トプカプ宮殿Topkapi Museumーオスマン・トルコ、メフメット二世建設


トプカプ宮殿Topkapi Museumの入場門へ、鶴井さんと大野さん一家
大野さんは石畳の道を手押し車の荷物を運ぶのが難しく、かなり苦労をしていた。

 トプカプ宮殿Topkapi Museum の入場門ヘ

タクシーの運転手にトプカプ宮殿に向かうように告げて、われわれは2台のタクシーに分かれて乗り込んだ。
イスタンブールの町は空港があるヨーロッパ側とボスポラス海峡対岸のアジア側の2つに分かれているが、これから向かう宮殿はヨーロッパ側のこちら側きにある。
しかも市街地のちょうど中心部に位置していた。
市街地の車の渋滞を通り越して、海がわに面した高台にある宮殿の入り口に向かった。
この一帯はまさに、時間が止まったような昔の狭い通路がそのまま現存されていた。
高台に上る狭い急こう配の石畳の道をタクシーがよじ登って、宮殿の門の前でわれわれを降してくれた。
宮殿の一帯は背の高い分厚い塀で取り囲まれていた。
この宮殿の入場門のところで刃物などの金属物のチェックをしていた。
宮殿の門を通り過ぎると中庭に入り、まっすぐ突き当たったところが目的のトプカプ宮殿で、左がきの通路を行くとアレキサンダー大王の石棺で有名な考古博物館に行きつくことができる。
この一帯は宮殿の門内も外も旧市街地の町並みをそのまま現存しているために下はすべて石畳になっていた。
このため、ほとんど荷物を持ってきていなかったわれわれはさして苦労はしなかったが、荷物を手押し車に乗せて空港から運んできていた大野さんは石畳の道を運ぶのが難しく、かなり苦労をしていたようである。
トプカプ宮殿地図

ハーレム・ツアーに出発


いつもわれわれのかなり後ろの方からつき従っていたような状況になっていた。宮殿の入場券売り場は入場門を入った中庭の1角にコーナーが出来てあり、そこにはたくさんなぁ行列ができていた。
世界各国からたくさんなぁ観光客が訪れていた。
われわれはまずハーレムの観光ツアーにまず参加することにした。
これは30分間隔で行われるもので、説明がついてハーレムの内部を案内してくれるもので、いつでも自由にハーレム内部を観光できるものではないために、このツアーの時間にまずは合わせてこれを観光してから他の宝物館などを見ることにした
ちょうど、われわれがこのハーレムの入場券売り場に到着したときには先発組みがハーレムツアーに出発したところであったので、ここで30分間ほど時間を過ごさなければならなかった。
大野さんがもっと手荷物を少なく身軽にしていていれば、ちょうどこの前のツアーに参加することができたのだが、全員がそろうのを待っていて、参加するのが遅れてしまった。
このハーレムツアーの入場券の発券販売は、ちょうどツアーの出発する5分前ぐらいから行いや始めた。
このごろにはまたたくさんなぁ外国人の観光客がこのコーナーに集まっていた。
その中には団体のツアー客などもたくさんいた。

トプカプ宮殿Topkapi Museum のハーレム全容

トプカプ宮殿の入場門

入場門を過ぎた中庭

ハーレムの観光ツアー


ハーレム入り口、ここに黒人男性宦官の詰め所

ハーレム内部で女性の世話をする黒人男性宦官の詰め所

皇帝の宴の間


中庭を左に行くと考古学博物館


アレキサンダー大王の石棺で有名な考古学博物館Istanbul Archaeological Museum

ハーレムの内部のスルタンの母親の部屋、人形の模型を飾っていた

ハーレムの内部のスルタンが入る大理石の風呂
このハーレムツアーの案内が英語とかトルコ語などに限られていた。
幸いなことに日本人の団体ツアー客なども参加を行っていて、この日本人の団体観光ツアーの添乗員同行説明をハーレム通話者の説明代わりに話を聞くことができた。
まずハーレムは男子禁制となっていて、われわれが最初に案内された場所は、このハーレム内部で女性の世話をする黒人男性宦官の詰め所から案内が始まった。
この黒人男性は子供の時にアフリカから売られてきて、男性でなくなる手術を施されて、一生奴隷としてこのハーレムの内部で女性の世話をする生活をしているということであった。
しかもこの手術の際に半分ぐらいはなくなったということである。
この黒人男性の奴隷が外部と内部の受け渡しをするようになっていた。
さらに内部に入って行くと、スルタンの部屋、スルタンの母親の部屋、第一夫人の部屋、第二夫人の部屋等々次々に部屋の内部を案内された。
そしてスルタンが入る大理石の風呂、ここは床下暖房で蒸気暖房が張り巡らされていた。
かなり念入りに手の込んだ風呂であった。
ハーレムの内部はきれいに装飾が施されて、てのこんだ内部装飾がなされていた。
ガイドさんの説明によるとこのオスマントルコの宮殿も、初代からだいぶあとになってくると、太子や皇子が戦争に行くのを嫌って、宮殿にこもっていたり、この特異な宮殿生活に耐え切れずに、絶大なスルタンの権力を継承したとたんに気が狂ってしまうような皇帝もいたようである。
いずれにしろ人間の悪しき情念がもたらした異常な世界であるという印象を持った。

ハーレムの内部のスルタン・アメフット三世の果実の間

 トプカプ宮殿Topkapi Museumーオスマン・トルコ、メフメット二世建設


      (9:30−16:00、火休み、3,000,000TL約600円、)
     ハレム;ツアーガイド方式、30M時間置きハレム1,500,000TL
   陶磁器展示室
   衣装展示室
   宝物館;トプカプの短刀、スプーン職人のダイヤモンド
   細密画展示室
   宗教遺物の間
この宮殿はオスマン・トルコが約400年にわたってスルタンの居城として政治の中心として建設したものである。1453年に東ローマ帝国の首都であったコンスタンチノープルを陥落させた第4代のスルタン・メフメット二世がこの宮殿を建設を始めたものである。この宮殿には最盛期には4,000人ものスタッフが働いていた。面積は700,000平方メートルの広大な敷地になった高台に位置している。ハーレムを見学するのに約1時間から時間がかかった。この宮殿には見どころがたくさんあり、これをひと通り見てまわろうとすると考古博物館はあきらめればならなかった.

トプカプ宮殿ハレム;30分おきに行われるハレムツアーガイドに参加


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