうしても神や仏に縋りたくなります。医者で治らない病に掛かったり、子供を受験に合格させたいと願ったり、人は普段は神も仏も信じていないのに、困ると、神社で祈ったり、祈祷師に頼んだりしてしまうのです。

日本人にとって、神や仏は普段は無関係なのですが、困った時だけは何とかしてほしいと思う存在なのです。そして、祈ってもうまく行かなかった時、人は、この世には神も仏もいない、と嘆くのです。

考えてみると身勝手な話です。都合の良い時だけ頼って、後は知らぬ顔では、人間同士であれば、誰も相手にしてはくれません。それでも、相手が神や仏ならば涼しい顔をして祈願しています。それは、やはり、神も仏も本当はいないと思っているからなのかもしれません。

 

考えてみれば、そんな身勝手な願いに、説教の一つも言わず、「はい、分かりました」と、依頼を受ける側にも問題があると言わざるを得ません。

医学でも治らない病気の場合は、他に手がありませんので、祈祷に頼るのも仕方がない事なのかもしれませんが、受験の場合は、基本的に自分の努力で合格すべきです。祈祷するとすれば、合格を祈るのではなく、受験生が実力を発揮できるようにと祈るべきでしょう。

仮に祈祷師に頼んだ受験生が夢で試験問題を全て見て合格したとします。それは、法律的には問題にはなりませんが、倫理的にはどうなのでしょうか。犯罪によって流出した試験問題を見るのとあまり変わらないとも思えます。少なくとも、神や仏がする事ではないのではないでしょうか。

本当に祈祷の成果が出て合格したという場合、働いてくれた霊魂は高級と言えるでしょうか。言えないでしょう。そのような霊魂と縁を持った人は、その時は良くても後々後悔することになるのです。たとえれば、暴力的な組織の人達の手を借りて願望を成し遂げた人は、確かに成功したかもしれませんが、長期的に見ると、そうした人達と関わる事が真の幸せに繋がるのかどうかを考えた方が良いと思うのです。

霊魂学では、そうした単なる御利益を求めて霊的な技術を行なう事を正しいと考えておりません。ですから、受験の祈願などは受けておりません。そのような場合に霊術を行なうとすれば、力が出しやすい霊的状態になるように、といった考え方をします。出産の場合は、単に安産を祈念するのではなく、霊的なアクシデントがないように、霊的調査をして、その時点の問題を事前に解決します。(「霊と人生 - 健全な子供を産むために」参照)

霊的な技術は霊的に正しい方向に使用するものなのです。(「霊術への招待」参照)

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