ある晩のこと。裕介は、テレビを見ていた。

 テレビって、つくづく暇つぶしの為の道具なんだな。クソの役にも立ちゃしない。オレが十代の頃なんてさ、もっと面白い番組をたくさんやってた筈なのにな。いったいいつ頃からなんだ? こんなにテレビがつまんなくなっちゃったのはさぁ――リモコンを片手で玩びながら裕介は独りつぶやいた。
 さっきまで見ていたチャンネルでは“芸能人恋愛模擬試験”みたいな企画のバラエティ番組を放送していた。
 芸能人のゲスト数人に恋愛に関する自由回答形式の設問がいくつか出され、それに答えさせることによってわかる各人の恋愛観のようなものをネタにトークを展開する、といった感じの内容だった。
 こんなもん、ちょっと形が違うだけで、オレらのよくやる酒飲み話とたいして変わらねぇじゃねぇかよ。わざわざ電波飛ばして放送するような代物なのかねぇ。まぁ、自分の懐から金出して払ってねぇから見れるんだよな。これがNHKだったら、ブチ切れてっとこだぜ。だいたいなぁ、恋愛なんてモノは“人それぞれ”なんだよ。それを“一般論”で語ってどうすんだって言うの。何様のつもりなんだよ、こいつらはよっ――。
 裕介は、上のような感想(?)を、口に詰まったモノを吐き出すようにして言った。最近、どうもテレビを相手にした独り言がクセになってしまっているようだ。
 その、彼の独り言の内容について言えば、彼には、番組中で芸能人が思わず“突飛な答え”を出してしまった時の観客の反応の盛り上がり具合にまで神経を配る余裕はなかったようだが……。
 違うチャンネルでは、恋愛ドラマを放送していた。
 都会で知りあった若いカップルがいて女の方が地方出身者で地元に婚約者がいる、と。お互い好き合っているようなんだけれども、男の方が煮え切らなくて女は結婚すると言って地元に帰ってしまう、と。で、諦め切れない男は、その娘の地元に女を訪ねて「やっぱりお前のことが好きだから一緒に帰ろう。明日の朝一の電車で待ってるから」と言うんだけど、結局女は来なくて、男はひとり寂しく都会に帰っていく、と。都会に帰ってから男は友人にこう尋ねられる。「何故、お前は無理やりにでも彼女を奪って来なかったんだ」と。で、男は答える「彼女やまわりの人の悲しむ顔が見たくなかったんだ」と。
 よくもまぁ、こんなありがちなネタが使えたもんだな。いやいや勘違いするなよ。ありがちって言うのは、ドラマにありがちなってことで現実によくある話っていうじゃないからな。そこんとこ間違えるなよ。ま、確かに、現実にもあるケースなのかもしれないけどよ……って、んなこたぁどうでもいいんだよ。それよりさ、この男、どうしようもなくさ“やさしくてイイヤツ”だよな。なんでみんなこんなに“やさしいヤツ”がいいのかね?
そんなに他人にやさしくしたいんなら、最初から人を好きになったりすんなよな。恋愛っていうのはなぁ、そんなもんじゃないんだよ。まわりの人間関係からすっぱりと切り離されちゃうのが恋人同士ってもんの本当の姿なんだからさ。こんなウソっぱちをドラマにして恥ずかしくないのかね、ホント、わかってねぇなぁ。
 先程と同様、独り言でブツブツとテレビに向かってダメ出ししている裕介だった。まぁ数年前つき合っていた彼女と別れてからというもの、彼は全く女性に縁がない、ということは伏せておいてあげよう。それが作者の“やさしさ”というものだ。
 またまた違うチャンネルでは、素人さんのカップルが出てきて自分たちのもろもろのエピソードを語る、というトーク番組を放送していた。
 遠距離恋愛をしているという二十歳過ぎくらいのカップルがいて、男は大学3年でまだ2年学校に通わないといけない、と。女の方は地元で就職したはいいけれど、彼氏のことが心配で仕事も手につかない状態だ、と。男の方は女にあと2年の辛抱だから今は仕事を頑張るように言うんだけど彼女はどうも納得しかねる様子。で、彼女はついに我慢仕切れずに、仕事を辞めて彼のアパートへ押し掛けてしまった、と。しかも、彼に何の断りもなく。彼の部屋に着くなり、模様替えを始める彼女。壁に貼ってあった浜崎あゆみのポスターは剥がすわカーテンは換えるわ自分のお気に入りの観葉植物やオブジェを飾るわでやりたい放題。そこへ何も知らない彼氏のご帰宅。さて、どうなった? 彼は初めのうちこそ驚きと戸惑いが隠せない様子で文句をブチブチと言っていたのだが、彼女と話すうちに相
手の真剣さに打たれたようで、最後には「ふたりで頑張ってみますか」と一件落着。目出度し目出度し。
 はぁ〜っ? お前、何許してんだよ!! バカじゃねぇのか? オレだったら、こんな女、それまでいくら好きだったとしても即刻叩き出してるぞ!! このぉっ“やさしい”にも程があるっ!! かぁ〜〜〜っ、やっぱり若さなのかねぇ。だいたいさ、こんなワンルームでそんな長いこと住めるわけねぇじゃねぇか。ちょっと考えたらわかるだろうに。
それにさ、彼女の為にもなんないでしょう。いくら自分のことを真剣に好きだからってさ仕事辞めてまで追っかけて来るなんてさ、どう考えてもおかしいよ。この女には“自分”ってもんがねぇのかよ。でもまぁ、バカだからさ、そこまで頭が回んないんだろうなぁ。
嗚呼、どいつもこいつも、ホントにどうしようもねぇなぁ。
 感想(?)やダメ出しを通り越して思わず激昂してしまった裕介だった。薄っぺらい板壁ひとつ隔てただけの隣の部屋の住人が出かけていて留守だったのでどれだけ大きな声を出しても特に問題は起きなかったのだが、どうやら彼は、ついさっき自分の口から出した言葉がどういうものであったのかとんと忘れてしまっていたらしい。それほどまでに興奮していたということか? 
「だいたいなぁ、恋愛なんてモノは“人それぞれ”なんだよ。それを“一般論”で語ってどうすんだって言うの。何様のつもりなんだよ、こいつらはよっ」(裕介・談)
 それからも、いちいち文句をつけながら――アレが悪いだのこれは不自然だのこんなことプロがやるこっちゃねぇよだの――いくつかの番組をやたらと忙しくチャンネルを切り替えながらかなり遅い時間まで見ていた裕介だった。

 この日の晩も、裕介は、画面に向かってダメを出しながらテレビを見ていた。

 そのとき放送していたのはいわゆる“ニュース系総合情報番組”というやつで、ちょうど1週間前に起こった大量殺人事件のことを掘り下げてリポートしていた。都会のある小学校に授業中、近所に住んでいた40歳手前くらいの男が突然乱入して児童や教師に刃物で切りつけ15人が重軽傷を負い8人が殺害された、という事件だった。
 メインキャスター・女性アナウンサー・コメンテーターなど番組の出演者たちが、それぞれの感想や意見を口にする。
「痛ましい事件ですねぇ。あんな小さな子供が、刃物で刺されて殺されるなんて……」
「何の罪もない無垢で幼い命が、無残に踏みにじられていく様を目の当たりにすると、容疑者に対する怒りがどうしようもなく湧き上がってくるのを感じます」
「事件後の児童達およびご遺族の方々の心のケアの問題も残りますね」
「何とか、未然に防止する手立てはなかったものなんでしょうか?」
「文科省は、二度とこのような事件が起こらないよう、早急に具体的方策を示さないといけませんねぇ」
「容疑者は、一見、どこにでもいる普通の男に見えますが、その仮面の下には、歪んだ本性が隠されていた、と……」
「犯行時に、彼が心身喪失状態であったかどうか? つまり、彼を罰することが出来るか否かが、今後の捜査の焦点になるでしょうね」
「しかし、ここ数年のこうした大量殺人事件の増加傾向から言って、そろそろ法改正も含めた議論を始めるべき段階に来ているのではないか? そんな気がします」
 けっ、こいつら所詮は全部“他人ごと”じゃねぇか。いや、もちろん“他人ごと”には間違いないんだけれども、それだったら、もう放っとけよ。四の五の言わないでさ。こんなの、芸能人の不倫追っかけてるワイドショーと同じじゃねぇかよ。何だ? あの女は?
いかにも自分の子供が殺されたみたいな顔してぺらぺら喋りやがって。それにあのオッサン。遺族の心のケアだ? 本当にそう思うンだったら、お前が何かしてやれよ。そんなこと、ひとかけらも思ってないクセして正義漢ぶってやがる。くそっ、反吐が出る! 法律を変える? お前にそんな権限があるのか? それに、容疑者を厳しく処罰したからといってこういう事件が減るとでも本気で思ってんのか? バカバカしい。だいたいさ、こういう事件が起こって一番不安になるっていうか怖いって思うのはさ、普通の人と見かけも中身も大して変わらないように見えるヤツが……。

 裕介がここまで口に出したとき、電話の呼び出し音が鳴った。

「はい、滝川です」
「……」
「滝川ですが」
「……」
「滝・川・裕・介なんですけど」
「……」
「あのさ、何とか言ってよ。間違えたんなら番号確かめてかけ直すとかしてよ」
「……」
「何とか言えよっ。こっちは忙しいんだ。つき合ってられっかよ。切るぞっ」
「忙しい? ずっとテレビ見てただけのクセして」
 今まで無言で気配すら感じさせなかった電話の相手がいきなり声を上げたので裕介はずいぶん驚いた。従って、何故、裕介が今までテレビを見ていたことを知っているのか?
なんてことにも頭が回るヒマなどあるはずがない。
「まぁ、驚くのも無理ないわね。いきなり何処の誰ともわからない人間が電話してきて、しかも、今までテレビ見てたでしょ? なんてまるで自分のことを間近で見ていたように言うんだもの」
 相手が親切にも先回りして言ってくれたので、裕介は、とりあえずリアクションを起こす程度には自分を取り戻すことが出来た。
「あ、あんた誰だよっ」
「誰だっていいでしょっ、それにそんなこと、どうだっていいじゃないの? それよりさ続きを話しなさいよ、続きをっ」
 さっき電話の相手が見せたつかの間の親切さは、どうやら、裕介に電話を切らせない為の方便だったようだ。頭の中がパニック状態から完全には回復していない裕介は、依然、 主導権を相手に奪われたままである。
「続きって、何の?」
「だから、あんた見てたでしょう? 例の、男が小学校に乱入して刃物で子供刺してっていう事件の番組。それであんた、何か言ってたでしょ? ずっと聞いてたんだからっ」
「は? 聞いてた? 何でそんなもんが、どこの誰ともわからないあんたに聞こえるんだよ? 気持ち悪いなぁ、ちょっと説明しろよ」
「もう、しょうがないわね。何でこう男っていうのは、そういうどうでもいいこと知りたがる生き物なのかね? そんなこと知ったところで何の役に立つって言うの? 今、大事なのはさ、アタシがあんたの話の続きを聞きたいと思ってるってことで、あんたはそれを話すってことだけじゃないの? アタシがどこの誰だとか、何であんたがテレビに向かって言ったことをアタシが聞くことが出来たとか、そういうことは関係ないでしょうに? 
少なくとも、今この瞬間にはさ」
 電話の相手は、自分のことを“アタシ”と呼んでいる。裕介は、会話の相手が若い女であることにようやく気付いた。
「あんた、女か?」
「そんなの声聞けばわかるンだからいちいち答える必要ないわよっ。アタシの言ったこと聞いてなかったの? どうすんの? 話すの、話さないの? アタシの方こそ忙しいンだから。ずっとアンタにばっかかまってるわけにいかないんだから。早く決めてよねっ」
 裕介は、相変わらずちっとも回転していない頭で考えた。おそらく、この部屋には、裕介が引っ越してくる前からどこかに盗聴マイクみたいな物が仕掛けられていたのだろう。
それを、どういう事情かこの電話の女が知っていて、今まで自分が独りテレビに向かって話しているのを人知れず聞いていた……そんなところなのではないか。だとすれば、確かに、わざわざ説明するまでもないことなのかもしれない。裕介には初めての経験だが、部屋を盗聴されるというのは、昨今ではさほど珍しいケースではないらしいから。
「わかったよ、で、どこまで聞いてたの?」
 裕介は、わざと無愛想に低い声を出し、落ち着きを取り戻した振りを決め込んだ。
「ようやく話す気になったのね。手間掛けさせないでよ、まったく。ま、いいわ。これ以上突っ込ンでまたヘソ曲げられたら時間無駄にしちゃうからね」
 どこまでも、主導権を握りたがる女だ。裕介は少しムカついたが、自分の話に対するこの女のリアクションがどのようなものなのかということに興味が移りつつあったので、自然に抑制が効いたようだ。
「え〜とね、“こういう事件が起こって一番不安になるっていうか怖いって思うのは”ってとこまでよ」
「それから何て言おうとしたんだっけか? ちょっと待って、思い出すから」
「“普通の人と見かけも中身も大して変わらないように見えるヤツが”どうとか言ってたような気がするけど……」
「そうそう、そういう普通に見えるヤツがああいう事件を起こすってとこが一番怖いってことなんだよな。つまり、そういう、ちょっとしたきっかけで人を殺しちゃったりする人間が案外たくさんいるかもしれないってことだし、身近にそういう人間がいるかもしれないってことだし、もっと言えば、こうやってテレビを見てる自分自身ですら、何か凄く追い詰められちゃったりしたら、簡単に人殺しでも何でもしてしまうようになるかもわかんない、って、そういうことなんじゃないのかな?」
「で、あんた、やっぱ怖いの?」
「あ、オレ? そうだな…ああいう事件が起こって、真っ先に思うのは“何だかヤだな”ってことだけど、それは、別に小さな子供とか女の人とか老人とかそういう人たちが殺されてヤだなっていうのとは全く違うンだよね。それよりも、事件を起こしちゃった容疑者の方にさ、ま、“同情”とまではいかないんだけど、何だかそっちの側に立ってさ、ヤだなって思ってるような気がするんだよね、なんとなくさ」
「実は、アタシも、似たような感じなんだよね。ほら、もうわかってると思うけどさ、アタシってかなり“アブナイ”やつでしょ? だからさ、ああいうのテレビでやってるの見るとさ、何? 自分が責められてるようなそんな変な気分になってさ、もう、不安で不安で堪らなくなっちゃうわけよ」
「あ、それって何となくわかるような気がする。さっきもそうだったけどさ、殺された人間に同情しないやつとか、容疑者に対する怒りを感じないやつとか、犯罪を無くさないとイケナイなんて思わないやつとか、そういう人間だって世の中にはたくさんいるのに、そういう人間は自分たちの仲間じゃないっていうかさ、そいつらの所為で今回の事件の容疑者みたいなやつが出てきてしまったんだ、とかさ、もちろん、そんなことテレビに出て喋ってるやつはひと言も口に出してないんだけど、なんか、そういう風に言われてるように思ったりしちゃってさ」
「そうだよね。何か、テレビの中で喋ってるやつらって、自分たちの言ってることが世間的に支持されてるって、絶対わかって言ってると思う。こういうリアクションさえしとけば、周りから非難されることはないだろうっていうさ。で、それが結果的に、アタシらみたいな人間を……」
 電話の女とは、妙に意見が合った。
 裕介は、少なからずショックを受けていた。自分が今までテレビに対してダメを出したり文句を言って来たりしたことは、自分がただ自分の為だけに――つまり、自己満足的にストレスを吐き出していたに過ぎないのではないか? などと、漠然と考えていただけだったのだが、今こうして、大変特殊な状況ではあるが、自分と同じ様な意見を持つ人間が他にもいたのだという事実を前にしてみると、自分が現在立っている位置というものが凄く曖昧なものに感じられて不安になってしまったのだ。
「オレって、そんなにアブナイやつだったのか?」
「待って、勘違いしないで。アタシの経験で言うと、あんたみたいにテレビに向かって独り言喋ったりダメ出ししたりしてるやつっていうのは、けっこういるよ。まぁ、そんなにマトモだとは言えないかもしれないけど、こうして他人の話盗み聞きしたりしてるアタシなんかよりゃぁ、かなりマシな方だと思うけどね」
「でも、そうだな、例えば、テレビの中で喋ってるやつらが“あちら側”の人間だとすれば、オレやあんたって、間違いなく“こちら側”の人間ってことになんない?」
「はぁ、“あちら側”と“こちら側”かぁ。上手いこと言うね、あんた」
「なんかさ、そういう感じ? だいたいさ、“あちら側”の人間っていうのは……」
「あ、出てきたっ。女と一緒だ!!」
「えっ? 何?」
 電話の向こうで、ガチャガチャと慌ただしく機械のようなものをいじっているような音が聞こえた。
「え〜と、滝川くんだっけ? アタシさ、急に用が出来ちゃったみたいからもう切るわ。
相手してくれてアリガト。いい暇つぶしになったわ」
「あん? ちょっと、ちょっと待ってよ!!」
「ゴメン、ホントに急ぐからさ。最後にひと言。そんなにテレビが嫌いなんだったら、初めから見なきゃいいじゃんよっ」
 車のイグニッション・キーを回す音を最後に向こうから電話は切れた。

 裕介は、受話器を置いてテレビの方に振り返った。ブラウン管の光がチラチラと揺れながら暗い部屋の壁や床を照らしている。さっきまで放送していた番組は既に終了していた筈だが、今の彼にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。
 裕介は、ゆっくりとテレビに歩み寄り主電源スイッチを切った。もうこれで、リモコンをいくらいじってもブラウン管に再び灯が点ることはない。

<了>