「八戒っ!」 にっこり笑った悟空が八戒を振り返る。 指差す先には屋台の肉まんが美味しそうに湯気を上げていた。 期待に満ちた瞳で八戒を見つめる悟空に、パタパタとシッポを振ってご主人様からエサ を貰えるのを待っている子犬の姿を見てしまい、悟浄はやれやれと苦笑する。 八戒が真言しか話せなくなって二日目。 悟空はまさに母犬にじゃれつく子犬のごとく八戒にまとわりついている。 昨日の夕食に引き続き、朝食時にも悟空はなんとか八戒の役に立とうと、かいがいしく 給仕をしたり皿を片付けたりしていた。 それはもう、悟空と顔を合わせるたびに喧嘩騒ぎへと発展していく悟浄でさえも、 からかう気力を無くしてしまうほどの健気さだ。 自分が提案してしまったこととはいえ、悟浄は呆れながら悟空を見ていた。 結果───悟空は食事時に自分の食欲を満たしきれなかったのか、買物に出た市場で いつも以上に食べ物をねだっては八戒の苦笑を誘っていた。 自分のせいで寂しい思いをさせてしまっているという負い目があるのか、八戒もまた いつも以上に悟空を甘やかし、ただでさえ斜めの三蔵の機嫌は今にも地につかんばかり に傾いて行く。 「八戒。・・───・・」 悟空に肉まんを買い与えようとする八戒に釘をさして、三蔵は大きく溜息をついた。 「・・──────・・」 「・・────・・」 悟空の元へ行こうとしていた八戒が、乾燥食品の露店の前で立ち止まり、三蔵に何か 話し掛けた。 「・・──────・・」 「・・──────────・・」 渋々といった感じで頷く三蔵に、八戒が苦笑しながら品物を手渡している。 悟浄は小さく舌打ちして、銜えた煙草に火をつけた。 面白くない。 この程度のことで情けないとは思うが、やはりどうしても気分が悪い。 「・・─────────・・」 「・・──────・・」 「・・───・・」 思ったように値切れなかったらしく眉間の皺を増やす三蔵を宥めているような声音の 八戒と、不機嫌に唸る三蔵のやりとりに、悟浄はどんよりと眉を顰めた。 意味の通じない真言でのやり取りであっても、内容は他愛もない日常会話だろうとの 見当はつく。 買物先での必要なものの確認や店主との交渉など、とりたてて気にするような話では ないとわかっているのに、自分が理解できない言葉で話されると、除け者にされている ようで苛立ちが抑えきれないのだ。 だから───八戒の意識を自分のほうへと取り戻すべく、行動を起こす。 悟浄は背後からのしかかるように八戒を腕の中に抱き込み、その細い肩に顎を乗せた。 「俺様を無視して、でけぇ声でナイショ話してんじゃねぇよ、この生臭坊主」 軽い口調とは裏腹に、悟浄は不機嫌に眇めた瞳で三蔵を見据えている。 「ぁあ?悔しかったら話しをしてみろ、クソ河童」 不機嫌に吐き捨てた三蔵を、悟浄は鼻で嘲った。 「身体でお話するから邪魔だっつってんだろ?デバガメ野郎」 「ケッ。貴様の頭にはそれしかねぇのか、エロゴキブリ」 「ハッ。チェリーちゃんには言われたかねぇな」 「いっぺん死ぬか?」 胡乱な眼差しと冷たい声で告げられて、チャキッと懐から取り出される三蔵の愛銃に、 一触即発の険悪な空気が漂い始めたところで、八戒がニッコリと微笑んだ。 「ゴジョウ、サンゾウ」 ひゅーっと木枯らしが吹きぬける音が聞こえそうなほどの冷たい声音に、二人が凍りつく。 先に解凍したのは悟浄だった。 「だって八戒〜」 八戒の背中に張り付いたまま悟浄が甘える。 「三蔵がイジメル〜」 カフスの嵌る耳元で子供めいた口調で言いつけながら三蔵を指差せば、ひくりっと 最高僧の顔が引き攣る。 それを見やって悟浄がニッと悪戯っ子のような顔で笑い、ペロリと舌を出してみせた。 二人の掛け合いを見ていた八戒にも、悟浄と三蔵のいつもの物騒なコミュニケーション だと理解できたのだろう。 クスクスと笑いながら片手を持ち上げると軽く握った拳で、悟浄の頭をコンと叩く。 「ゴジョウ、・・──────・・」 「八戒〜」 叱られた子供が拗ねるような仕草で八戒に縋りつけば、ヨシヨシと頭を撫でられる。 「貴様ら…道のど真ん中で沸いてんじゃねぇ」 剣呑な眼差しで睨みあげられ、地を這う低音で凄まれても、悟浄は八戒から離れなかっ た。片目を瞑ってニヤリと笑う悟浄に、八戒はわずかに眉を寄せて、困った人ですねと 言わんばかりだ。 その様子に八戒の言いたいことを読み取った悟浄が更に口端を吊り上げる。 悟浄はそのまま八戒の肩に腕を回して別な露店の方へと顎をしゃくってみせた。 ふわりと柔らかく微笑んで、八戒は目的の店を指差す。 「八戒・・─────────・・」 「・・─────────・・サンゾウ」 「・・─────────・・」 文句を言ったらしい三蔵に、八戒が微笑を浮かべたまま何かを言い、三蔵がもっと 不機嫌な面持ちになり憮然と応じる。 「なぁなぁ、八戒、肉まん、いいだろ?」 屋台の前で待っていた悟空が、八戒が来る気配のないのに痺れを切らして駆け戻って きた。その悟空の頭に三蔵のハリセンが半ば以上の八つ当たりを込めて炸裂する。 「さっきも食ったばっかりだろうがっ!」 「なんだよぉ…三蔵のケチ〜!ハゲ〜!」 頭を抑えた悟空が蹲り、涙目で三蔵を睨み上げた。 「やかましいっ!!」 「なぁなぁ八戒、荷物重くない?大丈夫?」 「・・───・・ゴクウ」 「こんぐらい大丈夫だろ、オマエ、心配し過ぎだって」 「んだよぉ〜悟浄の薄情者。八戒のこと心配じゃねぇのかよぉ?」 「力がなくなっちまったワケじゃねぇだろ」 「ゴジョウ、ゴクウ」 ぎゃいぎゃいと騒ぐ悟浄と悟空を宥める八戒。 いつも通りの騒々しさで前を歩く三人にわずかに遅れて歩きながら、三蔵は盛大な溜息 をついた。 一体、なぜ、何の因果で俺はこんな目に会わねばならんのだ…? ズキズキと痛むこめかみを揉み解しながらげんなりと自問する三蔵をよそに、前方の 腐った三人組みからは笑い声さえ聞こえてくる。 まったく─── 三蔵は盛大な溜息をついた。 八戒の災難が三蔵にまで火の粉を撒き散らすなど、一体、誰が想像しただろう。 そう───本当に災難なのは三蔵であるのかもしれなかった。 たとえ生臭といわれようと鬼畜といわれようと、三蔵は僧侶である。 僧侶である三蔵が真言に長けているのは当たり前のことだ。 それを考えるなら、八戒が真言しか話せなくなった以上、自分に通訳を求められるのは 仕方のないことなのだが、煩わしいことこのうえない。 買物の通訳に引き摺り出された三蔵は、常日頃は八戒が担当している値段交渉までやら されて、露店で食料品を値切る最高僧という情けない姿を衆目に曝していた。 悟浄にやらせればいいと思うのだが、いかんせん、八戒と悟浄の間に入って通訳して やるのは鬱陶しいと思ってしまう三蔵なのだった。 だから極力、悟浄と八戒の間に入らずにいれば、悟浄は日頃のコミュニケーション過多 な彼らしい方法で、八戒と意志を通じ合わせることに成功したようだ。 悟浄への通訳は解放されたかとホッとしたのも束の間、買物先での通訳に八戒に散々に こき使われ、八戒から話しかけてもらえずに拗ねた悟浄に絡まれるという面白くもない 事態に発展している。 そのうえ見たくもない悟浄と八戒のラブラブぶりを見せつけられ、迷惑極まりない。 加えて周囲から浴びせられる好奇の視線も、三蔵の苛立ちを煽っていた。 なにしろ長身の男二人が仲良く片手に荷物を一つずつ持って、互いの腰に手を回し、 楽しげに寄り添い歩いているのだ。 二人とも性質は違えどもそれぞれが鑑賞に耐え得るだけの美貌を誇るものだから、 否が応でも人目をひいてしまう。 そこへ纏わりついてキャンキャン騒ぐ悟空である。 街行く人々の目は自然、この三人へと注がれることになり、すぐ後に続くのは法衣を 着て経文を肩にした三蔵とくれば人々が不思議に思うのも無理はない。 いかにも僧侶───しかも最高僧であるとわかる格好をした三蔵と、ラブラブモードで 周囲をピンクに染めている美青年二人、それに懐く子犬のような少年といった取り合わ せに、好奇心を刺激されない者のほうが少ないだろう。 だがしかし、いかに理性で理解していようとも、その不躾なまでの視線に耐えられる だけ、三蔵は人物ができてはいなかった。 ふつふつと込み上げる怒りにどんどん眉間の皺は深くなり、前の3人を睨む視線は凶悪 になって行く。 『あれ…三蔵、もう疲れちゃったんですか。嫌ですねぇ…やっぱり年ですか? まだ半分しか買物していないんですから、しっかりしてくださいね』 微笑を浮かべて振り向いた八戒の、こちらもかなりのストレスを溜め込んでいるらしい 刺のある言葉に、思わず懐の銃に手をかけた三蔵だが辛うじて踏みとどまる。 結局、このあとも延々と市場を引き摺りまわされ、八戒に通訳としてこき使われ、嫉妬 する悟浄に絡まれ、食べ物をねだる悟空を張り倒し、通常の倍以上に時間のかかった 買物だけで一日が費やされた。 さすがの三蔵も宿に戻るなりベッドに倒れこむほどに疲労し、肉体的にも精神的にも ぐったりとしながら、あと一日の辛抱だと自分に言い聞かせる。 同時にまだ一日もあるのかと、激しくなる頭痛に眩暈すら覚える三蔵だった。 |
リレー4回目はLUNAさんでした。 やっぱり、一番災難だったのは、八戒ではなく三蔵ですよね。 可哀想に…くっくっく…。 妙な所で常識人だから、却って疲れるんだ、きっと。(笑) しかし公道でいちゃいちゃする二人…遠くから見てみたい。 だって近くからだとラブラブオーラにあてられそうだから。 そしてお次は結花です。そろそろまとめに入ろうかな? |