露店商建売住宅国産車ジプニ−の生産工場


国道を車で走る

1,999年十月十八日 国道を車で走る

写真に見られるような道が国道である。道の両側にはいろんなバラック建ての屋台が建てられて、いろんな商品が販売されていた。火山観光の帰宅の途に就いたが、しばらく走っているとトイレに行きたいということになり、もちろん公衆便所などない国柄で近くのレストランに車の運転手が車を止めて、レストランのお店と交渉をしてくれた。トイレを貸してくれという交渉をしてくれた。
簡単に話がまとまってトイレを貸してくれることになった。中に入って使ってみると非常にきれいななトイレであった。それにしても親切なレストランであった。道の両側に並ぶを屋台を見てみても非常に商品は豊富で、
野菜から果物をはじめとして、あるいは飲み物類さらにはハチミツなど現地商品、さまざまなものが豊富に並べられて販売されていた。
やはり熱帯であろうか1次産品は非常に豊富にできるようで、食べ物には非常に恵まれた国であるように思われた。どこの屋台にもよく子供の姿を見かけ子供が親の商売を手伝って働いて助けている姿が随所に見受けられた。国道も道路は舗装されていた
フィリピンでは車の運転は非常に荒っぽく、車線の割り込みも当たり前で、われわれがレンタカ−を借りて運転するにはかなり勇気が要るようで・・・・・・・・・・

1,999年十月十八日国道筋に並ぶトロピカ ルフルーツ露店、

火山の観光の後,一般国道を車で走って帰宅の途についた。国道のそばにはたくさんな露天商が並んでいて、地元でとれた果物とか地元で作ったかし、食料品などさまざまなものが販売されていた。おみやげものに買って帰ろうということになって道筋に並んでいる露天商に車をとめて、ショッピングを楽しむことにした。車を止めてわれわれが車から降りていくと、すぐに露天商の販売している人々が寄ってきて、買えと盛んにいろいろ品物を持ってきて進める。商売が熱心である。写真に乗っているのは現地の果物を販売している露天商である。屋台は街のいたるところでよく見受けられた。日本で非常になじみがあるフィリピン特産のバナナをはじめとして、パイナップル、マンダリン・マンゴー等トロピカルフルーツが・・・・・・・・・
フルーツ露店、ビデオ
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トロピカ ルフルーツ露店、

バンブウハウス − フィリピンの建て売り住宅販売−

1,999年十月十八日 国道沿線で見かけたバンブウハウス − フィリピンの建て売り住宅販売−

国道沿線で見かけたバンブウハウス − フィリピンの建て売り住宅販売−で、熱帯らしい涼しそうな家であった・・・・・・・
フィリピンでは運転手付きのレンタカーカーに乗るのはベストのようである。交通マナーが全くできていなくて、交通事故の発生が高く、われわれが走る随所に車が衝突して、事故現場をよく見かけた。とにかく交通マナーが全くない国である。従ってホテルに備え付けてある案内所で運転手付きのレンタカーを借りるのはベストである。料金も非常に安い手ごろな値段で利用できるようであった。車が多すぎるというのが原因のひとつでもあるが、激しい交通渋滞を緩和するためにナンバープレートでマニラに入る車を制限する方法も取り入れられていた。
バンブウハウス − ビデオ
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1,999年十月十八日マニラの国産車 ジプニー
マニラの街中を走る車には、マニラの国産車のジプニーが多い。これは第二次世界大戦後にアメリカ軍の放出により、ジープを改造した車である。

20人乗りぐらいな車でマニアの人の重要な交通機関になっている。この車の生産工場はすべてが手作りである。
車のボディーの車体、これはトタンをたたいて作っていた。座席はクッションの役割をするヤシの樹皮を乾燥させたものを詰め込んだビニールシートで作られていた。器用なものでたたきながら車の車体を形作っていた。それにペンキを持ってカラー舗装をするという手作りのやり方で作られていた。1日に生産ペースは3台ぐらいのペースで生産されているようで、使われてるエンジンは日本の中古車から取ってきたようなエンジンかと思われるものを使っていた。この車の生産工場はトタンを叩く音でかなりやかましく、一方工場で働いている人は非常にのんびりとした様子でそれぞれの生産工程で自由のんびり働いていた。値段は1台300,000ペソ前後のようである。
国産車ジプニ−工場ビデオ
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国産車ジプニ−の生産工場
町の中を走るこのマニラの国産車 ジプニーはお客さんでいつもいっぱいで、われわれがこの車に乗るにはいささかの抵抗があるような感じてあった。まさに地元のフィリピンの人の乗り物であった。第二次世界大戦後のアメリカ軍の放出品であるんジープを改造していまだにこのマニラの国産車 ジプニー生産が続けられていることに非常に驚いた。
マニラの国産車 ジプニーはメタリックな外観を呈しているが、それは非常にカラフルなペイントを手書きで加えていくのである。このような国産車の工場がフィリピンには30カ所ぐらいあるということであった。生産工場といっても、自由にその中に入ることができて、見学も一切干渉もなく、非常におおらかな工場であった。

国産車ジプニ−の生産工場
町の中はこの車でいっぱいで、走る車の5台に1台は1この車が
見受けられた。それほどフィリピンの人にとっては重要な交通
機関である。乗り方も簡単で、後ろから走っていってオープン
になった車の中に入込むようだ。

1,999年十月十八日マニラの国産車 ジプニー生産工場


しかもこの車はフィリピンの乗客でいつもどの車もいっぱいで非常によく利用されているのがよくわかった。そういえば市内電車みたいなのが走っていなくって、このジプニー車が交通の主力であるということがよく分かった。時々大型の乗り合いバスも走っているけども、なんといってもこのマニラの国産車 ジプニー車の方が多かった。料金は最低料金で2ペソ、
生産工程は、車の骨格を作る人、屋根をたたいて引き延ばして形を作っている人、あるいは胴体をトタンをたたきながら作っている人、車の前の方のエンジン覆いをトタン板をたたいて引き延ばしている人、出来上がったボディーの車体を組み立てている人、そのボディーにペイントを書いてカラフルな色付けをする人、ボディーの部品をつなぐ人などをさまざまな工程に分かれて作られていたがベルトコンベヤーといったものもなく・・・・国産車ジプニ−工場ビデオ
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