たとえば、愛  後編




テーブルの上に華奢なコーヒーカップが三客並べられ、再び彼女がこの場からいなくなったのを確認すると、望月先輩がやっと本題に入った。
「最初の頃はな・・・飲んで帰れなくなると、あいつ、大概、江神さんのところへ転がり込んでおった」
織田先輩が隣でうんうんと頷く。
「俺と信長は同級で学部も一緒やろう? だからアリスは気をつこうてたらしいんや。どっちか一方の下宿へ頻繁に泊めてもらうようなことになったら、もう片方が気ィ悪くするんやないかと思うたんやろう」
いかにも、アリスらしい話である。彼は結構、細かいことを気にする性質だ。神経質という訳ではないが、彼なりに気配りした結果がそうなったのだろうということは、私にも承服できた。
「その点、江神さんとは入部早々ウマもおうたようやし、あの人もアリスを可愛がっておったから―――あいつが泊まる場所は、江神さんの方によっぽどの不都合が無い限り、西陣で決まりやったんや」
「それが、今年に入ってからやな」
今度は織田先輩が続ける。
「モチんとこへ泊まってから、そん次の飲み会で終電逃しよった時、アリスが俺のところへ泊めてくれと言うたんや。堀川のへんで飲んでたのにやぞ? おかしいやろ」
私は無言で頷いた。大学西側へ位置するその界隈の一番近くに下宿しているのは、江神さんだ。なのに、アリスがわざわざ南禅寺にほど近い織田先輩の下宿へ泊めてくれと言ったこと自体、極めて不自然である。
「で、そん時からアリスの奴、帰れなくなると、俺とモチの下宿を交替で行き来するようになりよった。江神さんと喧嘩でもしたかと思うたが、別にそういう訳ではないらしい」
望月先輩が更に言葉を重ねた。
「日中は今まで通り、仲良うしとるし、飲み会の席順にも変化はあらへんのや。ただ、帰れなくなった時にアリスの泊まる場所だけがきっちり変わった、いう感じやな」
話を聞いているうちに、ごく自然と湧き上がってきた疑問を私は口にした。
「江神さんはどうなんです? アリスが信長さんとモチさんの下宿に交替で泊めてもらっている状態を、その・・・」
今まで自分の下宿へよく泊まりに来ていた後輩が、突如手のひらを返したように寄りつかなくなったのである。それを部長はどう感じているのだろう。
「それがなあ」
二人の先輩は、再び顔を見合わせた。
「江神さんも、特に気にしているふうではないんや。寧ろ、ホッとしたような顔しとる。なあ?」
織田先輩の言葉に、望月先輩が「ああ、そうやな」と合いの手を入れた。そして今度は自分が続く科白を引き取った。
「つまり・・・お互いに、牽制しとるんやないやろうか」
「牽制って?」
「好きやから、却って、その気持ちを抑えようとしてるんやないのか? 酔っ払って一つ屋根の下におったら、何を口走るか判らん思うて―――だから、距離を置くようになったんやないかと、こう考えた訳や」
さすがに推理研の人間として、一通りの観察は怠っていなかったらしい。そして、そこから導き出される結論が単なる憶測ではないということを既に私も感じ取っていた。
望月先輩がきっぱり断言する。
「俺は・・・好きおうたもん同士やったら、くっついたらええと思うとる」
「俺かて、同じや。それやから、こう―――見てて苛々することもあんねんけどな」
織田先輩が、相棒に続いて自分の意見を言った。
「せやかて、つっつく訳にもいかへんし」
「どないしたもんやろなあ・・・」
先輩たちは大きく嘆息すると、目を伏せて共に口を噤む。確かに難問ではある。
尤もこの手のことは、普通の男女間でだって、なかなか厄介だ。当事者から相談でもされれば別だが、周りが勝手に焚き付けてダメになってしまったというケースだってよくあるのだから。
大体、自分自身の面倒ですら見きれない青二才の私たちが、他人の世話―――それも恋愛の世話を焼こうだなんて考えること自体、おこがましいと思う。言うなれば、なるようにしかならないのだけど・・・
「だったら、何かきっかけがあれば、いいんじゃないですか?」
私の一言に、二人が視線を上げた。
「キッカケって・・・マリア、随分と簡単に言うてくれるやんか」
「ほな、いいアイディアでも、あるんか?」
間髪入れずに言い返されて、少し困ってしまった。私だって特に名案がある訳ではない。でも、アリスが江神さんの下宿へ泊まらなくなってからかなりの期間が過ぎている。ならば、そこに打開策がありはしないだろうか。
確かに、夜というのは秘密を共有するのに相応しい時間帯だ。全てを陽光に照らされている白昼とは異なり、闇の作り出す影が人の思考にも憂いを与える。そして時に、生まれたての素直な気持ちで自分の本心を吐き出す手助けをもしてくれる。
だからこそ、アリスも江神さんも、一緒に夜を迎えるのを避けているのだろう。しかし、それは何の解決にもなっていない。
それならいっそ二晩、いや三晩を同じ部屋で過ごすことになったらどうだろう? 一夜だけならなんとか己を抑え、その現実より逃げられるかもしれない。けれど、外界からある程度遮断された場所―――例えば絶海の孤島とか―――で、そういう状況が生じたなら。それでも彼等はまだ、相手と距離を置こうとするだろうか?
私は、一年上の先輩コンビを交互に見遣ってから、ゆっくり喋り出した。
「夏合宿―――これを利用したら、どうでしょう?」
「何、やて・・・?」
「・・・どういうことや?」
口々に、問い質される。
「さっき、今年はどこかうんと遠くへ行きたいって、誰かが言ってましたよね?」
「ああ、アリスがそないなこと、言うた―――お前も、同意しとったな」
織田先輩がチラリと望月先輩へ視線を投げた。
「で、場所については希望があれば聞いて、一通り検討するって江神さんが言ってましたけど・・・私、ちょっと心当たりがあるんです」
きょとんとしている二人へ向かって、私は九州の孤島の話をした。奄美大島の南50キロ、名瀬港からモータークルーザー利用で到着に三時間を要する嘉敷島―――其処に、祖父の建てた別荘がある。亡くなった祖父からそれを譲り受けた伯父一家や従兄弟たちが夏の休暇を過ごす為、毎年7月下旬から8月半ばの間で滞在する。そういう時には親戚にも声がかかるので、私も何回か行った。一昨年及び昨年は受験と大学生活へ慣れるのに精一杯だったこともあり遠慮したが、伯父から父を介して毎年ことづけられる「遊びにおいで」という伝言を私は先週受け取っていた。
「小さな島なんですけど、夜はもう、何て言ったらいいのか―――島そのものが世界になって、宇宙を漂っているみたいな気分になるんです」
「ほぉ〜、ロマンチックやな」
およそロマンチックな小説には一番興味の無さそうな織田先輩が呟いた。
「伯父に空き部屋の状況を確認してからでないと何とも言えないんですが、ゲスト用の部屋は基本的にツインなんですよ。だから、席順を考えれば」
「当然、俺と信長、江神さんとアリスが同室や」
望月先輩が私の科白をひったくった。
「あの二人が何言うても、これは譲れへん。なあ、信長」
相方もしっかり頷いている。この先輩たちは、本当に名コンビだ。
「それで、どの部屋も窓を開けば海が見えるんです。正確には海しかないんですけどね。でも―――」
私は島の生活を思い出しながら、言葉を続けた。
「端の部屋は海に一番近くて、夜になるとその部屋だけが本当にぽっかり切り離されたような錯覚を覚えるんです。部屋の電気を消すと、余計にそう感じるんですよ。とっても淋しくて、恐ろしい気分にもなるけど、どんどん自分の内側に色んな想いが向かっていって、それと同時に身体もすうっと消えていくように思えることもある。だからそういう部屋で二晩、いえ三晩、或いはそれ以上一緒に過ごしたら―――江神さんもアリスも、自分と相手の中にある気持ちが同じものだということに、確信を持って正面から向き合えるんじゃないかしら」
それを聞いて、目前の二人は眩しそうな顔をした。
「夏合宿は最低でも三泊する―――部長はそう言うてたな」
「よし、マリア、なんとか伯父さんに言うて、その一番端の部屋を確保してもらうんや」
「俺たち三人でまとまって、昼間はあちらさんを極力二人にしてやる、と」
「おう、後は島の夜が紡ぐ魔力に望みを託すのみやな」
そう言って、両先輩は悪戯っ子のようににんまり笑った。
「そうですね。早速、伯父に頼んでみます」
私もつられて微笑んだ。
実は、嘉敷島について、話さなかったことが一つある。それは、あの島の何処かに宝が埋められているということだ。
パズルを解くのが何よりも好きだった祖父が、生前に隠したのである。島中に木彫りのモアイをばら撒き一つの『謎』を創った彼は、そのモアイパズルを解いた者を宝の相続人とするという遺言を残して、あの世へ旅立ってしまった。そして、パズルは今だに挑戦者を待ち続けている。
このエピソードを明らかにすれば、EMCの夏合宿に相応しく、『孤島での宝探し』という恰好の名目が掲げられるだろう。だが、まずはサークルの仲間を連れて行っていいかどうか、別荘の所有者である伯父にお伺いをたてなくてはならない。
伯父の性格からしたら反対されるということはないだろうけど、伯父一家が島で過ごす時には、大概親戚の者も何人か一緒にいる。誰と誰がいつからいつまで逗留するかにより、部屋の埋まり具合が異なってくる。別荘側が私たちを受け入れてくれるということが決まった時点で、伏せている秘密を公開しようと思った私は、敢えてそれを口にしないでおいた。
今日、下宿に帰ったら、早速伯父に電話してみよう・・・
私はすっかり冷えてしまったコーヒーを一気に飲み干した。

『リバーバンク』で経済学部の両先輩と密談してから六日後、私はやっと伯父から日程を示された。
さして大きくもない文具メーカー『アリマ』の代表取締役である伯父は、私が今夏はパズルを解くために助っ人を連れて行きたいと言うと何か思うことがあったようで、忙しい社長業の合間を縫って積極的に人員調整を図ってくれた。
望楼荘(別荘の名前である)のゲストルームのうち、ツインは四部屋ある。そのうちのニ部屋は従姉妹夫婦と伯父の義理の弟夫婦に割り当てられることが既に決まっていた。
一番海寄りの部屋を私が連れて行く仲間のうちの二人―――江神さんとアリス―――に充ててほしいと頼むと、快く了承してくれた。残る一室のツインは、本来なら、三年ぶりに遠路はるばる横浜からやって来る伯父の友人である医師が一人で占有するところをご勘弁願って、従姉妹の父(つまりこの人も私の伯父なのだが)と二人で使用していただくことにする。身内ということで、その、もう一人の伯父に泊まってもらう筈だったシングルルームにエキストラベッドを入れて、残り二人――― 一年上の両先輩たちはこちらだ―――に休んでもらえれば良いだろう、という話がとんとん拍子にまとまった。
翌日、伯父のありがたい提案を胸に抱きしめ、私は学生ラウンジへ向かった。望月、織田両先輩とここの入り口で立ち往生したのは丁度一週間前のことである。だが、今日は大丈夫だった。三人の先輩と一人の同級生がお約束通りの二人づつに分かれてテーブルを挟み、私を待ってくれていた。
席につくなり、私は嘉敷島のことを今度は何一つ隠さずに話した。アリスと江神さんは初めて聞く内容だから当然だろうが、話がモアイパズルに及ぶと織田先輩と望月先輩の両の目も輝き出した。ミステリファンに宝捜しとくれば、猫に鰹節である。
「それで、日程なんですが、82日から一週間―――この時期なら他にも人が集まるので、是非一緒にどうぞって・・・」
そう言った途端、二つの顔がみるみるうちに曇り出した。
「・・・あかんわ」
「なんでまた、そうなるんかいな」
なんと、その時期、望月先輩は運転免許所得の短気集中合宿も最終段階に差しかかる頃だという。
「頑張って、とんとん拍子に進んだとしても、卒験が84日やからなあ・・・仮免取って、その後一時戦線離脱というのもできひんし」
とぼやいている。
その隣で、仮免ナメたら痛い目にあうで―――と釘をさした織田先輩は、続けて、
「くそ、姉貴のどアホが」
と毒づいた。こちらはお姉さんの結婚式が丁度その真ん中に位置してしまうとのこと。本気で嘆く経済学部三回生コンビを尻目に、部長とアリスは二人して顔を見合わせていた。
世の中とは、実によく出来ているものである。いろいろ画策してみたものの、伯父の示した日程だと、結局、江神さんとアリスしか島に行けないということではないか。
私は懸命に笑いを堪えながら、意気消沈している方の二人へ視線を合わせた。案の定、しめしめと舌なめずりしているような表情を上手にカムフラージュして、さも面白くないという風に顔を顰めている。尤も、南の島でパズルに興じることが出来ないというのは、二人にとって充分残念なことであろう。
「アリスと江神さんは、大丈夫ですよね? 是非、一緒に行って、パズルを解いてほしいんです―――お願い」
ひたすら宝捜しが目的なのだと言わんばかりに、私は念押しした。
「ああ、行ける。まだ夏休みの予定、何も決めておらんし」
「はよう旅費稼ぎのバイト、探さないかんですね」
部長とアリスの快諾を得た私は、密かに胸を撫で下ろした。

夏休みに入る前日、三講目の授業―――私にとっては、これが休み前の最後の授業だった―――を終えた私は、少しだけ図書館で時間を潰した。それからラウンジに足を運び、入り口を向いて一番奥の席に座っている経済学部の先輩たちに軽く手を振ってから近づいた。
手前にいた織田先輩の隣席へ滑り込む。三人とも出入り口へ顔を向けることになるので、後からくる二人も私たちを確認し易いだろう。それに、こうすれば、部長とアリスが並んで腰掛けられるという、ちょっとした心遣いもあった。
江神さんはこの時間、珍しく授業がある。文学部哲学科をもう三年もやっているのだから、専門はほとんど制覇してしまっているのだが、他学部の授業で面白そうなものを取っているという話をアリスから聞いていた。結局、部長に関する情報はアリスが一番詳しい。そのアリスも、一年の時に取り損ねた必須科目を今の時間に受講している筈だった。
四講目が終わるまで、あと20分とちょっと。今日はこの後、暑気払いを兼ねて皆で飲みに行く。
授業中の二人を待つ間の他愛ない話が途切れた時、奥の席から、望月先輩が、
「マリア、頑張るんやぞ―――と言うても、特にやることはないんやろうけど」
と厳かに言った。もちろんそれが、この夏訪れる嘉敷島での過ごし方を指しているのは明白である。
「同じ時期に従姉妹が滞在するんです、それも二人。宝捜しは江神さんとアリスと三人で挑戦するつもりですけど、その他の時間は、女は女同士、やることが結構ありますから」
一応の心積もりを告げると、織田先輩も真顔で、
「そうやな。日中は人目もあるし、普通にしとったらええやろ。けど、夜はその、宇宙に漂う世界と化す小部屋に頑張ってもらわなあかん」
こう宣った。
私は両先輩に向かって、強く頷いてみせる。
己に出来ることは、なるべく二人の間に割り込まないよう、注意することくらい。そう、本当に―――私たちには、為す術なんかないのだ。
あの二人が想いを通わせることが果たして幸せなのか、それともそうでないのか、誰にも判らない。
でも、今年の夏は、何かいいことが起こりそうな予感がする。
嘉敷島で過ごす一週間は、江神さんとアリスに―――そして、私に何を与えてくれるのだろう。たとえば、愛と、パズルの解答と。願わくば、その両方がもたらされるといいのだけど。
絶海の孤島に遊ぶ日々のことを考え、いつしか私は心楽しくなっていた。

(2000/7/1)


ご意見・ご感想はこちらまで



 へ戻る



『孤島パズル』を読んでいて、望楼荘の見取り図を見ながら不思議に思ったことが一つ―――もし、信長とモチが嘉敷島に行ける状況だったとしたら、部屋数足りたんでしょうか…? 全ては、その疑問から生まれました。それで、なんでこんな話になるんでしょうねぇ〜謎ですわ(大爆笑)
今回は、信長&モチ&マリアを書くつもりで展開を考えました。しかし、三人とも気がついているという……(爆) これについては、どうしようか迷ったのですが―――卑しくも推理小説研究会と名のつくサークルに属している以上、観察眼はそれなりに鍛えられているだろうから、感づいてないっていうのはウソだろうという気がしたのですね。ウチの三人は、江神さんとアリスのことをこれからも応援(?)していくようです。それと、駄作『一千年の刹那』でアリスが江神さんの下宿に泊めてもらってますが、彼ら三人はそれを知りません。アリスは地下鉄の終電に揺られて帰ったと思っている筈です。
で、実際の『孤島パズル』では、アリスとマリアが結構仲いいんですけど、これは殺人事件が起きたからじゃないかな、と私は思っています。どうしても異性の親友同士という風にしか感じられないんですね。もう、あくまでも江アリでしか考えていない人間ですので、私←オイコラ!!!
それから今回のタイトルは、信長の好きな"八十七分署シリーズ"からの借用です←ええ加減にせえ(
By 織田光次郎)