Just For Play  1




窓の外を風が唸り声を上げて吹き荒んでいく。遠くに見える皇居の黒々とした木立が、周りの闇よりも一際濃く溶け込み夜の底深さを物語っている。午前3時の会議室には時計が秒を刻む音だけが冷たくこだまし、空気は澱んで重苦しく垂れ込めているばかりだ。
警察庁警備局外事課外事調査官である一倉正和は、黙々と資料にペンを走らせていた。
部屋の奥の方では疲れきった部下が二人、作業机につっぷして惰眠を貪っている。
明朝8時までに外務省に提出する書類の最終チェックを完了させなければならない―――あと少しで終わる、と自分に言い聞かせながら作業に没頭すること既に五時間、手を入れ出すと納得のいくまでやらないと気の済まない己の凝り性な気質に舌打ちしつつ、暮れも押し迫った職場の煩雑さと今日もうつらうつらしながら自分の帰りを待ち侘びているであろう心根の優しい妻のことを思う。
本来ならもっと早くに仕上がっている筈の資料がギリギリまで手許にあがって来なかったのには、それ相応の理由があった。少し前に警視庁中を震撼させた『警視副総監誘拐事件』の余波の所為である。
誰もが予想すらしなかった、警視庁ナンバー2の誘拐と監禁そして身代金の要求に様々な階級と立場の警官達が色めき立ったのは言うまでもない。前代未聞の数の捜査員が投入され、あちこちの特捜本部が縮小された。それは所轄だけではなく、本庁の各局各部各課にも言えることであり――― 一倉は配下の中でも優秀な三名を応援に出す羽目となったのだ。
その犠牲的な措置が効果を発揮したのか事件は奇跡的に三日間で解決し、被疑者及び共犯者を一斉逮捕、被害者の副総監本人は無事保護された。
しかし、事はそれだけで終わった訳ではなかった。現地本部長の命を受けて被疑者宅に一番に乗り込んだ所轄の刑事が被疑者の母親に刺され全治三ヶ月の怪我を負わされ、その現地本部長は上層部の意向を振り切って所轄捜査員に確保を命じたことを命令違反ととられて降格処分となった。
貸し出していた部下達はたった三日であっさりと元の職務に戻ってきたが、一倉の心中は穏やかではなかった。彼にとって、降格された現地本部長の『警察庁刑事局参事官』室井慎次と負傷した所轄の捜査員である『警視庁湾岸署刑事課強行犯係巡査部長』青島俊作の組み合わせは、ただの不運な警察官として同情して通り過ぎられる程無関係なものではなかったからである。
特捜本部が裏付け捜査を残すだけとなり応援要員の大半が本来の勤務地へ帰され、待ち受けている次の事件の捜査に塗りつぶされて、事件に関わった殆どの人間から早くもあの衝撃の三日間の記憶が薄れ始めた今日この頃、一倉は事件当時湾岸署に詰めていた警視庁刑事部捜査一課主席管理官の新城賢太郎から詳しい内部事情を聞き出すことに成功した。それは室井の降格が発表されてから、まだ数日しか経っていない―――そう、昨日のことだった。
自分の同期である室井に対していつも厳しい批判的な態度を崩さない、この扱いの難しいプライドの高い後輩の口から、さぞかし痛烈な嘲りが迸り出てくることだろうとたかを括っていた一倉の思惑は大いに外れて、新城は湾岸署に特捜を設置した瞬間から本部中枢を撤収するまでの出来事をごく淡々と語った。専ら所轄に向けられているとはいえ『歩く天敵製造機』の異名をとるこの小男が、室井を現場に送り出してから青島の負傷を知った時までのことを語った際に見せたなんとも形容し難い表情は、一倉の心に少しく漣を立てたが、敢えてそれに拘わるのは止めにした。
一倉はしんと静まり返った部屋の中で、自分とは全く種類の違う男である室井のことを考えた。
初めて会った時に、今時珍しく融通の利かない奴もいたもんだ、と思ったのを覚えている。東大卒の連中を何人もごぼう抜きにして出世への階段を驚くべきスピードで駆け上がっていく室井は、決して要領が良い訳ではなく、寧ろ見えないところで人の何十倍もの努力を重ねてその地位を勝ち取ってきていた。それは一倉にとっては、呆れるほど正攻法にも思えたし、そこまでの強い信念と目標を持ち続けられる精神力に、正直なところ舌を巻いたものだった。
東北大出というハンデをバネに孤高の道を行く室井に対する好奇心を抑えられず、一倉は自分の方から近づいていった。同じ大学閥同士でも馴染むことの少ないキャリアの中に於いて、違う大学出身者―――それも東大卒の同期生から興味を向けられて確かに室井は狼狽したようだったが、そのうちに一倉の存在を空気のように受け入れていった。お互いの有能さを早々に認め合った頭脳明晰な二人は、特に熱く語り合ったりすることは無かったが、それほど醒めている訳でもなく、つかず離れずの程よい距離を保った友人同士となった。
室井の持つ濁りの無い大きな黒い瞳と、真摯な眼差しと、穢れの無い清冽な魂と―――どれ一つ取っても、一倉には眩しく脆いもののように思われた。同じものを過去に自分も心に秘めていた事があったがそれはもう大昔のことで、別にそれらを忘れたり諦めたりした訳ではなく、ただ単に手垢にまみれ地に墜ちて埃を被っただけなのだと思い込もうとして、一倉は気がついたのだ―――自分が持っていたものと室井が今だ持ち続けているものとは似て非なるものであることに。
いつも真っ直ぐに自分を律し、組織に息づく惰性や倦怠やその他諸々の疚しいものとは決して馴染もうとしない、その強靭な精神と崇高な理想は、室井の生真面目なまでの生き方に裏打ちされたものであり、世の理を知らぬ学生が青春という名の一ページに戯れに刻み込む綺麗事の理想論とは全く訳が違った。蒼く熱い正義の炎を今日まで胸に燃やしつづけ背筋を伸ばして上を目指す室井の姿は、未踏の新雪のように神聖であるが故に、いつの日にか組織の中の欲望を滾らせた下卑た妖怪どもに踏みにじられ、砕け散るかもしれないという、失望にも似た懸念を常に一倉に思い起こさせてきた。
入庁して早11年、互いに同じようなサイクルで組織内を移動し、仕事で再び顔を合わせたのは一昨年の事だったか。たまたま湾岸署管内に大麻の売人が潜んでいるということで、久しくご無沙汰だった友情を暖める如く、二人揃って空き地署に出向いたところで、一倉は初めて青島と顔を合わせたのである。
室井が青島という所轄の一刑事にかなり肩入れしていることは、一課の口さがない捜査員どもから漏れ伝わってきていた。管理官になって最初に手掛けた事件の決着をつけるべく、湾岸署管内の盛り場に現れた被疑者を張っている最中に、目の前の小さな傷害事件を見過ごせずに騒ぎを起こした青島のおかげで危うい立場に追い込まれた室井を救ったのは、皮肉な事にその青島の仲間達であったが。
事件に、でかいとか小さいとかあるんですか?―――青島の発したこの一言が、室井の内側を破り臓腑を抉ったであろうことは容易に想像できた。警察機構の中枢で時には幾つもの特捜本部を抱え指揮する多忙な日々にあっても、その高邁な理想に燃える瞳の輝きが鈍ったことは無かったが、己の立場から来る狭量なものになりつつあるのは否めない。青島に出会わなければ、室井がそのことに気付くことも無かっただろう。自分の中に燃え盛る真実だけを唯一のものと信じていた心に、真正面から所轄の現実を突きつけられて、根っから真面目なあの男が揺れ動かない訳が無いのだ。
一倉の青島に対する第一印象は最悪だった。おおもとの原因は自分の部下のミスにあったとはいえ、青島は刑法ギリギリのラインで自分達本庁の人間を捻じ伏せ、参考人の柏木雪乃を公務執行妨害で緊急逮捕し湾岸署に48時間、見事に拘束してしまったのだ。所轄のコマの分際で本庁の捜査を邪魔するとは巫山戯るにもほどがあると憤ってみたものの、その鮮やかな離れ業には脱帽せざるを得なかった。翌日朝一番で刑事課に出向いてみたが、所轄の結束はそれは固く、強行犯係の人間はおろか他の連中までもが皆青島の行動を支持して協力態勢をとっていた。隣の室井が思ったより涼しい顔をしているのにも腹が立った。
結果としては、青島と和久刑事が被疑者の岩瀬修を連行してきたお陰で自分の面子も何とか保てたのだが、二人を待ち続ける間中、室井の心の揺れを間近に感じて、一倉は内心焦り始めていた。
室井よ、何を悩み、迷っている?
所轄は所詮本庁のコマでしか、無いんだ。
本庁と所轄の枠を取り払って『開かれた捜査』の実現などと甘い夢を見るなんて、オマエらしくない。
オレ達の目指す先は警察官僚なんだぞ?
大きな目を更に一杯に見開いて湾岸署の窓から外を眺めて佇む室井の後ろ姿が、殊更に小さく儚いもののように思えて、一倉の胸の奥がキリリと痛んだ。すぐ近くにいる筈のこの男が、何れ自分の手の届かない遠い存在になっていくであろうことをその痛みが教えた。
その後室井と青島が単独捜査を敢行して査問会にかけられた事や、その処分の結果刑事課から外され交番勤務となっていた青島を越権行為に近いやり方で湾岸署に戻した室井の事は、特に意識したつもりはなくとも一倉の耳に入ってきていた。一つには室井に対してやや複雑な感情を抱いている新城が、湾岸署担当の捜査一課管理官に就任して以来、室井が目をかけている青島に対して事ある毎に憎悪を剥き出しにしていたせいでもあった。青島に煮え湯を飲まされた経験なら新城の先達たりえる一倉にしてみればその憤りに頷けないこともないのだが、こめかみに血管を浮き上がらせる程に怒りに震えている新城を目の前にすると、青島という人間の底知れなさを今更ながらに認識させられるような気がした。
一倉は新城とさほど親しい訳ではなかったが、同じ東大出身ということもあり、また『室井慎次』という人間に共に関わっているせいもあって、青島のことを吐き捨てるように悪し様に言う新城の愚痴に、数回ほど耳を傾けたことがあった。そして、新城の青島に対する度を越えた嫌悪感が何処からきているかということに、だんだん察しがついてきたのだった。室井に向けた辛辣な物言いは憧れと好意と羨望の入り交じった様々な感情を無理に押し殺しての結果であり、東大卒というプライドを手放すことの出来ない頑なな新城が、感情の捌け口を青島に向けたのは当然の帰結かもしれなかった。
だからその新城から、室井が警察庁刑事局主席監察官として青島ともう一人の湾岸署の刑事を査問会で厳しく処分したことを聞いたときには、軽い驚きを感じたものだった。しかし室井の立場からすれば青島の処分に手心を一切加えない事が、二人の今後にとって一番最善の結果になることにすぐさま思い至った一倉は、自分の中に湧上がってきた焦燥感に戸惑いを覚えた。後に、本庁の休憩室で顔を合わせた時の室井の憔悴しきった姿は、一倉の心を更に掻き乱し不愉快にした。青島という男に室井の全ての感情が向けられていることをはっきりと思い知らされたような気がして、言いようのない虚しさと敗北感が己を支配した。
一倉にとって室井の全てが気になる存在であったのは事実である。だがそれは、共に警察官僚への道をステップアップしていく同期生として、自分には無い真っ当さを持った室井の行く末を案じていただけだと思っていた。そして起こった『副総監誘拐事件』の現地本部長に計らずも室井が祭り上げられてしまったことから、一倉はその結末を固唾を呑んで見守るしかなくなってしまったのだが・・・
青島の負傷が室井にかなりのダメージを与えたであろうことは判りきっていた。責任感の強い室井は過剰なまでに自分を責めているに違いない。そこへ来て、この降格人事である。室井のことだから血の滲むような努力を繰り返して再び這い上がるだろうが、今回の、処分としての上層部の決定は一倉にしても行き過ぎの感が否めなかった。指揮を誤って現場の捜査員を傷つけたことよりも、会議室で繰り広げられていた戯れ言にも等しい提案を受け入れなかったことに対する、いわばお偉方の不貞腐れた気分を宥める為に責任を取らされたとでも言うべきか。それにしても、あれだけの事件が三日間で一応の解決を見、警察官一名の負傷で済んだことを考えるとそんなに悪い結果では無かった筈である。確かに負傷者を出してしまったことは誉められないが、それも上層部が現地本部長だった室井に指揮を完全に委ねていれば避けられたことかもしれなかったのだ。
この、多分に見せしめ的な処遇を目の当たりにして、一倉は室井のこれからに想いを馳せずにはいられなかった。真実を求めて正しい事を成し遂げようとする澄み切った透明な瞳が、汚辱にまみれ強欲に屈して墜ちる日をやはり迎えることになるだろうと思う反面、心の片隅でそれを強く拒否する自分がいて―――出来ることなら、この旧体制もいいところの警察機構を舞台に、室井の『理想』が実現されるのを見てみたいと思うようになった。そのパートナーに室井が青島を選んだのは、実に面白くないことではあったが、組織の濁った空気の中でも平気で呼吸することが出来る自分と、理不尽とも言える旧態にこれまた真正面から挑んでくる青島とでは、最初から勝負がついていたようなものだった。
今までしっかりとした舵取りで未来へ船を進めていた室井が、青島という支えだけを頼りに、荒れ狂う海の中を海図も羅針盤も無い小さなボートで漕ぎ出した事は、羨ましくもあり馬鹿馬鹿しいことのようにも思えてくる。
室井よ、青島とたった二人で、何が出来るというのだ?
オマエの理想は素晴らしいが、この組織にそれを浸透させれば、混乱を招くだけだ。
だが、その実現をオレも見てみたい気もする。
その為には、味方を増やさなければ、駄目だ。
それと、もう一つ―――オマエは、もうミスする訳にはいかない。
今後、一度たりとも。
そしてここへ来て、一倉はある計画を実行することを思い立った。
一度思いついてしまうと、その考えはとてつもなく素晴らしいもののように思え、まるで次々と球をぶつけて全ての球をポケットに沈めるナインボールを思わせた。そして、全てが収まるべきところに収まった精巧なパズルの完成図が目の前にありありと浮かんできた。
一倉はやりかけの仕事そっち除けで、自分のアイディアに夢中になった。頭の中で幾つもの事例を想定し、シミュレーションを繰り返す。脳が静かな興奮に支配され始め、あたりの静寂が殊更にそれを煽り立てた。
気がつくと時計は午前6時をまわっていた。会議にはつきもののパイプチェアと固い作業机という身体に限りなく負担のかかる環境を物ともせず熟睡している二人の部下を叩き起こすと、一倉は本来の仕事へと己の意識を傾けた。

結局殆ど徹夜でチェック作業を行った書類を外務省の担当者に引き取らせた後も引き続き多忙な仕事の合間をぬって、一倉は科学捜査研究所へと足を運んだ。
素っ気無いほど無機質な建物の受付でプロファイリング・チームへの来意を告げると、小さな応接室へと案内された。皮張りのソファに腰を落ち着けてものの数分も経たないうちに、黒い皮ジャン姿の長身の若い男がやって来た。
年の頃は256だろうか。男は若手プロファイリング・チームのリーダーで中央と名乗ったが、そこまでは一倉が予期していたことであった。中央を指名したのは、過去に室井と一緒に仕事をしたことがあるメンバーの中では彼が一番話し易そうだと思ったからに過ぎない。
「忙しいところをすまないが、少々教えて貰いたいことがあってね」
自己紹介を終えると、一倉は中央を前に昨今のインターネット犯罪について軽く触れ、匿名性の高い電子メールの悪用方法について訊ね始めた。メール爆弾やウィルス感染への防御策、クラッカーの実体やハッキングテクニック等、幾つもの例を引き合いにして、質問を開始して15分程経過した辺りで、中央が返してくる答えから自分が必要としていたものをまんまと引き出した。
更に高度な質問を続ける一倉に、中央はうんざりしたような口調で言った。
「一倉さん。僕の持ってるパソコンの知識は一般的なものであって、専門じゃないからさ。より高次元な事例、知りたいならネットワーク犯罪専門の担当いるから、そっちに訊いてよ」
「いや、これは申し訳ない―――君のことは、室井から優秀だと聞いていたんでね。つい・・・」
「室井さん? あの、捜査一課の管理官の?」
思惑通りの展開に、一倉はほくそ笑んだ。
「ああ。最も今は警察庁の方にいるがな。前に湾岸署で一緒に捜査した時のことを言っていた。見事、犯人を特定したそうだな」
「オトせなかったけどね・・・」
何かを思い出したらしい中央の顔が少し曇ったが、すぐに表情を元に戻した。
「フーン、警察庁にね―――そうそう、室井さんって言えば、青島さん、元気?」
繰り出された質問に危うく心臓が止まりそうになったが、一倉は己の本能が呟いた『チャンス』という言葉に賭けることにした。
「副総監を誘拐して逮捕されたガキの母親に刺されて入院している―――知らなかったのか?」
咎めているような最後の一言を口に出してしまってから(まずい)と思ったが、もう遅かった。目の前の男ははっきりと解る程に顔を顰めて、食い下がってきた。
「だって僕らはあの時、もう次の事件にかかってたんだよ。それに・・・確かに新聞には捜査員一名負傷ってなってたけど、名前書いてなかったから―――まさかそれが、青島さんだなんて思わないし、さ・・・」
中央の言う通りだった。その後の捜査状況いかんに関わらず、いったん被疑者の特定が終わればプロファイリング・チームは待ち構えている他の事件にも取りかからねばならないし、掲載記事についても、殉職すれば名前が載るかもしれないが、負傷―――それも命に別状が無ければ新聞・雑誌ともに一行で片付けられて終わりである。
「青島は負傷、室井も降格処分―――それが、あの事件の結果さ」
一倉の言葉に再び中央が反応した。
「室井さんが、降格って? 何でまた?」
「それは、こっちが聞きたいくらいだ。でも、まぁ―――上に逆らったという事に尽きるんだろうがな」
一倉は順を追って、中央に特別捜査本部の内幕を語って聞かせた。
特に質問もさし挟まず黙って聞いていた中央は、話し終わった一倉を鋭い視線で眇めた。
「一倉さん、随分詳しいね。室井さんや青島さんと、どういう関係?」
「室井は私と同期だ。青島とは以前湾岸署で顔を合わせたことがある。そして―――私に詳細を教えてくれた新城は、大学の後輩だ」
フーン、とつまらなそうに鼻を鳴らしてから、中央は一倉を見据えた。
「警察ってとこも、イケてないよね。副総監助かったんだから、細かいことガチャガチャ気にしなきゃいいのにさ。スマートじゃないよ、やり方が」
一倉はソファの背に凭れ掛かり、楽な姿勢をとった。まだ、接見は長引きそうだ。
「そうは言っても、所詮、階級社会だからな。上の命令は絶対だ。逆らった罰としてはいたしかた無いだろう―――室井の場合、命令違反は初めてじゃないしな」
「ああ、青島さんと一緒に査問会にかけられた例の事件、ね」
「知ってるのか?」
一倉は少し驚いて、中央の顔を見た。機械的にも思える淡々とした声だけが室内に響く。
「あれは、ココ(科研)でも話題になったから―――警官、一人撃たれたんだよね。大体、僕らがあの二人と捜査して二週間くらい後の事件だよ? 結構キョーレツだったなぁ」
中央の科白の着地点は見えないままだったが、一倉は曖昧に頷いてみせた。
「室井さんと青島さんってさ、いいコンビっていうか―――僕ら、あの時、負けたんだよね・・・あの二人に、さ」
「負けた?」
「あれっ、知らないんだ? 一倉さん、僕らが手掛けた事件のこと、室井さんから聞いてたんじゃなかったの?」
中央は人を試すような眼差しを一倉に向けた。
「―――あの頃、私は薬物対策課の管理官だったからな、あまり細かい内容までは聞かなかった」
「そう・・・」
ポーカーフェイスを崩さぬ一倉に中央は再びつまらなそうな顔をしたが、そのまま話を続けた。
「僕らは容疑者を特定して任同は一人でいいと言ったけど、室井さんはあの天然記念物みたいな刑事の報告書から久保田って男も引っ張らせた。そいつは僕らが分析した通りチンケな窃盗犯で、結局逮捕される運命ではあったんだけどね。でも、僕らは渋谷優太をオトせなかった・・・オトしたのは、青島さんだった。犯人も人間なら、刑事も人間―――ってね。青島さんが渋谷をオトしたやり方は、老刑事のやり方と同じだったよ。久保田の時は青島さんとそのじいさんが、渋谷の時は室井さんと青島さんが、それをやったのさ。データは嘘つかないし、機械は推理しない。僕らはデータを打ち込み機械を使いこなして、犯人を特定する―――でも、それだけじゃ駄目だってことをあの二人に教えられちゃったワケ。刑事もまだ必要だってこと、勉強になったよ」
「そうか―――」
一倉は中央が紡ぐ澱みない言葉に、静かに耳を傾けていた。自分の知らなかった室井と青島の一面を語るこの若者が、二人に対して奇妙な親近感を抱いているらしい事実を前にしても不思議と違和感は無い。
「その室井さんと青島さん、二人揃っての暴走でしょ? 後で処分受けたって話だけど、最初に聞いたときはやる〜ゥと思ったよ。やっぱり名コンビなんじゃないの?」
「まぁ、デコボココンビかもしれないな・・・」
中央の見解に素直に同意するのは癪な気がして、一倉は少し眉根を寄せた。これは室井のよくやる癖だったな、と思いながら眉間の皺を伸ばすように指を当てた一倉を盗み見るようにして、中央が訊いてくる。
「それにしてもヤリ過ぎなんじゃない? 今回の室井さんの降格処分。ウチの科研の中にだって室井さんのファン、多いんだよ。管理官の中ではあの人が一番、話が判ったからさ」
「君達も、そう思うのか?」
予想以上の反応に、一倉の心が弾んだ。最初のポケットが目前に迫る。
「まさか、警察庁も警視庁もナンとも思ってないの? 所轄も?」
中央は呆れたような声で前髪を軽く掻き上げると、肘を膝にのせて両手を顎の下で組み合わせた。
「さっき、警察は階級社会だと言った筈だ。室井の降格は不当だと感じる人間が沢山いたとしても、口に出せる訳が無いだろう―――外部の人間がどうとるかは別としてな」
「外部の人間って?」
「報道発表されたのは、被疑者逮捕と被害者の無事保護、それに捜査員一名の負傷といった内容だけだったと思ったが。あいつの降格は、それから後のことだからな」
「じゃ、マスコミは、知らない訳・・・?」
中央の眼がキラリと光ったような気がして、一倉は確かな手応えを感じた。さあ、もう一押しだ。
「ああ、多分・・・例の降格人事が発表されてから、まだ数日しか経っていない。あれだけの事件だ、まだ世間の記憶も生々しいところだろう。だが、せいぜい後一週間だな―――マスコミの連中がこの事件を覚えていられるのは」
「一週間後に何か別の大事件でも起きたら、それに取って代わられる可能性が高いってことだね? 今ならまだ、『副総監誘拐事件』の顛末は記事として価値がある訳だ」
探るような視線が一倉を撫で回す。
「察しがいいじゃないか―――そういうことだ」
一倉が正面から中央の視線を捕らえると、怖いもの知らずの切れ長の瞳が、何か面白い玩具を見つけでもしたかのような輝きを帯びた。
「一倉さん、こっちからも聞きたいことがあるんだけど――― 一般的に、反体制的な新聞社と雑誌社って、ドコかな? あ、それとTV局もね」
「一般的に、か―――雑誌社ならB社・・・かC出版、それからA新聞が割と左寄りだろう・・・TV局は・・・反体制という訳ではないが、D局とE局がこういう話には飛びつくんじゃないかな―――まあ、そんなところだ」
「教えてくれて、サンキュ」
別れ際にニッと笑って応接室を後にした中央の後ろ姿を見送りながら、一倉は幸先のいいスタートがもたらされたことに込み上げてくる笑いを禁じ得なかった。よし―――まず、1ショット、完了だ!
その足ですぐさま警察庁へ戻ると、即座に次の準備に手をつけた。完全主義の一倉からすればもっと精密で高度なプレイを目指したいところだが、何分時間的余裕が無い。使えるものは使い、打てる手はすべて打っておく必要があった。



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すいません…続きます。長いです。
次を読んでください。本当に申し訳ありません…