現在もオリンピックの聖火の採火を行っているヘラ神殿
ーオリンピア遺跡

入り口から、細い小道が続いてオリンピア遺跡ヘ

オリンピア遺跡は見るからに歴史を経た古びた石灰岩の石柱の跡が延々と続いていた。


われわれは入り口から入るとすぐに迎賓館の施設があり、この横にはヘラ神殿、ゼウス神殿の跡があった。この神殿ある部分は、この施設の中でも最も神聖な場所とされていたところであろう。
このヘラ神殿で現在もオリンピックの聖火の採火を行われているということであった。
このゼウス神殿には世界7不思議と言われた、有名な彫刻家フィディアスのゼウス像もここに飾られていたということである。
ゼウス神殿の大きさは長さが64メートル、高さが20メートル、幅が28メートルという巨大なものであったということである。
このヘラ神殿から東の端の方まで細い小道が続いていて競技場まで到達するようになっていた。
われわれは道の両側の石柱を見ながら、この小道を歩いてオリンピックのグランドの方に歩いていった。
この遺跡はほとんど自然なままに展示されており、復元も再現もあまりされていなかった。
歴史を経た古びた石灰岩の石柱の跡が延々と続いていた。
練習場パレストラ
入り口から迎賓館プリタニオンが出迎えてくれた

クラディオス川を渡って対岸がオリンピアの遺跡


オリンピアの町は数百メートルの商店街からなるほんの小さな通り。
ただこの数百メートルのメーンストリートには気の効いたレストランや土産物店が並んでいた。
私たちが訪れたときには、シーズンのうち外であったために、あまりお客さんはいなかったが、シーズン中にはこのメーンストリートはにぎやかなことだろうと思われた。
地元の人が数人レストランで喫茶を楽しみながらおしゃべりをしている姿が見受けられたぐらいである。
このメーンストリートの中には手作りのみやげ店や民芸品、インテリアショップ、粘土細工を扱うような店が軒を連ねていた。
またここには博物館の作品のコピーを売っている店も店を開いていた。
いずれもわれわれにとってはかなり物珍しい品物の数々である。
このオリンピアの町のメーンストリートを通り抜けると、オリンピアの遺跡に入るクラディオス川の橋を渡ることになる。
このクラディオス川を渡って対岸がオリンピアの遺跡である。

第1回競技会は紀元前776年に開催


クロニオン丘のふもとにオリンピアの遺跡は作られており、このクラディオス川が沐浴など競技中にいろいろ使われたことは想像に難くない。
解説によるとこの古代オリンピックが開かれた第1回の競技会は紀元前の776年ということになっている。
ゼウスに捧げる神聖な競技会ということで行われたらしい。
最初の第1回競技会は夏至のあとの満月の日に始まり5日間の会期で行われたということである。
ギリシャは全土からの都市国家から出場した選手がこのオリンピアの地に集まり競技を競ったわけである。
この間、戦いは停止されて停戦の状態でこの競技を競いあったということである。各都市国家の栄光の一翼になった選手がここで競技を競いあったわけである。尋ねて見て感心したことであるが、この遺跡の規模が非常に大きいということである。
現在のオリンピックでも競技施設そして選手村数々の施設が莫大な形で作られているが、この古代オリンピックにおいても、このオリンピア遺跡はそれに匹敵するかなりな規模の施設があったことがわかる。
練習場パレストラ

ヘラ神殿から東の端の方まで細い小道が
ヘラ神殿
ヘラ神殿から東の端の方まで細い小道が続いていて競技場入り口の凱旋門が見える
ヘラ神殿で現在もオリンピックの聖火の採火を行われている

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