[霊的トレーニングへ] |
9.次第 (2001.04.08) |
Q | 霊的トレーニングですが、本などでやり方を調べれば、自分1人でもできますか。 |
A | 残念ながらできません。 スポーツでも何でもそうだと思いますが、教科書をただ読んでいても上手にはできません。やはり誰か実際に教えてくれる人がいなければ無理でしょう。 |
Q | 神秘的な事柄を扱う雑誌や修行関係の本を読みますと、「修行法の次第」というのが書かれていることがありますが、それを見る限りでは、それを手本にすれば私でもできそうに思えるのですが。 |
A | そうですね。「水行」の行じ方とか、「○○流の鎮魂法」などの行じ方を書いた本も出ているようですね。中には、次第がかなり詳細に書かれている本もありますので、そうした本を読めば、同じような動作をすることはできるかもしれません。 ですが、霊魂学の観点から言わせていただきますと、そうした本を見て行なう事にはあまり意味がありません。 健康のために水行をするということならば、それでも良いのでしょうが、霊的、神的な目的で行なう場合はまるで意味がないのです。 なぜかと言いますと、同じように水をかぶっても、霊的な目的を持つ修行法の場合は、そこに高級な霊魂が来ていることを前提としているからです。 単なる肉体の生理作用の観点から健康法として行なうのならば、霊魂の協力はいりませんが、霊的なトレーニングとして、霊的な進歩や霊的なカルマの解消といったような高度な目的を持ってトレーニングを行なう場合は、それを前提として力をかけてくれる霊魂の存在は不可欠なものとなります。 ですから、まずは、そうした専門的な霊魂と縁を付ける事から始めなければならないのです。それなしには、霊的トレーニングには始まらないのです。 |
Q | それでは、有名な流派の行法を紹介した本を読んで、同じように行なっても、霊的には全く無意味なのですか。 |
A | そのとおりです。 たとえば、禊法であれば、本と同じ作法であったとしても、やはり、禊を教えている団体や、霊的な力のある師匠から学ばなければ、本来の価値は出ないのです。 世の中には、霊的な団体に入らず、1人で本などで独習している方がいらっしゃるようですが、その技法本来の価値が出ることはありませんし、また、1人で行じてみてもその行の真価が分かるということもありません。 |