@ 今日のコラムリング
やや旧聞。
■ 1万円台でほとばしるインターネット体験を……
塩田紳二のIntel Espresso の44話の冒頭にこんなことが書いてあった。以下引用。
遅ればせながら、Pentium IIIを買った。というのは、最近450MHzのPentium IIIがようやく2万円を切ったからである。個人的なポリシーとして、2万円以上のCPUは、よほど必要がない限り買わないことにしている。
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これを見てなんかデジャブな気分になったので、記憶を搾り出して次の文書を見つけた。
■ ついに明らかになった? Direct RDRAM価格
こちらもやはりアスキーのコラムで、元麻布春男のソリッド・ステート・サバイバー の71話。以下引用。
ちなみに,筆者が次の仕事マシン用に購入したプロセッサーは,Pentium III 450MHzだ。このところの筆者のポリシーは,Pentium系列は一番下のクロック,Celeronは上から2番目が安全,というものである。
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両者ともコストパフォーマンス重視なんですな。私の場合、クロックが倍になったら欲しくなり、価格が7万円を切ったあたりで購入するという行動パターンになってるけど、これは半分趣味だからいいのだ。なんにしても、少し前までの早いマシンが出る、OS やアプリケーションが重くなる、さらに早いマシンに買い換える、というサイクルは過去のものになりつつある。Windows 2000 がよほど重ければ再びこの悪循環が復活するかもと思っていたが、さすがにマイクロソフトもそこまで愚かではなかった。
つまり、現在から近い未来までのウィンドウズを中心に使っていく上で、ゲーマーとプログラマー以外は最速マシンを選ぶ必要はないということだ。見方を変えれば、パソコンとそれを取り巻く環境は良くなったといえるだろう。だからこそ趣味の人たちは煮詰まり、クロックアップだの別の OS に走るみたいな流れが出てきたといった観測も可能ではある。個人的にはやや異なると考えているけど、この流れを過去の PC-98xx 支配から AT 互換機への流れに重ね合わせる気分もわからないではない。アンチマイクロソフトの気分だって理解はできる。
だがしかし、こういう発言はどうなんだろう。以下、再び1万円台でほとばしるインターネット体験を……からの引用。
筆者の手元に486SX-16MHzといった、かなり古いノートPCがあるのだが、DOSで使っているぶんには速度的に不満を感じることもないし、8MBのメモリは広大でもある。Linuxなんかでも486で十分という場面は多く、CPUの性能差を素直に感じることができる。
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意図的かどうかはわからないが、ここではいくつかの話がごっちゃになっているように思う。それは DOS を使う分には 486 なノートパソコンで充分だろう。しかし Linux なんかでも 486で十分という場面は多く、という記述には X を使わなければという前提が抜けてるような気がするし、CPU の性能差を素直に感じられる、というのは意味がよくわからない。もしそれが CUI ベースの話なら DOS だって同じように早く感じられるだろうし、GUI ベースな話だとすれば、そりゃ逆に Linux の GUI が重過ぎる証拠ではないのか。
わしの読み方が間違ってる? もしそーなら突っ込んでください>識者
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