アガメムモンの黄金のマスクで有名な国立考古博物館

ハドリアヌスの門ーアマリアス通りー

11.6(月)アテネ中心市街は、車の渋滞が甚だしい


地獄に仏とばかり車をこの有料駐車場に入れ込んだ。
若い時ギリシャの青年が駐車場に1人いてカギをつけておいてくれといって、それから何時まで帰ってくるのにかかるかと尋ねた。
博物館が閉まるのがちょうど5時だったので、5時過ぎに帰ってくるということを言う、その青年は8時以降はこの駐車場を閉めてしまうので明日の朝まで車は出せないから注意をしてくれと言って車を預かってくれた。有料駐車場の料金は2時間でDR3000
博物館までは若干歩かねばならなかったが、急いで博物館まで歩いていくことにした。
まさに、町の中心部で歩道は通行している人でごった返していた。
そのうえ歩道の上には、花を売ったり、土産物を売ったり、焼きグリを売っていたり、さまざまな風景が展開していた。
鶴井さんが焼きグリを食べたくなったのか、1袋立ち止まって購入していた。
この国立考古博物館は普段は3時ごろには閉まってしまうのである。
幸いこの日ばかりは午後の5時まで開店時間が伸びていた。
われわれは非常にラッキーだった。

地図を頼りにしながら次の博物館
に車を走らせていった。


おかげで、この有数の博物館を見学することができた。

博物館の建物の正面はかなり大きなオープンスペースの庭を持っていたが、なぜか駐車場のスペースは全くなく確保されていなかった。
博物館の建物はかなり立派な、どこかの裁判所か国会議事堂を思わせるような建築物であった。
この中庭にも、たくさんの露店の店が開かれており、たくさんの人が思い思いの姿で散策や憩いの空間スペースとして使っていた。
正面に展開している重々しい階段を上っていくと、建物の入り口を入ったところが、オープンスペースの空間となっており、その1番奥の隅に入場券売り場があった。
鶴井さんが6人分の入場券DR12000を購入してくれて、やっと念願の博物館に入ることができた。博物館はあの有名なトロイ戦争の主人公がかぶっていたアガメムモンの黄金のマスクが陳列されていることで有名であった。
ドイツ人のシュリーマンがギリシャ神話のトロイ戦争を信じて生涯をかけて発掘をした黄金のマスクであった。
オリンピア・ゼウス神殿ーアマリアス通りー

パティシオン通り

渋滞の中を博物館まで車を運ぶことができたが、


私は小学校の時にこのトロイ戦争の話を学校の先生から聞かされていて、それが強烈な印象となっていた記憶に残っていた。
この先生は吉岐鬼久雄先生といっていい非常に歴史の話がうまい先生であった。
それはギリシャ神話の話から始まって、日本の歴史まで非常に話のタネが豊富な先生で、時々この話をしてくれる先生の話術に聴き惚れていたものである。
私にはこのトロイ戦争がすべての歴史の原点にあると思われてしょうがない。
トロイ戦争=現在のトルコとギリシャの戦いの歴史であった。
有名なホメロスの叙事詩に語られるトロイ戦争は、あらゆる主人公が出てくることで、この地域のすべての歴史が集約されているといっていいもものがたりである。
すなわち、現在に至るもギリシャとトルコの中は非常に良くない。
このことはとりも直さず、歴史のかなたにあるトロイ戦争の時代からこの2つの国は皮肉にも戦いに明け暮れてきたわけである。

博物館は駐車場を持っていなかった


このことは、今回トルコとギリシャを訪れるのにあたって、痛感されたことであるが、イスタンブールとアテネの船の航路が全くないのである。
この有名な観光地を結ぶ船の航路がないという全く信じられないようなことが現在も厳然事実としてあるわけである。
そしてイスタンブールとアテネを結ぶ飛行機の便も信じられないほど少ないのである。トルコ航空にいたっては1日にたったの2便であった。
このためスケジュールを立てるのに大変苦労をした事実がある。
私が考えるのに、まさにドル箱路線である。
このように行ききする便が少ないのである。
全く信じられない。
確かに、カイセリであったトルコの大学生もギリシャのことはあまりよく言ってなかった。
国民感情として厳然と未だに続いているわけである。
しかし、だからといってこの世界的な観光地を結ぶドル箱路線をみすみすほったらかしにしておいていいというわけはないであろう。
鶴井さんが焼きグリDR500を購入していた。パティシオン通り
町の中心部パティシオン通りで歩・車道は通行している人・車でごった返していた。

車を近くの有料駐車場に入れ込んだ。


現に私たちがイスタンブールからアテネに乗った飛行機も満席であった。
このトロイ戦争もそもそもの発端は、ゼウスの妻ヘラと戦いの女神アテナ、そして愛と美の女神はアフロディティの3人の女神の中から最も美しい女性を選ぶようにと、その審判役にトロイアの王子パリスが選ばれたことから物語りは始まるのである。
この3人の女神は、自分を選んでほしい思って、トロイアの王子パリスに約束をするのである。
すなわちヘラは権力を、アテナは武力、アフロディティは美女を、
それぞれ自分を選んだ場合には差し上げると約束を申し出るわけであるが、その中でもトロイアの王子パリスが選んだのは美女を選んだ訳である。
この当時人間界における世界一の美女はスパルタ王メネラオスの妻ヘレネであった。
このため、自分を選んでくれたアフロディティは約束通り、スパルタの王が留守中に、トロイアの王子パリスがヘレネを奪ってトロイアに財宝とともにつれて帰るのを手助けするわけである。これに怒ったスパルタ王メネラオスは兄のアガメムモンに頼んで、ギリシャ中の英雄を集めた大軍勢を組織してトロイアに攻めいるわけである。

アガメムモンの黄金のマスクで有名な国立考古博物館


これが10年にも及ぶトルコとギリシャのトロイ戦争の発端である。
誠に単純で人間的な動機が原因になっている。
一方、こんなことで戦争を起こされては国民もたまったことではない。
しかしながら難攻不落の城トロイアはなかなか陥落せず、
この戦いは10年にも及ぶ長期戦となるのである。
この間に、ギリシャの英雄アキレスなどさまざまな理由が登場して戦の中で命を失っていくわけである。
このギリシャの総大将アガメムモンは、当時黄金に富める国としてたたえられたミケーネの王であった。
このアガメムモンの黄金のマスクをシュリーマンが発見するわけである。
そして、その黄金のマスクがこの国立考古博物館に展示されているわけである。
入り口から入ったところに、このシュリーマンが発見した黄金のマスクがずらりと並んでいた。
まさに圧巻であった。
この国立考古博物館はギリシャ美術の集大成を図った博物館で、新石器時代からアルカイック期、古典期、ヘレニズム時代そしてビザンチンまで各時代ごとに、ギリシャ全土の貴重な遺物をすべて収容Prehistoric items 、 Sculpture 、Pottery and Minor art 、Bronzes 、Egyptian Art していることで有名である。
アガメムモンの黄金のマスクで有名な国立考古博物館
シュリーマンが発見したアガメムモンの黄金のマスク
アガメムモンの黄金のマスク

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