暖かい羊水の申に『彼』は包まれていた。
ゆらゆらと胎児のように揺れながら、ただひたすらその深い眠りを貧っていた。
ここは…とても温かかった。
聞こえてくるのは『彼』の命を刻む音だけ…。
『彼』の体内を休むことなく巡り続ける『血』の音だけ。
ここには『時』という概念が存在しなかった。
『時』がない以上永久に…という言棄も存在しないかもしれないが、この何もかも
変わることなくずっとここで存在し続けるのではないかと思われた時、ふいに『彼』
がうっすらと目を開けた。
胸を刺すようなかすかな痛みを覚え、深い眠りの淵から呼び戻されたのだが、完全に
目が覚めたと言う訳ではないようだ。
それでも、ぼんやりと自分を包む羊水に興味をひかれたのか、何か感情のようなもの
が『彼』の面に現れる。
青い…限り無く青く透き通ったこの世界はまるで……のようだと思う。
何のようだと思ったのかもう解らないが、ひどくそれは懐かしい何かであったような
気がする。
そんな事をとりとめなく『意識』の表面に浮かべている間にも、とろとろと溶けてし
まいそうな眠りへの感覚が蘇るが、その感覚に身を委ねるのを邪魔するように、痛み
も再び『彼』の胸に戻ってくる。
まるで寝の足りぬ赤児がむずかるように、『彼』は瞼を微かに痙攣させ眠りを妨げよ
うとするものに抵抗する。
が、『彼』をさいなむ胸の痛みはいっこうに消える気配がなかった。
そのまま無視して眼りにつけるほど、その痛みは優しくはなく、どうにかなってしま
いそうなほど、激しいものでもなかつた。
この柔らかな空間で、もっと深く永遠に近い時を眠っていたいと願うのに、どうして
も胸の痛みが邪魔をする。
ちくり、ちくりと『彼』の体内で鼓動を続けるものと波長をあわせるように、痛みは
徐々に耐え難いものへと変化する。
僅かずつではあるが、手や足が動き始める。
それにあわせて『彼』のまわりで無数紬かい泡が、こぽこぽと小さな音をたてながら
昇っていく。
叶えられない願いはやがて苛立ちに変わり、緩慢だった動きが感情を表すかのように
徐々に活発になっていく。
そんな『彼』を宥めるかのように、ふわりと暖かい『何か』が『彼』を包み込んだ。

──坊、坊や。──

──ゆるりとお眠り。──

耳を通さず、直接意識に語りかけるその声は、何故かとても懐かしい。
たとえようもなく優しく、温かい何か腕のようなものに抱き締められると、あれほど
煩わしかった痛みが嘘のようにひいてゆく。
しかし、その代わりに傷みのあった場所にぽっかりと穴でも開いたようなこの空虚さ
は何であろう…?

──坊よ、坊よ。──

──愛しい子…。──

単調に繰り返される言葉が『彼』の思考を妨げいっそうの眠りを誘う。
その波にいやおうなく引き込もうとする力に『彼』は微かに低抗を示したが、すぐに
諦め素直に身を委ねる。

──何カ…足リナイ…──

急速に落ちていく意識の中で、そっと胸を押さえた。















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