−それぞれの幸せ−
5


「ねえクラース。これもしかして、今回の旅の記録なの?」
クラースの机の上にあった紙を見て、ミラルドはそう尋ねる。
「ああそうだ。……まぁ、多少ごまかしも入っているが」
「ふぅ〜ん。……確かに、事実を書く訳にはいかないからねぇ」
「そう言う事だ」
「…で、これをどうするの?……まさか、売るとか」
「ふっ…それもいいかもな。……まぁ、そんな気は毛頭無いがな」
「ふふふ、そうよね。…クラース、あまり文章うまくないものね」
「……うるさいぞ」
「あらあら、機嫌損ねちゃった?…ごめんなさいねぇ〜」
この時クラースが書いていたのは、決して表に出る事の無かった『自伝』であった。表に出さないのなら書く意味が無いと思われるが、それは後の彼の研究をまとめるのに大いに役立ったらしい。

「それにしても、クラース帰って来てからやけに優しくなったよね」
「………まぁな。……色々苦労とかしたから、人間が丸くなったのだよ」
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃないさ」
「はいはい。解りましたよ」
クラースとミラルドは、お茶を飲みながらそんな会話を楽しんでいた。ついさっきまでは数人の人間がいた研究所も、いまはクラースとミラルドだけしかいない。
クラースは、冒険から帰ってきた後できるだけこの研究所にいる様にしていた。自分の研究をまとめるためと言うのもあるが、一番の理由はミラルドがいるからに他ならない。一緒にいられなかった時間が長かった分、一緒にいられる時には常に側にいようとしているのだ。
「ところでクラース。…あのピンク色の髪の女の子……確か、アーチェさんだったかしら。……一体、どこにいったのかしらねぇ」
「…そう言えば、ここに帰ってきてから一度も会ってないな。…だが、それがどうかしたのか?」
ミラルドは、ふとアーチェの事を思い出してクラースに彼女の事を聞いてみる。しかし、彼が返したのは何ともそっけない答えだった。
「……だって、もうすぐ私達の………」
「…そうだったな。まぁ、いないのはどうしようもないさ」
ミラルドは嬉しそうに微笑みながら、クラースの事を見つめる。クラースもそれに答える様に微笑みかけると、アーチェがいないと言う事に対して少し残念そうにため息をはく。

今クラースは、クレス達と旅をしていた時とは別の意味で、毎日が充実していた。
二度とクレス達に会えないと言う寂しさを忘れさせてくれる存在が、目の前にあるから彼はいつだって笑顔で日々を過ごす事が出来た。
彼は、彼女の存在する事に何よりも感謝していた。
「…………ありがとう、ミラルド」
彼女の背中に向けてクラースは、彼にすらも聞き取れないような小声で感謝の言葉を言った。
傍から見たら意味の無さそうな行為だが、クラースにとってそれは精一杯の感謝の印であった。
「……何か言った?」
「いや…何も言ってないさ」 クラースの口が微かに動いていたのを見たミラルドは、そう言って詰め寄るが、彼は気恥ずかしそうに視線をそらしてそう言ってとぼけた。
「……嘘でしょ?」
「はは…ばれたか」
「何て言ったの?」
「…………愛してるって言ったんだ」
「…嘘」
「……本当だって」
「……まぁいいわ。許してあげる」
「………ありがとう」
しつこく追求するミラルドを、クラースはそう言ってはぐらかした。実際、本当の事を言った方が恥ずかしく無い気がするのだが、クラースはあえて恥ずかしい台詞の方をとった。
今はまだ、感謝の言葉を言うべきでは無い。それが、彼の考えている事だった。

一ヶ月後、二人はささやかな結婚式を挙げた。
その場にアーチェの姿がなかったのが少し残念だった様だが、二人はとても幸せそうな笑顔を浮かべて、村の人達に祝福された。

「ねぇクラース」
「どうした?」
「出掛けるんなら、帰りにここに書いてあるやつ買ってきてちょうだい」
「……はいはい、解りましたよミラルド様。……ったく、そう言うのはなるべく自分で行ってほしいんだがな」
「何か言った?クラース」
「…いや、何でもないよ。……行ってきます」
「行ってらっしゃい。…暗くなるまでには帰ってきなさいよ」
「私は子供じゃないぞ!」
「はいはい、解りましたよ。くだらない事で、むきにならないの」
「……まったく。じゃあ、行ってくるよ」
「お使い、忘れないでね」
「解ってるって」
正式に夫婦になってからも、クラースは相変わらず尻に敷かれていた。以前と変わらぬ絆が、ずっとずっと続いていた。

…………………


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