彼氏彼女の事情  4




Act.4  室井 慎次

東京テレポート駅に降り立った時から、今日は何か空気が違うような気がしていた。
暖かな陽気が肌に気持ち良く、造成計画も途中で投げ出された空き地だらけの風景を目にしながら、通い慣れた道を湾岸署目指して歩き出す。こんな穏やかな午後でも困っている市民からの通報を受ければ、刑事課の人間は大急ぎで現場に向かい、被害者の為に心を砕いているに違いない。
多分、今日も青島には逢えないだろう―――
ここのところ青島も自分も忙しく、二人でゆっくりと顔を合わせる時間を取ることがなかなか出来ないでいる。夜、官舎に帰って留守電に残されている青島のメッセージを聞きながら、軽く寝酒を嗜むのが習慣のようになってしまった。
留守電に残すのは当たり障りの無い、当日の出来事の報告だけと決めている。本当は睦言の一つや二つ吹き込んで、逢えない時間の埋め合わせにでもしたいところだが、二人して公安はもちろん密偵にも見張られている身だ―――下手な証拠は残さないに限る、ということで友人同士として当たり前に交わすのに相応しい科白だけを選ぶことにしたのだ。それに「逢いたい」などと言葉を残したら最後、それを吹き込んだ方も聞いた方も本当に逢いたくてたまらなくなってしまう。そうなるのが判っているから、お互いにその手のメッセージを残すのを止めたというのが、実は一番大きな理由だった。
時刻は14時を少しまわったところである。数日間にわたって好天気が続いているとはいえ、本当に絶好の日和だ。雲一つ無い空がどこまでも続いていて、更地ばかりが目につく地上の風景と不思議なコントラストを成している。
今日、湾岸署に捜しに行く捜査資料は全部で5件―――何れも来週からの東北出張の為に必要なものばかりである。刑事局の部下が「お供しましょう」と一応声をかけてきたが、いつもの如くやんわりと辞退した。参事官という役職上、何処へ行くにも部下を引き連れて行くことが多い分、所轄へ資料捜しに出向く時くらいは一人で行動して息抜きしたいからだ。それに、出向く場所が湾岸署なら尚更だった。
そうはいっても、署内で青島と顔を合わせようとは思っていない―――というより、会えると思っていないというべきだろうか。もちろん、暴れる被疑者と格闘したり正しいことを貫くため上に盾突いたりして、身体と心の両方に度々掠り傷を作っているに違いない無鉄砲なあいつのことは心配だし、元気にやっている姿を一目見たいと思うが、青島が現場で被疑者逮捕と被害者救助の為に日夜奔走していることはよく判っている。だから私も、さっさと資料を捜して帰る。そして青島との『約束』を守る為に、自分の職場へ戻って己の仕事を黙々とこなすことにしている。
視界に入ってきた建物のポーチにある『警視庁湾岸署』の文字を振り仰ぐ。外に立っていた、私と同郷だという警官に軽く頷いて玄関ホールへと足を踏み入れた。
「室井参事官、あの、本日はどちらへ?」
立ち番をしていた筈の警官が、追いかけてきた。毎度のことである。
「捜査資料を捜しに来ました。刑事課で資料室の鍵を借ります」
今まで何度も上り下りしている階段を辿りつつ、こちらもいつもと同じ返答をする。なるべく早く刑事課長席へ行き、鍵を借りねばならない。もたもたしていると、後方からついてくる彼が署長と副署長を呼んできてしまう。
そして二階の刑事部屋に入った途端、あまたの視線が私に向けられ―――その中には青島の姿もあった。
普段のこの時間なら、部屋に残っているのは一人か二人、それも新たな事件通報があればすぐさま外に飛び出して行く―――いつ来ても閑散としていた状態に慣れていたせいか軽い驚きを感じた。そして、室内を一瞥した私は、眼帯をした青島の顔に更に驚かされることとなった。
青島―――その顔、一体どうしたんだ? 昨日の留守電ではそんな話、聞いていないぞ・・・
私と目を合わせた青島の顔に、バツの悪そうな表情が浮かぶ。本当はすぐさま傍に行って詳しい話を聞きたいところだが、この衆人環境では叶わぬことである。
どうにかして二人になれないものか・・・などと考えていたせいで、今日は署長・副署長・課長の三人組にがっしりと捕まってしまった。接待してくれようとする気持ちは有難いのだが、私とて暇ではない。出来るだけ早く捜し物を済ませて、刑事局へ戻らねばならないのだ。
苛々しながら三人組に受け答えしていると、署長がなんと青島に私を送らせると言い出した。青島がその業務命令を嬉しそうな声で受けたが、片目でだけの運転も然ることながら睡眠副作用のある鎮痛剤を服用している事実が判明して、敢えなく立ち消えとなった。私としては二人で話すには丁度いいと思ったものの、そんな状態の青島を運転手として使う気は毛頭無いので寧ろ良かったのだが。
それでもまだ帰りの車を手配しようとしている三人組に辟易しながらも辛うじてこの状況をこらえているところへ、恩田巡査部長が資料室の鍵を持ってきてくれた。おまけに彼女の一声で青島が資料捜しを手伝ってくれることになり、私は刑事部屋を出て、これ以上引き止められないうちにと資料室へ向かった。後ろから走ってきた青島が、すぐに私に追いついた。
私達は並んで階段を上り、黙って廊下を歩いた。資料室の前まで来ると、青島が私に向かって右手を差し出した。その、自分の手よりも一回り大きな掌に資料室の鍵を乗せる。青島が無言でドアの鍵を開け、私達は薄暗い室内へと滑り込んだ。
本棚の林立する狭い通路を縫って、窓際の作業机がある場所まで一気に移動する。鞄と上着をその上に投げ出してから振り向くと、私は薄暗い資料室をバックにして立っている青島の顔を覗き込んだ。差し込む午後の陽射しを受けた褐色の肌に白い眼帯がくっきりと浮かび上がり、その彫像のような美しさに息を呑む。
なめらかな肌に手を触れたいと思う欲求を必死に抑えて、訊いた。
「どうしたんだ、その左目―――昨日、電話では何も言ってなかったじゃないか」
咎めているような声にならないようにと、そればかりに神経が集中する。青島はいつもの癖で頭を軽く掻いた後、小声で答えた。
「あの、たいしたコトじゃないんスよ、コレ・・・ものもらいですから」
「ものもらい?」
「ええ。おととい看てくれた医者がヤブで、症状見抜けなくって―――で、ヒドくなっちゃったんスよね」
昨日行った眼科ではきちんとした診察を受けることが出来、現在、薬を服用しているものの、体調には何ら問題は無いのだという。一通りの経緯を聞いた私は漸く安堵したが、先程刑事課長が言っていたことが気にかかった。
「だが三日前、被疑者連行中に殴られたんだろう?」
「あ、ソッチも、たいしたコトじゃなくて―――魚住さんも殴られたんだけど、もう大分腫れ引いてるから。多分、俺のも・・・ちょっ、ちょっと、室井さん?」
もう、私は我慢できなくなっていた。青島の顔に手を伸ばし、自分の方へと引き寄せる。職務中に起きたやむを得ないことや病気だから仕方ないとはいえ、愛しい男の顔がこんなに傷ついているというのは、やはり見ていて辛い。
そっと眼帯の周りに指を這わせた。されるがままになっていた青島が小さく顔を顰める。
「・・・痛いのか?」
「ん・・・瞬きすると、まだ、ちょっと・・・」
確か、鎮痛剤を飲んでいると言っていたが、たかがものもらいでそんなにひどい症状になるとは知らなかった。私の中に不安が渦巻く。
「ちょっと、眼帯外して、見せてみろ」
「―――ヤですよ!!」
無事な方の右目が驚いたように見開かれ、はっきりとした拒絶が返ってきた。青島の頬に手をそえたまま、出来るだけ優しく囁く。
「どうして?」
「って、どうしてって・・・」
何かを躊躇うように、青島が視線を逸らした。私は黙ったまま、揺れ動いている青島の心が紡ぎ出す言葉を待つ。
「だって・・・凄く、腫れてるから・・・こんな、みっともない顔、室井さんに見せたくないっすよ・・・」
「別に、私は気にしないぞ」
「俺が、気にするの!」
拗ねたような声が私の耳に甘く沁み込んできた。青島がプイと顔を横に向け、消え入りそうな声で続けた。
「やっぱ、ヤですよ。好きな人にヒドい顔見られるの・・・そりゃ、普段だってそんなにイイ顔な訳じゃないけど・・・」
目の前の恋人が恥じらう様子をあまりに愛しく感じて、自分の頬が自然と緩むのを感じる。私の表情の変化を別の意味に読み取ったらしい青島が、抗議めいた声を出した。
「あの・・・ホントにヒドい腫れなんスからね! 百年の恋も目が醒めるってヤツ―――」
自分で言って不安になったのか(しまった・・・)というように顔を強張らせた青島を見た途端、思わず私はその身体を抱き寄せていた。左目に障らないようにと己の右肩に頭部を預けさせて、そっと柔らかい髪を撫でる。
「別にお前がどんな顔していようが、俺は気にしない。そりゃあ、お前の顔は気に入っているからいつかは直ってもらわないと困るが・・・」
「室井さん・・・」
「顔にだけ惚れた訳じゃないからな。俺にとっては、お前という存在の全てが大切、なんだ・・・」
青島が私の肩から顔を上げると、いきなり口付けてきた。頭の中の何処かから軽く触れるだけにしておけという警告が発せられたが何の効き目も無かったようで、すぐさまお互いに舌を熱く絡め合った。息を継ぐ間も惜しんでひたすらに感触を確かめ合い、身体の奥が疼くような快感に身を任せる。
随分と長いキスだったように思う。どちらからともなく唇を離して顔を見合わせると、自然に笑みが零れた。
「ったく、お前という奴は―――まだ、勤務時間中だろうが」
緩んだ顔のまま叱責したところで迫力無い事この上ないだろうが、一応年長者としてのけじめがあるので言葉に出しておく。青島も悪戯をした子供のような表情で、言い返してきた。
「室井さんがいけないんスよ。あんな殺し文句で俺の心臓、ブチ抜くようなことするから・・・」
まだ、互いの身体に腕をまわしたままである。このままでは更なる欲望が頭を擡げてくるに相違ないことは二人ともよく判っているのだが、名残惜しくて離れることが出来ないでいたその時、資料室のドアの外側から何やら私達を呼ばわる気配がした。
「―――失礼しまーす。お茶とお菓子、持ってきましたー」
青島が素早く私から離れて、入り口の方へと向かう。
ここの名物(?)であるレインボー最中とお茶道具一式を乗せた盆を両手で抱えて入ってきたのは、真下警部だった。その後ろから電気ポットを手に提げた青島が戻ってくる。
盆から作業机にそれらを移しかえると、真下警部が真正面からこう切り出してきた。
「あの、室井さん。僕もお手伝いしましょうか?」
挑むようなその瞳が、青島への想いを諦める気がないことを私に向かってはっきりと宣言している。
「今日、全然事件通報無くて、ヒマなんです」
無言のまま睨み合っている私達の間に、青島が割って入った。
「お前ね、待機も仕事のウチだろーが? 俺は通報があったって外に出られないけど、お前は違うでしょ?」
青島の言葉に触発されて、私は尤もらしい理屈を持ち出した。
「真下警部。気持ちは有難いが、私は青島君をお借りしていること自体、申し訳ないと思っている。こうしている間にも、入電があったらと思うと―――この上、君にまで私の作業を手伝わせる訳には・・・」
皆まで言うよりも前に、青島が私の言葉を奪い取った。
「ホラ、戻った戻った。いくらヒマでも、お前までココにいて、後で課長に怒られても知らないよ?」
「わっかりましたよ、もう・・・先輩のケチ」
「ちょっと、なんで俺がケチなの?」
不満そうな顔をしながらも青島本人に言われてはどうしようもないと思ったのか、真下警部は資料室を出ていった。それでもドアのところまで青島を引っ張っていき、何か話していたようだったが。
入り口から引き返してきた青島が、私の顔を見て何やら秘密めいた微笑みを見せた。
「室井さん。捜す資料、5件って言ってましたよね?」
「ああ」
「とりあえず、先に済ませちゃいましょ、ソレ」
先にって―――どういう意味だ?
青島は私の渡したメモを片手に、次々と棚から資料を拾い出し、短時間のうちに目的のものを全て取り揃えてくれた。部屋の一角にある複写機で必要な部分をコピーし、鞄の中へと収める。本当ならこれでもう湾岸署での用事は済んだのだが・・・考えてみれば久しく逢っていなかったのだ。顔を見れば触れたくなり、触れ合えば更に・・・となるのは百も承知のことだった。そして先程、私達は我慢出来ずに唇を重ねてしまっていた。
青島が私の身体に手を伸ばした。包み込むように引き寄せられ、固く抱きしめられる。
「さっき、ドアの鍵、掛けてきました・・・だから、ね・・・?」
その言葉に一瞬自分の心と身体が麻痺したような感覚に襲われた。理性では呆れているものの感情は青島のしようとしていることを咎めるつもりなどまるで無く、我に返った時には既に青島の唇が私の口を塞いでいた。
先程の激しく貪るようなキスとは違って、今度は柔らかく、何度も確認するように繰り返される口付けだった。相手が自分の腕の中にいることを確かめて安心する為に、唇だけでなく首筋にも頬にも瞼にも耳朶にも目尻にも鼻梁にも―――およそ思いつく全ての箇所に、交互にキスの雨を降らせ続けた。青島も私も時間を忘れて、互いの唇の感触に酔いしれていた。触れたそばから溶けていくような毒が私達の全身にまわりはじめ、じわじわと蝕まれてゆくさまに互いの身を委ね、甘んじた。
官能に支配され始めた脳に逆らうようにして、漸く唇を離す。青島の口の端に残っている唾液が斜めに差し込む西日に煌いて銀色の迹を描き、えもいわれぬ色気を醸し出している。その濡れたような瞳は私の心を捉え、激しく揺さぶった。
青島の唇が陽の光を受けて白っぽく浮き上がり、ゆっくりと誘うように動く。
「室井さん、俺・・・火、ついちゃったみたい・・・」
「・・・莫迦・・・」
もう一度、時間をかけて深く口付ける。お互いを強く抱きしめ、ともすれば相手の身体を愛撫しそうになる両の手を今ある位置に固く縫い付けた。下手に指を這わせたら最後、歯止めが効かなくなるのは、私達の場合、火を見るより明らかだからだ。
キスの余韻に浸りながら、さらさらした髪に指を差し入れ、掻き抱いた。赤みを帯びた柔らかい耳朶に囁きを落とす。
「このままでいけば、お前は定時で上がれるのか?」
「ん、多分・・・どっちみち、通報あっても俺、捜査に行かしてもらえないっすから・・・」
「―――解った。こっちも出来るだけ早く今日の仕事を片付ける」
青島が驚きと期待の入り交じった声を出した。
「室井さん?」
「何だ」
「あの、それって俺、スッゴク嬉しいけど・・・でも、この後、まだ仕事、沢山あるんじゃ・・・」
いくら仕事が優先と言わんばかりの言葉を並べられても、目の前でそんな嬉しそうな顔をされてみろ―――出来る限り、お前と一緒に過ごす時間を作りたいと思うじゃないか・・・
「心配するな―――手を抜いたりは、しない。だから早くても8時過ぎになるかもしれないが・・・」
「解りました―――俺、待ってますから」
青島が艶然と微笑み、私の唇に軽い口付けを落とす。これ以上抱き合っていると本当に離れられなくなりそうなので、手後れにならないうちにと互いの身体を引き剥がした。
資料室から廊下に出て鍵をかけ、私達はエレベーターホールの前で別れた。時間にして1時間弱の短い逢瀬でも、自分の中が青島に満たされて安堵するのと同時に力が湧いてくるのが判る。出来ればもっと共に過ごす時間を増やしたいし、もっと触れ合っていたいが、今は自分達に許されている時間だけで満足しようと思う。この組織の中で、現在、青島と私が公私共に手を携えていられること自体が、一種の奇蹟のようなものなのだ。焦ってはいけない。強く望めば、想いはいつか必ず叶うと信じて慎重に行動し、今自分達が成すべき事を見誤らずに成し遂げるよう努力しようと思う。
湾岸署近くの路上でタクシーを止めた私は、運転手に行く先を告げると、今日中にこなさなければならない残りの仕事の段取りを頭の中で考え始めた。

(1999/4/27)


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書きたかったのは、仕事している時よりも一所懸命な魚住さんと、クールで計算高いすみれさんと、キスシーン(爆)だったのですが………気がついた時にば、想像のナナメ上を行くヘンな話になっていました。
『湾岸署の極めて平和な一日』で果たせなかった、"コメディを書く"と"スリアミの出演"を目指したのが、却って仇(あだ)になったかも? ← ちょっと、ちょっと、なんで我々のせいなのよ by 神田署長
読んでくださった皆様、すみません。完全な筆力不足です。どうか、笑って許して下さい(泣)