ビザンチン建築の最高峰ーアヤ.ソフィアー


旧市街を車は走っていたが,やがて有名なアヤソフィア寺院に到着した。

イスタンブールの旧市街を車は走っていたが,やがて有名なアヤソフィア寺院に到着した。


このアヤソフィア寺院の回りには観光の土産物店がずらりと並んでいた。
それに世界各国からの観光客あるいはこれらを乗せてきたバスやタクシーなどの車の行列がたくさん並んでいた。
市内観光のガイドさんがこのアヤソフィア寺院の入場券の売り場まで行って、われわれの入場券の買う手続きを始めた。
イスタンブールの町でとにかく目立つものはこのイスラム教の寺院である。
日本でいえばさしずめ奈良の大仏さんといったところであろうか。
とにかく巨大な建物で。
巨大な建物であるが中は空洞のがらんどうである。
まさに奈良の大仏をい入れている建物のように、この大きな建物の中は空洞になっていた。
ここはイスラム教の神聖な空間ということであろうか。
ここに連れてこられると、バスが止まって、われわれにガイドがバスから降りるように案内があった。

バスからわれわれが降りると、トルコ語コース、英語コースに別れて案内を

バスからわれわれが降りると、トルコ語コース、英語コースに別れて案内を


バスからわれわれが降りると、この人を案内してくれるガイドはまた別の人が案内してくれるらしい。
というよりもトルコ語コース、英語コース、フランス語コース等々いろいろな言語によってコースがあり、それぞれにその言葉を話すガイドが観光客を連れて、この人を案内するようになっていた。
残念ながら日本語コースはなかったために、われわれは英語コースのグループに入って説明を聞くことになった。
まだまだトルコでは日本語はマイナーな存在のようである。
結構日本人の観光客は多いようであったが、このように市内観光の説明に日本語コースがないということはやはりマイナーと言わざるを得ない。
バスから降りて回りを見てみると土産物店がずらりと並んでいた。
この写真に写っているのもその内の1つの店舗である。

アヤソフィア寺院の回りには観光の土産物店がずらりと並んでいた。

アヤソフィア寺院の回りには観光の土産物店がずらりと並んでいた。


やはりトルコのイスタンブールはどこに行ってもトルコ絨毯を売っている店が次から次に出てきていた。
われわれにはトルコ絨毯の善し悪しを判断する目がないために、トルコ絨毯のいいものを購入することができなかったが、いいもの悪いものにこだわらないならば、次から次に店があるために結構安いものをトルコ絨毯として手に入れることができる。
ただし品質のほどは保証の限りではない。
この写真に載っている店もトルコ絨毯を販売している店で、店の外までトルコ絨毯を飾って宣伝をしていた。トルコ絨毯は値段が高価なものと相場が決まっているようで、このような店でもトルコ絨毯は結構高い値段がつけられていた。
ただし品物の質についてはさっぱり見当もつかなかったが。
このアヤソフィア寺院は現在では国立の博物館となっていた。
もちろん、世界遺産にも指定されており、われわれの団体コース以外にも、かなりな観光客を引き寄せていた。
しかも、われわれ以外の観光ツアーの団体コースも次から次に見学に入ってきていた。
トルコのイスタンブールを代表する歴史的な遺跡ということで、この遺跡にはたくさんの人が押し寄せるらしい。

アヤソフィア寺院に入ると切符売り場があった。

アヤソフィア寺院に入ると切符売り場があった。


この切符売り場でガイドさんがわれわれの入場券を購入してくれた。
この切符売り場のガラス戸に大人ひとりなんぼという料金を表示していた。
個人の観光客が左で入場切符を購入している。
右側の男性がわれわれを案内したガイドさんで、われわれの入場券を購入しているところである。
トルコはガイドさんはすべて無料であ。
そのぐらいに観光に携わっている人を優遇しているのがよく随所でうかがえた。
外貨稼ぎが非常に大事なようで、国もこのことについては非常に力を入れて観光用に携わっている人、あるいはこれにかかわる人にはいろいろ優遇を与えているようである。
このアヤソフィア寺院は、東ローマ帝国の皇帝が建設をした1大建造物で、ビザンチン文化を象徴する歴史的遺物である。
ところがこのコンスタンチノープルがオスマントルコの手によって征服されると、キリスト教として建てられてきた、このアヤソフィア寺院が、イスラム教の寺院に改修されて、壊されることもなくそのまま使われて現在に至っている建物である。
そのために非常に歴史が古い建物である。
壁に書いてあったキリスト教の絵などすべて上から塗りつぶしていっている。
ところが近年この上からの部分が次第に剥がされて、下の絵が明らかにされて、キリスト教の画ガ浮かび上がってきている。

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