決戦は金曜日  前編




ずっと前から、部長、が・・・好き、です―――

酔っ払った勢いで江神さんに告白した夜から、きっちり一週間が過ぎた。明日は休みという週末が再び巡ってきたのだ。
長いこと心の最奥にひた隠していたこの気持ちは、奇跡的に拒絶されないで済み、俗に言うところの"両想い"という展開を迎えられた。だが、僕たちはあれ以来、一度も二人きりの時間を持ち得ないでいる。もちろん、大学内ではそこそこ会っているのだが、その折にはEMCこと英都大学推理小説研究会のメンバー若しくは友人知人の誰かが、必ずと言っていいほど同席しているのだ。
生活費を全てアルバイト給金で賄っている江神さんはウィークディも授業の合間を縫って働いている。土日となれば稼ぎ時なので、最低でもどちらか一日は汗水垂らす。更に、サークルとしての活動―――といっても雑談か飲み会か、というところなのだが―――も予定表に組み込まれる。
僕はともかく、元々、部長の自由になる時間が少ないのだからしかたがない。理屈ではそう片付けてみるけれど・・・
ラウンジで。
生協書籍部で。
図書館で。
ほぼ連日、なまじ顔だけは合わせられる分、辛いものがある。
そんな事情にずっと足を引っ張られ続け、僕はいつになく悶々とした金曜日の朝を迎えていた。というのも―――
今週末、江神さんのスケジュールは土曜日の午後と日曜日丸一日がバイトに充てられている。つまり、今日の夕刻から明日の正午くらいまでは、彼の限られた自由時間なのだ。何時からか毎週金曜日に部員全員で酒をきこしめるのが暗黙の了解となったEMCの例会が仮に長引いたとしても、今までの経験からすると、日付の変わる前にお開きとなる。だから、それから後の、あなたの時間を僕にください―――と、そんな約束を取り付けようとし、今日(こんにち)に至るまでそれが果たせないでいるからだ。
尤も、以前なら、ただの後輩として部長へ都合を訊ねられたろう。しかし、あんな告白をした手前、他の人間がいるところでは言葉を切り出せずにいる。小心者と笑わば、笑え。自意識過剰なのかもしれないが、事が目立ないにこしたことはない。
あの日から数えて、ちょうど七日目である。全知全能の神なら休息している頃だろうに。
それでも、今日という今日はなんとかしなければ。
後ろの橋を焼く覚悟で、今晩は泊めてもらうから帰らない、と親へは告げて出てきた。まぁ、現時点で今夜の展開が未明な以上、『誰の処へ』という明確な宿泊先を宣言する訳にもいかず、なんとも間抜けた決意表明にしかならなかったけれど。
本日の受講予定は、江神さんが二講目のみで、僕は一講目と三講目。昼食前の学生ラウンジで会える可能性が最も高いものの、おそらくは推理研メンバー全員集合となるだろう。
ギリギリ三限開始まで粘れば、二人きりになれるかもしれない。僅かなチャンスが到来することを切に願って、僕は大学へ向かった。

そろそろ二講目が終わる頃となった。
既に指定席となって久しい、学生ラウンジの最奥には、我がEMCの部員があらかた顔を揃えていた。一つ上の望月周平に織田光次郎、そして紅一点の有馬麻里亜プラス僕という構成である。
まだ授業中の江神二郎部長を待ちながら、雑談に花を咲かせる。
誰が何を読んでいるか、や新刊の評判についてなど、一渡りの情報交換がなされ、やはりこれもお定まりな銘々のスケジュール確認へと話題が移行する。いつもならその後、例会での議事打合せ―――ミステリー論議へ俎上する題目やテーマを大雑把に決めたりもする。しかし。今日はやや勝手が違うことになりそうだ。
まず織田が不参加を申し立てた。アルバイト先の酒屋からピンチヒッターを頼まれているという。
「水・金で入っとる奴がおるんやが、今日だけ都合つかんらしい。店長から、余分に包んだるから頼む、言われてな」
「へえぇ、普段と同じシフトで時給高うなるんやったら、ラッキーやないか。せいぜい働けや」
確かに、賃金ばかりは多ければ多いほど良い、と言えよう。相方の同意を得、短躯な先輩は自身へ言い聞かせるように「滅多にないチャンスやからな」と呟いている。
頬杖をついて先輩コンビのやり取りをフンフンと聞いていたマリアが、上目遣いに僕の方を見返してきた。
「私も今日、参加できないんですよねぇ。7時には京都駅に着いてないといけないんで」
何でまた?という周囲の視線を受けて、かたちの良い唇を薄く尖らせた同級生はより細かな事情を詳らかにした。
「高校の時の友達が三人、今晩からこっちに来るんです。で、京都駅まで迎えに行くんですけど・・・その後のスケジュールとか、明日・明後日の観光案内まで、ぜーんぶ私に一任なんですよ。ひどいと思いません?」
科白とは裏腹で、口調からは寧ろ楽しげな様が窺い知れる。普段、遠く離れて過ごす友人たちとの再会となれば、それもまた然り。今、本人が呈した苦言など、終わってみれば良き思い出へ昇華しているに違いない。
斯様な経緯で、既に二名脱落となった。とはいえ、元々が総勢五名であるから、欠落感は大きい。今夜はこじんまりした集いになるかと思いきや、望月が思案顔で天井を睨み始めた。
「そうか、信長もマリアも行けへんのか・・・俺も、止めとくかなぁ」
織田とマリアが揃って、同列に座している発言者の方へ顔を捩った。
「いや・・・なぁ。今週はいろいろあって、月曜からこっち、飲みっぱなしなんや。金曜はEMCの例会やいうのは頭にあったから、昨日はなんとか抜けたかったんやけど」
チラリと投げかけられた目線の先は、当然織田な訳で―――しかし、即座に反旗が翻された。
「よう言うわ。誘うた時にはすぐ頷きよったくせに」
「せやかて、あんな必死な形相されたら断れんやないか」
「そらまあ、早い段階で頭数揃えたかったからな。けど、無理強いした覚えはないで」
「大体、一人遅れて来るて聞いておったから、立ち上がりだけ繋げばええと思うて参加したんや。なのに最後まで拘束されたんやからなぁ」
「なんや、そら。昨日、負けたからてそういう言い草はどうかと思うぞ。勝てんのは己が弱いからやないか。言い訳は見苦しいで」
「せやから、そういうこと言いたいんやなくてな」
いつのもの如く漫才化してきた遣り取りへ、マリアの考え深げな声音が割って入った。
「うーん、五日連続になっちゃう訳ですかぁ・・・モチさんは、やっぱり今日、止めておいた方が良さそうですね」
「え、なんでや?」
思わず訊き返した僕へ、同級生が向き直った。
「飲み会とかで大量に飲むより、缶ビール一本づつでも毎日飲む方がいけないの。主婦とかに多いキッチンドランカーなんて、その典型だそうよ」
成る程、急性アルコール中毒は一過性だが、アルコール依存症は習性ということか。確かに五日連続は身体に良くなさそうだ。黙って拝聴していた良き相方が追い討ちをかける。
「そらモチ、やばいわ。今日は止めとけ」
「せやから、最初にそう言うたやろ。お前は何聞いてるんや」
あれよあれよという間に、望月の欠席も濃厚となり・・・
かくして本日の例会構成要員は、部長と僕のみという、僅か二名へ相成らんとしている。想いを告白して以来、ろくろく彼と話せていない身には、瓢箪から駒とも言うべきありがたい展開だ。しかし、二人だけの例会にEMCとしての意義があるのかどうか―――まだ言い合っている先輩たちを前に、心の隅で悩んでいると、
「アリス」
マリアに見据えられた。
「江神さんと二人で例会っていうのも、たまにはいいんじゃない?」
「へ?」
一瞬のうちに、周囲の喧燥が遠退く。同級生が女神に見えはじめる。一年上の経済学部コンビも口論を止めて、こちらへ視線を寄越した。
それでも、常識的見解は口にしておいた方がいいだろう。
「せやけど、五人のうち三人も欠席やったら、無理して例会やる意味が・・・」
「いや、せっかく培ったEMCの活動サイクルや。例え二人でも断固として実施すべきやないか?」
意外なことに、織田が待ったをかけてきた。腕組みした先輩は眉根に皺を寄せ、いつになく真剣そうだ。とはいえ、何かを懸命に堪えているようにも見受けられる。
一方、望月は先刻そうしていたように天井を仰ぎ、
「そうやなぁ。三人やったらよくて二人ん時は中止みたいな線引きも変やな。確かに一人やったらどうしようもないやろうけど、違う人間が二人おるんや。例会として何某かの結果は出せるよな」
かこつけた感がしないでもないが、理論的にオトしてくるあたりは流石と言うべきか。伊達に本格推理マニアを自称している訳ではなさそうだ。もとい、屁理屈屋の本領発揮である。二人して僕と目を合わせないのが少々気になるものの、此方にしてみればこれぞ追い風。正直、ありがたい。
「まぁ、江神さんやアリスの都合もあるでしょうから、出席できない私たちが口喧しく言うことじゃないけどね」
締め括るようにそう言ったマリアが、荷物を纏め、立ち上がった。
「なんや、もう行くんか?」
「うん。法子と約束してたの、忘れてた―――アリス、悪いけど江神さんによろしく言っておいて」
小さく手を振ってから踵を返した後ろ姿をたっぷり30秒近く見送った後、
「あ、俺も図書館へ行かなあかんかったんや。信長、先行くわ。アリス、すまんが後は・・・」
望月が頓狂な声を出し、マリアに続いた。慌てたのは織田である。
「ちょお待て、お前ら、欠席を俺一人の口から言わせるんか―――大体、ちゃんと用事があるんは俺とマリアだけやんか」
後の方の雄叫びが果たして相方の耳へ届いたかどうか。足早に去ってゆく長身は瞬く間に学生ラウンジの出入り口を潜ってしまった。取り残された先輩と目が合う。
「・・・アリス」
「はい?」
「頼む! お前から、江神さんによう説明しといてくれ。俺ら三人が欠席するんは、決して示し合わせたんやないて―――ほんまに偶然やからって」
両手を頭上で合わせた姿へ僕が頷いたのを確認するが早いか、織田も物凄い勢いでその場から姿を消した。
とうとう、一人になってしまった。
軽い脱力感に支配される。まさか、こんな形でチャンスが降って来ようとは。
身体を少しずらして、窓際へぴったりと張り付いた。
こうすれば西門から出、烏丸通を渡り来る人影が見下ろせる。暫くして、赤毛のセミロングが早歩きでキャンパスへ向かう姿を見つけた。彼女に遅れて、長身と短躯の先輩コンビが通りを渡っていったのも目にした。
まだ、江神さんはやって来ない。
視線を窓外へ固定したまま、講義終了後の予定に思いを巡らす。
やっと二人きりになれる、という安堵感と期待感に胸が躍る。だが、浮き足立つような気持ちとは裏腹に、胸裡から一抹の不安を拭えないでいるのも事実である。
なぜなら―――
あのひとが僕を選んでくれた、という現実が今一つ信じられない。早い話、彼が僕を想ってくれているということに、実感が湧かない。
確かに、部長自身の口から「アリスが好きや」という、ある意味、決定的な一言を貰った。けれど、その言質を真に受けているのは僕だけで、江神さんの方はお愛想だったのではないか・・・という疑心が、どうしても頭を擡げてくる。要は、常識の範疇を逸脱している恋心を受け容れてもらえることなど有り得ない―――と、己を戒め続けてきた身としては、この、幸運な展開をすんなりと認められずにいるのだ。
あれから一週間経った今、ますますその懸念は膨れ上がりつつある。
そもそも、同性へ恋すること自体、充分に一般的でなく、従って心が通じ合うともなれば奇跡に近い。最初からそういう嗜好の持ち主なら少々話が違ってくるだろうけれど、江神さんはもちろん己の本質もストレートだと思うから、尚更である。
だから、こうなってしまった事に対する基本姿勢が、僕の中で定まっていない。というか、今以て、どうしたらいいか皆目見当をつけられないでいるのだ。
彼が本当に僕を愛しんでくれているのか、それとも調子を合わせただけなのか―――人の心を弄ぶようなひとではないと信じている半面、あのひとが同性に恋する現実など不自然の極みだと諭す心の声が内腑を抉る。どちらが江神さんにとっての真実なのか、今の僕に判断できるだけの材料は無い。さりとて、裡に巣食ってしまった、この思い悩みを無視できるような心臓も持ち合わせていない。
斯様な状況で思索し続たところで、結局は堂堂巡りを繰り返すだけなのは目に見えている。しかし、それを止められる手立ては唯一つ―――正面から江神さんへ問うて、その本心を告げてもらうしか、ない。
この後、部長へ今夕のスケジュールを訊ね、その結果、こちらの思惑通り二人で過ごせることになったとして。
結果的に薮蛇となりかねない、その問い掛けを発する勇気が果たして僕に出せるだろうか。
江神さんに本心を問い質している己の姿を想像するだけで、気持ちが昏くなる。
けれども、いつかは訊ねなければならないだろう。それに、これからのことを考えると、早い段階ではっきりさせた方がよい。何よりも、僕が僕である為に、それは必要な通過点となる。
とはいえ、一体、どうやって『それ』を切り出したものか。
ガラス越しに見える人々の往来へ再び意識を戻した。汚れた窓が、眉間に皺を刻んだ僕の恨めしげな顔をまるで幽霊のように淡く映していた。

「なんや、アリス一人か?」
涼やかな声音が僕を揺さぶった。顔を上げると、待ち続けていた笑顔に迎えられる。
「あ、はい―――皆、用事あらはったみたいで、先、行ってしまいました」
「それで一人、待っとったんか。いい加減、腹、減ってるやろ。まず昼、食いに行こか」
「そうですね。あまり時間あらへんですし・・・学食にしますか?」
「せやな」
鞄を手に、奥の席より這い出そうとしている僕へ、江神さんの柔らかい眼差しが注がれている。彼に見られているというだけで、我が心臓は早鐘を打ち始めるのだ。
ああ、こんなにも、僕はこのひとに惚れている―――
二人して、ラウンジ脇の階段を早足で降りた。
多少時間がズレたことから少しは空いているかと思いきや、学食はどういう訳だか大盛況だった。とりあえず最後尾へ並んだものの、列は遅々として進まない。既に三講目開始まで残り時間は20分を切っている。僕の焦りを感じ取ったらしい江神さんが思案顔で宣った。
「これは、えらい時間かかりそうやなぁ。何か買うていって、ラウンジで食うか?」
「あ、そんな・・・ええですよ。江神さん、この後空いてるんやし、僕は10分もあれば大丈夫ですから」
「まぁ、おまえがええなら構わんけど―――消化不良起こすような食い方、するんやないぞ」
長い指が伸びたかと思うと、僕の頭を軽く撫でた。そうしてもらえただけで、この場に踏ん張った甲斐があったと感じているあたり、間違いなく末期症状だ。
やっとのことで盆を手にした。ごった返す人垣を縫うように這い出してきた僕たちは、揃って奥のテーブルへ着くことができた。



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どうか、続きを読んでください…