Just For Play  2




警備課へ向かい、中野と内田という二人の男にそれぞれ時間を取らせた。彼らは何れも、室井が警備局の課長を務めていた時の直属の部下であった。何しろ地下の捜査資料室に追いやられていた青島を湾岸署に戻す為に、室井はこの二人を杉並北署へ差し向けたのである―――警備課長時代の室井がただならぬ信頼を置いていた部下達と言っていいだろう。
個別に話をしたが、二人とも真面目で有能な人材に違いなく、今でも室井を慕っており、変わらぬ信頼と服従を持ち続けていることはすぐにも判ったことだった。警察庁の中でも室井の降格を訝しみ惜しむ声がノンキャリア組を中心に広がりつつあり、彼ら二人も密かに憤っていることは話しているうち一倉にも容易に理解出来たが、ある意味自由な科研の専門職中途採用組のはっきりした感情に比べると、やはり巨大な組織に絡めとられて権力に刃向かえぬ立場のささやかな怒りであることを痛感させられる。
どうやら室井は、降格されてからこの腹心の元部下達に何一つ連絡を取っていないらしかった。どんな時でも人に―――例え、それが心を許した相手であっても―――弱みを見せまいとするあの男らしい話ではあるが、元上司の将来を心配している実直な二人をかわるがわる目の前にして、一倉が語った『副総監誘拐事件』の内幕は、彼らに強い衝撃を与えた。特に中野は誘拐当日、ゴルフコンペ終了後に副総監を自宅まで送り届ける役を任されていただけに、青島の負傷に関しても並々ならぬ責任を感じていたらしかったが。
一倉はふと、もしも青島が中野や内田の立場だったらどうするだろう、と考えた。あの男なら、この二人のようにグッとこらえて黙って我慢しているだろうかと。
答えは、『否』だった。
青島なら、室井の為に出来ることがあれば、どんなに小さな可能性でも諦めずにそれに賭け、手を拱いているようなことは絶対にしない気がした。本能に任せた型破りな発想と行動力で、自分の立場が危うくなることなどものともせずに、全身全霊をかけて室井の為に奔走するだろう。こちらの目を白黒させるようなことをしでかしてでも、何某かの結果を出す―――あいつはそういう男だ。
もちろん、中野と内田が室井の為に何かする気が無い訳ではない。寧ろ、あの正義感の強い元上司を助けることになるのなら、この二人も青島に負けず劣らずの働きをするであろうことは判りきっている。
だが、所詮、組織に埋もれている二人の行動は良くも悪くも常識的な範囲の中に限られるだろう。青島のように自分の中にある正義に照らし合わせるのではなく、警察機構の中の正義に基づく行動になるのはどうしようもないのだ。だからこそ、彼らの働きは、手堅い一手となり得るのだが・・・
一倉は、彼ら二人にとある指示を与え、ついでに更なる室井シンパの人間の名前を聞き出し、次の目標へと向かう―――2ショット目は、すんなりとコーナー脇ポケットへ沈めることが出来た。
捜査一課の前まで来ると、丁度顔見知りの捜査員が部屋から出てきたところだった。声をかけ、中に益本刑事がいるか訊ねる。益本は自分を呼んでいる顔を見るなり怪訝な表情を露わにしたが、一倉はそれにはお構いなしにその体躯を休憩コーナーの一角へと引っ張っていった。
「どうだ、最近は?」
目で喫煙許可を求めてきた益本に頷くと、一倉はまず挨拶代わりの一言を口にした。益本とは以前、新宿西署の事件を共に担当して以来の付合いである。コカイン密輸と売人殺人が絡んだおかげで捜査一課と薬物対策課がタッグを組むことになり、室井と一倉の間を連絡係のように往復したのが、この男だったのだ。上の命令には絶対服従を強いられる本庁の中で、言われたことだけを忠実に成し遂げ着々と手柄を立てている実績から導き出される結論は、優秀な刑事だということになるだろう。捜査一課では室井が最も重用していた刑事でもある―――あくまでも、その中でだけのことだが。
煙草を咥えたままライターを捜しているらしい益本が、もごもごと答えた。
「別に・・・普段とそう変わりませんよ」
「そうか―――例の湾岸署の特捜には、参加したんだろう?」
「ええ、そりゃ。一課の人間はほとんど全員行かされました。当然です」
益本が吐き出した煙を正面から吸い込まないようにと少しだけ身体を斜めに捩った一倉は、最初の爆弾を投下した。
「まあ、とんでもない事件だったな―――室井は降格になっちまうし」
益本の顔色が変わった。辛そうな、それでいて激しい怒りに燃える炎が瞳に宿ったのを一倉は確かに見て取った。
「我々が被疑者を特定出来なかったばっかりに・・・あの所轄の小僧に出し抜かれて・・・」
おいおい、それは違うだろう―――と諌めようとしたが、そういえば益本も青島に対して新城と同じような突っかかり方をすることを思い出した一倉は、まずそこを矯正しようとした。
「そう鼻息を荒くするな。被疑者特定はともかくとして、あの負傷した所轄の刑事がいなけりゃ、事件はもっと長引いてたかもしれないんだ。そうなれば、副総監の命が危険に晒される確率は高くなる一方だったんじゃないのか?」
「我々一課の人間でやれば、必ず、特定できましたよ! 我々の能力は、室井参事官だってよく御存知の筈です」
自分達一課の人間ではなく所轄の一刑事に室井からの「確保!」の一言をもぎ取られたことが今だに悔しい益本には、冷静な理論をもって話を続けても無駄である。一倉は諦めて、感情論に訴えることにした。
「気持ちは解るがな、現実には室井は降格処分だ。責められるところはたいして無いのにな・・・」
益本は黙ったまま二本目の煙草に火を点けたようだった。
「被疑者を特定した時には、既に所轄の捜査員がそこに行っていて、被害者は三日間行方が解らなくて・・・一番のプライオリティは被害者の無事救出だろう? 所轄の刑事に踏み込ませて、副総監の居所を吐かせたあいつの判断は間違っていないと思うが、上層部にしてみればそれを所轄にやらせたのが燗に障ったんだろう。室井への処分は八つ当たりもいいところだ」
益本に語りかけながら、一倉は意識的に『青島』という名前を出すのを避けた。室井が青島を一課に応援で呼んだ例の事件以来このエリート意識の強い本庁の刑事が、室井の気に入りの青島に対して強いやっかみを感じているのは、既に知れていることである。新城ほど複雑ではないが似たような感情を持ち合わせている益本は、今は捜査一課の中でも公私共にリーダー的な位置にいる。一つ扱いを間違えるとせっかくの手駒を失うことになってしまう。
「君達捜査一課の人間に行かせなかっただとか所轄の刑事に命じただとか・・・そういうことではなくて、室井のしたことはあの時考えうる限りでは最良だったんじゃないかということだ。結果として所轄捜査員が負傷したが、現実に被疑者を逮捕して被害者を無事救出したんだ―――それも三日目でな。降格された理由なんて、上の連中の神経を逆撫でしたということ以外に無いだろう。呆れた話しさ」
淡々と、しかし、やるせない怒りを滲ませた声で話す一倉を益本が窺い見る。躊躇っているような視線を受けて、一倉は二つ目の爆弾投下のスイッチを押した。
「一課の連中は何とも思ってないのか? 室井には今まで結構面倒かけただろう?」
益本が弾かれたように顔を上げた。
「何とも思ってないだなんて、とんでもない!! 管理官時代にお世話になったことは、決して忘れてませんよ」
その口調からは真摯な想いが迸りでる。一倉は黙ってその続きを待った。
「室井管理官・・・あ、今はもう管理官じゃないですが―――には、本当に良くしていただきました。そりゃあ最初の頃は、若いエリート候補生ってことで自分達一課の人間も反発しましたけどね、あの人は我々の能力を認めてくれてましたから。歴代の管理官の中でもちゃんと話を聞いてくれましたし、何しろ頭ごなしに怒鳴られるということはありませんでした」
最後の一言は新城に向けられていることが判って、一倉は苦笑する。人望というのは侮れないものである。
「一課長だって、同じように思ってる筈ですよ。今の管理官の扱いには手、焼いてるみたいですし」
一倉の表情の変化を鋭く嗅ぎつけた益本が、そこだけ声を潜めた。
「まあ、そう言わないでくれ。あれでも一応、オレの後輩だ」
「あ・・・ど、どうも、申し訳ありません」
同じキャリアとして庇っておいてやらないとな―――本人の難儀な性格を思い浮かべながらも、一倉はことごとく室井のポストを引き継いでいる新城の不幸が如何ほどのものかと思った。平たく言えば人道的な室井と機械的な新城の指揮の執り方の違いに尽きるのだろうが、今まで人として接してもらっていたのが突如コマ扱いされれば、何処の捜査員でも反発したくなろうというものだろう。
新城も、そう悪いヤツでは無いんだが・・・青島と出会ってから大分人間味を増した捜査をするようになった室井の後任というのは、あの男にとっては荷が勝ち過ぎるのかもしれないな―――ある程度予想していたものの、益本達の新城に対するはっきりとした反発を一倉は複雑な気持ちで受け止めた。
こういう話を間近に聞くと、膝元の兵隊の人望をも得られないような者がキャリアとして君臨するのでは寒々しいばかりだと、漠としたものながら警察の将来を憂えたくなる。室井のような、真っ直ぐな正しさと平等さを持って、幾多の病巣を内部に抱え持つ『警察』という組織の是正を実現させるべきだと思う。その為にも、あいつはこれ以上、足止めさせられる訳にはいかないのだ。
二つ目の爆発では新城の話が入ってきて、ベクトルが少々ズレてしまった。一倉は三つ目を準備する。
「さっきの話だが・・・室井の降格処分は酷すぎると思わないか?」
「もちろん、思ってますよ。あ、自分だけじゃないです、一課の人間は多分、全員そうじゃないですかね。命令違反した罰には違いないんでしょうけれど、降格まですることはないだろうというのが、我々の見解です」
「だが、上に盾突いた―――あくまでも、その処分ということなんだろうな。被疑者逮捕して、被害者救出できたのにな・・・」
言葉から感じられる諦めとは裏腹に、全然納得していないような声で、一倉は益本に向かって呟いた。
「上層部の考えてること、絶対に変ですよ―――降格は理不尽だと、自分は思います」
「まあ、警察内部はともかく、あれは外から見たら首を捻りたくなるような人事には違いないだろうな」
三つ目の爆弾が弾け、益本が一倉の顔を驚いたように見た。
「そうですよ! 一倉調査官、外からなら・・・!!」
「おい、益本―――何を、考えている?」
シナリオ通りに進む会話に、背筋がぞくぞくしてきた。激情に駆られながらも閃いた考えを抑え切れない益本が、一倉に喰いついてくる。
「出来ますよ! 我々でやれば、いいんです―――この降格人事のことをマスコミに告発すれば・・・」
「止せ。内部で勝手に動くことなど考えるな。公安にバレて誰か、処分でもされてみろ―――室井が責任を感じるし、悲しむ」
一倉は言葉巧みに、益本の感情のツボを掴み、煽った。
「―――あいつは、そういう奴だ」
「でも、我々一課には室井管理官を支持する組織的な人数がいますよ! このまま黙って指、咥えてろってんですか?!」
噛み付くように刃向かってくる眼は、真剣そのものである。
どうやら、3ショット目も手中に収められたようだ。
「その気持ちだけ、持っていれば充分だろう。室井のことを案じている人間は沢山いるんだ。そのうちに絶対、何か起こる。いいか―――それまで下手に動くなよ」
一倉は不敵な笑みを浮かべながら、はやる益本に再度釘を刺すと漸く職場へと戻った。
これで、準備はほぼ完了した―――後は、外部に向けたショットが放たれるのを待つばかりだ。
一倉は自分の仕掛けた手玉が鮮やかな曲線を描きながら順に転がって次々とポケットに落ちていく様を想像した。
この勝負はナインボールならぬセブンボールだ・・・既に3ボールが沈められている。
4つがどう転がっていくのか―――何よりも、4つ目がどのタイミングでやってくるのかが鍵、だ・・・
祈りにも似た想いが全身にじわじわと沁み込んで、一倉を静かに支配した。

それから僅か二日後のことである。時刻は午前11時を少しくまわったばかりだった。
一倉に中央から電子メールが入ってきた―――正確には警備局外事課のアドレスに宛ててこられたもので、親展扱いになっていたのだが。
調査官以上には個人アドレスが与えられているのを敢えて共用のアドレスに送信してきたあたり、伊達に頭が良いだけの男ではなかったことが窺えて、一倉は自分の読みが正しかったことを再認識した。
一読した限りでは先日自分が質問したインターネット犯罪に関する幾つかの考察と分析のように思えるその内容から、一倉は中央が既に行動を開始したことを読み取った。
さあ、本格的なゲーム開始だ!
その足で警備課に出向き、中野と内田に先日指示したことを確認する。ダメ押しの意味合いの強い、彼らの方の決行は明後日とした。
益本にも連絡を入れ、暗に一昨日の話を匂わせて、憤りと決意が変わっていないことを確認した。

その頃、業界大手のA新聞報道部及び、こちらも出版業界大手のB社とC出版に、更にはD局とE局の報道センターへと匿名の電子メールが送られてきていた。つい先日の警視副総監誘拐監禁事件の顛末と称したその一文は、捜査員一名の負傷という犠牲以外には何ら責められることの無かった現地本部長が、警察上層部の意向を無視して現場捜査員に指令を下したことを咎められ、降格の憂き目にあったのはおかしいということが、如何にもな告発文体で書かれていた。しかもその捜査員の負傷こそ、上の人間が手柄の取り合いをしていたが為に現地本部長の指示が遅れ、それ故にもたらされた結果なのではないか―――つまり、現場に居ながら即座に指示を貰えなかった捜査員は、待ちぼうけを喰らわされている間に被疑者に姿を見られて、警戒された挙げ句に刺された可能性が非常に高いことまでもが詳しく綴られていたのだ。読む人の情に訴えるような、実に巧みな構成で書かれたその文書は、御社の取材によって事実は白日のもとに晒されるべきである―――と結ばれていた。
それと同時に他の数多の新聞社・出版社・放送局にもある電子メールが送られていた。こちらは告発文とは少し違い、質問形式のシンプルな文章であった。市場で行われる意識調査のような文体であったが、内容はズバリ副総監誘拐事件で現地本部長を務めた警察庁某中間管理職の降格人事について、文章の下方に記されているアドレスにイエスかノーかで送信して答えるもので、かの降格処分が下された経緯が簡単に記されており、それを踏まえた上で処分が正当だと思われるかどうかという内容のものだった。本文の最後には『より多くの人の率直な意見を伺いたい』という一文が太文字で記され、このメールの転送を促しているかのようであり、歪んだ組織の中の膿を許さぬ為にもマスコミ各社の取材を望んでいる旨を暗に匂わせていた。
アンケートメールはイエス・ノーを送り返す先がはっきりしていて、そのアドレスは科学捜査研究所のプロファイリング・チームで使用しているものの1つであったが、大手五社へと送り付けられた告発メールの方は発信元が架空のアドレスで、そこからの手がかりは杳として掴めなかった。

同日午後、早くもマスコミ各社が動き出した。
記者クラブの連中を筆頭に各社から警察庁・警視庁・湾岸署へと取材が殺到しはじめた。事態を重く見た警察庁広報室及び警視庁総務部広報課は、真っ先に警視庁湾岸署への取材を差し止めた。以前、被疑者の愛人を保護させた際に署長自らTVカメラの前で見当違いな取材に応じてそれがそのまま放送されてしまったことや、被疑者護送中にまんまと逃走された経緯を嗅ぎ付けられたりなどと、マスコミに関わらせるとロクな目にあわないことにかけては左に出る署は無いという情けない実績が、この署には既に充分過ぎるほどあったからである。それに所轄が本庁のことを快く思っていないのは警察組織ではごく当たり前であるからして、自分達の同僚が負傷した事にかこつけて、湾岸署員からどのような批判が飛び出すか知れたものでは無かった。
各広報担当は対策を練ると同時に庁内の人間に取材へのノーコメントを徹底するよう通達を出した。そして告発メールの出所を特定する為に、公安部が秘密裡に調査を始めた。
まず、アンケートメールの方から、プロファイリング・チームを始めとする科研の人間が厳しく追及を受けた。しかし、調べが入れば入るほど、メールアドレスに関する謎は増すばかりだった。
一月程前のこと、科学捜査研究所のネットワーク犯罪チームのスタッフ達が、マスコミ各社に送り付けられたアンケートメールと同じタイプのものを試験的に作成して科研内部のイントラネット上だけで送受信を展開していた事実が判明した。担当者の話ではチェーンメールが無差別に拡がっていくパターンを特定するのが目的で、作業を開始してから約十日間データをとり続けたという。その後、テスト用のそのメールは外部へはもちろんのこと内部のいかなアドレスにも送信された形跡が全く無かった為、最初はマスコミ各社にばら撒かれた例のメールとの類似性は、非常に低い確率とはいえ単なる偶然に過ぎないのではないかという結論に落ち着きかけた。
疑われた人々は執拗に尋問されたが、まずネットワーク犯罪をメインに手掛けているチームが首を横に振った。おおもとのメール及び転送プログラムを作成してテストしたのは認めるが、そこから先のことは何も知らないと主張したのは当然のことだったと言えよう。次に、過去、室井と関わったことのあるプロファイラー達が引出されたが、こちらからもめぼしい証言が得られることは無かった。平行して差出人不明の告発文メールの発信元洗い出しも行われたが、恐らく架空のメールアカウントを一時的に作成して送信後には即座にそのIDを消去したのだろうという仮説止まりがいいところであった。
しかし、幾つかの調査の結果から、内部犯行説が色濃くなるのは時間の問題であった。第一に問題のアンケートメールには二者択一の解答を自動返信するプログラムが付与されており、そのソースコードは科研で作成したテスト用メールのそれと全く同一であることが判ったのだ。更に、使用されたコードが極めて特殊なもの且つ他所でも簡単に作成し得る可能性が非常に低いことが挙げられた。また、仮に外部の人間がこの降格人事のことを知っていたとしても、わざわざ告発するメリットがあるかどうかという点も取り沙汰された。そして極めつけは警察内部で外部とのメーリング用に充てているホストサーバーの過去ログがごっそりと消されていたことであった。マスコミにメールが出回り、上層部が対策を練っている僅か半日の間に、少なくとも過去三ヶ月間の送受信履歴を始めとする、ありとあらゆるログがきれいに無くなっていたのである。
今や室井の降格人事に纏わるマスコミへの一連の告発は内部の仕業であることは疑いようもないものとなったが、その下手人は限りなく厚い霧のベールに覆われた灰色の物体のままだった。
翌々日、午前1030分頃、発信人不明のメールを受け取った大手五社のFAXに、今度は電子メールよりも過激な文体の告発が流れてきた。警察上層部のご都合主義と馴れ合いをはっきりと批判しており、室井の降格云々よりも今の警察機構のだれきった体質を真正面から糾弾したものであった。発信元はどれも警察庁長官官房室にある共用のFAX番号を表示していた。即座にNTTに通信履歴が問い合わされ、その結果、五通のFAXが送信された時刻には間違いなく長官官房室のFAXが通信状態であったことが確認された。更には、問題の怪文書を受け取った五社には何れもFAX受信時刻の少し後に、低い男の声で着信した文書を確認させる電話が入っていたことも判明した。

一倉は、ほう・・・と大きく息を吐いた。
今や警視庁も警察庁もマスコミの厳しい追及を躱そうと、死にもの狂いの感を呈しつつあった。お陰でこの外事課にも様々な人間が出たり入ったりし、本来の職務に支障をきたしそうなほどに慌ただしい。
マスコミが予想以上の反応をもってこの事件に飛びついてきたことに、一倉はある種の運の強さを感じていた。
所詮、巨大な組織の一員に過ぎない中間管理職の降格人事―――である。普通の会社なら、こんな事例は別段珍しいことでも何でもあるまい。
だが、昨今の各省庁を初めとする役人達の私利私欲を剥き出しにした犯罪はかなりの件数を数えている。正義が捻じ曲げられて、力のある悪意が当たり前のようにのさばっている毎日にあって、当たり前に正しいことをしようとしてそれ故に疎まれた真っ直ぐな男の話は、人々の心の奥をかなり揺さぶったらしかった。
事件の早期解決の為に上に刃向かってまで指示を出した室井と、様々なしがらみに耐えて自分に命令を下した上司に応えるべく行動した青島の姿は、告発文の短い文章の中で生き生きと動き回り、人間味の溢れる理想の警察官たるものだった。だからこそ、日本の秩序と平和を任されているこの組織の上層部が、事件解決の手柄を取り合い自分達の命令に反した―――それも、確保を現場の捜査員に命じたというだけでだ!―――という腹いせに処分するなどというたわけた事実に、外部が過剰に反応したのだろうと思われる。
それにしても、マスコミに宛てたメールは二通ともよく出来たものだった。
―――中央本人が、自分で考えたんだろうか? 科研の専門職採用は理系が殆どだと聞いていたが、ひょっとしたら文系だったりするのかもな、あの男・・・
ゲームが無事終了すれば、あの男とまた話をしてみたいものだ・・・と一倉は思った。
中央(が考えたかどうかは正確なところ、判らないのだが)の用意した文章に比べると、自分が綴って今日の午前中に中野と内田に送って貰った怪文書の中身の方が、ただ怒りに任せただけのタカ派と間違われるかのような駄文だったと思う。
まあ、あれは告発作業のダメ押しのつもりだったから、良しとするか・・・一倉の書いた文書は中野と内田のコンビネーションによって警備局警備課のFAXから反体制的なマスコミ五社へと送られたのだった。それらがあたかも長官官房室から送られたように見せかけたのには、ちょっとしたトリックがあった。
ここ警察庁の内部はPBXダイヤルインという種類の電話を敷設しており、外部へは「0」を押下してから先方の番号をダイヤルして発信するようになっているのだ。時間がきたら、警備課にある二台のFAXのうちの一つからポーリングという機能を使って官房室のFAXを呼び出す―――通常、FAXは送信する側が相手を呼び出して情報をやり取りするものだが、ポーリングの場合はそれが逆になるのである。受信側が送信側を呼び出してセットされた情報を抜き取る、とでも言えばいいだろうか。最もこのやり方でも、通信料は送信側負担となるのだが。
警備課から官房室を呼び出して、向こうのFAXから応答が有っても実際には取るべき情報は何も無く、白紙を受信している状態になる。その間、官房室のFAXは塞がった状態になるが、部屋の端にある共有FAXだ―――まず、バレる確率は低いだろう。警備課側が受信状態になれば予め発信元が官房室の番号を表示するように設定し直しておいたもう一台のFAXからマスコミの番号に問題の文書を流すだけのことなのだが、官房室にあるFAXも警備課のそれも共に子番号として接続されていたことが、このからくりを可能にしたのだった。



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すいません…まだ、続きます。この後、一回で終わりますが。
本当に申し訳ありません…