翌朝、といってもいっこうに陽がさす様子はなく、依然としてあたりは自くけぶったよう
な色であることには変わりがなかったが。
肌寒さにぶるっと小さく身震いして、幼な子の目がぱちりと開かれた。
むくりと起き上がり、そのまま座り込むと瞼を手の平でごしごしとこする。
まだ眠気のとれぬ様子で、ぼんやりとあたりを見渡していたが、捜している肝心の者が見
当たらないことに気付き、あわてて飛び起きる。
まだ微かに残る足の痛みにも構わず、一生懸命にあたりを捜しまわったが、どこにも男は
いなかった。
ひとりぼっちだと解ったとたんに涙が両目に浮かびあがり、足元の景色がぼやけていく。
 「目が覚めたか。」
聞き覚えのある声にはっとして幼子が振り向くと、一輝が枯れ草の茂みの向こうからこち
らに向かって歩いてくるのが見えた。
大きく目を開けて一輝を見上げると、ものも言わずに駆けより彼の足に抱き付く。
 「泣いてたのか?」
上から降ってくる質問に、一輝のズボンに顔を押し付けたまま首を小さく横にふる。
一輝は軽く仕方がないなと言うようにため息をついたが、ふと口許にいささか意地の悪い
笑みを浮かべると、幼な子の目の高さにあうように片膝をつく。
 「あんまり泣くと、目玉が流れ出すぞ。」
脅しは功を奏したのか、ぱちくりと二三度瞬きをして、慌てて幼な子はごしごしと目をこ
すり涙を止めた。
 「ほら、水分の補給だ。」
冗談めかして一輝が幼な子の手をとると、その上に何か柔らかい丸いものをのせてやる。
きょとんと自分の掌を見ると、赤い木の実が乗っていた。
熟れ過ぎたその実は今にも崩れそうなほど柔らかかったが、甘いよい匂いを放っていた。
 「あまり旨くはないかもしれんが、食べておけ。」
 「…お兄ちゃんは…?」
目が覚めて、始めて幼な子が口を開く。
 「俺はいい。それより…見せてみろ。」
そう言って幼な子の体を引き寄せ、昨日の烏や枯れ草につけられた傷をざっと調べた後、
一輝が言う。
 「怪我はたいした事は無いようだな。」
昨日襲ってきた巨大な鳥につけられた傷は、ほとんど残っていなかった。
泥で汚れた子の顔を、親指で擦り取るように拭ってやると、頷くようにこくりと幼な子は
首を縦にふり、じっと一輝の顔を見る。
一輝は軽く口許に苦笑いを浮かべると聞く。
 「どうした。」
ものも言わずにふるふると首を左右に振ると、子は後ろを向いて走り出したが、何を見つ
けたのか近くの茂みの前まで来ると突然しゃがみこむ。
じっと自分の足元の一点を見つめている様子に気をひかれ、一輝がその視線の先を辿る。
 「花…か…。」
正確には花であったもの、であろうか。
苦い色が彼の目をよぎる。
かつてはここも緑あふれる大地であったろうことは、容易に想像がつく。
自分の手元に影が落ちたことで、やっと一輝の存在に気付いたのか、くるりと彼を見上げ
るように頭を巡らせるとぽつり言う。
 「お花…枯れてる。」
返事が返ってこないのをいぶかしむ様子もなく、再びそっとそのしおれきって茶色に干洞
らぴてしまった花びらに指先でふれる。
 「かわいそう…。」
 「願ってみろ。」
 「…?」
再び謝しげな表情で振り返ると、一輝が言う。
 「その花にもう一度咲いてほしいと願ってみろ。」
ぶっきらぼうともとれる口調の彼を、少し不思議そうに見ていたが、こくりと頷き目を閉
じ指を組むと、まるで折るような姿勢で真剣な表情を浮かべた。
するとまもなくぽう、とその干涸らびた花を包み込むように、淡い光が幼な子の掌から溢
れはじめる。
その光が強くなるにつれ、ゆっくりと花に瑞々しい色が戻ってきはじめたではないか。
やがて、その花はひどく緩慢な動きで立ち上がり始め、ほぼ地面に対して垂直になると、
まるで綻びるように花びらが開いていく。
わあと言うように目を丸くすると、振りあおいで一輝を見る。
一輝は少し笑って
 「まだそれくらいの。『力』は残っているようだな。」
 「なあに『力』って…?」
聞きとがめた子が訴しげに尋ねるが、一輝は答えない。
 「いずれ解る。」
 「ふ-ん…。」
まだ納得がいかないような表情で口を軽く尖らせるが、すぐ手の中の可愛らしい薄い桜色
の花弁に、うっとりと見惚れてしまった。
一輝はしばらく幼な子の様子を見ていたが、くるりと踵を返し歩き出すと幼な子に言う。
 「行くぞ。」
その短い呼びかけに幼子ははっとして立ち上がり、慌てて走ろうとしたが、もう一度振り
返るとその花に
 「じゃあね。バイバイ。」
と小さな声でさよならを言うと急いで一輝のもとへ駆け寄っていった。









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