夜明けは沈黙のなかへ  後編





イキナリですが、この部分は大人のお話(笑)ですので、裏ぺえじに置いてあります。
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白々としていた夜明け前の街並みが、東の空から射す光で徐々に彩色されてゆく。刻一刻と明るさを増す空の色は、闇黒の深遠な淵を薄めていずれ消し去ろうとし、街の起床を促し始める。この部屋でも、あれほどの愉楽と享福に溢れた一夜は少し前に沈黙の中へ追いやられ、いつもの朝が素知らぬ顔で訪れようとしていた。
身じろぎした石川は、隣で眠る恋人の目を覚まさせないよう注意しつつ、ベッドで上体を起こした。微かに寝息をたてているだけの司馬の寝姿は、昨夜の嬌艶な姿態を微塵も想像させない。それでも、呼吸に合わせて漏れる吐息が、抱く度に惜しげもなく曝される色香を思い起こさせて、石川の心を暖かくも甘く切ない記憶へ浸らせる。
薄く瞼を上げた司馬が、一度二度と強く瞑ってから石川の方へ向き直った。やっと、目を覚ましたようだ。
「―――ん・・・」
「おはよう」
自分の挨拶へ返事をする代わりのように朝のキスを強請られ、石川は顔を少し落として司馬へ軽く口付けた。そのまま舌を差し入れたくなる欲求を懸命に抑える。互いに全裸の今の状態でそんなことをしようものなら、双方の下半身へ限りなくやっかいな反応が顕れる未来を危惧してのことだった。
ブランケットの上に投げ出されていた司馬の左手へ自分の右手を絡ませ、石川が訊いた。
「きみ、今日この後、どうするの」
「帰るよ―――トーゼン」
ゆるりと顔を戻した司馬は、物憂げな表情で天井を見遣った。
少しは片付けないと、と呟かれて、一昨日、司馬の部屋で過ごした夜を思い返す。
或る静脈瘤症例に於けるバイパス術の最適解と最小負荷の接地点を求める為、過去例や研究書を検める必要を感じた二人は、医学書と症例ノートを読み込もうとして司馬宅へ籠っていたのだが―――志半ばでいつもの如く、ベッドへと移動してしまったのだ。そして昨日の朝はギリギリまで互いを手放せなかったことも災いして、二人揃って司馬の部屋を出た時には既に遅刻寸前だった。
拡げっぱなしの書籍類が散乱したままの机上の光景を脳内へありありと甦らせてしまい、石川の顔にもきまり悪げな表情が浮かぶ。
怠そうにしている隣の様子を少し気にしながら、石川は司馬を見返した。
「もう少し、寝ていけば?」
言われなくても、そうする―――と、鳶色の瞳が石川を睨み据えた。
「少しは、加減しろ・・・って、何回いえば、判るんだ? おまえは」
「そんなこと、いわれても・・・」
だって、きみが悪いんじゃないか―――と言い返しそうになり、すんでの所でそれを思い止まった石川は、困ったように目をしばたたかせた。全く、こっちの身にもなってもらいたい。腕の中であんな反応をされた上に最大級の色気を振り撒かれて、斯様な状況下でも冷静に振る舞えというのがそもそも無理難題だ。今までだって、何処かに吹っ飛んだ理性の行き先を気にする間もなく本能の赴くまま突っ走るしかなくなって、己を抑えられずに事を終えるのが常なのだから。しかし、そういった実態を白状したところで、司馬の機嫌が損なわれるだけなのは目に見えている。今日、通常勤務の自分としては、朝から一悶着起こしたくないという心理が働き、それが石川の立場を果てしなく弱くしていた。
まだ不服げな顔でこちらを見上げていた司馬が、身体を軽く捩って、右手を伸ばしてきた。少し骨張った指が石川の頬に触れ、愛おしむように撫で擦る。
「今日、早いんだろ?」
「うん―――そろそろ、仕度しなきゃ・・・」
「ホラ・・・もう、起きろ」
表情を和らげた司馬から宥めるように言われて、石川も不承不承ベッドから抜け出す決意を固めた。
いつもならこの後、軽くシャワーを浴びて身辺を整え、二人一緒に朝食を摂るのが平時のルーティーンなのだが、今朝は少々事情が違っていた。本日、予定されている外科部長主催の早朝勉強会 兼 朝食会へ出席する石川は、朝の食事をその席上ですることになっていたからである。
元々は、多忙な天真楼病院外科のスタッフ各人が得ている貴重な経験や事例を横展開してもらうことで医療従事者としての更なる研鑽を積ませ、あわよくば外科全体の底上げを図ろう、という外科部長の『思いつき』の域を出ない企図から始まった会だった。一般的に、昼前から忙しさが増大してゆく総合病院に於いて、皆の疲労度が少なく比較的人数も揃いやすい時間帯といえば午前中の早い段階、つまり朝方となる。それで、朝一番に頭の体操も兼ねた学習行為で脳を覚醒させ、続けて朝食を共にすれば親睦も兼ねられる、と一見、一石二鳥に思えて外聞も良さげな会合は、部長権限で既存の会議体へもとっとと割り込まされた。しかしこの会が目的通りに機能したのは最初の一、二回だけで、直ぐに飽きたらしい中川は、以降の開催計画と進行役も含めた運用を里村へ丸投げしてしまった。部長の性格から考えて、そう長いこと熱意が続かないだろうと踏んでいた司馬は、ちなみに一回も出席していない。
面倒事を押しつけられた里村は、当初こそ表掲目的を踏まえた開催を心掛けようとして腐心したが、いつの間にか、会の重点を勉強よりも朝食の方へとスライドさせ、また、本来業務を邪魔しないような間隔―――月に一回あるかないかというところ―――での開催日を設けることへ成功していた。そしてそれは(この程度なら負担にならないし朝飯も食えるし、まあ、出席してもいいかな・・・)という皆の心理といい具合にマッチして、今日まで続いている。原則、出席対象者は外科スタッフ全員である為、石川は司馬にも参加するよう要請してみたのだが、案の定、拒否されて終わってしまった。
バスルームで寝汗を流し髭剃りを済ませた後、キッチンへ入った石川は、司馬の朝食にできそうなものを物色した。昨日から用意してあった惣菜類や買い置きしている乳製品等を組み合わせ、冷蔵庫の上段、右手前側へそれらをまとめておいた。
寝室に戻って今日着る予定の衣類をクローゼットから見繕うと、石川はすぐ脇にある全身鏡の前に立って着替えだした。Yシャツに袖を通し、ネクタイを結びながら、後方でうつらうつらしている司馬へ声をかける。
「夜、また、来るだろ?」
「・・・返事、書き終わってないし、な」
この答え方が司馬らしくもあるのだが―――つい、失笑しそうになるのを石川は懸命にこらえていた。
昨晩、司馬が書いていたドラフトは、二人が情事へ移行する前に文書保存された筈だった。もちろん、いったん書き終えたと思った文章でも少し経つと手を入れたくなったりするのは、提出前の試作を手中に抱える凡そ全ての執筆者が折々に感じることではあるのだが、かなり完成度の高かったあの下書きへ更に付け加えるとしても一行か二行、せいぜい幾つか単語を入れ替えるのがいいところだ。そして司馬の性格からしたら、そんな枝葉末節には拘らない筈だった。
本当に文責を問われる自身の論文執筆ならば司馬も決して手抜きはしないだろうが、たかだか友人の博士へ返すメールの本文、それも専門外の医者が綴る意見である。一言一句を気にしてまで推敲を重ねる類の文章でないことは確かだった。だから、今夜もこの部屋を訪ねることへの照れくささを表に出せない恋人が、言い訳として持ち出した口実で建前をなんとか取り繕った、というのが石川の見立てで、それは正にその通りだったのだ。
ほんっとに、素直じゃないなよぁ、きみって・・・
そういう天邪鬼な性質ですら可愛いと思えるようになってきている、自身の変遷を当たり前に受け止めながらも、こうして司馬一人をこの部屋へ置いて出ていかなければならない今日の現実が、やはり石川には恨めしい。
「休み――― 一緒に、取れるといいのに・・・」
本音がつい、漏れた。間髪入れず、背後から冷静な声が返ってくる。
「ま、ムリ、だな」
同じ病院の同じ科で勤務している外科医同士なのだ。年初に二人が学会へ行かせてもらえたのは例外中の例外で、もう二度と、石川と司馬が揃って第一外科を空けるような勤怠が認められることはないだろう。
「判ってる・・・けど」
諦めが悪いのは、今に始まったことではない。自分でも、しつこい性格だという自覚はあるのだが、こと司馬が絡むとなると吃驚するほどの欲が出てしまって、石川自身もそんな己に呆れ気味だった。
いつか再び、二人して同日に休みを取れるような奇蹟が起こり得るだうか。
どちらかの部屋で終日、二人きりで過ごせるような幸運が、僕達へ与えられたりするだろうか。
考えても詮ないことを頭の中から追い出し、カフスを嵌め終えると、石川はベッドでまだ微睡んでいる司馬の許へ戻った。すっきり目覚めたとはいい難い様子を前にして、(昨夜は無理させちゃったな・・・)という後悔が少しだけ湧き上がる。それでもそうなる原因の大部分は、これほどまでに自分を耽溺させる司馬本人にあるのだから、と大して反省していないあたりが石川の図太さと頑固さでもあった。
今だ横になったまま、組んだ両腕を頚の下に差し入れて顔だけを少し起こした司馬が、こちらを見上げてきていた。
極力、説教めいて聞こえないようにと心を砕きながら、石川が告げた。
「朝食、冷蔵庫にあるから―――ちゃんと、食べてよ」
司馬の眼が暖かな影を宿す。斜めに差し込んでくる光の中で、やや色味を濃くした唇がゆっくりと動いた。
「おまえも、な」
ベッド脇に屈んだ石川は、気怠そうにしている司馬の唇へ自分のそれを重ねた。軽くキスするだけ、という決意も虚しく、舌が勝手に動いて歯列を割り、司馬の舌を強引に絡め取る。あっという間に深く濃厚な口付けへと取って代わられ、体内の最奥でやっと眠りにつこうとしていた強烈で身勝手な愛情を再び叩き起こさんとし始めた。そうなる前に、と無理にも唇を引いた石川へ、司馬が軽く啄むようなキスを返した。
自分達は、触れ合ってしまったら最後、行き着くところまで行かないと互いの熱を収められない。それも大概、一回では済まないあたりが浅ましくもあるのだが。相手への強すぎる欲心が二人を何処へ連れていこうとしているのか、今以て五里霧中だった。
だが、隣にいるのが石川で手を携えているのが司馬であれば何の不安も怖れも無いと、司馬も石川も確信していた。共にいる相手が自分達二人であるのなら、おそらく、どこまででも歩いてゆけるだろう。そう、司馬と石川とは、互いに認め合った特別な、運命の相手―――永遠の相棒なのだから。
彼の大きな魅力の一つである艶めかしい肌へ指を這わせた石川は司馬の頬をそっと撫でながら、名残惜しげに呟いた。
「行ってくる」
「・・・ン―――」
いつも通りの愛想無い返事とは裏腹に、朝の柔らかな日射しを受けて、司馬が艶然と微笑んだ。その姿は昨夜の歓適に満ち溢れた記憶を重ねて、石川の意識へしっかりと縫い留められた。

今日、日勤の恋人が後手に閉めていったドアは小さく音を立てて、この空間を心落ち着く密室へと変貌させる。
少しばかり燻っている下半身の痛みに幸せな余韻を感じながら、まだ色濃く留まっている石川の残り香に包まれて、司馬はうっとりと目を瞑った。

(2022/9/10)


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ナント21年ぶり(!)の『振り奴』話、脱稿です。約三週間前、突然、司馬と石川の科白が(裏ぺぇじ分も込みで・笑)降ってきました。ああ、驚いた…何で、このタイミングだったんだろう―――その結果、二人に書かされた甘甘な話がコレでして……まあ、相変わらず幸せそうなので、いいんじゃないでしょーか(笑)
実は、科白部分は殆ど、手直ししていません。書いている途中で追加した科白は表と裏で一つづつありますが……ちなみに、表での追加分は、沢子の科白です。裏の方は…結構、キーになる言葉が後から出てきて、焦りました。気になる方は、裏の言い訳をお読みください(爆)
ところで、この話も含めた舞台設定は
199394年辺りです。スマホの影形すら無く、個人でPCを持つのもなかなかハードルが高い時代で、友達のPC(に登録されているメールアドレス)を借りて送信したりすることが、割とありました。当世事情を鑑みても、セキュリティは、今とは比較しようがないほど緩かったです。
文中で言及している"アーゴン
2チェア"はハーマンミラー社が1988年に発表したシリーズ製品の一つです。人間工学に基づいた椅子造りのコンセプトは後のアーロンチェアへと引き継がれました。今だったら、石川はセイルチェアとか使ってそうですね。
あまりに久しぶりすぎるので、ここからチョット、駄作との関連説明などを(爆)
ビーソン
Jr.は『僕の大切なひとだから』10話で出しましたが、『天使が隣で眠る夜』完結後の話で司馬と直接、顔を合わせます。石川から紹介された司馬を早々に認めた彼は、司馬のことを親しみを込めて"コウ"(江)と呼ぶようになりました←早く話、書けよ(殴)
"チンピラ"患者は『降り奴
SP』の段田安則さん、年金暮らしの老人患者は山崎の爺様です。※『僕の大切なひとだから』4話・『天使が隣で眠る夜』5話を参照のこと
"差し止められた記事"のエピソードは『天使が隣で眠る夜』の中で書かれる予定です。
里ちゃんが多大な迷惑を被った"早朝勉強会 兼 朝食会"はウチの中川センセならではの発想ですかね〜 所詮、ウチのは"のほほんオヤジ中川"ですんで(爆) まあ、司馬には性格、見抜かれてますが(大笑)
タイトルは、とあるアルバムの
1曲目からいただきました。歌詞聞かないヤツなので詩からは全くインスピレーション得てないですが、前編の全シーンのBGMとして、この曲がずっと流れていた感じです。