唐蕃会盟碑:和訳(現代日本語) (2008.12.25・暫行版 ver.0.90公開/08.12.27 ver.0.91)


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・「唐蕃会盟碑」の碑面には剥落が多いが、本暫定版 (ver.0.90)の訳文では、碑面に実在する文面からの翻訳と、先行研究が推定復元した文面からの翻訳が、判別できるようにはなっていない。この点については、おいおい改善して行く予定である。

・翻訳の底本としては、佐藤長先生の校訂テキストのほか、北京、ラサなどで出版された資料集所収のテキストなど数種を合わせて用いた。
・本暫行版 (ver.0.90)の訳文は、2008年度の立命館大学文学部・花園大学文学部等の講義レジュメとして配布した訳文に加工したものである。
・上記レジュメの訳文をこちらに収録するにあたり、「シナ」の表記はすべて「中国」と改めた。
・南面:条約締結に参列した唐側役人の一覧<
・北面:条約締結に参列したチベット側役人の一覧
西面:条約文本文
東面:条約締結にいたるまでのチベット・唐の交渉の概略。現在部分のみ

〔西面〕

チベットの大王(bod kyi rgyal po chen po)
化身せる神ツェンポと
中国の大王(rgya'I rgyal po chen po)・中国の君主(rgya rje)フワンティ(皇帝)
甥舅二者は、国政を
一つにしようと相談し、大講
和をなさったそのことは、重大であり
如何なる時も変わることなく、
全ての神と人が知って証人となっ
て、生々世々かたり伝えるように
するその為に、講和の大
要を石碑に書いたのである。

化身せる神ツェンポ=ティツク
デツェンが仰るには、中国の君主(rgya rje)
文武孝徳皇帝と、甥
舅二人は、ただいまより後は国政の善
悪を何でもおっしゃって、大慈
悲によって覆うこと
に内外を区別せず、全大衆を安
楽にすることにお考えは一致し、
永きにわたる善なる大義に
ついてご協議は一致して、古き
縁戚としてのつきあいと、以前の良き隣人としての
喜びの交際の状況を再現するよう
協議して、大講和を

なさったその内容は、チベット(bod)・中国(rgya)の二国は現在
支配している国土と境界を守
り、その東方の全ては
大中国(rgya chen po)の国土、西方の全
ては正しく大チベット(bod chen po)の
国土で
、これよりは互いに敵として争
わず、軍勢を動員せず、国土を
侵犯せず、信頼できぬことがあれ
ば、人を捕らえて取り調べ、
釈放して国外に送還すべし。
今、国政を同じくし、大講
和をこのようになさることにより、
甥・舅は喜びの書簡をも往来させるべきであり、
相互の使者の往来も、古い街道に
生じて、昔のしきたり通りに、
チベット・中国 二国の間(bod rgya gnyis kyI bar)の将軍
谷にて馬を乗り換え、
ツェシュンチェク(綏戎柵)にて
シナと接する下流側はシナが供応
する。ツェンシュヒェン(清水県)にてチベットと接する
上流側は、チベットが供応して、
甥舅の二者は近くて縁戚である状況のごとくに
奉仕と尊敬の流儀が

あるように案配して、二国の間には(yul gnyIs kyi bar na)
戦争は起こらない。突発的な
憎悪や対立の名を聞くこともなく、
国境を守る者までも
疑い、恐れることはなく、
それぞれの土地、寝床でのんびりと、安ら
かに暮らして、幸せの大恩は
万代の間にいたり、賛嘆の
声は日月が到達したその上に
ゆきわたって、チベット人(bod)はチベット国(bod yul)にて安らかに
中国人(rgya)は中国(rgya yul)にて安らかにするという偉大なる政事を
整えてから
(bod bod yul na skyid/ rgya rgya yul na skyid pa'I srid chen po sbyar nas)、この誓約は
如何なる時も変わることなく、三
宝と、諸聖人達、
日月と星々にも証明せんことを
請求して、誓約した人々によっても
読み、犠牲を殺して誓いを
また行って、誓を結んだ。

この誓いの通りに行わないか、
破ったならば、チベット・中国 二国(bod rgya gnyis)のいずれが先に
罪を犯し、報復としてどんな企みを行っても
誓いを破ったことにはならない。
このようにチベット・中国 二国の君主・臣下(bod rgya gnyIs kyI rje blong)が自ら
誓約して、盟約の
文面を詳細に記して、二人の大王(rgyal po chen po gnyIs)
印章を押した。誓約に加わった臣下たち
は手づから署名して、誓約の
文章もそれぞれの御文庫に安置されたのである。

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〔東面〕

とりあえず、和平の成立、条約の批准手続きに関する部分をUP。(08.12.27記)

チベット・中国の二国は、内外の幸福に関する大講和をなし、
中国の国においては、京師の西方シェクサンシの門前にて、大チベットの年号ではキタク七年、大中国の年号では長慶元年の鉄の女の牛の年(821)の冬月10日に壇に登り、中国が[条約文の]語句を承認した。
チベットの国においては、宮城ラサの東方ダトェツェルにおいて、大チベットの年号ではキタク八年、大中国の年号では長慶二年の水の男の虎の年(822)の夏の中月の6日に壇に登り、チベットが[条約文の]語句を承認した。
[条約文の]語句の大要を石碑に記したこの件についても、大チベットの年号ではキタク九年、大中国の年号では長慶三年の水の女の兎の年(823)の春の中月の14日に石碑に記したのである。
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