夜明けは沈黙のなかへ  前編




遠く、アスファルトの上を滑ってゆく車輪の乾いた音が、ここまで響いてくる。
あと一時間弱で日付が変わろうかという時刻になった。宵の口にはまだ此処彼処を席巻していた街の喧噪と光量はかなり収まって、これ以上は濃くならない闇の狭間へ落ち込もうとしている。暗くなればなるほど、視覚からの情報量を減じる人間の五感は、それ以外が逆に研ぎ澄まされていく一方で、今や、少しだけ開け放した窓から忍び込んでくる五月特有の青葉の匂いを時折、嗅ぎ取れるほどだった。
寝室の一角に設えてあるワークデスクで、石川玄はデスクトップPCのモニタへ視線を走らせていた。後方では、先刻、この部屋へ辿り着いたばかりの司馬江太郎が、脱いだジャケットを奥のクローゼットへ収め、衿元を緩めたばかりだった。
二人の間柄が、同僚から恋人という甘く深いものになって、そろそろ六ヶ月目に入ろうとしていた。
共に所属している天真楼病院第一外科のみならず、その周囲を含めた大多数の人々からは今でも『天敵同士』だの『犬猿の仲』だのと評される司馬と石川だが、それは偏に、幾度も繰り返された過去の激しい衝突の記憶を皆の共通認識が手放せないでいる所為だった。三ヶ月近く続いた対立の本質が、その実、強く惹き合うものを根底に持つからこその反目であったと気付いた者も僅かに存在するものの、その慧眼への賛同は未だ得られそうにない。というのも病院内では今以って、言い争う二人の姿が頻繁に見られるからである。
揉め事の大半は"司馬に突っかかる石川"という構図で、原因は様々だった。救急センターへ顔を出すのが一番遅い、とか、当番医ではないからと手を拱いた、とか。治療方針を巡ってぶつかることも偶にあるようだが、参事兼主任の里村正樹や、ごく希には更にその上の中川淳一外科部長が間に入り、それぞれの主張を聞き分けていることで、概ね何某かの決着点へは到っていた。
そういった職場でのいざこざはさておき、一歩、天真楼病院を出てしまうと、彼等の関係性へは、凡そ180度反転したかのような変化が起きる。
付き合いだしてから判ったことだが、実は二人でいると殊の外楽しく、最近では夜勤日を除き、どちらかがどちらかの家へ行くのが常態化しつつある。今は七対三くらいの割合で、石川の部屋に居ることが多い。
それぞれのバックボーンが国内最高峰の医学府とアメリカ有数の医療センター系大学という、異なる種類の経験値を礎にしていたこともプラスに働いた。石川がもたらした頭脳明晰な海外の友人知人は、司馬の中で後回しにされて久しかった医療業界全般への興味へ再び光を投げかけたし、司馬に仕込まれた中川譲りの高度なオペ技術とその経験則は、石川の飽くなき向学心と探求心を掻き立てた。
自分とは違う、ものの見方や思考過程を純粋に面白いと感じられるのは、一つには、そういった学習行為が医学知識や医療技術の向上のみに限定されているからであり、個々のクランケに必要な治療を見極めなければならない臨床医学とは一線を画すからであろう。思索や研鑽は一人でもやれないことはないが、やはり、互いに凌ぎを削り高め合える相手と共に臨む方がより大きな効果を得られるに違いなく、その部分だけでみても、司馬と石川という組合せがこれ以上を望めない唯一無二のペアであるのは明白だった。
今年初めに揃って出向かされた全日本臨床遺伝学化学学会でのレセプション会場で、石川からポール・ビーソンJr.本人を紹介されて以来、司馬宛の電子メールがこの部屋のパソコンに屡々、送られてくるようになった。といっても送信されてくるのは大概、石川に宛てられた一通だけで、その本文中へ「この件について、コウの考えを聞きたい」「この症例に対し、コウだったらどう処置をするだろうか」等といった具体的な質問が差し挟まれていることが殆どなのだが。ビーソンJr.を初めとする異郷の博士達は元々が石川の友人であるので、石川個人のアドレスを介してやり取りするのが常になっていることもあり、外国との電子メール送受信や医療業界全般の動向把握を主な目的とした論文試読などは、この部屋を使うのが暗黙の了解となっていった。それとは別に、医学書の読み込みや症例研究など実践的な知識を最新化する必要に迫られた時には司馬の部屋で資料や文献を繙く、といった用途別の区分けが何とはなしに定着しつつあった。更に、どちらの家で過ごしていても、夜遅くなってくると自宅へ帰るのが面倒となり、なし崩し的に泊まってしまう確率が非常に高いことから、割と早い段階で、二〜三着の出勤用着替えを相手の家へ置いておくようになったのも自然な流れだった。
そして、自分達の間で育まれた感情と真実が、他の人々には到底理解されないものであることをよく判っている二人は、結局、互いの部屋の外ではその親密さを殊更、ひた隠すようになってゆくのである。

「返信、来たのか?」
司馬が石川の背中に声をかける。軽く頚だけを捩って恋人の姿を認めた石川は、淡く微笑した。
「うん・・・この前、書いてきてた論文の査読、終わったって」
机の近くまで来た司馬は、その端に手を掛け、背後からモニタを覗き込んだ。石川同様、映し出されたメール本文へ視線を合わせ、その内容を咀嚼する。
即座に翻訳できなかった幾つかの単語をすっ飛ばしても、凡その趣旨は読み取れて、件の論文に対するアメリカ医学界での評価が大きく割れていることが判った。
「フ、ン・・・割とはっきり、二分されてんだな・・・」
「そうだね。ポールとしては少し自分の旗色が悪いから、海の向こうの意見も聞いてみたい、ってとこかな」
「んなこと、言ったって―――専門、違うだろーが」
背を軽く屈めて囁いた司馬は、今一度、画面を見遣る。それを受けた明るい声が、考え考え言葉を紡いだ。
「そこは承知の上だと思うよ。寧ろ、門外漢の僕らからしたらどう感じてるのか、知りたいだけなんじゃないかなあ」
自分よりも遥かにビーソンJr.と付き合いの深い石川がそう請け負うのだから、一般論を求められているだけであろうことは間違いなさそうだ。再び、司馬が石川の耳元で囁く。
「返事、おまえが書くんだろ?」
うん、と頷いた男はきちんと後方へ向き直り、人好きのする笑顔で言葉を返してきた。
「下書きしておいてくれれば僕の分と一緒にして、送信するよ。あ、でも、別々に出したい?」
「いや、いい―――メンドーだ」
座っている肩を軽く小突くと、石川が立ち上がって、モニタ前の席を司馬へ譲った。入れ替わりで腰を下した男は、英作文用のエディタソフトを立ち上げる。
今、話題に上がっている論文の下読みは、司馬も石川も既に済ませていて、思うところを数日前にも語り合っている。所詮は専門外の分野であり詳細な分析など行いようがなかったら、二人の意見にも殆ど差異はなかった。それでも司馬が己の見解をこうして文章化しようとしているのは、他の文献や先行発表された論文から引用した箇所以外の文責が全て執筆者本人に帰される研究世界への敬意を表するからこそであった。昔、中川の下で学んでいた大学時代にも、こんな風によく、英語で研究論文の下書きや清書をしたことが思い出される。その記憶自体はどこまでも懐かしく暖かいものであり、後に起きてしまった一連の痛ましい出来事に根差す多くの感情を優しい手触りでそっと眠らせてくれるのだった。
キッチンへ姿を消していた石川が、コーヒーを淹れて戻ってきた。キーボード左側にある空きスペースへ、司馬用のマグカップを置く。
壁際に寄せてあったもう一脚の椅子を移動させてくると、石川は司馬の右側に陣取った。
座っているのはハーマンミラー社のアーゴン2チェアで、元々は石川がカンザスから持ち帰ったものだ。シンプルな美しさの際立つこの椅子は機能面でも遜色のない一級品であり、前から石川のお気に入りだったのだが、ここへ司馬がよく来るようになってから、石川はもう一脚を彼の為に買い求めていた。人間工学へ基づいて設計されたシーティングが司馬の身体にもよく馴染み、これに腰掛けていると、二人してそこそこ長時間、モニタを見ていても、背中や腰を痛めるようなことにはならないのだった。
自分用に淹れたマグカップの中身を啜りながら、石川は、本日かなりハードな残業をこなしてきている筈の同僚へ、さり気なく問いかけた。
「食事―――ちゃんと、したんだろうね?」
「あのあと、もう1件、オペさせられたから、な」
「ええ?!」
画面から目を逸らさぬままで司馬が返してきた言葉が、石川の眉を大きく顰めさせた。自分の質問へ正面から答えないのは性格が拗くれているせいだけでなく、時として後ろめたさや気不味さを包み隠す為なのだと薄々石川にも判るようになってきているが、今宵、第一外科の面々に何がどう降りかかったのか興味が湧いたので、矛先のずらされた会話へそのまま乗っかることにした。
「って、里村主任のオペ、先に終わったんじゃ、なかったのかい?」
「アッチは急遽、術式変更。で、前野先生もアッチに、取られた―――」
微かな疲れの滲む声色が、少しく痛ましい。
元々、司馬の勤務は通常の日勤だった。自分が退ける間際に救急センターへ搬送されてきた急患三名のうち、一番緊急性の高かったクランケの手術が司馬に、続く一名は当直医の峰春美へ、最後の一名を、司馬がオペ室へ籠る少し前から執刀していた里村か、病棟回診中の前野健次か―――どちらか早く上がってきた方に受け持たせようと、救急医の橋本巌が算段をつけていたところまでは、石川の記憶とも合致している。
しかしその後、一息入れていた橋本の許へ、回診業務を終えたばかりの前野が実に残念な知らせを持ってやってきた。里村が開腹したクランケに想定数以上の患部が見つかった為、外科部長命令で、これより前野も第一手術室のヘルプへ廻されるという。それはつまり、里村達の手術時間は間違いなく長引く、ということだ。慌てた橋本は、麻酔科へ走った。本日当直の大槻沢子へ窮状を相談すると、切れ者の彼女は困り果てていた救急医へ、司馬からしてみれば実に腹立たしい助言を与えやがったのだ。
「クランケを目の前にすれば、必ず、動きますよ。だって、ドクターなんですから」
そうして、司馬の執刀が終わるのを今か今かと待ち構えていた橋本と沢子により、救急センターへ引っ張られていった不運な男は、結局、最後の患者をも担当させられるという憂き目に遭わされたのだった。里村と前野で術式を立て直して臨んだ手術の方も無事に終わったが、それは司馬が本日最後の執刀を終えた少し後のことだったらしい。
そこまで聞くと、石川は本来の質問を蒸し返した。
「で、食事は?」
「・・・麻酔科が備蓄してたカップ麺で、済ませた」
石川の目が三角になった。気配で小言の襲来を予見した司馬は、相変わらす視線を合わせないようにしつつ、さっさと白旗を上げることにした。
「明日、オフだし―――ちゃんと食う、から」
「そんなの、当たり前だろッ」
憮然とした面持ちで唇を引き結んだ隣の男が、自分の食生活を心配してくれているのは、司馬にもよく判っている。
闘病中の石川とは異なり、健康体のこちらへは、結構な数の夜勤が回ってくるし予定外のオペも傍若無人な勢いで割り振られてくる。医者本人が倒れたのではシャレにならないと常日頃、気を配っているつもりでも、急患対応や緊急オペが続けば、どうしても食生活へ皺寄せがいってしまう。
医食同源という言葉が示すように、口から摂る食物がその人物の血肉を作る礎となり、体調だけでなく延いては精神状態にまで影響を及ぼすのである。栄養バランスを考慮した三食の必要性はもちろん、幼い頃から口にしてきた味への郷愁やそれらに纏わる思い出など、『食』が多くの世人にとって最も重要な生活面であるのは揺るがない現実なのだ。大学時代を外地で過ごし、日本食が恋しくなる度に自分でキッチンへ立ってきた石川は、それを人一倍よく判っていただろう。そして、ボールマンW型アドバンステージのスキルスの所為で胃を全摘出させられた彼が、今まで以上に食生活へ気を配るようになったのは自明の理で、更に、己より遙かに多忙な司馬の食事事情について気を揉み出したのもまた、当然の帰結だった。
比較的早い時間にこの家へ来られた時には、日中、摂取できていない栄養素を考慮した幾つかの皿が、司馬へ饗される。石川の作る料理はシンプルで胃に優しいものが多く、何かと外食が多くなりがちな司馬にも今やそれらが心身を共に満たし癒してくれる味となりつつあった。そして、他人の目を気にしないで済む二人きりの空間での食事は、日頃、互いに職場では纏わざるを得ない外面から解放されてリラックスできる貴重な時間ともなっていった。だからもっと多く石川の家で食事したい、という気持ちは司馬にも当然あるのだが―――いくら胃に負担が少ないメニューでも、こんな遅い時間に摂れば、消化器系へ悪影響を与えかねない。石川にもそれがよく解っているからこそ、今日の司馬の夕食がジャンクフードだけで終わることへの苦言を我慢しようとしているに違いなかった。
大人しくなった隣の様子を気にかけながら、時折、コーヒーを飲み、司馬はキーボードを叩き続けた。結びの一文を入力し終えたドキュメント自体をいったんセーブすると、少し上背を引いて背凭れへ上体を押し付け、右側から覗き込み易いよう場所を空ける。
「こんなんで、どうだ?」
司馬の問いかけを受けて、すぐ脇に控えていた顔がモニタの方へ向き直る。上から下へと視線が動いて、内容を検分し始めた。
「う・・・ん、よく書けてると、思う」
司馬の書き上げたドラフトは、石川を素直に感心させた。書式もきちんと踏まえてあったし、簡潔に解りやすくまとめられた考察からは書き手の持つ高い知性が伺えて、それらはみな、中川へ師事した司馬が優秀な研究者の卵であった昔日を彷彿とさせていた。おそらく己が書くものも似たような出来上がりとなる筈で、治療方針の策定にクランケ側の私的事情を踏まえるのが必須となる『臨床』を度外視すればこうしてほぼ同じような考察を持ち得る自分達の『現在』が、石川の心に、運命の不思議な巡り合わせを覚えさせる。
やっぱりきみは、僕が知ってる中で最高のドクターだ。技術面でも他の面でも、たぶん―――
天才と賞賛されるオペ技術はともかく、心の裡に秘められた、患者を救おうとする強い意志の方は、その行動を注意深く観察していて初めて解ることかもしれない。右腕を撃たれてまで司馬が庇った患者は俗に"チンピラ"と蔑まれるカテゴリへ属していたし、一年以上前、術後のリハビリも含めて親身に面倒をみていた患者の方は年金暮らしの老人だった。今まで散々叩かれてきた『金払いの良さと世間からの注目度で患者を選ぶ打算的な医者』という陰口がまるでそぐわないのはこの二例だけでも瞭然なのだが、何分、『天真楼病院一の性悪外科医』として君臨していた実績があり過ぎて、悪評は一向に覆らないままだ。そして何よりも、司馬本人が己の評判を全く気にかけていないことが、石川には勿体無くてしかたがなかった。
違う!!! きみは本当は、そんな人間じゃないのに!
彼が天真楼へ戻ってきたばかりの頃、自分達の上には『冠状動脈肺動脈起始症オペの成功』という大命題がのしかかっていて、瑣末なことへ気を留めるどころではなかった。それでも、オットー製薬が用立てた金の是非を問い質したり、理事長と司馬とで示し合わされたらしい政治的な駆け引きの中身を詮索したりして、心に憤懣を抱えていた石川だったが、結果的に差し止められた記事の存在を知った時、その心中へはやるせない想いがこみ上げてきて堪らなくなっていた。司馬が何を考えて事を運んだのか、どんな決意を以てあの手術に挑んだのか、そして―――こうも尽くす孝行息子を持ち得ている上司へ、羨望と少しの嫉妬を感じた。
その中川から昔、諭された時の記憶が甦る。
「人間、思い込みや決めつけに囚われ過ぎると、意外に目が曇るもんです。世の中、見えてるものばかりが真実じゃないですから―――大事なものを見誤らないようにしませんとねぇ」
掴み所のない飄々とした部長先生は、他の誰よりも、司馬の本性を知っている人物だ。ひねくれる前の、おそらく素直で純真だった彼とも多くの時間を過ごしていた父親のような男からすれば、司馬という人間が表出させている偽悪的な態度へ惑わされたりしないのかもしれない。尤も、今でも時々は、司馬のやる事に顔を顰めているようではあるが。
相手の考え方や行動、全てをひっくるめて許容できること―――そんな境地へ至れるかどうか甚だ心許ない自分は、少しでも素行を改めてくれないかと、度々、司馬へ詰め寄ってしまい、ひどく煩がられている。だが、彼が隠し続けている数多の良い面をもっと沢山の人に解ってもらいたいという、至極真っ当な気持ちを石川はまだまだ諦められそうになかった。
本当に・・・悪いのは外面だけ、なんだよなあ・・・
そのまま視線を左に向けた石川の意識へ、端正な横顔が飛び込んでくる。
外で見せている厳しい風情をほんの少しだけ緩めた司馬の姿態は、今までにも何度となく目にしてきている筈で、見慣れたといってもいい。にも拘わらず、間近にした途端、石川の心拍数は極限まで跳ね上させられ、胸の奥が恋しさと切なさで一杯になってしまう。
(もう・・・我慢、できない―――)
気付けば、アーゴン2の背に押し付けられていた肩へ手を廻していた。
軽く上半身を捩った石川が、ほぼ真横から、司馬の唇を塞ぐ。
一瞬、怯んだその舌をすぐさま絡め取り口腔を弄ると、即座に反応が返ってくる。互いを蹂躙する舌の動きは、二人の裡で燻る熱を徐々に高ぶらせ、抜き差しならぬ事態へと追い込みはじめる。
体内のどこかで一際強い痺れが走り抜けた感触を得てやっと、石川は司馬の唇を解放した。
「・・・ッ、返事・・・書くんじゃ、なかった・・・のか?」
少しく呼吸を乱された司馬が、咎めるような科白を発した。しかしその声音には寧ろ相手を気遣う気配が感じられ、石川へ安堵と暖かさを伝えてくる。更に強く隣の身体を抱き寄せて、火照り始めた耳朶へ唇を這わせながら、石川が訴えた。
「きみが、そんな顔するから・・・いけないんだ」
黙ったまま、司馬は目を瞑った。伏せられた長い睫毛がその頬の上へ微かな陰を描いて、この後のことは全て了承済みだから、とサインを寄越してきたかのようだ。石川が再び口付けると、今度は司馬の方から舌を絡ませてくる。
繰り返し交わされるキスは、司馬と石川の、重なり合う恋情とその裏で息を潜めていた欲情をあっさりと官能の炎で包み込んでゆく。息ができなくなるほどの高揚感と蕩けるような幸慶が、二人を雁字搦めにする。日中は限りなく抑圧されている互いへの想いはとめどなく溢れんばかりとなり、解放までのカウントダウンを刻み始めた。
首筋をなぞって下降してきた石川の指により、第二ボタンを外されたことに気付いた司馬が、今度ははっきりと咎め立てした。
「おい・・・ここで、する気か?」
「まさか」
軽く首を左右に振ると、石川は苦笑した。一度、我慢出来ずにリビングのソファの上で行為へ及んでしまい、いろいろと後始末が大変だった記憶は、あまり思い出したくない過去なのだ。その愚行は、二度とベッド以外の場所で『してはならない』という禁止事項を恋人達の理性へくっきりと刻み込んで久しかった。
「ね、江太郎・・・いいだろ・・・?」
石川から遠慮がちに切り出される其の一言が司馬の神経をじわじわと犯して、甘美な滴りを沁み込ませてゆく。こうなったら最後、選択肢はただ一つに絞られ、身も心も本能の求める何かへ従うしかなくなるのだ。それは今までの体験から互いが否応なく会得させられた真理であり、そうした方が後々辛くならないですむということも重ねて実感してきているからでもあった。
椅子から腰を上げた司馬が石川の手を取る。それを合図に石川が司馬の身体を引き寄せ、己の腕の中へと抱き留める。
数十センチの距離を移動した二人は、抱き合ったままでシーツの海へダイブした。



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すいません…どこで切ったらいいか判らなくなって、ここまで入れてますが、後編トップが…あわわわわ(爆死)
とりあえず、次を読んでください。いろいろ、申し訳ありません…