いよいよアクロポリスの丘の入り口からのぼり始める


アクロポリスの丘ヘの入り口

いよいよアクロポリスの丘の入り口からのぼり始める


最初片道3車線から4車線もある広い道路であったのが、中間辺りまでくるとすでに、道路は片道1車線まで狭くなっていた。
これで本当にアテネの中心街まで到着するのであろうかと、はなはだ心細い感じであった。
対抗車線も車の渋滞が続いており、われわれが走っている車の車線もずっと車は列をなして続いていた。
従って路線変更などは思いもつかないような状況であった。
そのような車の渋滞が起こっている中で、とにかくオートバイだけがわきを縫ってスイスイとサーフィンをしていく、まことに危なかしい限りであった。
ところがこの2車線の道路網も、しだいしだいに車線が狭くなって履行するのも難しいような幅になってきた。
それにつれて商店街みたいなところに出てきた。
大丈夫なんかなぁ、と思いながらも、いよいよ方法はないので車を走らせていた。

アクロポリスの丘ヘの入り口はちょうどアテネの繁華街の反対側に


そうこうしていると、いきなりその狭い道路から交叉点のかなり広いコーナーに車が出てきた。
前方の左の方向にあの教科書に載っていた、アクロポリスの殿堂が見えるではないか、
ヤットアテネの中心市街地に到着したのである。
車の左手前方に確かにアクロポリスの白亜の殿堂とともにそびえ立っている丘が見えていた。
とにもかくにも、あのアクロポリスを見学するのが本日最大の目玉観光コースであるから、アクロポリスの入り口に向かって車を走らせることにした。
車はすでにアテネの中心街に到着していた。
車の流れは1層激しくなって渋滞が激しく起こっていた。
この辺りまでくると、昔のギリシャ時代の旧市街地そのままの狭い町並みの市街地に保存されているために、道幅は広いというわけにはいかなかった。
アクロポリスの丘ヘの入り口は車の通行が多かった

丘への登り口は大理石の石畳が続いていた

丘への登り口は大理石の石畳が続いていた


アテネの中心市街地はいたるところ一方通行ばかりであった。
このため前方に見えているアクロポリスの丘に車を走らせようと思っても、思い通りに一方通行の道路を通って走ることができなかった。
Navigatorの美穂ちゃんも、車の案内をいろいろアドバイスしてくれたが、同じところぐるぐる回るばかりで、いっこうに遺跡のあるアクロポリスに車が進んでいかなかった。
後ろの鶴井さんの車は、私たちの車におとなしくつき従ってきていたが、さすがにイライラしてきたのであろうか、後ろからいろいろと言ってくるのがよくわかった。
どうもNavigatorの美穂ちゃんは、車の道路地図を見ながら案内するのは全く苦手のようであった。
その証拠にNavigatorが全くできなかった。
これにはいささか私も弱った。
バックミラーを気をつけて運転しないと、オートバイが後ろから突っ込んでくるために、ゆっくり前方の道路標識などを見ている暇がなかった。

丘の上にある入り口の門の遺跡が見えて来始めた


とにかくアクロポリスの近くまで来ていることは間違いないのである。
しかしそのアクロポリスの入り口の方向への道になかなか車が入ってくれないのである。
というよりも一方通行のためにそちらの方向に車は走れないといったほうが正解かもわからない。
仕方がないので主要道路から左折して裏通りに入ることにした。そして裏通りに入って通りを歩いている人にアクロポリスの入り口を地図を示しながら尋ねてみた。
そうすると丁寧にアテネの人がこのように行けばアクロポリスの丘に進むことができるということを丁寧に説明してくれた。
これによって初めて、なんとかアクロポリスの丘に入っていく道に進んで行けた。
確かにややこしい道であった。
わからないときは現地の人に道を聞けというのが原則である。
これ以降、わからないことがあると、すぐ車を止めて現地の人に道を聞くことにした

丘の上にある入り口の門の遺跡が見えて来始めた
ヘロディス・アティクスの音楽堂

2/3ぐらい登ったところで、最初に見えてきたヘロディス・アティクスの音楽堂


これが1番はっきりした間違えのない道を私たちに示してくれた。何人かのアテネの人に道路を訪ねながら裏道を右左にカーブしながらアクロポリスの玄関方向になんとかたどり着くことができた
。確かにこのような道のリを辿なければ入り口につくことができないということは、簡単に地図だけ見ていたのでは難しかったあろう。
とにかく観光地?としては、道路標識が非常に不十分なのである。
そして中心市街地は、いたるところ一方通行のために、この道路標識があまりないのと手伝って果たしてこれで2,004年のオリンピック誘致ができるのかと、はなはだ心配であった。
おおよそ世界的な観光地の割合には、道路標識は非常に不十分な状態であった。
駐車場をはじめ心配していたが、アクロポリスの入り口近くには無料の公共の駐車場があった。
この無料の公共の駐車場に車を2台とも入れて、いよいよアクロポリスの丘の観光をしに行くことになった。

現在でも7月から8月にかけてアテネの音楽フェスティバルがここで行われている


駐車場にはすでにかなりの車が止まっており、幸いわれわれの2台の車のスペースもあった。
車の中に荷物を残していると、窓ガラスを割られる事故のもとになるので、みんなに荷物は車の中には一切残さないようにといって注意を促した。
レンターカーの契約では、最低保証料金というのがあって、窓ガラスが割れても、最初の50,000円まではわれわれが負担をしなければならない。
いくら保険に入っても、この最低保証料金については借りている人間が支払わなければならない責務になっていた。
このためこれ以降、車を泊めるたびに、みんなに荷物を車の中に残さないようにと注意することになった。
時計を見ると午後の2時ごろをすでに回っていた。アクロポリスヘいく道は駐車場の道路を隔てた反対がわきにあり、ここは車の交通が激しく、この道路を渡るのに苦労した。
一見公園の出入り口のようなところがアクロポリスの丘への入り口になっていた
ヘロディス・アティクスの音楽堂

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