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霊をさぐるためには

霊魂学の主張

霊的技法編


3 『気』の技術



霊的な技術の中で一番有名なのは、日本ではお祓いでしょう。お祓いに関しては、このHPでは、すでにコーナーがありますので、そちらをご覧ください。(「お祓い」参照) 

ここでは、『気』の技術を取り上げようと思います。『気』と言えば、気功法が有名ですので、一般には霊的な技術とは考えられていないように思います。ですが、『気』は実際には霊的な分野なのです。

『気』に関しましては、いろいろな情報が流れています。ここでは、霊魂学の定義による『気』についてご紹介します。

『気』と言いますと、世間では血液の事であるとか、目に見えない生体エネルギーであるとか言われていますが、霊魂学ではいくつかに分類されています。

まず、死後の世界である、『幽質の世界』の空気のようなものが『幽気』です。そして、更に高貴な霊魂の住む霊質の世界の気が『霊気』、更に上の世界には『神気』という気があります。

これら3つが霊的な気です。

それとは別に、『間気』と呼ばれる気があります。

いわば、4つの気が存在しているのです。

4つの気の中で、高気な気である『霊気』と『神気』は一般の人にはあまり関係がありません。これらと関係があるのは、霊的トレーニングの実習者だけですので、ここでは説明を割愛させていただきます。 

一般の人達に関係があるのは『幽気』と『間気』です。『幽気』は幽体の内部をも流れています。これは肉体にたとえれば、体内を流れている血液のようなものです。ですが、幽気は空気のような存在ですので、肉体の外部にもあります。それは、呼吸などと共に幽体内部に吸収する事ができます。ですから、いつでも新しい『幽気』を吸うことができます。『間気』というのは、肉体と幽体を接着している、半分だけ霊的とも言える、物質と幽質との中間的な『気』のことです。

幽体内部の幽気が滞ることなく流れ、かつ幽気の霊的な質が良ければ、幽体からオーラが出やすくなります。つまり、ヨーガでプラーナを吸う、とか、仙道で気を吸収する、というのは、霊魂学的にも理に適っています。古神道の息吹法も立派な技法です。

用語は違っても、いずれも同じような事を目指しているとも言えます。この幽気を吸う技術は東洋には古くからある技法で、素晴らしい技法なのです。

ただし、一つ問題があります。『間気』という気です。幽気と間気の区別をきちんとしないと、素晴らしい技法が危険な技法に変わってしまいます。たとえば、空間から『気』を吸う、というのであれば、『幽気』を吸っています。ところが、誰かの『気』を吸う、というと、ほとんどの場合は誰かの『間気』を吸うことになるのです。仙道の修行者が時々こうした技を用いるそうです。

私は詳しく知りませんが、老いた仙術家が若い人の手を握って、気を吸い、自分を若返らせようとしたとか、女性との性行為によって、気を抜いたとか、時々、そうした話が聞かれるようです。真偽のほどはわかりませんが、本当であれば困った事です。ご自分は良くても抜かれている方はたまりません。仙道系の気の技を使うという人の中には、時々、こうした人が居るという噂があります。何しろ、不老不死を目指しているわけですから、究極的には若い人から生気を抜いてしまおうという事になりかねないようです。真面目な仙道の修行者の方は別でしょうが、中には困った人もいるという話も聞いておりますので注意が必要です。

つまり、気の技は随分と危険なのです。霊魂学は幽気と間気の違いを主張していますが、他にそうした流派は知りません。あったとしても、あまり有名ではないと思います。実際のところ、『間気』という用語は、このHPの監修者が作った用語です。少なくとも、気の違いが分からないままに気を操るのは危険だと、充分認識していただきたいと思います。

たとえば、気を他の人に入れれば、それが間気であっても、幽気であっても、入れられた人の幽体は違和感を感じ、拒絶反応を起こします。気が不足している人に気を入れると、病気が良くなる場合があります。ですが、それは、その時だけの話なのです。いずれは、幽体に不調が起きてくるのです。不調を起こした人の幽体からは幽体オーラが出にくくなり、その人の守護霊よりも不道徳な霊魂の目に入りやすくなってしまうのです。

気の技は大変有用な技なのですが、その分、危険な技でもあります。ですから、薬と同じく、医師が副作用を考慮した上で使用するというような、慎重な姿勢を持たなければ、かえって害になる技なのです。

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