武 田 信 玄・勝 頼 詳 細 年 譜 |
年号 | 西暦 | 信玄年齢 | 勝頼年齢 | 事 項 | 一般事項 |
大永 元 | 1521 | 1 | − | 11.3 武田太郎(晴信)、石水寺要害で誕生。11.23 信直(信虎)、今川氏の武将福島正成を討ち取る。11.27 太郎、府中の館に入る。 | 12 足利義晴、将軍となる。 |
二 | 1522 | 2 | − | 8.17 信直、富士山に登山する。 | |
三 | 1523 | 3 | − | 6.10 信直、信濃善光寺へ参詣。 12.3 太郎、袴着の式を行う。 | |
四 | 1524 | 4 | − | 2.11信直、関東に出陣。関東管領上杉憲房と相模の北条氏綱との合戦に介入。7.20 武蔵岩槻城を攻める。 11.23 氏綱と和睦。 | 1 氏綱、上杉朝興を江戸に破る。 |
五 | 1525 | 5 | − | 4.1 金刺昌春が信直を頼る。この年、信直は氏綱・駿河の今川氏親と戦い、相模津久井城を攻める。 | 3.25 上杉憲房が没する。 |
六 | 1526 | 6 | − | 7.30 信直、氏綱の兵を駿河梨の木平に破る。この年、氏綱と和睦がならず上洛できず。 | 6.19 将軍義晴、信直を上洛させようとする。6.23今川氏親が没し、氏輝が嗣ぐ。 |
七 | 1527 | 7 | − | 4 .27 信直、将軍足利義晴を訪問、従五位下に叙される。信直、信虎と改名する。6.3 信虎、信濃に出兵し、後に大井氏と和睦する。7.8 帰途に善光寺に参詣。この年、今川氏輝と和睦。 | |
大永 八 享禄 元 |
1528 | 8 | − | 8.30 信虎、諏方頼満と信濃神戸・境川の戦いで敗れ、荻原備中守らが討死する。 | |
三 | 1530 | 10 | − | 4.23 小山田信有が防戦するが敗れる。この年、信虎は上杉憲房の後室を側室とする。 | 1.21 長尾景虎(上杉謙信)誕生。4 氏綱が甲斐郡内に乱入。 |
四 | 1531 | 11 | − | 1.21 栗原兵庫・飯富虎昌らが、信虎に叛く。2.2 信虎、大井信業・今井尾張守らと戦い敗死させる。4.12 信虎、諏方頼満・栗原兵庫・今井信元・飯富虎昌と塩川端で戦い大勝する。 | 上杉憲政、関東管領になる。 |
享禄 五 天文 元 |
1532 | 12 | − | 9 信虎、栗原一族の今井信元を浦城に攻めて降し、甲斐を完全に統一する。この年、小山田氏が甲斐郡内の中津森より谷村へ本拠を移す。 | |
二 | 1533 | 13 | − | 春、府中の武田館が焼失する。この年、太郎が上杉(扇谷)朝興の女を娶る。 | |
三 | 1534 | 14 | − | 11 太郎の妻・上杉氏、難産のため死去。 | 5 織田信長、誕生する。 |
四 | 1535 | 15 | − | 6 .5 信虎、駿河に出兵する。8.19 信虎、万沢口で氏輝と戦う。8.22 信虎、北条・今川軍に敗れ、弟 勝沼信友・小山田弾正が討死する。9.17 信虎、諏方碧雲斎(頼満)と諏方社の宝鈴を鳴らして和睦する。 | 8 北条氏綱・今川氏輝勢、郡内・都留郡へ侵入する。 |
五 | 1536 | 16 | − | 1.17 太郎、元服して将軍義晴の偏諱をうけて晴信と名乗り、従五位下左京大夫に任ぜられる。その後信虎は、前島一族を成敗する。7 晴信、三条公頼の女を娶る。11 晴信、信濃佐久郡の戦いに初陣。12.26 晴信、海之口城に平賀源心を滅ぼす。 | 6.8 今川氏輝が没したため花倉の乱が起こり、その結果、義元(承芳)が嗣ぐ。8.3 越後の長尾為景が、子の晴景に家督を譲る。12.24 為景が病死する。 |
六 | 1537 | 17 | − | 2 .10 信虎の長女、今川義元に嫁ぐ。2.26 氏綱が駿河に侵攻したので、その救援の為、信虎が須走口に出陣する。10.21 信虎、冷泉為和を甲斐府中に招いて、歌会を催す。この年、御宿監物が武田氏に内通する。 | 4.27 上杉朝興没す。 |
七 | 1538 | 18 | − | 2 北条氏との争いが続く。その後、和議が成立する。7 晴信が韮崎の河原で諏方・小笠原氏を破り、敗走させる。この年、太郎(義信)が誕生する。 | 5.16 氏綱、都留郡に侵攻する。7.19 諏方頼重・小笠原長時らの約一万の大軍が、甲斐に侵入する。 |
八 | 1539 | 19 | − | 8 晴信、冷泉為和を招いて府中で歌会を催す。この年、北条氏との争いが再発する。 | 諏方碧雲斎が没し、孫の頼重が嗣ぐ。 |
九 | 1540 | 20 | − | 5 信虎、信濃佐久郡に攻め入り、一日に三十六の小城を攻略する。11.29 信虎の三女禰々、諏方頼重に嫁ぐ。12.17 信虎、頼重の館へ訪問する。 | |
一 0 | 1541 | 21 | − | 5.13 信虎、頼重・村上義清と共に小県郡の海野棟綱を破る。 6.14 晴信、帰国直後の信虎を駿河に追放する。6.19 小笠原長時・頼重らを韮崎に破る。6.28 家督相続の儀を行い、甲斐守護職を嗣ぎ大膳大夫を称す。10.4 初めて竜朱印状を発する。この年、次郎(竜宝)が誕生する。 | 7 上杉憲政の兵、信濃に侵入する。7.17 氏綱が没し、氏康が嗣ぐ。 |
一 一 | 1542 | 22 | − | 3.9 小笠原・諏方・村上・木曽の連合軍を信濃瀬沢で破る。閏3.20 長時を信濃平沢で破る。6.24 高遠の諏方頼継と結び、頼重を攻める。7.2 上原城を攻める。7.4 桑原城を攻略。7.21 頼重・頼高兄弟を、甲斐東光寺に招き自害させ、板垣信方を上原城代とする。9.11 上原城を奪回。9.25 諏方郡安国寺で頼継を破る。9.28 頼継を追撃して上伊奈に侵入し、福与城主藤沢頼親を降す。10.23 義清・長時軍を大門峠に破る。12.15 禰津元直の女(実は諏方頼重の娘)を側室にする。この年、竜王信玄堤を築き始める。 | 4.4 頼重夫人禰々、寅王を生む。6 上杉憲政、北条氏康討伐に出陣。9.10 頼継が晴信に反旗を翻し、上原城を奪還する。12 松平元康(徳川家康)が、誕生する。 |
一 二 | 1543 | 23 | − | 1.3 武田館が類焼する。1.19 禰々が病死する。9.19小県郡長窪城主大井貞隆を降す。9.20 望月一族を成敗する。 | 6.27 信虎、京を歴遊する。 |
一 三 | 1544 | 24 | − | 6 黒川金山衆に初めて朱印状を与える。10.29 頼親が反旗を翻したため、荒神山城を包囲したが、小笠原長時・頼継に背後を衝かれる。11.5 甲斐府中に帰陣するが、その後、頼継が諏方に乱入して暴れる。 | |
一 四 | 1545 | 25 | − | 4.17 高遠城を攻略。6.11 福与城を攻略し、頼親・頼継が降伏する。6.1
板垣信方が竜ヶ崎城を落とす。6.13
信濃府中に乱入し、放火する。9.9
北条氏康に侵攻されている今川義元に援軍要請をうけたため、駿河吉原に布陣する。10.24
晴信の仲介により、義元・氏康・上杉憲政の和議が成立する。 . |
8 義元、氏康と駿河狐橋で戦う。 |
一 五 | 1546 | 26 | 1 | 5.20 佐久郡内山城を攻略して、大井貞清を降す。6.16 三条西実澄・四辻季遠を積翠寺に迎え、連歌会を催す。この年四郎(勝頼)が誕生する。この頃、真田幸綱、晴信に従う。 | 12 足利義輝、将軍となる。 |
一 六 | 1547 | 27 | 2 | 6 『甲州法度之次第』五十五ヵ条を制定する。3.8 高遠城の鍬立をする。5.6 大井貞清、府中に出仕。8.6 佐久郡小田井原に上杉憲政軍を破る。8.11 志賀城を攻略。城主笠原清繁は自害し、その夫人を小山田信友の側室とする。8.21 諏方において、小笠原氏と対陣。 | 10 松平竹千代(元康)、織田信秀のもとで人質となる。 |
一 七 | 1548 | 28 | 3 | 2.14 村上義清と小県郡塩田原に戦い大敗し、晴信は負傷し、板垣信方・甘利虎泰らが討死する。3.5 上原城へ帰陣する。4 義清・小笠原長時らが諏方に侵入。7.19 勝弦峠で長時を破る。8.11 長坂虎房を上原城代とする。9.11 佐久郡前山城を攻略。9.27 望月に在陣する。 | 4.3 諏方頼継、府中をたち高遠へ帰城する。12 長尾景虎、家督を嗣ぐ。 |
一 八 | 1549 | 29 | 4 | 4 佐久郡春日城を攻略。7.15 伊奈箕輪城を普請する。8 佐久郡を制圧する。9 平原城を放火。村上方の望月・伴野・芦田・依田氏らが降る。 | 3 松平広忠、刺殺される。11 松平竹千代、今川義元の人質となる。 |
一 九 | 1550 | 30 | 5 | 4 イヌイ城を攻略。5.25 筑摩郡村井で長時を破る。7.15 長時を攻める。林・深志・岡田・桐原・山辺城は自落し、長時は義清を頼る。7.19 深志城の鍬立をする。10.1 砥石城を攻めるも大敗し、横田高松が討死する。12.7 太郎が元服する。 | 6.2 姉 義元夫人、死去する。 |
二 0 | 1551 | 31 | 6 | 5.26 真田幸綱が砥石城を攻略。6.28 保科正俊を調略する。10.24 安曇郡平瀬城を攻略。10.27 同郡小岩岳城を攻めるが失敗する。 | 3.3 織田信秀が没し、信長が嗣ぐ。9.1 大内義隆・三条公頼(晴信の義父)らが、陶隆房に襲われ、自害する。 |
二 一 | 1552 | 32 | 7 | 1.8 義信の具足始めの儀式を行う。1.27 諏方頼継、府中で自害する。5.7 晴信生母 大井氏が没する。8.12 小岩岳城を攻略。11.28 義信が、今川義元の女を娶る。12 小笠原長時が長尾景虎を頼る。 | 1 上杉憲政、北条氏康に追われ、長尾景虎を頼る。 |
二 二 | 1553 | 33 | 8 | 閏1 安曇郡の仁科盛康、武田氏に帰属する。4.2 筑摩郡苅屋原城、ついで塔原城を落とす。4.9 葛尾城を攻略。4.16 香坂氏出仕。4.18 室賀氏出仕。4.22 義清・北信濃の土豪らの要請をうけた長尾軍と、更級郡八幡で戦う。長尾軍の猛攻により、退却する。7.23 嫡子太郎、足利義輝より偏諱をうけて、義信と名乗る。8.5 小県郡に出陣し、塩田城を攻略。この月、川中島付近で景虎と対決(第一回)。9 景虎に敗れ、筑摩・埴科郡に侵入される。11.19 義信の名乗りの儀式を行う。 | 2 景虎が上洛する。8 村上義清が景虎を頼る。 |
二 三 | 1554 | 34 | 9 | 5 『甲州法度之次第』に二ヵ条を追加し、五十七ヵ条とする。7 伊奈郡の神之峰城主 知久頼元・座光寺氏が叛いたため、7.24に出陣する。8.6 佐久郡に出兵(義信の初陣)。この月、鈴岡城を攻略し、伊奈郡を支配下におく。12.5 上杉家臣 北条高広が武田氏に内応し、挙兵する。12.20 知久平を下条氏に安堵する。この月、晴信の女が北条氏政に嫁ぐ。 | |
天文二四 弘治 元 |
1555 | 35 | 10 | 4.23 信濃に出陣。7.19 川中島に対陣し、合戦(第二次)に及ぶ。その後、小競り合いが続く。8 木曽郡の福島城を攻略。城主木曽義康と和議を結び、晴信の三女を義康の子の義昌に嫁がせる。閏10.15 今川義元の調停によって、武田・長尾軍撤兵する。11.6 側室諏方氏、死去する。 | |
二 | 1556 | 36 | 11 | 8 村上氏の残党が立て籠もる雨飾城を、真田幸綱が攻略する。同月、大熊朝秀が景虎に叛き、武田氏を頼る。10 京 天竜寺 策彦周良、恵林寺住持になる。 | |
三 | 1557 | 37 | 12 | 2.15 水内郡葛山城を攻略し、善光寺を手中におさめ仏像等を奪う。7.5 小谷城を攻める。8 川中島の合戦(第三回)、小競り合いに終わる。この年、信玄堤が完成する。この年、五郎(盛信)が誕生し、晴信は信濃守護に任ぜられ、義信は准三管領の称を拝領する。 | 3 飯山城主高梨政頼が、景虎に救援を頼む。 |
弘治 四 永禄 元 |
1558 | 38 | 13 | 2 将軍 足利義輝、晴信・景虎の和解をはかる。4 弟の信繁が、家訓九十九ヵ条を定める。9.25 善光寺如来を甲斐府中へ移す。 | 4 景虎が上洛する。 |
二 | 1559 | 39 | 14 | 2出家して、徳栄軒信玄と号する。 | 4 景虎、上洛して義輝と謁する。 |
三 | 1560 | 40 | 15 | 6 信濃川中島に海津城を築く。10 大坂本願寺に頼み、加賀・越中の一向一揆に越後を焼かせる。11 一族の勝沼信元が背いたため、成敗する。 | 5 織田信長が、尾張桶狭間で対陣中の今川義元を襲い、討ち取る。8 景虎が関東各地を転戦し、厩橋で越年する。9 関白近衛前嗣が景虎を頼り、下向する。 |
四 | 1561 | 41 | 16 | 3 軽井沢に出陣。4 碓井峠を越えて、上野へ侵攻する。8 上杉政虎(景虎)が川中島を横断し、妻女山に布陣する。9.10 八幡原で激戦(第四回)、弟 信繁・室住昌清・山本守氏ら多くの諸将が討死する。11.18 上野高田城、二日後に国峰城を攻略。12.7 北条氏と共に倉賀野城を攻める。 | 景虎のもとに上野・下野・武蔵・常陸・安房・上総・下総の国人衆が集まり、氏康はその領国の殆どを失う。3 景虎、小田原城を包囲する。閏3 景虎、上杉姓に改め、名を政虎とし、関東管領になる。11 政虎、関東に出陣する。 |
五 | 1562 | 42 | 17 | 2 飛騨諏訪城を攻める。5 再び西上野に侵攻。6 諏方勝頼は伊奈高遠城代となる。9 上野安中城を攻める。12.16 北条氏康と共に武蔵松山城を攻撃し、越年する。 | 1 織田信長と松平元康が盟約を結ぶ。10.13 上杉輝虎(政虎)の家臣が、小幡景貞の守る国峰城を攻略。11 輝虎が関東へ出陣する。 |
六 | 1563 | 43 | 18 | 2.4 北条軍と共に、松山城を攻略。7 関東へ出陣。8.6 西上野在陣。10.13真田幸綱らが岩櫃城を落とす。 12 信玄が陣頭指揮をして上野倉賀野城・箕輪城を攻める。閏12 氏康と共に金山城を攻め、越年する。この年、大勝(信清)誕生。 | 7 元康、今川氏と断交し、名を家康と改める。12 輝虎、上野へ出陣する。 |
七 | 1564 | 44 | 19 | 1.10 飛騨の桜洞城の城下に火を放つ。。3 将軍義輝、信玄・輝虎・氏康の三和を図る。3.18 信濃水内郡野尻城を奪い返す。3.21 信玄が蘆名盛氏を誘う。4 西上野に侵入する。5.17 倉賀野城を攻略。7 山県昌景、飛騨に侵攻する。8 川中島で対陣(第五回)する。10.1 帰国し、関東へ出陣。12.1 快川紹喜を、美濃崇福寺より恵林寺に再び迎える。 | 2 輝虎、関東に出陣。4 会津の蘆名盛氏が武田氏に呼応し越後に出陣する。 |
八 | 1565 | 45 | 20 | 1.8 上野の沼田城を窺う。3 秋山信友、美濃高野口で織田家臣の森可成らと戦う。5.23 上野安中口に出陣。6 箕輪城を攻める。9 嫡男義信、謀叛のかどにより甲府東光寺に幽閉され、飯富虎昌が成敗される。11.13 織田信長の姪 遠山氏、諏方勝頼の元に嫁ぐ。11.17 西上野嶽山城を攻略する。 | 5 足利義輝、三好義継・松永久秀らに攻められ、討死する。 |
九 | 1566 | 46 | 21 | 3 西上野へ侵攻。4.3 白井城を攻める。9.29 上野箕輪城を攻略(勝頼の初陣)、城主長野業盛は自害する。 | 8.25 一乗院覚慶、還俗して足利義秋(義昭)と称す。12 家康、徳川姓を名乗る。 |
一 0 | 1567 | 47 | 22 | 3 真田幸綱、白井城を攻略。5.5 上野総社城を攻略。8.7,8 義信謀叛事件で家中が動揺したため、甲斐・信濃・西上野の家臣に対して下郷諏方社で起請文を徴し、同社に納める。10.19 義信、自害する(三十歳)。11中旬 勝頼夫人、武王(信勝)を生む。11.21 信長が嫡男 奇妙丸と信玄の娘 於松との婚儀の話を持ち込み、信玄はこれを受諾する。12 義信夫人を駿河に返したため、甲駿相の同盟が破れる。 | 12 今川氏真、上杉輝虎・徳川家康と交誼を交わす。 |
一 一 | 1568 | 48 | 23 | 2 義信の館を破却する。3 北信濃に出兵し、上杉家臣 本庄繁長が内応する。5 北信濃に出陣する。6.3 繁長の反乱に呼応して越後に出兵する。この月の上旬、信長のもとに奇妙丸・於松の婚約の祝儀を届ける(使者 秋山信友)。7.10 信濃飯山城を攻略する。7 越中松倉城主 椎名康胤が輝虎に背き信玄に降る。7.16 越中一向一揆の勝興寺顕栄に書状を送り、越後を背後から攻めさせる。12.3 突如、今川領に侵攻し駿河府中を占拠。12.12 駿河内房で今川軍を破る。12 秋山信友、徳川領遠江に侵攻する。 | 4 家康、遠江に侵攻。9 信長、足利義昭を奉じて上洛する。10 義昭、将軍となる。11.21 今川氏真、輝虎に信濃を背後から衝くよう要請する。12.6 氏真 掛川城に出奔する。 |
一 二 | 1569 | 49 | 24 | 1.8 家康が秋山信友の侵略に抗議したので、信友を駿河に退かせる。この月、北条氏が駿河に出陣してきたので、興津に一万八千をもって対陣する。3.13 下総関宿城主 梁田晴助を誘い、武蔵を攻めさせる。3.23 信長に図り、上杉・北条氏との和睦を画策する。この月、佐竹・里見・宇都宮氏の小田原攻撃態勢を完成させる。4.24 合戦に敗れたため、駿河を放棄して帰還する。横山城に穴山信君、久能城に板垣信頼を残す。6.5 武蔵御岳城を攻略。6.11 北条氏邦と秩父三山谷で戦う。6.17 伊豆三島を焼き討ちする。7.2 駿河大宮城を攻略する。9.10 西上野に入り、武蔵鉢形城を攻め、その後滝山城も攻める。10.1 小田原城を攻囲し、放火する。10.4 小田原から撤兵する。10.6 追撃してきた北条軍と三増峠で合戦に及び、撃破する。11.5 府中を出陣し、下旬に深沢・新庄・湯沢・足柄・山中城を次々に落とす。12.6 駿河蒲原城を武田勝頼・信豊が奮戦して攻略する。その後氏真の家臣 岡部正綱に働きかけ、駿府城の無血開城に成功する。12.10 信長に、輝虎の信濃出兵を中止するよう依頼する。 | 1.7 北条氏康、信玄の駿河侵攻に怒り、輝虎と同盟する。1.26 氏康の子 氏政が、四万五千の兵を率いて駿河に出陣する。5 氏真、掛川城を家康に明け渡し、駿河守護職を北条氏直に譲る。 |
永禄一三 元亀 元 |
1570 | 50 | 25 | 1.26 駿河花沢城を攻略。その後、藤枝・得一色城を陥し、江尻城を普請する。4.10 足利義昭に勝頼の任官と偏諱を請う。4.14 海津城の春日虎綱に、信濃・上野の兵をもって上杉軍を牽制するよう命ずる。4中旬 氏政が深沢城に押し寄せたが、落とせず。5.14 氏政・今川氏真と駿河吉原・沼津で戦う。8.12 伊豆韮山城を囲む。9 武蔵に出陣。10.12 下野佐野氏へ出陣要請をする。この月の上旬、山県昌景、遠江を窺う。12.15 摂津石山本願寺の顕如、信玄・勝頼に好を通ず。この月、興国寺・深沢城を攻める。 | 2.18 北条氏康・氏政、起請文を輝虎に送り、信濃・上野に出陣するよう依頼する。4下旬 輝虎、箕輪城に入る。6 信長・家康軍が、浅井長政・朝倉義景を近江姉川で破る。9上旬 氏政、韮山へ出陣する。この月、顕如が挙兵して信長と戦う。10.8 徳川家康、信玄と絶縁し、輝虎と結ぶ。12 信長と浅井・朝倉氏が和睦する。この月、輝虎が出家して謙信と称する。 |
二 | 1571 | 51 | 26 | 1.1 駿河興国寺に奇襲をかけるが失敗する。1.3 駿河深沢城攻略も失敗したため、帰陣する。1.16 深沢城を攻略。2.16 府中を発つ。2 能満寺城普請。この頃、勝頼は信玄の後継者として、信濃高遠城から甲斐躑躅ヶ崎館に入る。3.2 遠江高天神城を包囲、その後城外で城主小笠原信興と戦う。3.13 信玄の弟 松尾信是が病死する。3.17 秋山信友に命じ、大嶋城を普請させる。4.19 武田軍は三河足助城の鈴木重直を降し、それを下条信氏に守らせ、ついで野田・浅ヶ谷・阿摺・大沼・田代・八桑城を落とす。4.22 信玄、武蔵に出陣する。4.29 吉田城を攻め、家康の臣 酒井忠次と二連木で戦う。6.7 父に代わって総軍の指揮・陣代を務めるようになった勝頼は、その代筆も務める。9.23 武藤(真田)昌幸、上野白井城を攻める。11.8 御岳城を北条氏に返還する。11.20 海賊衆を伊勢で募る。12.27 甲相同盟、復活する。 | 9 信長、比叡山を焼き討ちする。10.3 氏康が没し、氏政が嗣ぐ。氏政、父の遺言により輝虎との同盟を断ち、信玄と結ぶ。12 輝虎、信玄の属城石倉城を攻略。 |
三 | 1572 | 52 | 27 | 1 利根川を挟んで上杉謙信と対陣、交戦には及ばず帰陣する。1.28 信長の臣 武井夕庵に書状を送り、信長と交誼を図るよう述べる。7.26 比叡山より権僧正に任ぜられる。この月、飛騨に侵攻、翌月に諏訪城を攻撃し、城主江間輝盛は逃亡する。8.11 氏政に協力して関東に出陣する。9 病気のため、出陣を延期する。9.26 美濃郡上の遠藤胤勝に信濃百貫文の地を与え、織田陣営から武田方へ誘う。9.29 山県昌景が甲斐を出発して、三河へ侵攻する。10.3 信玄、本隊を率いて甲斐府中を出陣し、伊奈郡青崩峠を越えて、遠江に侵入する。一言坂の合戦で家康を撃破し、只来・飯田・二俣城を落とす。11.14 秋山信友、美濃岩村城を攻め、これを陥す。12.22 遠江三方ヶ原で家康と織田援軍を破る。12.28 秋山信友が美濃上村で織田軍を破る。遠江刑部で越年する。 | 3 比叡山延暦寺の衆徒、信玄に再興を求める。7 信長、浅井長政を攻める。この月、義昭は謙信と信玄に和を結ばせる。9 浅井・朝倉氏、信玄と結ぶ。11.20 信長、信玄と国交を断つ。 |
元亀 四 天正 元 |
1573 | 53 | 28 | 1 信玄、この頃すでに発病。2.15 野田城の菅沼定盈を降し、長篠城に入り病状の回復を待つが、良くならないため撤退を始める。4.12 信玄、伊奈駒場で病没し、勝頼が嗣ぐ。4.23 勝頼、内藤昌秀に血判起請文を与え、懇切公正に遇することを約す。8 勝頼は武田信豊・土屋昌続らを三河に、山県昌景・穴山信君・武田信廉らを北遠江へ侵攻させるが、遠江国森で信廉軍が徳川軍の伏兵に遭って、敗退する。10 勝頼、大軍を率いて遠江に侵入し、浜松城を窺う。その後駿河に引き返し、諏訪原城を普請する。この年、信虎が信玄の死を聞き、信濃高遠まで帰る。 | 1 村上義清、没する。4 信長、義昭を二条城に囲む。7 義昭、宇治槙島城に挙兵するが、信長に和を請う(室町幕府滅亡)。8 信長、朝倉義景を追って越前一乗谷に迫り、義景自害する。ついで、浅井久政・長政を近江小谷城に攻め、父子自害する。9.3 家康、三河長篠城を攻略。 |
二 | 1574 | − | 29 | 1.27 東美濃岩村口に出陣し、十八の小城を攻略。ついで、明智城も落とす。3 武田家臣 天野景貫、犬居谷で家康を破る。3.5 信虎、高遠で病没(八十一歳)。5.19 真田一徳斎(幸綱)病死する。6.17 高天神城を落とす。 | 1.9 謙信、西上野の経略を思いたち、信長・家康に甲斐・信濃へ出兵するよう要請する。4 本願寺顕如、挙兵して信長を攻撃する。6.29 信長、謙信に書状を送り、今秋、信濃・甲斐を一緒に攻めようと謀る。 |
三 | 1575 | − | 30 | 3.6 高野山成慶院に信玄の位牌を建てる(使者 山県昌景)4.21 三河長篠城を攻める。5.21 長篠設楽原に、大量の鉄砲を装備した織田・徳川軍に大敗し、山県昌景・原昌胤・内藤昌秀・馬場信春・土屋昌続・甘利信康・真田信綱・昌輝・望月義勝・川窪信実・和田業繁・安中景繁・五味高重・香坂昌澄・三枝守友・名和宗安・横田綱松・祢津是広らの武将が討死する(武田軍の死傷者一万人余)。6 討死した山県に代わって、江尻城代に穴山信君を据える。8 家康に包囲されていた遠江小山城の救援のため、遠江に侵攻する。11.21 五ヶ月間持ちこたえた美濃岩村城が織田信忠に降伏し、城主秋山信友・大嶋長利・座光寺貞房は岐阜において刑死する。 | 5 信長・家康が、長篠設楽原に南北二キロの陣城を築く。6 家康、諏訪原・光明寺城を落とす。12 家康、二俣城を攻略する。 |
四 | 1576 | − | 31 | 3 遠江に侵攻し、高天神城への補給を実施し、帰途に相良城を築く。4.16 恵林寺において、父 信玄の葬儀を行う。 | 4 顕如、足利義昭に通じ、石山城に籠もり、信長に抵抗する。 |
五 | 1577 | − | 32 | 1.22 春日(香坂)虎綱の献策により、北条氏政の妹と結婚する。8 遠江に出陣し、横須賀で家康と対陣。10 大井川で、家康と対陣する。 | 閏7 家康、高天神城を攻撃する。10 松永久秀、織田信忠に攻められ、大和信貴山城で自害する。 |
六 | 1578 | − | 33 | 4下旬 上杉景虎を支援するため、越後に出兵する。5.11 春日虎綱が病死する。この月、武田軍は越後に侵入し、春日山城に迫る。6 上杉景勝との講和交渉が成立し、勝頼の妹 於菊が景勝のところに嫁ぐことが決まる。8.29 上杉景勝・景虎の和睦を試みるが失敗したため、帰還する。10 駿河田中城に入り、翌月には高天神に入城する。11.3 横須賀城に接近するが決戦には及ばず、駿河に兵を退く。 | 3.3 家康、駿河田中城を攻撃する。3.13 謙信が急死し、養子の景虎と景勝が争う。7.7 家康が高天神城攻撃の拠点 横須賀城の普請を開始する。8 家康、小山城を包囲し、ついで田中城を攻撃する。 |
七 | 1579 | − | 34 | 4 駿河から遠江高天神城に入る。7 勝頼、厩橋城に入り、信豊に広木城を攻めさせる。9.13 駿河黄瀬川で氏政と対陣する。9.25 家康と決戦をすべく北条軍との対陣を切り上げ、全軍を駿府に向けるが、家康はこれを避けて遠江へ引き上げる。10 於菊が上杉景勝のもとへ輿入れする。11 遠江に侵攻し、高天神城へ入る。この月、伊豆の北条軍の拠点を攻撃する。この年、太郎が元服し、信勝と名乗る。 | 3 上杉景勝、越後御館の上杉景虎を攻め、自害させる。(このことにより、北条氏との関係が悪化する。)9.5 氏政、勝頼と国交断絶をし、家康と同盟を結ぶ。この月、家康は氏政の要請をうけて駿河に侵攻し、持舟城を攻略。さらに駿河由比まで進み、放火する。10 家康、高天神城を攻める。 |
八 | 1580 | − | 35 | 3 伊豆に侵攻し、武田水軍と北条水軍が伊豆沖で海戦に及び、引き分ける。6 真田昌幸、沼田城を落とし、この年の秋から冬にかけて上野の北条方の諸城を次々に攻略する。8 駿河・伊豆で氏政と対戦する。この月、仁科盛信が高遠城に入る。10 高天神城の岡部長教らが勝頼に援軍を要請するが、家臣らの反対をうけて救援することができず。 | 3 家康、氏政を支援するため、遠江・駿河に侵攻する。3.16 家康、高天神城攻撃のための付城の普請を開始する。4 石山本願寺の顕如、信長に降伏する。6 家康、駿河に侵攻する。9 家康、駿河持舟城を攻撃する。10 家康、高天神城を包囲する。 |
九 | 1581 | − | 36 | 1 韮崎に新府城の普請を計画する。10 氏政の家臣で伊豆戸倉城主であった笠原範貞が、勝頼に内通する。笠原氏支援のため伊豆・駿河に出兵し、氏政と対戦する。11 信長の子で人質であった御坊丸(織田勝長)を、信長のもとに送り返し和睦をはかるが、一蹴される。12.24 未完成の新府城に躑躅ヶ崎館から移る。 | 3.22 家康の猛攻により、高天神城が落ちる。(勝頼は天下の面目を失う。)8 信長、高野聖千余人を断罪に処す。12 信長は、翌年春に武田討伐を計画し、三河東条城へ大量の兵糧を搬入させる。 |
一 0 | 1582 | − | 37 | 1.27 木曽義昌謀叛の知らせが入る。翌日、武田信豊を大将とした三千騎・仁科盛信らの二千騎が木曽に進撃する。2.2 勝頼、二万の兵を率いて諏方上原城に出陣する。2.6 下条信氏、家老の裏切りにより、滝ヶ沢口を支えきれず逃亡。2.14 松尾城主 小笠原信嶺が、信忠に内通する。この日の夜、飯田城主 保科正直は高遠城へ退却。2.16 木曽討伐のため出陣した今福昌和らが、鳥居峠で織田・木曽軍に敗れる。2.17 武田信綱・大嶋城代 日向玄徳斎らは城を支えきれず、夜中に逃亡。安中左近は高嶋城へ退却。2.20 上杉景勝に援軍要請をする。2.25 穴山梅雪斎が家康に内通し、二日後に勝頼の耳に入る。2.28 上原城から撤退して新府城に帰還するが、逃亡するものが相次ぎ、千騎に満たず。3.2 伊奈高遠城が信忠に攻められ落城し、弟の仁科盛信・小山田昌行・今福昌和・原貞胤らが全滅する。この日新府城で、最後の軍議を開く。3.3 朝、新府城に火をかけ、郡内岩殿城をめざし、逃亡する。この日、深志城が自落する。3.4 岩殿城主 小山田信茂の迎えを待つ。3.7 武田竜宝・武田信綱・武田信堯・一条信就・山県昌満・朝比奈信直・諏方頼豊ら殺害される 3.9 信茂が謀叛を起こして人質であった老母らを奪い、勝頼一行に鉄炮を打ちかけたので、勝頼は先祖の武田信満が上杉禅秀の乱で自害した天目山を死地と定める。3.10 田野に入り、高台に柵を構えて最期の決戦に備える。この日、一条信竜が討死する。3.11 勝頼・信勝・跡部勝資・土屋昌恒・安部宗貞・小宮山友晴らは、織田軍の滝川一益と戦い、午前十時頃ことごとく討ち取られる(甲斐武田氏の滅亡)。3.15 小山田信茂父子ら斬首される。3.16 信濃小諸城において、武田信豊が自害する。この前日から三日間、勝頼父子・盛信の首は信濃飯田で晒され、その後、信豊の首と共に京六条河原に獄門首として何日も放置される。妙心寺住持 南化玄興が、信長に嘆願して三人(盛信を除く)の首級をもらい受け、同寺において葬儀をし、手あつく葬る。葬儀の際に甲斐法泉寺の快岳宗悦が勝頼の歯・髪をもらい受けて帰り、同寺の境内に埋葬する。4.3 信忠、恵林寺を焼き討ちし、快川紹喜ら焼死する。この月、高野山引導院(現 持明院)でも勝頼らの葬儀が行われる。その後、勝頼の遺命をうけていた甲斐慈眼寺の尊長が、高野山に掛真と遺品を納める。 | 2.3 信長、武田氏への総攻撃を指令する。信濃伊奈・木曽から信忠、駿河から家康、相模から氏政、飛騨から金森長近が侵攻する。2.16
家康、遠江小山城を開城させる。2.20
家康、駿河田中城を囲み、依田信蕃を降し、翌日には駿府を占領する。2.27
家康、持舟城を開城させる。2.28 北条軍が伊豆・駿河に侵攻し、沼津・戸倉城などを攻略する。3.3
信忠、諏方社を焼く。3.5 信長、安土城を出発。翌日、岐阜において盛信の首実検をする。3.6
信忠が古府中を占領する。3.10 家康・梅雪斎は信忠と古府中で合流する 。3.11 信忠、勝頼父子らの首実検をする。 3.14 信長、浪合において勝頼父子らの首実検をする。3.16 飯田逗留の信長のもとに、信豊の首・勝頼の乗馬「大鹿毛」と最後に差していた刀・盛信の蘆毛馬が届く。3.29 信長、上諏方において論功行賞を行う。4.10 信長、古府中を出発し、富士山を見物して安土に帰還する。5.15 家康・梅雪斎、安土へ行き惟任(明智)光秀の饗応をうけ、その後奈良・堺を見物する。6.2 信長、京本能寺において家臣の惟任光秀に攻られ、討死する。信忠は二条城で自害。この日、穴山梅雪斎が山城宇治田原において一揆に襲われ、殺害される。6.15 甲斐の新領主 河尻秀隆が一揆によって討ち取られる。8.21 武田氏の遺臣八九五人が、家康に臣従を誓う。 |
一 七 | 1589 | − | − | 3.27 勝頼の遺命をうけていた野村兵部助が、高野山に墓を建立する。 |
参 考 文 献 左方郁子 「武田信玄年譜」
『現代視点 武田信玄』 上野晴朗 『定本 武田勝頼』 〃 「武田信玄怒濤の五十三年」『別冊歴史読本 武田信玄の生涯』 平山 優 「武田勝頼の再評価」『戦国の浪漫 新府城』 柴辻俊六 「武田信玄詳細年譜」『武田信玄大事典』 戻 る |