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5.オーラの強化

 オーラの強化は、霊的トレーニングによって、是非とも達成したい事の一つです。オーラが強化されるという事は、実は、人間という霊的生命体にとって、大変重要な意味を持つのです。

 もっとも、オーラの定義によっては、この「トレーニング」の意味も異なってきます。

 肉体から出ている何やらモヤモヤしたものを「オーラ」と呼ぶ、という人達もいらっしゃいます。

 しかしながら、このHPでは、幽体から出ている光のようなものを指して「通常のオーラ」と呼んでいます。これは定義の違いによります。

 つまり、霊魂学では、幽体から出ている光のようなものを「幽体オーラ」と呼び、霊体という幽体より高貴な身体から出るオーラを「霊体オーラ」と呼んでいるのです。

 実はまだ他にもオーラはありますが、難しくなるのでここでは割愛します。(「霊魂学の主張 オーラ編」もご参照ください。)

 「幽体オーラ」は、幽体から出ていますので、幽体の健全さ、不健全さ、あるいは成長の度合いといったものに、より大きく関わっています。(参考: 「あなたの幽体は大丈夫!?」-by 『まぁちゃんの霊魂に聞いてみよう』)

 人間が死後使用する身体は「幽体」ですので、この幽体の状態は実は大変重要な問題なのです。よく、死後は幽体がまるでスーパーマンのように完全になる、と主張する人がいます。ところが、現実にはそうではありません。

 死んで肉体を脱ぎ捨てると確かにそれまでの病気などは本来は消滅している訳ですから、本人の自覚と共に、幽体は徐々に健全になって行きます。ここで、注意したいのは、この健全になる、という意味は、肉体とダブっていたために幽体にも起きていた、損傷や老化といったような、不都合の修復なのであって、幽体自体が高貴になるということではないのです。

 このあたりの説明は、詳しく書くと長くなる上に、難しくなり、初心者に理解できるHPではなくなってしまいますので、概略だけを説明します。

 高い世界に住む霊魂方の幽体は、未熟な霊魂のそれとは著しく質が異なるのです。それが霊魂と人間との違いでもあります。人間はたとえどんなに高貴な人であっても、あるいはその逆の人であっても、皆同様に、同じような質をした「肉体」をまとっています。そのため、外見だけではどちらが立派な人なのか見当が付きません。

 ところが、霊魂の世界はそれぞれの霊魂としての成長の度合いによって住み得る世界が違うため、その霊的な身体はそれぞれ、はっきりとした違いを示しています。

 幽体の質の高低は、霊的生命体としての人間にとっては大変重要な問題となるのです。この幽体の質の高低を「幽体オーラ」が反映しているのです。

 言い換えれば、この「幽体オーラ」を正確に分析できれば、仮に今死んだ場合、どの程度のランクの霊的世界に入るのかも推定できますし、霊的なランクというと語弊があるかもしれませんが、実際に、その人の霊的な成長の度合いが分かってしまうのです。

 もちろん、実際には単純ではありません。肉体の中にある「幽体オーラ」は、霊魂が発するオーラとは違い、肉体とだぶることにより、様々な制約を受けています。そのため、必ずしも、霊的なランクをそのまま表しているとも言えない要素を含んでいるようでもあるのです。

 そのため、かなり霊的に進歩している人であっても、肉体が病気になるのと同様に、「幽体オーラ」に不調ができる事もあるのです。

 そうした不調は、その人の守護霊や指導霊から、その人の姿が見えにくくなるという結果をもたらします。それが、その人にとって良くない事である事は言うまでもありません。

 つまり、人間は「幽体オーラ」を正常にし、かつ成長させる事が必要なのです。「幽体オーラ」が正常になり、成長すれば、守護霊や指導霊からの影響がどんどん強くなり、この世に生まれた目的やテーマの達成が得られやすくなります。 

 地上の人間には、そのためにも、「幽体オーラ」を正常にし、強化、成長させる努力が必要なのです。

 とは言いましても、そうした努力は一朝一夕でできるものではありません。霊術によって「幽体オーラ」を一時的に強化したりする事も可能なのですが、それは、あくまでも必要に応じて行なう応急的な処置なのです。
 やはり、自分自身の努力が最も大切です。

 「幽体オーラ」の強化には、霊魂の実在を前提としたトレーニングが大変有効です。私の場合はもちろん、神伝の法が最善だと考えています。
 しかしながら、そうでなければ「幽体オーラ」が強化できないという訳ではありません。監修者によると、ヨーガ行者の中には、かなり良い「幽体オーラ」を発っしていた人もいたそうです。とはいえ、ただ、宗教的、心霊的な本を読んで日々の行ないを正しても、「幽体オーラ」はなかなか成長しないそうです。また、良い指導者もなしに1人で瞑想してみても、ただ危険なだけで、成果は非常に小さいようです。
 正真正銘の善人でも「幽体オーラ」の未発達な人は大勢いるそうです。

 現代は情報化の時代です。昔の真剣な修行者が一生かかって知り得た知識を、今の人達は書店であっという間に知り得てしまいます。だからといって、霊的に向上しているわけではないのです。

 大切な事はやはり、実践であり、日々の霊的修行(トレーニング)なのです。



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