辛亥革命史料(準備中!)
- 辛亥革命史料1・陶章成『中国民族権力消長史』(1904)
著者・陶成章(1878-1912)は、光復会、中国革命同盟会などに参加した共和主義革命家。本文献は古代から20世紀初頭にいたる「中国民族」(=漢民族)の通史として構想されていたようであるが、未完。1904年に脱稿部分が著者の亡命先・東京から出版された。
底本は、湯志釣編『陶成章集』(北京・中華書局, 1986)による(pp.213-316)。
- 辛亥革命史料2・章炳麟(章太炎)『中華民国解』(1907)
章炳麟(1868-1936)清国末期より民国初期にかけて思想家として活躍。はじめ変法派(=君主制のもとでの改革を目指す)に接近するが、変法派が粛正される(1898)と日本に逃れて共和派に転身、共和革命を目指す中国革命同盟会の創設(1905)にも参加し、機関誌『民報』の編集長をつとめる。
本文献は『民報』一九〇七年第七号に発表され、新共和国の国号として採用されるべき「中国」「中華」の語義についての考察や、「中国人」「中国の国土」の範囲についての構想などが述べられている。
底本は科学出版社(1957)より景印された四冊本による。
- 辛亥革命史料3・蔡鍔「雲南光復紀要」(1913)
著者・蔡鍔(1882-1916)は、清国末期に各地に設立された洋式軍隊「新軍」の指揮官たるべくエリート教育を受け、雲南省の「新軍」部隊の養成を任されたが、共和派のシンパとして中国革命同盟会を支援し、1911年10月に湖北省で共和派が決起するとただちに共和派に呼応して雲南省を制圧した。共和派の兵士たちが組織した「大中華国雲南軍都督府」の軍都督に推され、
軍(雲南軍)を率いて四川、貴州を転戦。1912年には、チベット民族の国土全ての統合を目指して東進してきたチベット軍をカム地方東部(四川省西部、雲南省西北部)で迎撃し、撃退した。
この文献は、チベットの国土回復運動を中華民国側からみた記録として重要であることはいうまでもないが、一省の軍事指導者が、ほぼリアルタイムで激動の二年間を回想したという面からも極めて貴重な記録といえよう。
底本は毛注青・李鰲・陳新憲編『蔡鍔集』(湖南人民出版社,1983)による。