ペルポネソス半島のオリンピア遺跡観光地に出発

昨晩、駐車場に預けたレンタカー車を出しに行った。

11.7(火)昨晩、駐車場に預けたレンタカー車を出しに行った。


仕方がないので町の中心部からこの道の通りを通って営業所を探しながら車を走らしてみようということになった。
このようなことに貴重な時間を割かれることは誠に残念なことである。
それだけ観光する時間が減るわけである。
大野さんはこのような苦労がわかってくれているのかどうか、女性だからショピィングをしたいということはよくわかるのだが・・・・・・
それなら車を借りる前にそういう話を出してほしいと思った。
借りる車の費用より、なにより時間がとられることがもったいなかった。問題は時間である。
なによりも貴重な時間をとられることがなによりも悔しく残念であった。当初の予定では朝食をとるとすぐにオリンピアに向けて出発することになっていたが、このレンタカーの返却の事柄が入ってきたために、いたずらに時間を費やすことになった。
このため当初予定したペルポネソス半島の観光地を観光することがほとんどできなくて、観光できたのはオリンピアの遺跡のみになってしまった。大変残念なことであった。

一方通行の渋滞するアテネ市街をレンタカー車返却にーシングロウ通りヘ


このオリンピアの遺跡のそばには、世界遺産Mystras遺跡などが集積(地図)をしていて、このほかにも有名なスパルタの遺跡、シュリーマンが発掘して世界的に有名になった黄金のミケーネ文明、コリンソス遺跡等々色々とめぐりやりたいという遺跡がたくさんあった。
それがほとんど全滅で見学することができなかったことである。
かろうじて、西田さんがぜひ見たいと言っていたオリンピアの遺跡だけが見学できたのがかろうじての救いであった。
このペルポネソス半島はまさに遺跡の宝庫なのである。
鶴井さんと石田さんと3人で昨晩駐車場に預けた車を出しに行った。
歩いている5分ぐらいの距離であるが、車で行くとなるとなかなか簡単にはいかない場所である。
シンタグマ広場に面しているシェラトンホテルの前の通りは一方通行の通りになっているためである。

シングロウ通りにあるナショナルレンタカーの営業所

渋滞するアマリアス通りに出たところで右折して南下

無事発見、シングロウ通りにあるナショナルレンタカーの営業所


ナショナルレンタカーの営業所までいくためには、駐車場から車を出して、一方通行のパネピスティミュ通りに出て、まず南下し、国会議事堂に突き当たったところを右折して、一方通行のバシリス・ソフィアス通りに出て、シェラトンホテルの前を西進する。
一方通行のスタディウ通りに出たところでシンタグマ広場沿いに左折し南下する、さらに直進し、一方通行のフィレリノン通りに沿って直進し、アマリアス通りに出たところで右折して南下する。
さらにこの道を道に沿って南下して、左側きにハドリアヌスの門そしてオリンピック・ゼウス神殿の遺跡を見ながら道沿いに進んで、ディアコウ通りに出たところで、これに突き当たっているシングロウ通りに入り南下する。
E-94自動車専用道には一部有料区間が

手際よくレンタカーの返還の事務をしてくれた。


この通りにナショナルレンタカーの営業所があるために、この通りを南下しながら営業所を探して南に下っていくことにする。
ざっと、レンタカーを返却するためにこれだけの道を通らなければならない。
鶴井さんと相談のうえ、1台の車に私と西田さんが乗り、もう1台の車に鶴井さんが乗って私の車の後ろについてくることにした。
車の運転とNavigatorは私がしなければならなかった。
この複雑な道が車があまり通っていなければいいのだが、いずれの通りも渋滞が続いているような道であった。このためこれらの道を探しながら車を返却するのにかなり苦労をした。
何とか、シングロウ通りまで来て、南に南下する通りに入ってきたときには正直言ってほっとした。
しかしながら、この通りもご多分にもれず、進行方向それに対抗車線ともにいずれも車の渋滞が起こっていた。
ナショナルレンタカーの看板を探しながら車を進めていくと、しばらく走ったところで反対車線にナショナルレンタカーの営業所の看板を見つけた。誠に幸運であった。幸いにも営業所を見つけることができた。ところが簡単に反対車線にわたることができない。中央分離帯があって、車が反対車線に入れないようにしているのである。

やっと、オリンピアの遺跡巡りに出発


うしろから付いてきている、鶴井さんの車に営業所が反対車線にあることを合図して、車をいったんこの通りから右折して出ることにした。入り直すことによって反対車線にわたることが狙いである。
このような苦労をしながら何とかナショナルレンタカーの営業車の前までたどり着くことができた。
営業所には1人の男性がいて、手際よくレンタカーの返還の事務をしてくれた。
これでやっと、オリンピアの遺跡巡りに出発できることになった。
しかしながら、ホテルからここまでやってきた道の逆の道をまた辿って帰っていかなければならないのである。
しかも、車の渋滞している道を・・・・
今度は、 El.Venizelou通り ー Omonia 広場 ー Agiou Konstandinou通り ー  Metaxourgiou SQ ー Ahileos通り ー Athinon通り ー E-94自動車専用道の道順で、 アテネから70KmのKorinthosコリントスを目指すことになった。 
E-94自動車専用道に出るまでは、すさまじい車の渋滞であった。
E-94自動車専用道に入って初めて車の数が少なくなってきた。
快適なE-94自動車専用道
ペルポネソス半島の付け根有名なコリンソス到着

ペルポネソス半島の付け根有名なコリンソス到着


高速道路に入ると今までの渋滞がうそのように快適なドライブ区間に変わってきていた。
自動車専用道の整備状態も非常によく車の通行台数は少なく、おまけに天気は快晴ときて、素晴らしいドライブ日よりとなってきていた。
前方にはペルポネソス半島の山々が見え始めてきていた。
このバルカン半島の南端に位置するペルポネソス半島こそ、ギリシャの歴史の起源といえる場所で、さまざまな古代伝説の舞台が展開したところでもある。
この半島の付け根に有名なコリンソスがあった。
この半島の玄関口である付け根に有名なコリンソス運河がある。
長さ6,343メートルで、幅は23メートル、昔よりこの地域は交通の要衝であり、通行料をとることによって反映してきたといわれている。
1893年にフランスの運河建設会社によってこの運河が完成されたものである。
それまではいったん船を陸上に挙げて、サロニコス湾とコリンシアコス湾を結んで運んでいたということである。
ローマ時代になって、シーザーなどによってもこの運河の建設が試みられたといわれている。
まさに、交通と軍事の要衝で、この人に栄えたのが貿易都市コリンソスである。
この貿易都市の最盛期は紀元前の6世紀ごろで、これの遺跡がコリンソス遺跡として現存している。
高速道路はこの運河を橋で通過していた。

ペルポネソス半島 E-65自動車専用道
Korinthosコリントスーオリンピア 243km

ペルポネソス半島 E-65自動車専用道海岸に隣接した通り

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