年数を経て大理石の石柱が触るとポロポロと落ちていく
オリンピア遺跡ー

この小路通りに宿泊施設、それから神官の宿舎、それから競技の練習場などが続いて入り口に向かっていた。

ゼウス神殿は現在もその基壇部分が大理石で残っている


オリンピックの競技場まで歩いて来たときに、さすがに疲れた。
このためオリンピックを見学するために作られていた観客用芝生の上に座って少し休憩をすることにした。
古代の昔にはこの観客席が各ポリスの応援団の指定席になっていたということである。
ポリスごとに座る位置決められており、そこで祖国のオリンピック選手を応援するわけである。
われわれが休息していると外国人の観光客がグランドまでやってきて、古代のオリンピック競技のスタートラインが現在も残っている場所に関心を持って手で触ったりしていた。
歩いてみてわかったことであるが、なかなか広い施設である。
足が棒になるほど疲れるというのが実感であった。
このオリンピック競技場のグラウンドを後にしてゼウス神殿に向かった。
遺跡の大理石も年数を経て大理石の石柱が触るとポロポロと下に落ちていくような状況になっていた。
神官の宿舎

大理石の石柱が十分に現存する練習場パレストラ

大理石の石柱が十分に現存する練習場パレストラ

ゼウス神殿は現在もその基壇部分が大理石で残っており、その上を通り歩いて横断をして通り過ぎた。
反対側にはオリンピックの選手が宿泊をしていた宿泊施設に到着した。
ここで1カ月にも及ぶ泊まり込みを選手がしたわけである。
この宿泊施設からまっすぐ入り口と出口に向かって小道が続いていた。
この小路通りに宿泊施設、それから神官の宿舎、それから競技の練習場などが続いて入り口に向かっていた。
どうも遺跡の大理石も年数を経て大理石の石柱が触るとポロポロと下に落ちていくような状況になっていた。
長年の年数を経て大理石の石柱が風化しているわけである。
格闘技の練習場まで来ると、かなり石柱が密集している部分があった。
この部分は大理石の石柱が十分に現存する形で保存されていた。

外国人を乗せた大きな観光バスが1台止まった。


さらにこの通りを入り口に向かって歩いていくと、われわれが入ってきた入り口の方向に外国人を乗せた大きな観光バスが1台止まった。
そこから外国人の観光客が集団でおりてき始めた。
この施設を観光に来た外国人客である。
50人ぐらいは車に乗っていただろうか、バスから降りるとこちらの方に向かって施設の見学を始めた。
入場券を売っている小屋のすぐ横に手洗いの看板があった。
この看板の横に川に降りる石段を降りていくとトイレが整備されていた。
このオリンピアの施設を見学し終わったので、オリンピックの博物館を見学に行くことにした。
この博物館にはこの遺跡から出てきた出土品が展示されているとのことであった。
4年後にはまたオリンピックがギリシャのアテネで開催されるということである。
おそらくこの遺跡でオリンピックの聖火の採火式が行われることである。
外国人を乗せた大きな観光バスが1台止まった。

次へ
前に