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7.霊 的 な 進 歩 (2000.06.14)


 ヨーガ行者の中にも霊的な進歩をとげている人がいるそうですが、ヨーガの人達が霊魂学を学べば良いのでしょうか。


 そうでもありません。

  ヨーガの体系は宗教理念の中に組み込まれています。ですから、霊魂学を学ぶと宗教理念と不一致の部分が出てしまい、かえって修行者の意識を混乱させる可能性があります。したがいまして、そうした場合、霊魂ヨーガといった修行体系に組み替える必要を感じます。

  伝統的なハタヨーガ、ラージャヨーガといった体系はやはりインド的で現代の日本人には合わない部分があります。したがいまして、日本的に改善するといった作業も必要と思えます。

  つまり、ヨーガの聖者を信奉する人達の場合、世界的に人気のある団体はインド的な考え方が基本になっています。それはそれで良いのですが、残念な事に日本のビジネス中心の社会の中には、なかなか溶け込む事ができないのです。

  たとえば、ヨーガ系の人達が瞑想をする場合、瞑想が深まると、時間を無視してしまう事があります。そうなると、時間を約束しても、その人が現れないといった不都合が出て、なかなか社会人として生きていけない部分があるのです。

  「神と一体となっている時に、それを邪魔するものはあってはならない」

  そう簡単に言われてしまったりするのですが、日本のビジネス社会では、

  「それはあなたの勝手な言い分で、私には関係がない」 

  と言われてしまうのです。

  神が絶対の風土で育った体系と、エコノミックアニマルと呼ばれる国民とでは、一致できない点が多すぎるのです。

  本当はどちらが正しいのかはともかくとして、実際的には、出家したり、家を出て共同生活をするという形態の方が、修行しやすい面があります。また、そうした形態をとっている団体も多くあります。
  そうなリますと、日本の社会では、怪しげな集団と疑われてしまいます。サリン事件の後だけに、そうした集団は誤解されやすく、修行者の家族からも反対されると思えます。


  したがいまして、いくら、ラーマクリシュナやヨーガナンダが偉大であっても、日本では、もう少し工夫した方が、修行の成果を得られやすいと思われます。

  繰り返しになりますが、日本の場合は、ヨーガの素晴らしい体系をそのまま採用するのではなく、日本的な体系に組み込む事が最善ではないかと思っています。もちろん、そうして出来た体系が外国へ広まった時の対策も考慮しておくべきだと思います。

  当HPの監修者もヨーガの呼吸法は立派な技法だと言っておりました。ただ、残念な事にヨーガの思想が立派すぎて、皆、それに酔ってしまい、霊魂を探求する事には関心を示してくれない、とも言っています。

  思想がいくら高度であっても、霊魂は実在しないという考えでは、それは基本的に間違っている、と言うしかありません。

  太陽が地球の周りを回っていることを前提にした、一見高度な科学は、やがて価値を失います。事実に根差した思想でないと価値は低いと言えましょう。

  ヨーガの修行体系の中には、霊的にも高度と言える技法があるそうです。本だけを読んでいる人が一生掛けて善なる行為をしても、レベルの高いヨーガの修行をした人の1年分の成果もありません。それは、魂を田畑にたとえれば、まさに、鍬で作業をしている人と、農業機械で作業をしている人とを比べるようなものです。

  宗教的な教えのみで、人間という魂の広大で深い意識のほんの表面を改善しようとした人と、高度な体系で深奥の意識を刺激した人とは、相互に比べる対象にもならないのです。

  そして、それは、人間の他界後の、霊的生命体としてのランクに直結している事なのです。ところが、日本の社会の中では、その本来の価値が発現されにくいのです。

  霊魂学も、もちろんのことながら、霊的な深い意識に対して、高貴に刺激する技法です。それをヨーガの人達にも知ってもらえたら良いのに…。
  日本にある神秘なる技法、それを彼らは知らない、私はそのことが残念でたまりません。



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