土司・土官  1999.05.25修正
 土司、土官とは、シナ 周辺の非漢人系の小領主たちのうち、シナを統治した歴代王朝に直接、個別に服属して文武の官職を授かったものをいう。州県の知事など文官の官職を受けた領主が土官、衛所の武官職を受けた領主が土司。

   シナ  本サイトでは、中国の東南部(華北・華中・華南)に位置する漢民族の国の、王朝や政権の変遷を超えた通時的な国号として使用
チベットにおける土司
 グシハン王朝のチベット統一当初、チベット人の小領主たちはアルバット(=貢納民)としてグシハン一族に分属し、明朝滅亡にともなう戦乱の渦中にあったシナとの関係は薄かった。しかし17世紀末、グシハン一族の結束が弛緩して領主たちへの統制力が弱まる一方、清国は明朝残党の一掃、呉三桂ら三藩のとりつぶしなどによりシナを完全に掌握してチベット人領主たちへの「招撫」(=シナ皇帝への臣属の勧誘)を開始したため、国境地帯では、清朝にも臣属を表明してふたまたをかける領主や、グシハン王朝の統制下から全く離脱する領主が現われはじめた。
 清国の康煕帝は、ダライラマを擁してチベットを統合するというグシハン王朝の支配体制をチベットにおける正統な権力構造とみなし、ジュンガル部の侵攻によりチベットが混乱した際には、大軍を派遣してこの体制の再建を支援した。しかし雍正帝はグシハン一族のチベット支配を排除し、チベットに対する直接支配を目指す。部下をチベット東部に派遣し、グシハン一族の抗議をものともせず小領主たちに威圧的な「招撫」を行い、さらにはグシハン一族の内紛に乗じ、「清朝に対する反乱」という口実のもとに征服した。
 グシハン一族の属領は、清国の隣接の各地方とダライラマ領の間で分配され、清国側に帰属することになった領主たちは、すべて武官職の称号を授けられ、土司として、各省の巡撫、総督を通じ、清国皇帝に臣属することになる。

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