小学校・校舎
1999年03月14日作成
2000年04月30日更新
山奥の小学校
 私の母校は伊那山脈の山の上にあります。校庭には海抜881mと言う標識がたっています。家から小学校まで4kmの道で、たくさん遊びました。暖かい日は、道路の横の崖で雲母を掘ったり、水晶を探したりして遊んだものです。秋にはモミジの種でプロペラを作りました。春から夏は、道ばたのススキの穂やイタドリをとって食べます。
kousha
校舎の向こう側には伊那の谷を経て雲に隠れた木曽の山脈が遠くに見えます。
ここは山の上です。子供達は遠く4kmも離れた家々からここまで登ってくるので
す。この写真は当時のものですが、今は近代的な鉄筋の校舎に建て替えられま
した。当時、木の廊下はピカピカに磨かれていましたが、今はどうなっているの
でしょう。廊下を磨くものは雪花菜(オカラ:豆腐のカス)を布に包んだ物です。

お地蔵様
 小学校の横に小学校の屋根ほどの高さの小さな裏山があります。この小さな山から校舎を見下ろしているお地蔵さんが居ます。上の写真はこのお地蔵さんから撮った写真です。実は、このお地蔵さんは、私のお婆さんの弟なのです。お地蔵さんは町で建ててくれました。

 この人は50歳を過ぎてから東大を受験すると言う変わり者でした。一生を教育に捧げた人で、少しでもお金が貯まると教育機関に寄付をすると言った生活をしていたようです。NHKの『ある人生』と言う番組(30分)で紹介された事もあるそうです。NHKの放映を記念して町で歓迎会を開いてくれた事もあります。しかし、親戚一同は彼のことを『きちがい』と言っています。

 飯田に大学を作る運動をしていたほか、天文がすきだったそうで、地元『飯田高校』に天体望遠鏡を寄贈しました。学校ではこの望遠鏡を収納するためにドームを建設して天文部も発足したそうです。今から40年も前ですが、当時のお金で100万円ほどの望遠鏡だと聞いています。(実際の所はしりません)

いくつかの道
山(小学校)へ登る道はいくつかのルートがあります。普段は最も近い『近道』を通ります。近道は人が歩けるだけの道です。帰りなどで、時間があると『遠道』と呼ばれる自動車が通れる道を通ったり、1時間ほどかけて友達の家を回って帰る事もありました。

山の中で生活している子供には遊ぶところはいくらでもあります。

小学生の私