史 料 室
日本語で読む重要文献 (2002.11.02更新)
このコーナーでは、チベット史上重要な歴史的文献や、チベットの現在と将来を展望する上で有意義だと思われる文献を和訳して紹介してゆきます。
- 日本語で未紹介のもの
- 紹介はされているが、閲覧が難しいもの
という二点を基準に、紹介する文献を選抜しようと思います。
現在準備中の文献は、以下のとおり。
- チベットの国土
チベットの地方区分に関する諸史料の記事を集めます。
- 唐蕃会盟碑(821)
ラサのトゥルナン寺門前にあるこの碑文には、チベットと中国(シナ)の間で完全に対等な二カ国間の条約として締結された講和条約が刻まれています。
先行する和訳として、アカデミックな考証を綿密に行った佐藤長先生の格調高い文語訳があり、この訳文を作るにあたっては非常に参考にさせていただきました。
- サキャ=パンディタのチベット人宛て書簡(1247)
チベット人の代表として、モンゴル帝国の方面軍の指揮官ゴダン王のもとに派遣されたサキャ=パンディタが、反抗の無益さと今後の対応策について書き送った書簡。ペテック氏による英訳あり。
- アルタン=ハーンの法典(1570年代末)
16世後半にモンゴルの覇権を握ったアルタン=ハーンの法典。内容的には17−18世紀に編纂されたモンゴル諸法典と共通する面が多いが、いまのところチベット語版しか発見されていない。「仏教思想を背景とした国際秩序の理念」については、序文におけるダライラマとアルタン=ハーンという僧俗の権力者の位置づけがきわめて興味深いものとなっている。
- ダライラマ領政庁の法典序文(1654-58)
グシハンの征服(1642)の後に行われたチベット再編において、ダライラマ、チベット=ハン、デシーの三種の権力者がいかに位置づけられたかについて、きわめて明解に描き出されている。先行研究はこちら
- 辛亥革命史料1・2・3
チベットを「中国の不可分の一部」と規定する現行の「多民族国家・中国」の観念が、どのように形成されてきたかという問題も、チベット史を考えるうえで非常に重要な問題です。二十世紀初頭に活躍した漢民族の共和主義革命家たちの、新たな共和国家の枠組みについての構想は、実に多様でした。このコーナーでは、その中から特に多くの人々に影響を与えたと思われるものや、チベットと縁のある人物の著作を選んで紹介してゆきます。
- チベット・モンゴル相互承認条約(1913)
1912年に「中華民国」を発足させた共和政権が、新国家・中国の領域として満州皇帝の旧支配圏全体を構想したのに対し、チベットとモンゴルの民族政権は、満州皇帝の退陣によりその支配下にあった諸国はそれぞれ対等な別個の国家となったという立場をとり、自らを清政府にかわる新たな「中国の中央政府」と位置づけて服属を求めてくる民国政府に対し、自主・独立の姿勢を保とうとした。
この条約は、チベットとモンゴルが相互に独立国家として承認しあい、今後の協力を確認したものである。
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