悟空をからかって遊んでいた筈だったが、気がつけばいつものようにデッドヒートしている 最中、いきなりジープがスピンした。 ちょうど半ば立ち上がった姿勢で掴み合いをしていたため、その衝撃であっさりバランスを崩 しひとり泉の中に放り出された。 そこまでは、ちゃんと把握している。 考えなくともかなり情けない状況ではあったが、今問題はそんな事ではなく…。 ──なんだこれは!? ── 心の中でそう叫びながら悟浄は必死に水面へと浮かび上がろうとするが、ねっとりとまとわり つくような水に阻まれ、身動きがとれない。 ごぼっと口から漏れた泡だけが地上へと向かうのを見ながら、力任せに自分を拘束する水を振 りきると、悟浄は酸素を求め浮上した。 「ご、悟浄!?」 沈んでいくばかりで、一向に浮き上がってこない悟浄の様子にただならぬものを感じた八戒は 慌てて助けようと自分も泉の中へ飛び込もうとした瞬間、 ごぼごぼっ!という水音が聞こえ、水面に大きな泡がいくつも湧き出る。 自力で浮かび上がってきたのかとほっと安堵の息をつきながら、八戒は見慣れた彼の姿が水面 に出てくるのを待つ。 「ごっ……。」 「あっれえ?」 「……!?」 が、盛大に泡を起こしながら浮かび上がってきたものに、思わず八戒は喉から出かかった言葉 を飲み込み、悟空は素っ頓狂な声を上げる。 三蔵に至っては、驚きのあまり手にした煙草をぽろりと落としてしまうという、世にも珍しい ことが起こったが、残念ながらそれに気付く心のゆとりがある者はここにはいなかった。 「あひ…る?」 「みたい…ですね。」 一瞬の沈黙ののち、悟空が半ば確認するように水面に浮かぶものを指さして問い掛ければ、 ぼんやりと八戒はそう答えながら視線は泉の周りをさまよう。 そう、そこには悟浄ではなく、一羽のあひるがぷかぷかと浮かんでいるのだ。 そして何故かそのあひるは、まるで自分の姿にパニックを起こしたかのようにバサバサとしき りに羽を広げたり、キョロキョロと辺りを見渡している。 彼の周囲の水面には、悟浄が着ていたはずの服が所在なげにただよっている。 「あのさぁ、八戒…。」 「なんです?悟空。」 悟空が言いにくそうに八戒を見上げながら声をかけると、八戒はいつものように返事をする。 若干その声に戸惑いが入っているのは隠せなかったが。 「このアヒルって…。」 「うーん、この気配は確かにそうなんですけど…。」 未だパニックを起こしている水上のアヒルを指さしながら、悟空がなおも八戒に尋ねる。 妖怪であれ人間であれ、それぞれ固有の気配を持っている。 そして目の前の泉で浮かぶアヒルが放つ気配は、微弱ではあったが馴染みすぎるほど馴染んだ とある人物のもので…。 「あのう…もしかして…。」 「うん。でもさぁ…やっぱあれって…。」 「悟浄だな。」 へたりとその場に座り込んで呆けたような表情で、アヒルを見つめ続ける八戒の台詞に悟空が どこか納得しかねるといった声で同調する。 この現状を、あまり認めたくないというのがありありと解るふたりの様子に対し、新しい煙草 に火をつけながら、無情にもきっぱりと三蔵が言い切る。 例によって例のごとく、迷いを撃ち殺すような三蔵の一声に、八戒と悟空は思わず今目の前に 起こっている事柄に対し納得してしまう。 「…やっぱり?」 引きつったような顔で悟空がそう言うが、そこにある感情は今のこの状況…悟浄が目の前で アヒルとなってしまった事を心配する訳ではなく…。 「ぶわははははっ!な、なんだよそれ!」 「グワ!」 笑うな!と言った様子で悟浄が叫ぶが、単なるアヒルの鳴き声にしか聞こえない今の状況では 余計に笑いを誘うだけだ。 とうとう腹を抱えてその場に座り込み、なおも笑い続ける悟空に、悟浄は真紅の瞳を怒りに彩 りながら、射殺さんばかりにねめつける。 「ご…じょう?」 「ガッ。」 未だ困惑を隠せないといった顔つきで八戒が名前を呼びかければ、すいすいと水をかきながら アヒルとなった悟浄が近づいていく。 すぐ側までやってきた悟浄に手を伸ばし、そっと水面からすくい上げると、自分の膝の上に ちょこんと彼を置く。 「悟浄なんですね。」 「グワッ。」 再度確認するようにまた八戒が名を呼べば、同じく困惑を隠せないといった様子で悟浄はその 顔を見上げる。 「悟浄…。」 微かに震える手で、八戒は恐る恐るといった風に腕の中にいる悟浄の姿を確認するように首筋 や羽を撫でていく。 |
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驚かせてしまったのかと、悟浄が 伺うように八戒の顔を見た瞬間、 硬直する。 かの美貌の君の顔(かんばせ)に、 まさしく花のような笑顔が咲き 誇ったのを目の当たりにしたからだ。 そして、その笑顔のまま八戒が悟浄 だったアヒルをぎゅっと抱き締め呟く。 「…可愛いっ!」 「ガアッ!?」 苦しいばかりの抱擁から逃れようと じたじたと悟浄は暴れもがきながら ──こんなところで 天然かますなぁ!── と叫びたい気持ちのままにただ吠えた。 |