少し小高い丘の上に男が一人立っていた。
男はしばらくの間周囲を見渡していたが、やがて片膝をつき地面の土を一握り手に取る。
手の中の痩せた土は見る見るうちにぼろぼろと崩れ落ち、彼の指の間から風にのって吹き
こぼれていく。
 「──予想以上だな…。」
すでに何も無くなった掌に目を落とすと、その拳を握りしめる。
この高台から見える限りの土地はすべて荒れ果てていた。
いや、『荒れ果てた』というより、『虚無』という方がより正確だろうか。
まさに…死滅した世界だった。
苛立つ自分を落ち着かせるかのように、男は目を閉じる。
ここが、先程まで自分がいた場所ではないのはすぐに理解した。
またここがどこであるかも、だいたいの見当はついていた。
そして、ここで自分が何をすべきなのかも。
ただ…予想以上の荒廃ぶりに心が痛む。

──風にのってかすかに泣き声が聞こえてくる。

男は閉じた目を開くと、その声がする方へとゆっくり首を巡らせる。
孤独や恐怖に脅える幼い慟哭に、男は痛みを抑えるかのように一瞬視線を落とすが、すぐ
に視線を戻すとためらうことなく大きく跳んだ。





 「ひっく…ふっ…」
少し収まったのか、身を起こして座り込み涙を拭う。
泣いても誰も助けてくれないのは身にしみて解った。
ならば自分でどうにかするしかないではないか。
袖で顔をごしごしと乱暴に拭うと、よろけながらもなんとか立ち上がる。
泥だらけになった服をぱんぱんと叩くと、大きく息を吸い吐き出す。
きゅっと唇を噛み覚悟を決めると、おそるおそる枯れ草をかさっかさりと押し分けながら
前へ進み始める。
とにかくこの草原から出たかった。
出て、どうなるという訳でもなかったけれども。
いくらも歩かないうちに、さっと足元の地面を影が走る。
「……?」
何だろうと好奇心にひかれ、影の主を探していると風を裂くような鋭い羽音が響き渡り、
先程の黒い影が視界をかすめる。
驚いて反射的に目を腕でかばった瞬間、黒い塊が激しくその腕に爪を立てる。
それも一羽ではない。
気が付けば見渡す限りの空は黒く染まってしまうほどの鳥の群れがとびかっていた。
その姿は烏に似ていたが、大型の鳥よりも遥かに巨大だ。
まして決定的に違うのは、その両眼が血の様に赤くたぎっている事だ。
敵意と憎悪に満ちた紅の視線は、明らかに小さな子供を狙っているではないか。
 「きゃあっ…!」
悲鳴を合図に、複数の烏の群れがかん高い鳴き声をあげると、幼い子に襲いかかる。
鋭い爪と鋭いくちばしで小さな獲物を引き裂こうとするかのように、かわるがわる攻撃を
しかけてくる。
 「誰かっ!やだあっ!」
一生懸命手を振り回して退い払おうとするが、全く効果はなかった。
なおいっそう激しくなる攻撃に、とうとうなすすぺもなく小さな体をよりいっそう小さく
してただ攻撃から身を守ろうとする。
切り裂かれた腕が燃えるように熱い。
突然激しい悲鳴のような鳴き声が響きわたると、今まで取り囲むように攻撃してきた鳥達
がいっせいに大きな羽音をたてながら、自分から離れていった。
こわごわと少しだけ顔を上げると、左手すぐ横にさっきまで鳥だった塊がどさりと音を立
てて落ちてくる。
驚いてあたりをみると、子供から離れ空に舞いあがった鳥達は、別の獲物を見っけたのか
ぎゃあぎゃあとがなりたてるように鳴くと大勢で飛びかかって行く。
 「あつ!」
危ない!と思ったとたん、群がった鳥たちで黒い固まりと化したにみえたその物体は次の
瞬間にはそれら全ての鳥達を破壊した。
そう『破壊』したのである。
地面に落ちた鳥は、もはや生物の形をしていなかった。
いや、もともと命あるものではなかったのではないか。
その証拠に、地に落ちた鳥はぼろぼろと土のように崩れやがて消えていった。
軽く息をのみ、破壊した者を見つけ、目をこらす。
──男がいた。気が付いてから初めて見る自分以外の人間だった。
男は面倒臭そうに眉をしかめると、あたかも鳥の動きが見えるかのように、襲いかかって
くる鋭いくちばしや爪を軽々とかわす。
ただかわすだけでなく、次々と攻撃してくる鳥をまたたく間に倒していく。
その動きはまるでどう猛な獣を連想させ、思わず身震いをしてしまう。
みるみるうちに、あれだけたくさんいた鳥は地面に打ち落とされていった。
もはや空中に残っているものは一羽もいない。
そして、何事もなかったかのように再びあたりに静寂が訪れ、時の流れも緩やかになる。
 「大丈夫か?」
ぼう然と何もいなくなってしまった空を見ていた幼な子は呼び掛けられてはっとする。
再び男は言う。
 「怪我をしたようだな…。見せてみろ。」
大きな手が近付いて幼な子の顔の傷に触れようとする。
その手が触れるか触れないかの距離まで近付いたとたん、幼子は思わずびくっと身をすく
めてしまった。
かすかに肩を震わせながらおびえたような瞳でみられ、無意識のうちに少しずつさがろう
とする幼な子に、男は少しとまどった表情を浮かべる。
 「あ…ああ。そうだな…。悪かった。」
伸ばした手を静かに引くその仕草と、困った様な声に改めて目の前の男を見つめる。

──男の瞳はとても温かく優しかった。

大きな安堵感が緊張を一気にときほぐしていく。

──やっと、やっと頼ってもいい人に会えたんだ。
──もうひとりぼっちじゃないんだ。

そんな想いが胸の申から溢れ出し、とうとう男の目を見つめたまましゃくりあげはじめた
かと思うと、やがて
 「ひくっ…あっ、くっ…うわーんっ!」
立ちつくしたまま大きな声で泣き出した子供に、男は少し笑って片膝をつく。
再び自分の為に伸ばされた腕に、今度は迷わず幼な子が飛び込んでいった。
しっかりと首にしがみついてくる小さな体をあやすように、男はぽんぽんと優しくその背
中を叩く。

──やっと見つけた。

男はそっと心の中でつぶやいた。









【BACK】    【NEXT】



【NOVEL】