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 霊をさぐる

霊をさぐるためには

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高級な霊界通信の真偽を簡単に断定する事はできない、という事は分かりました。ですが、断定はできないまでも、類推するという事なら可能なのでしょうか。

その場合、他の系統のHPなどを見ますと、理性的な主張で、霊魂が歴史的有名人であると強調しない、そして、自分が救世主のような存在であるとアピールしたがるのは偽者であるとされています。

おそらく、ある大教団の教祖の批判を考えているのだと思います。

こうした指摘の解釈は、大体そうだ、というような程度であれば適切なのでしょうか?



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残念ながら、あまり適切ではありません。

「私は○○神である」などと、いきなり主張してくるのは、さすがに偽者である可能性が高いのは確かです。ですが、絶対にそうだ、とも言い切れません。何かしらミスが起きているという事もないとは言えないからです。

二十年前であれば、そうした通信のほとんどは偽物だと判断しても良かったと言えます。このHPの監修者も二十年前の段階では、すぐに「これは偽物である」と言えたそうです。監修者には高級霊魂からの情報が入っていましたし、偽物も単純な場合が多かったので、その頃であれば、すぐに偽物であると判断できたのだそうです。

ですが、時が経つと、事情が変わってきます。つまり、その通信を批判する人が出てくると、偽物も変わらざるをえなくなっていくのです。(「霊能力者って?」を参照)

偽者という人達は、目的があって行動しています。その目的に応じた言動を取るのです。ですから、霊能力者や占い師であれば、お客さんが増えるような指摘をしたり、衣装を整えたりします。神秘的な印象が受けると思えば神秘的な衣装にします。背広が受ければ背広へと変えて行くのです。霊魂から通信を受けたという人が商売であれば、より信用されようとします。商売でなくても、自分が高級霊魂からの通信を受けていると言い張りたい人は、正しい霊魂通信とはこうだ、と言われていると知れば、それが頭に入っていますので、それを基準に、批判を受けにくい言動や主張を発表します。つまり、偽者であるからこそ、他を勉強して知識を増やし、本物らしくするのです。理性的であるのが良いとされれば、そうするように努力しますし、実名を名乗らない方が良いと言われていれば、いきなり歴史上の人物名を名乗らないようにします。そして、後から、実は本当は○○が後ろに居た、と言えば良いと知ります。ですから、普通の人では、まず、偽物だと判断することは無理でしょう。

つまり、偽者ほど、他の優秀とされている通信を勉強し、それに自己流のアレンジをするのです。ですから、逆に、本物と言われている通信があると、むしろ、それとの共通点が多くなる場合すらあります。それまでに売れている物は大勢の人に対して説得力を持っていたと言えます。それと主張が似ているのであれば、人を騙しやすいのです。

したがいまして、理性的であるとか、通信する霊魂の名前がどうだとか、共通点があるとか、そうした事で霊魂からの通信の真偽が判断できる事はありません。逆に、そうした主張は害をもたらす場合もあると言えましょう。

実際のところ、本物の高級霊魂通信であれば、宗教の世界における歴史的達人や、その弟子が、通信する霊魂の背後にいる事は充分に考えられます。そうした場合、名前で信用させるのではなく、内容で信用させたいという考え方も分からないではありません。ですが、それは、考え方、導き方の手段の一つにすぎません。そうでなければ偽者だと言えるような事ではありません。

たとえば、実際の高級霊魂に聞いてみますと、そんな事よりも別の事を主張されます。それについては、監修者の言葉を紹介しましょう。

「真に高貴な霊魂方は、物質の脳の所持者ではなく、幽質の脳の所持者でもない。霊魂学で霊質と呼ばれている身体の所持者である。したがって、脳に当たる器官も肉体のようではない。そうした器官の使用者による通信を人間が理解する事はできない。それは、人間の意思を山羊に理解しなさいと言っているようなものだからである。機能の違いは意識の違いである。その違いは比べる対象にもならない。よって、高貴な霊魂は肉の脳の理解し得る範囲でのみ語られるのである。

人間の肉体の脳が考えるような理性など、山羊のそれでしかない。真に高貴な存在になると、それは理性とか、感情とか、名前とか、そうした次元ではなく、ただただ、「偉大だ」、としか表現しようがない思いの流れのようなものである。

地上の言葉や文字になってしまえば、それは、しょせん、肉的でしかない。そうである以上、内容がどうであれ、大事なのは、理解する側の成長なのである。理解する側が霊的な訓練を積み、高貴な存在を霊的な部分でより感知できるようになる事、これが高貴な存在をより理解するという事なのである。

この霊体の訓練をしない限り、高貴な存在に感応する事は出来ない。

よって、訓練をしない人が、どのような通信をどれほど有り難がって読んだとしても、それは、未熟な霊魂の頭脳の範囲をただなぞっているだけなのである。決して、高貴な存在の意識を知ることではない。

人は自分が成長しない限り、より高いものを得る事も、理解する事もできないのである。」

との事でした。

世の中には、いろいろな事を言う人がいます。たとえば、真に高貴な存在からの通信を、何人もの霊魂の霊媒を繋いで通信を得ると考える人もいるそうです。仮にそれが本当であっても、最終的に通信する霊魂の理解力が低ければ、あまり意味のある事ではありません。大学の先生の授業であっても、幼稚園児がそれを学ぶためには、内容は幼稚園児が理解できる内容になっています。ですから、教える先生の学歴が高いから良いというよりも、幼稚園児により分かりやすい授業ができる人の方がはるかに良い先生だといえるのです。

霊魂学は幼稚園児が成長して、中学生や高校生になる事を考えています。




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