私の書いたことに対する反応ということで、とても遅くなってしまいましたが、紹介しつつ、感想などを述べてみます。まず、『拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会』という記事の紹介で書いたことに、
「植民地支配の被害者」イコール「強制連行の被害者」という読みは、なんぼなんでも強引に過ぎるだろう。
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と書かれていますが、これは強引に過ぎるといわれればその通りで、飛躍が過ぎた、やや怒りまかせの暴言だったかもしれません。その点は認めます。
こういう俗説が流布すること自体もかなり困ったことだが、もっと困ったことに、在日が自分たちの被害者性を強調するために、あえて「在日は強制連行されて日本に来た人々」と繰り返している、という誤解がある。あえて「誤解」と書いたのは、少なくともわたしはそのような発言をする在日を見たことがないからだ。もちろん、わたしの見聞なんて、ごく狭いものだ。そういう発言、主張をしている人や、文章を知っている、という方がいたら、ぜひ教えていただきたい。
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それは私の場合でも、身の回りの在日の友人知人や、運命のいたずらで恋人関係になってしまった女の子(複数)からだって、そんな話を聞いたことは一度もありません。公平に見て、私と在日の人々とはごく普通の、当たり前の関係を保てているといえます。
しかし、メディアに出てくる人や、朝鮮総連のような組織としてはどうでしょうか。私の書いたことがほんとうに馬鹿げた「誤解」だとすれば訂正し、お詫びしますけれど、たとえば、金正泰という方の書かれた『日本に於いての在日朝鮮人社会の形成』というページなどは、「在日は強制連行されて日本に来た人々」という主張をされているように読めませんか? 私の読解力に問題があるのかな。また、いまちょっと書名を思い出せませんが、在日自身がそのフィクションを信じてしまっていると書かれた方がいます。たしか呉善花さんだったはずです。もちろん、そのフィクションを広げているのが日本の一部の左翼系の人々やメディアであるという側面があることは間違いなく、それが日韓・日朝関係や、日本人と在日朝鮮・韓国人の関係を歪めているとも考えています。その意味で、この問題は日本人同士の問題でもあるのでしょう。
しかしまあ、すべては日本の「植民地支配」の結果という話になってしまえば、後はもう歴史認識の違いという、埋めがたい差になってしまうわけで、私や一部の日本人が「歴史に暗い人々」の中に含まれるとして、そのことが在日や朝鮮・韓国人が「歴史に明るい」ことを意味はしませんよね。仮にすべての人々が歴史に明るくなっても、認識が一致するとは限りません。薩摩と長洲だって一致するかどうか。そういうわけで、つい昨日の朝鮮新報の『北と南、海外のすべての民族に送るアピール文』という文書に書かれた、
日本は、人類史上もっとも悪らつな強制連行犯罪国家であり、「拉致者問題」をうんぬんする体面も資格もない。
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という主張を、日本人としてとうてい受け入れられるわけもないのです。重要なのは、歴史認識の一致ではなく、違いをどう乗り越えるかです。これも一部の「歴史に暗い人々(含む私)」の「誤解」かもしれませんが、どうも一方的に日本側だけの問題として主張され続けられているのではないかという思いを拭い切れません。その結果、もういい加減うんざりだという雰囲気が醸成されてしまったんではないか、そんな風に考えています。もしかすると、それは日本人が他者の痛みを理解していない、思い上がりだといった反応が出るかもしれませんが。
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