柘榴の影6




「セスラン様…これってどういう事なんでしょうか?」

神妙な顔つきでラエスリールは闇主の主治医であるセスランに質問していた。
というのも、目が覚めてからの彼の行動に起因する。
あの時、もう少しここにいろ、と言って自分の手首を掴んだ闇主は、その後すぐに再び意識を失った。
突然の事態に動転したラエスリールがしきりに闇主を呼ぶと、彼はすぐに目を覚ましたのだが、ほっとしたのも束の間、とんでもない事を口にしたのである。

「やっぱり頭を殴られたのが原因なんでしょうね〜。意識が戻ったのは喜ばしいのですが…」

そう言ってセスランが口を濁した。
そう、再び目を覚ました闇主は、こともあろうにラエスリールを眺めながら、おまえは誰だ?と言ったのだ。驚愕以外の何者でもない。要するに、再び目覚めた闇主は記憶を失っていたのである。

「でも、セスラン様!私の事だけ忘れてるとは…!彼にとって私はそれだけの人間だったと言う事でしょうか?」

そう、なんと闇主はラエスリールの事だけ、すっぽり忘れているようなのである。
正確にはラエスリールと出会って以来の記憶が綺麗に抜け落ちているようなのだ。
その場にいた翡翠とは和気藹々と語りだし、後から来たセスランの事も覚えていた。
浮城学園の保険医に着任した事は覚えていてもラエスリールと出会った事は忘れている。
それどころか幼馴染みであった記憶さえ抹消されていた。

「逆でしょうね。あなたの事が特別だったからこそ、あなたの事だけ綺麗に忘れてしまったのかも。」

そういうセスランにラエスリールは暗い顔をした。
セスランの言う事は、彼女には慰めにしか聞こえない。
というのも闇主とラエスリールは特別というほどの関係ではなかったからだ。
忘れたいほど自分の事が煩わしかったのかもしれない。手のかかる単なるお荷物かと思っていたのかもしれない。
そう思えば思うほど、ラエスリールは悲しくなるのだった。

「今日のところは帰ります。闇主はいつ退院出来るんですか?」
「とりあえず意識も戻ったし…頭の傷さえ治ればすぐ退院できるでしょう。」

そういうセスランにラエスリールはまた暗い顔をした。
私は闇主の家さえ知らない…。



「はい。せっかく切ったから食べて。」

そう言ってりんごを差し出したのは翡翠である。
目が覚めて以来、何故だか俺の側から離れない。

「いらない。」
「あら。そんな冷たい事言って。意識が戻っても相変わらずなのね。」

そう言いながら、翡翠は今差し出したりんごを自分の口に放りこんだ。

「俺は一体どうしたんだ?何故こんな所にいる?」

病室のベッドから身を起こしながら闇主は呟いた。

「さっきも説明したじゃない。あなた、深夜の乱闘に巻き込まれたそうよ?覚えてないの?」

…それは覚えている。雑魚ばかりの集団で倒すのに梃子摺った覚えは無かった。しかし…。

「こんな所にいるってことは、誰かにやられたって事でしょ?千禍ともあろうものがとんだ不覚じゃない。」

そう言って翡翠が先手を取って笑った。見下されたようで腹が立ったが、こういう言動で彼女が自分の注意を引こうとしているのが分かるので敢えて無関心を装った。

「あいかわらず嫌な性格だな。そんなんだから男も寄って来ないんじゃないか?」
「あら失礼ね。遊ぶ男には困ってないのよ?本命が捕まらないだけ。」

そう言って妖しげな視線を投げかけてくる。
そんな翡翠をあっさり無視して、闇主は窓の外を眺めた。眩しい光がさんさんと注ぎ込んでいる。
闇主はふと、目覚めた時側にいた、あの少女の事を思い出していた。
翡翠の説明によると、彼女は浮城学園の単なる生徒らしい。偶然見舞いに来ていただけとの事。
思わず呟いたあの言葉にショックを受け、一言も言葉を発さないまま、後から来たセスランと一緒に出ていってしまった。
あの年頃にしては美しい少女だった。大きな金の瞳が自分を捕らえた瞬間、その光景が目に焼き付いて離れない。もう一度見たい…あんな一瞬だったのに、そう思うのは何故なのだろうか?

「千禍。何をぼーっとしているの?」

翡翠がりんごを無造作にかじりながら問いかけてくる。

「…ちょっと出てくる。」

そんな彼女を無視して、闇主はベッドから腰をあげた。
遊ぶにはちょうどいい女かもしれない。
さっきの少女を思いながら闇主はそんな事を思った。



特に目的もなく病院内を歩き回ってみた。
呼び出されるのを待ってる老人、パジャマ姿で走り回る子供達…入院してみると、医者の立場からでは目に入らない様々な風景が目に飛び込んでくる。普段、診断している側にいた闇主にとって、それらの風景は何故か新鮮なものとして映った。
世の中には色々な人間がいるもんだ。こいつら皆どこか弱ってるのか?
闇主はなんだか不思議な気分になった。どこを見ても老人や子供ばかりで……病院ってのは案外陰気臭い場所だったんだな、と闇主は改めて思い知らされた。

そんな事を思っていた矢先、ふと視線を上げると、老人達の中に混じって、この場には似合わない美しい少女の姿が目に飛び込んできた。肩まで伸びた艶やかな黒髪を頬で揺らしながら、凛とした足取りで病院を通りすぎるその姿はまるで一輪の百合のようで、一瞬闇主はその姿に目を奪われた。

さっきの少女だ。

そう思った瞬間、闇主は彼女を追っていた。なんとなく彼女の声が聞いてみたかった。
と、その時。

「千禍?!」

聞き覚えのある懐かしい声がした。
驚いて振り返ってみると、そこには旧知の親友、九具楽が立っていた。

「九具楽?」
「千禍!!意識が戻ったのですか?!こんな所にいて宜しいのですか?!」

そう言いながら彼は長い髪をなびかせ駆け寄ってくる。

「ちょ、ちょっと待て!九具楽!!おまえこそどうしてここにいる…ってか、ちょっと待ってろ!今はそれどころじゃっ!」

そう言って身を翻した闇主だったが、振り返ってみると、院内のどこにも先程の少女の姿はなかった。
…見逃した…!
瞬間、闇主は何とも言えない喪失感に襲われた。

「千禍?どうしたのですか?」

九具楽が不思議そうな顔で近付いてくる。

「くそっ!おまえのせいで見失ったぞ!どう責任取る?!」

突然そんな事言われても、状況の理解できない九具楽は黙ってその場に立ち尽くしていた。

「あーくそー!おまえ一体何しに来たんだ?今頃、俺に会いに来るなんてどういうつもりだ?」

苛々しながら闇主は九具楽に暴言を焚き付けた。

「いえ。この間も来たのですが…。意識不明の重体とかで面接だけさせてもらいました。」
「そういう事聞いてるんじゃないだろ?俺達はあの時、仲間割れしたはずだ!なのに今更のこのこ会いに来るのはどういう了見だと聞いてるんだ?」

そう言って闇主は九具楽を睨みつけた。
過去の事など今更どうでも良かったのだが、なんせ九具楽の現われたタイミングが悪かった。
こんな状況でなければ、優しく迎えてやっても良かったのだ。

「千禍…。私は……。」

そう言って九具楽が顔を曇らせた。

「あー鬱陶しい!そんな顔するぐらいなら会いになど来なければ良かったのに!未だに俺の選択が許せないのか?」
「いえ…そういう訳ではないのですが……。」
「はっきり言え。柘榴会をあっさり解散させた俺が未だに許せないのか?」
「……………。」

そう言われて九具楽はそっと目を逸らした。

「千禍…今日はそういうつもりで来たのではないのです。あれから随分時間が経ちました。私の気持ちも随分と落ち着いています。今は……あなたと仲直りをしようと思って……。」

そう言いながら九具楽は闇主を見つめた。

「仲直り?おまえは今の俺の境遇を知っていてそんな事言ってるのか?」

そういう九具楽に闇主は鋭いまなざしを向けた。

「…存じております。あなたがあの女の組織する団体に所属している事は知っています。」

そう言いながら九具楽は目を逸らした。

「…仲直りするつもりなくせに不服そうな態度だな?俺がマンスラムの指導する学園で働いてるのがそんなに嫌か?」
「嫌…とは申しませんが…彼女と敵対していたのはあなたが一番だったと言うのになんでまた…とは思います。」
「別に?過去は過去だからな。今が楽しければ何でもアリなんだよ。」

そう言って闇主は鼻を鳴らした。

「その立場も今は納得しました。だからあなたと仲直りしたいんです。」
「………何を企んでる?」

そう言われて九具楽は一瞬硬直した。

「あれだけ柘榴会を生甲斐にしていたおまえが今頃俺と仲直りをしたいなんて…何を企んでるんだ?あれはまだ続いてるんだろ?柘榴会の残党を、おまえがまだ仕切ってるんだろう?」
「ご存知なのですか?だったら話は早い。是非戻ってきて欲しいのです!柘榴会はやはりあなたがいなくては成り立たない!また私達を仕切っていただきたいのです!」

そう九具楽は懇願した。

「……何かあるとは思ったがそんな事か…。だったら答えはNOだ。もう興味はないんだよ。あんな組織面白くもない。」
「……やはりそうですか……。ネックはあの少女ですね?こちらも調査済みです。だったらだったで、こちらにも考えがあります。」

闇主の答えを聞いた途端、九具楽が何やらブツブツ言い始めた。

「?。何を言ってるんだ?」

記憶を失った闇主には九具楽が言っている事の意味が分からない。

「あなたに、YESと言わせてみせます。また会いましょう。」

それだけ言うと、九具楽は身を翻した。艶やかな長い髪が美しく跳ねあがる。

「お…おい。…九具楽?」

意味も分からないまま闇主は取り残された。
本人の知らない所で陰謀が動き出そうとしてた。

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あ〜う〜・・・久々の続きです。大変長らくお待たせして申し訳ございません。
闇主さん・・・目が覚めたけど、やはり一筋縄では行きません。記憶喪失になってます!翡翠の夢って感じです!(笑)
その上、くぐらんが何か企んでますよ〜?今や記憶喪失の闇主に、ラスを護る術なし!ラス様ピ〜ンチ!どうするラス?!
マンスラム様の名が出てきましたが・・・彼女の過去も何かありそうね(笑)
続き・・・速く書けるといいのですが、ちょっと自信ないや・・・(汗)
のんびり連載なのですが、どうぞ気長に待ってやって下さい。ではでは。

16・2・23 レン