3.霊 的 ト レ ー ニ ン グ の 現 場
霊的なトレーニング(修行)は、霊的な生命体の実在を前提としています。そのため、たとえば、瞑目一つするにしても、他の修行とは考え方が違います。
このページでは、そんな実例を紹介します。
私のこれまでの少ない経験の中でも、特に印象的だったのは、高級な霊魂がいかに人間の自由意思を尊重するかということでした。特に、霊魂の指導で出来た修行法であるにも関わらず、高級霊魂が地上の師の考えに、たえず従っているという事でした。
霊魂は高級になればなるほど意識も凄まじく高いので、地上の人間は幼い子供のように見えると思えます。何しろ、肉体の脳でしか意識を表現できないのですから、両者の間にはどれほどの距離があるか分かりません。
それでも、地上では、常に人間が主で、霊魂は従なのです。
ある時、このHPの監修者が私にこう言いました。
「このまま自分が禊の指導をしていたら、誰も育たないのではないか。」
私には最初、意味が良く分かりませんでした。しかし、しばらく話しているうちに私も納得しました。
そして、ある時から、神伝禊法の研修は、日によっては天候により中止することがある、と書くことになったのでした。
それまでは、一度もそうした記述はありませんでした。水の禊や火の禊は外で行なうので、天気が悪いとできません。が、それまでは一度もそうした事を書いていなかったのです。
なぜなら、監修者が、どんなことがあっても必ず晴れるから、と言って、雨が降ることを全く想定していなかったからでした。
その頃、監修者は、富士の神霊の修行なので雨など霊魂が降らせるわけがない、と言っていました。事実、いつもそのとおりなのでした。過去一度も天候で中止になったことがなかったのです。
何度か、合宿研修の最中に台風が来たことがありました。禊は早朝に行なっていたのですが、室内で他の技法を行なっている昼間は大雨が降り、翌日の早朝には決まって晴れて、必ず禊が出来るのでした。
禊の諸注意に加え、天候まで考慮に入れるとなると、禊を成功させるのが一層難しくなります。
水の禊は、いずれにせよ、水に入るので、霧雨や小粒の雨ならば支障はありません。けれども、火はそうは行きません。雨はもちろん、風が強すぎても困るのです。
ところが、そのうち、監修者は師として、指導に迷うようになりました。私から見ても、修行者は先輩になるほど常に成功する師に頼ってしまい、自分達が責任を持って後輩を導く手助けをしよう、というような心理にはいつまで経っても至らないのです。
何しろ、水、火、風の禊は、これまでの10年余りの間に3泊あるいは4泊の合宿を10回程度行なっていて、一度も天候、その他による中止がないのです。
「これでは駄目だ。将来、自分がいなくても、各地で大勢の人達に神伝の法の指導をして欲しいのに、このままでは、真の指導者が1人も育たない。」
監修者はそう言うと、
「これからは、天候は自然のままに、たとえ、修行といえども、人間の都合には合わせない。いかなる状況においても、指導者はそれぞれのレベルに応じて、最善の行動をとれるようにならないといけない。常に、私がいないと研修が出来ないのでは困る。」
そう言って、考えを変えたのでした。それからは、(いかに遠距離から集まった人がいようとも、)3泊あるいは4泊のうち何日かは中止になっても仕方がない、という前提で修行の合宿を行なう事を会報に記すようになったのです。
そして、なるべく新しい会員達に指導を任せ、自分はそれを見つめるように態度を変えたのでした。
そんな時でした。ある霊魂が師にこう言われました。
「地上の師の考えの通りに動きます。」
私は思いました。地上の人間はどんなに高貴になっても、肉体を持つという限界があります。ましてや、会員達がどう動くかなど、やってみなければ分からない事です。そのため、成功も失敗もあるのです。
それでも霊魂達は人間の自由な意思を尊重して動きます。
どうやら、そうやって、成功と失敗を繰り返さないと、人間は精神的にも霊的にも大きくなれないらしいのです。
人間には成功する自由も失敗する自由もあり、この自由に高級霊魂は干渉しないもののようなのでした。