−それぞれの幸せ−
3


クレスはまだ洗っていない食器を手早く洗い終え、その後布巾でもって軽くテーブルの上を拭く。その手つきはかなり早く、なかなかに手慣れていた。
それもそのはず。ミントが妊娠したと知った時から、これがクレスの日課になったからである。以前は、二人で交代しながらやっていたのだが、ミントの懐妊後はなるべく彼女に無理をさせまいとして、クレスが料理と裁縫以外のほとんどの家事をやっているのだ。だから、慣れていて当然であった。
余談だが。ミントもクレスのその優しさに応えるべく、日々美味しい料理を作っているのは言うまでもない。
話は元に戻って。それら一連の作業を終えた後、クレスはみんながいる居間へと歩き出した。
(しかし、こんな朝早くに一体何の用なんだろう?)
居間までの数歩の中で、ちょっとだけそんな事を考えたりする。
カチャッ
クレスが居間のドアを開けると、そこにはチェスターとアーチェが座っていた。ミントは、クレスがドアを開けた時にちょうど彼の目の前に立っていた。どうやら、お茶を煎れに行こうとしたらしい。
「お茶を煎れる道具なら、僕がもって来るから、ミントは座っているんだ。いいね?」
「すいません、あなた」
ミントが立っている意味を一瞬で察したクレスは、ミントに優しい口調で座る様に言う。ミントも、クレスの言う事に素直に従った。
それを見ていたチェスター達が、顔を見合わせて笑っていたが、クレス達は気付かなかったみたいだ。
「ほんと、クレスって優しいわよねぇ〜。きょうび、あそこまで優しい旦那さんなんてそういないわよ」
クレスがお茶を煎れる道具を取りに行った後、アーチェが少しからかうように言う。と言うか、物凄くからかっている。
「ふふふ。ありがとうございます」
優しく微笑みながら、ミントはそう言った。新婚当時なら、この一言で赤面し思い切り恥ずかしがっていたのだが、ミントはもう既に慣れていた。…しかし、顔には出ないもののやはり少し照れているらしい。
「ほんっと、夫婦喧嘩なんかしたことないでしょう?」
「いいえ。たまにはしますよ」
「えっ!?」
先ほどと同じ口調でアーチェは言う。しかしミントはその問いかけに、あっさりと即答してみせた。そして、ミントのその言葉にバークライト夫妻は本気で驚いていた。
「何日か前にも、ちょっと口喧嘩をしましたし。結婚する前だって、色々とトラブルはありましたよ。でも、すぐにどっちかが謝って終わるのですけどね。……クレスさんと私の事だから、喧嘩はしないって思いこんでいました?」
本気で驚いている二人に対し、ミントはいつも通りの口調でそう言った。
「へ…へぇ〜、そうなんだ。あはははははは」
アーチェは驚きを隠すため、笑ってごまかしていた。
「でもまぁ、お前等の事だから。多分、晩御飯をどうするかとか、クレスの駄洒落に呆れたとか、そんな程度の事で口論してたんだろ?」
「……っ!!……そそそ、そんな事で喧嘩なんか……もっと重要な…その……」
ちょっとにやつきながら、チェスターは聞いてみる。するとミントは、顔を真っ赤にしながら必死にそれを否定しようとするが、慌てていたためうまく口にあらわせないでいた。その様子からして、図星らしい。
…とその時。
カチャッ
「ミント、お茶煎れ道具持ってきたよ。…………って、チェスターにアーチェ。またミントをからかっていたんだな」
部屋に入ってきたクレスは、ミントの様子を見るなりすぐにチェスター達にそう問いただす。
「あはははは……」
チェスターは、いかにもばつが悪そうに頭をかく。クレスが本気で怒ってない事は解っているのだが、なんとなくからかい過ぎたと反省していた。
「そ…それではお茶を煎れますね」
まだ少し照れながら、ミントはお茶を煎れ始めた。

「……ところで今日はどうしたんだい?」
熱いお茶の入ったティーカップを持ちながら、クレスは二人にたずねる。別に無駄話に時間を費やしてもよかったのだが、そのために二人が来たとは考えられないからだ。
「……あのさ。今日、ユークリッドまで行かない?……みんなで一緒に」
お茶に砂糖を入れながら、アーチェは遠慮がちに言う。その顔には、いつもの明るさが無い様な気がする。
「………もしかして、クラースさんのお墓参りですか?」
ユークリッドと言う地名を聞いて、少し考えた後にミントはそう言った。その少しの時間に、今朝見た夢の事を思い出したらしい。
ミントの言葉に、アーチェは無言で頷く。
「実はもうすぐクラースの命日なんだ。……今迄は色々とあったから行けなかったけど、今は何もないから暫くぶりに行こうと思ったんだ。……たしか、みんなは初めてだったよね。クラースの墓参り」
アーチェらしくない口調で、淡々とそう告げる彼女。しかし、最後の方はいつも通りの口調に戻っていた。ただ、少し無理をしているみたいだが。
そして暫しの沈黙。
「…じゃあ今日の昼過ぎに、ユークリッドに向けて出発しよう。それでいいよな、みんな」
その沈黙を破るように、クレスはそう提案する。
「そうですね。それがいいと思います」
「ああ、俺もそれでOKだぜ。なっ、アーチェ」
「うん、そだね」
クレスの提案に、三人はそう答えた。
「じゃあ決まりだね」
三人の了承を得て、クレスはそう言った。
その後彼等は、お茶を飲みながら暫しお喋りを楽しんだ。


BACK←     →NEXT


BACK