ウォーターウラウン フラワーティアラ  2




☆ 七 ☆

『あの時、なぜ私を助けたりしたの?
 男だから、女性をかばったの?
 船長の義務?
 それとも、私が死ぬと身代金が入らないから?』

 「船に酔いましたか?甲板に出てられることが多いですが。
 退屈でしょうが、もう少しの辛抱です。
 夕方には、ローリエ国一番の都市、ローリエ港に着きます」
 「大丈夫よ、タバスコ少佐。船酔いも退屈もしておりません。
 船の上は波の音が気持ちよいですね。船を降りるのが惜しいくらいです」
 「おそれいります」
 若い海軍少佐は、軽く頭を下げた。

 「キャリー、あぶない!」
 折れたマストは、ちょうどキャラウェイを直撃した。
 ジンジャーが手を引っ張ったが、怪我で力が入らず、引き寄せきれなかった。ジンジャーはキャラウェイにおおいかぶさった。ジンジャーの体の上に、折れたマストが落ちてきた。
 「おかしら!」
 「キャプテン!」
 水夫たちが走り寄った。ワイルドヒースの声も聞こえた。
 「こりゃあ、ひでえや。マストの破片が背中にめり込んでる。
 ジンジャー、どうだ、意識があるか」
 「残念ながら、ある。気絶してた方がましだ」
 「大丈夫だ、破片は私が抜いてやる。
 ゼブラとジャガーは、清潔なシーツとガーゼ、火と熱湯を持ってこい。針と糸も。普通の縫い物用でかまわん。
 あと、気つけに強い酒を」
 「キャリーが下敷きになったままだぞ」
 「ジンジャーの処置が終わってからだ。今彼を動かすと危険だ」
 ワイルドヒースの言葉に、下のキャラウェイも緊張した。
 ジンジャーの体温が冷たい。出血して体温が下がっているのだ。
 そして、キャラウェイの脇腹と二の腕を濡らす、この生暖かいものは、ジンジャーの血液に違いない。
『動いちゃダメっ!震えちゃダメよっ』
「ジンジャーに酒を飲ませろ。
破片を抜くからな。
岩おとこ、奴の両手をおさえろ。暴れないように。あと誰か足も。
・・・いくぞ!」
 キャラウェイは目をきつくつぶった。ジンジャーの全身が堅くなったのがわかる。
 だが、ジンジャーはひとつの悲鳴もあげなかった。
 体が震えているのは、痛みを我慢しているからだろう。
 ワイルドヒースは、破片を抜き取ると、傷口を焼いた針で縫い合わせ、血を拭いた後、ガーゼとシーツの裂いたのを巻き付けた。
 「応急処置だがな。内蔵に至ってなかったから、心配ないだろう。
 まあ、傷は痛むだろうが。
 おっと、左手の傷も手当てしとこう。忘れていた」
 「サンキュ、おやじ。」
 「十五針も麻酔なしで縫ったのに、気絶もせず悲鳴もあげす、気丈な奴よなあ」
 「船長が、部下の前で女みたいに悲鳴をあげれるかよ」
 「ははは、その元気がありゃあ大丈夫だな。
 岩おとこ、ジンジャーを船長室のベッドまで運んでやれ」
 「アイアイサー」
 ジンジャーの下敷きになった、キャラウェイはカエルみたいに床に張りついていた。
 服も手も、ジンジャーの血で汚れていた。 
「大丈夫かい、お嬢さん」
 ワイルドヒースが手を引いて助け起こした。
「ジンジャーは?もう、心配ないの?」
 「ああ、命に別状はないよ。あんたもとっくに気絶してると思ってたが」
「だって・・・」


 キャラウェイは激しく首を振った。
 「背中ごしに、ジンジャーの痛みが伝わってきて・・・ 辛かった」
 ぽろぽろと泣いた。
 床に放られたままの血まみれの木片を手に取り、 「こんな大きな破片が刺さってたのね。ひどい怪我よね」
と、また涙をこぼした。
 「ほんとなら、私に刺さるはずだったのに。ううん、左腕に怪我さえしていなければ、ジンジャーは私を簡単に助け出していたに違いないわ。私に覆いかぶさって守るなんて必要はなかった・・・」
『私の、せい・・・』
「手も顔も血まみれですよ」
 ワイルドヒースがタオルを投げてよこした。
「あと二時間もすれば、港に着きます。綺麗に支度しといてくださいよ。
ドレスを買って来てあげますから、ちゃんとご令嬢に戻って家に帰ってくれますね?」 
キャラウェイが船にいれば、やはり足手まといになるのだ。
 うなずくしかなかった。

 ジンジャーの怪我は特に悪化することもなかったが、彼はその後ずっと眠り続けた。
 キャラウェイが、ワイルドヒースの買って来てくれたドレスをまとい、部屋へさよならを言いに行った時も混沌と眠り続けていた。 看病役のゼブラがすまなそうに、
 「傷で、熱が出てんのよ。
 意識が戻ったら、お嬢さんがお別れを言いに来たことを告げておくけど」
 「ありがとう。
 ね、このドレス、似合う?ワイルドヒースが、港の商店で『娘に』って言って選んでもらったのですって」
 ゼブラは笑顔でうなずいた。
 「そうていると、やっぱり女の子ね」
 「みんなも、元気でね。あまり無茶しないで、長生きしてよね」

 キャラウェイは、そうして、『海賊シルバー・ブルー一味』に別れを告げた。
 そして、以前ターメリックの王室に使えていた、侍女の嫁ぎ先がガーリック港にあるのを思い出して、そこを訪ねた。
 身代金の請求書を乗せて戻った商船は、あの嵐で沈んだとのことだ。ジンジャーたちの海賊船にさらわれていなかったら、キャラウェイも、今頃海の藻屑と消えていたことだろう。
 身代金が届かなくて海賊たちはがっかりしたろうが、キャラウェイは、両親に海賊にさらわれたことが知られなくてほっとした。
 もと侍女には、嵐で漂流して、今日入港したあの船に助けられたのだと伝えておいた。 
「こわい思いをなさったのでしょう?
 どうぞ、ごゆっくりお休みください。
 充分なおもてなしはできませんが、心をこめて御世話させていただきます」
 「ありがとう。突然転がり込んだのに、悪いわね」
 「めっそうもございません。
 三、四日休息を取られましたら、家の者に馬車でターメリックまで送らせますね。
 遠回りなので、船の三倍日数がかかりますが、恐ろしい思いをなさった後なので、船旅は避けた方がよろしいかと 」
「そうね。心遣い、感謝します。
 船便で、城への手紙だけ先に出しておきましょう。おとうさまたちが心配しているかもしれないし」
 船には、もう、乗ることはないだろう。
 海にはもう出たくない。あの腕以外に、キャラウェイの海は、もうないのだから。

 侍女の嫁ぎ先の屋敷は、港の高台にあった。
 一番景色のいい部屋を、キャラウェイのためにあけてくれた。
 部屋の窓から、湾が見渡せた。
 行き交う船。汽笛の音。うみねこの鳴き声。
『あの、大きな船の横。『シルバー・ブルー号』だわ。
 帆を、買い換えたのね。前と同じ濃いブルーに。』
 ジンジャーの意識は戻っただろうか。熱は下がったのだろうか。
 キャラウェイ姫としてこの屋敷に世話になっている以上、むやみに出歩くことはできないし、まして港に停泊した商船を訪ねるなど無理だ。
『明日の早朝にでも、そのへんの子供に駄賃をやって、ジンジャーの容体を聞いて来てもらおう』
 しかし、次の朝は来なかった。永久に。

 屋敷で用意してくれたベッドに横になると、
睡魔がおそった。こんなふかふかのベッドで眠れるのは久し振りだった。
『・・・ううん? 窓の外が、明るい? 』
 さっき眠ったと思ったのに、もう朝?
 おもてが騒がしかった。
 「火事だー。港が火事だー。船が燃えているぞー」
 キャラウェイはがばっと飛び起きた。ガウンをはおり、あわてて窓を開けた。
 船が燃えている。
 夕方見えた、大きな船。それから、その隣・・・シルバー・ブルー号。
『 ジンジャーッ!』
 キャラウェイはガウンのまま、屋敷を飛び出した。
 「お姫さま、そんなかっこうで!」
 庭で三人がかりで引き止められた。
 「火事なの。港が・・・。どの船が燃えているの?」
 「消防隊はもう出動しているそうです。
 火はこちらまで回りませんから、ご心配はいりません」
 「わたくしを救ってくれた商船は?
 あの火事の中心あたりに停泊していたはずよ。
 水夫たちは避難したの?被害は?」
 「私の夫は警察関係の仕事をしています。今も呼び出されていますが・・・。
 朝になって帰ってくれば、詳しいことがわかるとは思います」
『どうか、違う船でありますように。
 みんなが避難していますように 。
 神様・・・』
キャラウェイは、窓から、港を見下ろしながら、まばたきさえもしていないようだった。
肩さえピクリとも動かない。食い入るように港を見つめていた。
消防艇が湾に寄って、消火活動を始め、赤く揺らめいていた炎は、静かに鎮火していった。炎の明るさが薄らいでいくと、水平線から別の明かりが 。

 太陽が昇り始めた。
 朝だった。
 炎が消えた、残骸の船たちを、朝日が容赦なく照らし出していた。
 「キャラウェイ姫、主人が帰って来ましたわ」
 聞くまでもない、昨夜はあの残骸が残った場所に『シルバー・ブルー号』がいた。
 「それは、残念ながら、全焼でしたな。
 火事の中心の場所に停泊していた、不運な船です」
 「乗組員は?
 水夫たちは、避難しましたの?」
 「ばかな。あの火勢では、一人とて逃げるのは無理でしたよ。
 他の船の者も、みな、そうです。
 海に飛び込んだらしい者達も、泳ぎつく前に焼死や窒息死しています」
 キャラウェイは、その場で気を失った。

 ジンジャー!
 ワイルドヒース。岩おとこ。ゼブラとジャガー。
 優しくて荒くれだった、みんな。
 そして、ジンジャー。
 初めて愛したひと。
 心が血を流しているように痛んだ。

 「キャラウェイ様、目にゴミでも?」
 タバスコ少佐がハンカチーフを差し出した。
 ここは、ローリエ国海軍国賓用豪華船の甲板。
「あ いえ、海の日射しが強くて。
 少し船室に戻って休みます。
 パセリ、いらっしゃい」
 あと数時間で、ローリエに着く。
 ジンジャーが死んだ、あの国に。


☆ 八 ☆

 キャラウェイを乗せた船が、ローリエ港に到着した。
 「港に並んでいるのは、陸軍第五騎兵隊です。丘では、陸軍のマスタード少佐が姫の護衛責任者になります」
 海軍少佐どのが説明してくれた。
 彼に手を引かれ、船のステップを降りていく。しずしずと、女らしく。くれぐれもボロを出さないように。
 港で、少佐同士は任務の引継ぎを行った。 
マスタード少佐も、若かった。タバスコ少佐と同い年くらいだろうか。彫りの深い、黒髪の青年だった。痩せて頬がこけて、神経質そうな、目のきつい軍人だ。
 「陸軍少佐のジャスミン・マスタードです。キャラウェイ姫を守る任務を申しつかっております」
 足を揃え、敬礼した。
 「よ、よろしく」
 まぬけな挨拶をかましてしまった。だって、
こんな軍人軍人した挨拶に、どう応えていいのかわからず、戸惑ってしまったのだ。
『あ、でも、きつい目つきなのに、瞳の色は深いブルー。涼しげな目をしてる』
 目の色はブルー。海の沖の色と同じ。
 「・・・。」
 どきーんと心臓が大きく鳴った。
『似てる・・・ 。やだ、この人、ジンジャーに似てる!』
 ジンジャーと同じ切れ長ブルーの瞳は、夜の海の色。だが、痩せて彫りが深い分、目付きが悪くみえる。
 形のよい、薄い唇。しかし少佐のきつく結ばれたそれは、薄情そうな印象を与えていた。
 少佐の黒い髪も、暗く固いイメージを強くした。
 雰囲気は似ても似つかないが、顔の作りがジンジャーによく似ているのだ。輪郭は、少佐の方が頬がこけているかもしれない。
 「さあ、馬車にお乗りください。侍従の方々もご一緒に。
 お乗り次第、我々の護衛で城まで出発します。王と王子へのご挨拶が終わった後、キャラウェイ様のお屋敷にご案内することになっています」
 せかされて、キャラウェイたちは馬車に乗り込んだ。
 「貴賓用戦車ってのは、さすがに無かったらしいわね」
 「姫ったら」
 パセリ相手に冗談を言いながらも、まだ心臓がバクバクしていた。
 『ジンジャーに似てる 。船で思い出にひたっていたから、そう見えてしまうのかしら?』
 歳も違うし、髪の色も、雰囲気も違うけれど。ジンジャーによく似ている。もし、ジンジャーにお兄さんがいたら、あんな感じだろうか。
『バカバカ、私ったら、バージルの妻になりに来たのに。
 思い出のローリエ国への旅で、早くもこんなに心乱れてしまって・・・』
 先が思いやられる。

子供の頃、何度か遊びに来たことのある城の城壁を抜けた。ターメリック城の十倍もありそうな、立派な城である。
広い長い廊下を、マスタード少佐のあとをついていく。
まわりの壁のみごとな彫刻、飾られた絵画・調度品のすばらしさ。ため息がでそうだ。 
先を歩くマスタード少佐は、軍人の足取りなので、かなり歩くのが早かった。彼の歩調についていくのには息が切れた。キャラウェイづきの侍女としてパセリの他に若い侍女が三人ついてきていたが、彼女たちも、小走りになっていた。
「少佐、わたくしも侍女達もドレスを着た女性です。もっとゆっくり歩いて下さい」
「まわりをきょろきょろ見なければ、もっと早く歩けますよ」
『まあ、失礼な奴! 私たちが、田舎者みたいにまわりを見回してるって言うの !?
 いやな奴!ジンジャーに似てるなんて、前言撤回!』
 バージル王子の部屋の前に来ると、少佐は王子の侍従にキャラウェイ姫の到来を告げ、さらに王子の許可の返事を待ってから部屋に入った。
『なんて面倒なのでしょう。大きな国ってたいへんね〜』
 王子は大きな机に座って、書類に目を通しているようだった。
 病気で寝たきりの王に代わって、政務はほとんどバージルがこなしていた。
 「マスタードです。キャラウェイ姫をお連れいたしました」
「ご苦労」
 バージルは書類から顔を上げてキャラウェイを見た。
 「キャラウェイ姫、ようこそローリエ国へ。
 あなたを歓迎いたします」
 抑揚のない口調。ニコリともしない表情で、おとなのバージルが言った。
『そんな言い方じゃ、ちっとも歓迎されてない気がするわ』
 最後に会ってから五年たっているが、当時からおとなだった彼は、今もあまり変わっていない。
 神秘的な黒いまっすぐの髪。切りそろえた前髪の下には、整った冷たい顔。漆黒の瞳がキャラウェイに向けられていた。
 黒いガラスみたいな、不思議な瞳だ。おどおどした自分が映っているのが見える。
 「お招きありがとうございます。
 来たるべき婚礼の日に備えて、心して勉強に励みたいと存じます」
 ドレスの裾を持ち上げて、レディらしく挨拶をした。
『私だって、やればできるじゃない』
「姫・・・」
「はい」
「足が、はだしです」
 バージルの言葉に自分の足元を見ると、靴を履いていなかった。馬車の中で、きついとか痛いとか言って脱いだまま、忘れていた。 
「い、いけないっ。馬車の中に!」
「私には構いませんが、これから父である国王に挨拶に参りますので、はだしは困ります」
 「す、すみません。ちょっと、レモンバーム、靴貸して」
 若い侍女から靴を借りてあわてて履く。
 クククク・・・と、マスタード少佐は笑いをこらえている。バージルはニコリともしない。
 キャラウェイはパセリに小声で、『ちくしょー、二人とも感じ悪いったらないわね。あーあ、恥かいちゃった』と囁いた。
 パセリは赤くなって、『普通のレディは靴を履き忘れません!』とキャラウェイを責めて、味方にはなってくれなかった。
 今度はバージルに引きつられて、国王の部屋へ向かう。
『一人だと道に迷いそうだわ』
「おじさまのご病気は、どうなのですか?」 
バージルは妙な顔をして「『おじさま』?」と聞き返した。
 「あ、ごめんなさい。叔母のローズマリーのご主人だから、つい」
 すると、バージルは氷のように冷たい目でキャラウェイを見た。
『いけない、バージルのお母様は ・・・。だめね、私ったら。彼の前でおばさまの話はタブーだわ』
「婚礼までは『国王さま』、その後は『おとうさま』と呼ぶのがふさわしいかと思いますが?」
「は、はい、そうですね。そうします」
 王の部屋の前には、警護の兵隊が二人立っていた。どの部屋より立派な作りの扉だ。
 「キャラウェイ姫の侍従の方たちは、申し訳ないがここで待っていてください。マスタード少佐、君もここで。
 父は今寝たきりの生活ですが、気分がよいと起きて来られます。今日は割合気分がよろしいようなので、姫にお会いしたいそうです」
 扉をあけながら、バージルが無表情に言った。
 中は、まずひとつ部屋があって、そこに王付の医師が常駐しているらしかった。
 「王様の具合は、今日はかなりよろしゅうございます。
 ですが、疲れますので、長居はお控えください」
 「わかっている。
 さ、キャラウェイ姫、中へ」
 もうひとつのドアを開けると、そこは豪華な寝室だった。
 大きな飾りのついたベッドに、国王はすでに起き上がって待っていた。
 「よく来たね、キャリー。病気なので、ベッドの上からの挨拶ですまんな」
 親しみのこもった優しい笑顔だった。
 「おじさまー!」
 キャラウェイは、この国に着いて初めて心を許せるひとに会えた気がした。
 こんなに優しい言葉、優しい笑顔に会ったのは初めてだった。
 緊張がゆるんだのだろう、キャラウェイは、王の胸に抱きついてわんわん泣きだした。
 「よしよし、気負って来たのだろうね。
 バージル、キャリーも心細いだろうから、親切に面倒見てあげなさい」
 気がすむまで泣くと、キャラウェイは照れくさくなった。
 「ごめんなさい、おじさま。あ、国王さまって呼ばなくちゃね。
 二十歳にもなって、子供みたいに泣いてしまって、恥ずかしいです」
 ペロリと舌を出した。国王は笑顔でキャラウェイの髪をなで、
 「もう、ハタチになったのか。前に来た時は十五歳くらいの・・・まだ子供の面影のある少女だったのに」
 なつかしそうな目を細めた。
 金髪碧眼のハンサムな王だった叔父も、年月と病気のせいですっかり老けてしまった。
『病気、悪いのかしら。やつれてしまわれて・・・』
 キャラウェイが婚礼の半年も前に入国したのは、この国で勉強する為もあるが、王の容体が悪くなった時、すぐに結婚式を挙げられるようにという理由からだった。もしもの時に、海を越えた国からキャラウェイを呼び寄せるとすると、時間がかかり過ぎる。間に合わないかもしれない。
 キャラウェイの入国は、結婚式には父である国王にぜひ出席してもらいたいという、バージルの願いによると聞いている。それほど国王は危険な状態なのだろう。
『おじさま、まだお若いのに。お気の毒に』
 また涙ぐみそうになるのを、あわてて隠して横を向いた。
 と、壁に飾られた何枚もの肖像画が目に入った。
『これ、若い頃のおじさまと、ローズマリーおばさま?』
 一番はじ、キャラウェイの近くにある一枚は、二人の婚礼の時のものらしい。
 「私の結婚式の時に描いてもらったものだよ。
 隣が、父の婚礼。先代の国王の。代々の国王夫妻の肖像画が並んでいるんだよ」
 「へえ・・・。この隣に、バージルと私のも並ぶんですね。
  あら?先代の国王さまって、誰かに似てる」
 バージルは抑揚のない調子で「今見たマスタード少佐だろう」と答えた。
 「あ、そうだわ。先代は金髪で、彼は黒髪だけど」
 「少佐は、陸軍大臣のマスタード伯爵のご子息だ。マスタード伯は先代の弟だからね」
 「ふ、複雑すぎてよくわからない・・・」
 バージルは、ふん、と冷笑した。
 「すぐに覚えてもらいますよ。勉強することはたくさんある。
 では、この後、数いるお歴々や君の教育係などを紹介しに行こう。
 父上、体にさわるといけませんし、このへんで」
「もう帰るのか。私はまだ大丈夫だぞ。キャリー、時々は遊びに来なさい」
「はい」
 国王は、この国で、キャラウェイの笑顔に笑顔で答えてくれた、唯一のひとだった。


☆ 九 ☆

 バージルは、キャラウェイを連れて王の部屋を出て、待たせたパセリ達を一瞥した。
 「侍女達にも、教育係や大臣を紹介するとしよう。姫と一緒に来るがいい」
 だが、マスタード少佐の姿がないのに気づいた。
 「マスタード少佐は?」
尋ねられたマスタードの部下達は、少し困った顔をしたが、バージル王子がきっと右の眉を上げたのを見てとって、向かいの部屋の扉を指差した。
 「国王の客の待合室か。誰も入って来ない絶好の場所だな。
 キャラウェイ姫、その扉を開けなさい。ノックする必要はありません」
『・・・ ?』
 バージルの言うがままに、キャラウェイはドアをあけた。
「きゃあっ!」
『 な、なに、これ!』
ソファに倒れ込んだ男と女。マスタード少佐が、今まさにドレスを脱がし終えたところだった。相手はキャラウェイの侍女の・・・
 「レモンバーム!」
 「キ、キャラウェイ姫!」
 レモンバームは、脱がされたドレスで慌ててからだを隠した。
 バージルは声を荒げるでもなく淡々と、
 「マスタード少佐、君は任務の最中なのだが?」
 マスタードも慌てたようすもなく、
 「国王への挨拶は随分早く終わったんですね」
と、軍服の爪をはめた。
 「お疲れになるといけないので、早めに切り上げた。これから大臣たちに紹介する。
 侍女、君も早く服を着なさい」
 「は、はい」
 レモンバームは泣きそうになってドレスを着ていた。
 キャラウェイは、かわいそうに思えて怒る気が失せてしまった。
『そ、それにしても、あのマスタード少佐って! 任務中に女をくどいてるなんて、許せない軍人だわっ!』
 「バージル、私、あんな奴に護衛されるのは嫌ですっ!不潔だわっ!
 それに、任務中にあんなことしてる奴じゃ、信用できません!」
 キャラウェイの剣幕に、マスタード少佐は小馬鹿にしたようにクスクス笑っていた。
 バージルは、「剣の腕はたつし、瞬時の判断も的確、統率力もある。有能な軍人ですよ」とキャラウェイをなだめた。
 「おそれいります」
 マスタード少佐は鼻で笑いながら王子に礼をのべた。
 「でも、バージル王子さま!」
 「なんだね、パセリどの。」
 「おそれながら、こんな女たらしに、姫を護衛させて、姫が危険だとはお思いにならないのですか?」
 バージルが答える前に、マスタードが声をたてて笑った。
 「あははは。私が、この子供、いや、キャラウェイ姫を誘惑するとでも? ・・・おっと、失礼」
マスタードの反応を無視して、バージルは、
「姫は、こういうタイプの男が最も嫌いだと聞いています。
 少佐が誘惑しようと、意志がなければそれに乗ることもありますまい」
 そう言うと、ちらっとレモンバームの方を見た。かわいそうに、彼女は真っ赤になって涙ぐんでいる。
マスタード少佐はといえば、肩をすくめて、小声で「ヤな男」と呟いていた。キャラウェイぐらいにしか聞こえなかったかもしれないが。

 「彼が、宰相のソルト侯。いたらぬ私を助けてくれている」
 さきほどの王子の部屋 というより、あれは執務室だったらしいが、そこへ戻り、ローリエ国を支える首脳陣の紹介が始まった。 
「彼が陸軍大臣のマスタード伯爵。少佐のお父上だ。
 こちらが、海軍大臣のチリペパー伯。あちらが、財務大臣の・・・」
 よろしくお願いします、と、いちいちドレスの裾をつまんでご挨拶。まるでコマネズミのようだ。『ヨロシク』の言葉が頭をぐるんぐるんと旋回している。
 だいたい、中年の男性なんてみんな顔が似ていて、覚えられない。
『えーと、あのはじの人がマスタード伯で、隣がソルト侯 じゃなくて、ソルト侯は、もう一人隣だっけ。ああーん、もう、全然わかんないわよーっ!』
 「まあ、いっぺんに覚えろと言う方が無理だろう。
 この婦人が、教育係のローズヒップどのだ。行儀作法から、この国のしきたり、色々教わるといい。
 身の回りの世話は、今まで通りパセリどのに任せるとしよう。
 では、これで。
 キャラウェイ姫たちには、婚礼までは別の屋敷を用意したので、そちらで船旅の疲れをいやすがよい。
 マスタード少佐、案内してやってくれ」
 「かしこまりました」
 「あ、あの、バージル。ブルーベリーの部屋はどこ?会って挨拶をしたいのだけれど」 
バージルの恋人であるブルーベリーは、自分よりだいぶお姉さんで、気さくで優しい人だ。いいなずけのキャラウェイを苛めたりいびったりもせず、親切にしてくれていた。五年前に会った時にも話がはずんだ。今回会えるのを楽しみにしていたのだ。
 バージルの表情はこわばった。
 「彼女は、返した」
 「返した、って?」
 「彼女は、リンデン伯の娘だ。伯の屋敷にいる」
 「王子は、姫のために側室を処分されたのですよ。正室をお迎えするためにね」
 マスタード少佐が口をはさんだ。
 「君は余計なことは言わんでいい」
『バージルが、私ために?』
 冷たいバージルが、キャラウェイのために、あんなに可愛がっていた愛妾を返すなんて少し信じられなかった。
 ちょっぴりうれしかったが、それよりブルーベリーに会える方が楽しみだったので、がっかりした気持ちが大きい。

 「こちらが、キャラウェイ様用のお屋敷です」
 再び馬車に乗って、仮住いの屋敷へ案内された。
 仮住いと言っても、もと伯爵の屋敷とかで、立派なものだったが。
 室内は品のよい調度で飾られ、庭の手入れも行き届いて、召使たちの数も充分だ。
 「私たち護衛の兵隊は、門の側にあった離れに詰めていますので、何かありましたらそこへ。外出なさる時は、護衛がわたくし含め三人以上付くことになっていますので、うっとおしいでしょうがご辛抱ください。くれぐれも、勝手に一人で出かけないように。
 キャラウェイ姫は、オテンバ、いえ、活発なご性格だそうですので、王子はそれを心配なさっています」
 「オテンバで悪かったわね」
 「では、わたくしは下がってよろしいでしょうか」
 「どーぞ。レモンバームと、続きでもどうぞ」
 マスタード少佐は、キャラウェイの厭味にもクスッと笑って、
 「ありがとうございます。・・・さっきの、君、キャラウェイ姫のお許しがでたよ」と、本当に連れて行ってしまった。
『あきれたーっ!なに、あいつ。あんな場面見つかっても、懲りてないんだわ!
 厚顔無恥ーっ!
 あんな男と、ジンジャーを少しでも似てると思うなんて。
・・・ごめんなさい。どうかしてる』
 死んでしまわなかったら、こんなにも想いはつのらなかっただろうか。
 ――おまえとは遊びだったんだ。――
『私を折れたマストからかばって、大怪我したくせに』
 新しいベッドで、寝返りをうって、キャラウェイはジンジャーに想いをはせる。
 四年たって、キャラウェイも少し大人になって、ジンジャーが自分を船から降ろすためにあんなことを言ったのじゃないかと思っていた。ワイルドヒースに逆に説得されてしまったのかもしれない。
『わからないわ。
 死んだひとだから、自分で都合のいい思い出にしちゃってるのかも』
 バージルの用意してくれた屋敷は、広くて静かだった。
 故郷の城は海に近く、波の音が聞こえたけれど、ここは何の物音もしない。旅で疲れたということで早めに休んだが、結局寝つけない。
『ブルーベリー。また、お喋りしたりできると思っていたのに』
 苦手なバージルとの、いいクッションになってくれると思っていたのに。
 ブルーベリーが一緒だと、バージルも笑ったりジョークを言ったり、表情も少しなごんでいるようだった。
 少女だったキャラウェイは、彼女といる時のバージルを見て、そんなにコワイひとじゃないかもしれない、このひとのおヨメさんになるの、そんなにヤじゃないと思ったのに。 
今日のバージルは、めちゃくちゃコワかった。キャラウェイに心の中をのぞかせないように、わざと無表情を作っているような、よそよそしくて人を寄せつけない感じがした。
『ブルーベリーと話がしたい。
 お城に帰って来てほしい。こっそり会いに行って、頼んでみようかな。
 私の為に返したって言われても、私は側室の存在を嫌だなんて思っていないし、ブルーベリーは大好きだし。お城で一緒に暮らしたい。
 そのことを、ブルーベリーに相談してみようかな』
 キャラウェイは、こっそり部屋を出た。思い立ったら、すぐ行動に出る性格だった。
 まだ、夜は浅い。ブルーベリーを訪ねるにも、そんなに非常識な時刻ではないだろう。フード付の黒いマントをはおり、誰にも気づかれずに屋敷の外に出て、庭のはずれにある馬小屋へ辿り着いた。
 「ドウドウ。静かにしてね。さて、どの子を連れていこうかな」
 「どちらへおでかけで?」
『きゃーっ!』
 いきなり声をかけられて、キャラウェイは大声を出しかけたが、大きな手がうしろから彼女の口をふさいだ。
 「しっ。お忍びで外出するつもりなら、大声は禁物ですよ」
 「マスタード少佐・・・」
 軍服を脱いで、ラフな綿のシャツを着ていたので感じが違う。思っていたより歳も若いかもしれない。
 「少佐はこんなところで、なにを?」
 「馬の様子を見に、ね。今日は馬車のペースに合わせて前を走らせたり、不慣れなことをさせたんで疲れてたみたいでね」
『へえ、見直したわ。さすが騎兵隊ね、馬には優しいんだわ』
 「馬を出しましょう。私が護衛しますから。
 お忍びで出かける時も、必ず私が付いて行きます」
 「そんなぁ。お願い、見逃してよ」
 「姫を守るのが私の任務です」
 「随分任務に忠実なのね。昼間は任務中にやらしいことしてたくせに」
 マスタード少佐は苦笑して、
 「昼間たくさん人がいる中で、姫にそうそうの危険はないはずです。
 この外出の危なさに比べたら」
 確かに言うとおりだが 。
「私が馬を走らせます。前に乗って下さい。一頭で出かける方が目立たないでしょう」
「内緒にしてくれるの?」
「誰かに報告する必要があるんですか?それに、あなたの行動を見張るのは、別の人の仕事です。
で、どちらへ?」
 「リンデン伯の屋敷。ブルーベリーに会いに」
 「なるほどね」
 マスタードは、また、微かに笑った。笑うと雰囲気が変わる。柔らかくなる。
 「姫、私に見つかって幸運だったんじゃないですか?姫はリンデン伯の屋敷がどこにあるか御存知でしたか?」
 ぶんぶん首を横に振る。彼はクククと声を殺して笑っていた。
 「無茶なひとだなあ。婚礼まで、私の任務は激務になりそうですね」
 鞍を装備したマスタードは、自分が先に乗り、キャラウェイへ手を差し延べた。そして、抱きかかえるように馬に乗せた。
 「きゃ!馬ぐらい、自分で乗れます!」
 「それは失礼。
 ちゃんと座れましたか?後ろで支えてはいますけど、気をつけてつかまっていてくださいね。
 では、行きます」
 マスタード少佐はゆっくりと馬を出した。


☆ 十 ☆

 その晩のキャラウェイの突然の訪問を、ブルーベリーは喜んでくれているように見えた。
 二人は美しいティーセットでおいしいお茶を飲みながら、女同志のお喋りに興じた。だが、肝心のキャラウェイの頼みについては、彼女は悲しそうに首を振った。
 「私は王子に捨てられた身。私から王子に進言するなんて、とんでもないわ。
 それに、キャリーもわかるだろうけど、私は王室の生活は向いていないのよ。もう戻りたいとは思わないの」
 「わかる。私も向いてないもん」
 その言葉にブルーベリーはクスッと笑った。
 「息抜きしたくなったら、遊びにいらっしゃい。婚礼までは割合自由でしょ?
 それに、王子の操縦法を色々伝授してさしあげるわ。無愛想で冷淡に見えるけど、可愛いところもあるのよ」
と彼女は片目をつぶった。
 「キャラウェイ姫、そろそろ。時間も遅いですし」
 マスタード少佐が、隣のソファから立ち上がって促した。
 「マスタード少佐。いたんだっけ」
 「・・・。」
 お喋りに夢中で、彼の存在をすっかり忘れていた。
 「じゃあ、これで。突然お伺いしてごめんなさ・・・」
 遠くの部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえた。
 「あら?赤ちゃんが泣いている」
 「ほんと。結婚で辞めた侍女が、他の侍女たちに赤ん坊を見せに来ているみたいで。
 夜なのに、うるさいわよね。ごめんなさい」
 ブルーベリーは声の方を気にしてチラチラ見ていた。
 「いえ、そんな。もうおいとまするし。おじゃましました」
「楽しかったわ。また遊びに来てね」

 立ち上がって一度玄関を出たキャラウェイとマスタード少佐だったが、馬の止まり木まで来て少佐は立ち止まった。そして、庭の木陰へとキャラウェイを引っ張っていった。
 「な、なにするのよっ!ヘンなことすると噛みつくわよっ!」
 「しーっ。私は女ならなんでもいいわけじゃありません、ご安心を。
 それより、しばらくここから覗いてると、面白いものが見れそうなので」
 それは、今キャラウェイたちがもてなされていた応接間の窓だった。
 「そんな、覗きみたいなこと!」
 「みたい、ではなくこれから覗きをするんです」
 マスタード少佐はきっぱり言い切った。
 「私、帰るわよ!ブルーベリーに失礼だと思わないの?」
 「しっ。ほら」
 赤ん坊の泣き声が大きくなった。この部屋に近づいて来たのだ。
 二人は中腰になって、こっそりと中を伺った。←結局キャラウェイも覗いている。
 「ブルーベリーさま、ビネガーさまが泣き止みません」
 侍女が、生後三ケ月くらいの赤ん坊を抱いて入って来た。
 「ビネガー、ほらほら」
 ブルーベリーが抱きあげてあやすと、ウソのように泣き止んだ。
 「やはりお母さまじゃないと、ダメですね」
 「人見知りの激しい子で困るわ。バージルに似たのかしら」
『えっ?』
「ブルーベリー、キャラウェイは帰ったのか」
 部屋に入って来たのは・・・
『バージル王子!』
「はい、さきほど」
「ああ、おどろいた。今日着いたばかりのくせに、君の話をしたら、その晩にすぐ来るなんて」
 バージルは苦笑して、どかっとソファに座った。
 表情、しぐさ、口調。すべてが、城にいる時とは別人のようだ。ブルーベリーの前では、鎧をはずして、心からリラックスしているのがわかる。
 「行動力のあるお嬢さんだから」
 ブルーベリーはクスクス笑って答え、ビネガーをあやした。
 「すまない、ブルーベリー。君を日陰の身にしてしまって。
 本当なら、王子の側室として豪華な生活を約束できたはずなのに。
 君を屋敷へ返したのは父の命令もあったが、君が妊娠したので、子供の安否が一番心配だった。
 側室の子供であっても、男の子であれば危険視される。私のように、刺客に狙われることもある。幸い生まれたビネガーは女の子だったが」
 「私はこの生活で構いませんのよ。豪華な生活なんて、惜しいとは思いません。
 あなたはこうして、忙しい時間を割いて会いに来てくださるし、私のこともビネガーのことも愛してくださっているのがわかっております」
 「ブルーベリー」
 あの、冷淡で無愛想なバージルが、優しげな笑顔でブルーベリーを抱きしめていた。ブルーベリーへの言葉にも思いやりがにじみ出ている。
 キャラウェイは、窓の枠を握りしめたまま動けなかった。
『全然ちがう、私と居る時と・・・』
 「キャラウェイ姫は、お綺麗になったわね。結婚式が楽しみだわ」
 「ひどいな。私はけっこう悲壮な気持ちなんだけど。君をこんなに愛しているのに、好きでもない女と結婚させられるんだ。
 キャラウェイなんて、綺麗なものか。まだまだ子供じゃないか」
『子供でわるかったわねーっ。そりゃ、美人で女らしいブルーベリーにはかなわないに決まってるけど!』
「おてんばで、ものを知らなくて、あの女を思い出す。五年間も母と呼ばなくてはいけなかった、あの邪邪馬のあばずれ」
『ローズマリーおばさまのことだ。ひどい、いくらバージルが側室の息子だったといえ、こんな言い方・・・』
 だが、ブルーベリーは笑っていた。
「あなたは、キャリーを妹みたいに愛してるわ。だから、もうすぐ妻になることに戸惑っているんだわ。
 本当は、ローズマリー王妃のことだって、差別せずに可愛がってくれたから、大好きだったくせに」
 「ふん」
 バージルは、赤くなってそっぽを向いた。
「ふうん。王子は図星をさされるとすねるらしい。可愛いとこあるじゃないか」
キャラウェイに言うでもなく独り言のようにつぶやく少佐の言葉も、もうキャラウェイ自身は聞いていなかった。窓の中の明るい風景が、彼女を人形のように固まらせていた。
 「マスタード少佐、覗きはもういいでしょう? ・・・帰ります。馬を出してください」

 「バージル王子がなんだっていうのよ」
 屋敷に帰って馬から降りると、キャラウェイはいきなり少佐相手に悪態をついた。
 「好きでもない奴と結婚させられるのは、こっちも同じよ。政略結婚なんだから」
 「はいはい」
 馬を小屋に入れながら、マスタード少佐は受け流して聞いていた。
 「私にだって、好きな人くらいいるわよ。 私だって、あんな愛想のないつまんない男と結婚するの、ヤなんだから!」
 「わかりましたから、もう部屋へ戻って下さい。時間も遅いですから」
 「あなたは冷たい!
 バージルも冷たい。大臣も召使も、この国の人はみんなみんな冷たいわ。
 ターメリックへ帰りたい・・・ 」
 「もう、ホームシックですか」
 「違うわ!そんな子供じゃないわよ!」
 「そうかなあ。
 私には、バージル王子があなたと居る時とは別人のように恋人と接していて、それがショックだったように見えたけれど?」
 「・・・。」
 キャラウェイは唇をきっと結んだ。
 「わざと意地悪なこと言うのね。あなたみたいな人、大キライ」
 マスタードは肩をすくめた。
 「あなたが王子の婚約者でなければ、優しい言葉で慰めて抱きしめてもいいけど。
 私は処刑されたくありませんから。
 あなたに嫌われていた方が安全です。
 それとも、抱きしめてほしいんですか?」 
パシーン!とキャラウェイの右手が少佐の頬に飛んだ。
 「痛いなぁ・・・」マスタードは頬をおさえた。
 「最低!」
 キャラウェイはそう掃き捨てると、自分の部屋に向かって駆け出した。
 と、くるりと振り返って、
 「でも、馬を出してくれたことには、礼を言うわ」
 「それはどうも。おやすみなさい」
 マスタード少佐は苦笑いしながら挨拶を述べた。

 リンデン伯の屋敷に、王子の馬と似た奴が繋がれているのを見つけた。もしやと思ったら、やはり王子はまだブルーベリーと切れてはいなかったのだ。
 おまけに、彼女との間に女の子までもうけていた。女だから王位継承権はないとはいえ、公になれば確かにひと悶着ありそうだ。
『・・・いや、本当に女の子かどうかを、確認しておく必要がある。
 父上に報告して、乳母でも送り込んで調べてもらうか』
 キャラウェイの護衛をしに行って、瓢箪から駒だった。
『・・・泣きそうな目をしていたな。
 付き合わせてしまったからな。見てショックだったのだろう』
 キャラウェイは、ベッドにもぐり込んで泣くのだろうか。
 この国の者はみんな冷たいと言った。
『当たり前だ。
 彼女は、不義の疑いで逃亡し処刑された、ローズマリー王妃の身内なのだから。
 まわりは彼女への反感だらけだ』
 キャラウェイ姫。
 この国に君の味方はいない。

☆ 十一 ☆

 次の日から、キャラウェイには教育係のローズヒップがついて、この国の歴史やら礼儀作法やらの勉強が始まった。正直言って退屈である。
 おまけに、バージルの呼び出しがあるかもしれないので、ずっと屋敷にいなければならない。キャラウェイは家に籠もっていられる性格じゃないのだ。
 マスタード少佐ら護衛の兵隊たちも、キャラウェイが屋敷から出ないので仕事がなくて、部屋でポーカーをしたり庭を散歩したり、退屈を持て余しているようだ。
 パセリたち侍女がこの屋敷のメイドたちと仲良くなって、色々な情報を聞き出してキャラウェイに教えてくれた。それを聞くくらいしか娯楽はない。
 マスタード少佐の父である陸軍大臣は、昔はバージル王子派だったが、バージルの側近から宰相になったソルトと折り合いが悪く、今は反バジール派であるとか。
 ソルトはバージルの実の母、つまり国王の側室の身内で、身分の低い貴族だが実力を認められてここまでになった、とか。
 国王付の医師・パブリカはポーカーぐるいで、いつも借金でピーピーしてるとか。
 マスタード少佐についても、情報が集まった。
 体の弱かったジャスミン・マスタードは、療養を兼ねて七歳から寮制の南方の田舎の学校へやられていた。そして二年前、軍隊の学校を優秀な成績で卒業して帰ってきたそうだ。
 すっかり丈夫になった彼は、軍人としても優秀で、去年の剣の大会でも優勝した。
 若くてハンサム、有能で家柄もいい、というのでご婦人たちにはとても人気がある。海軍のタバスコ少佐と人気を二分しているそうだ。
 ただし、マスタード少佐には『悪いクセ』があるので、良家の令嬢の人気は今一つとか。キャラウェイの屋敷のメイドのめぼしい若い子にも、すでに二、三人手をつけた。レモンバームも『週に一回くらい呼ばれます。偉い軍人さんですから、断れなくて』と言った。
 「嫌なら、私から断ってあげるわよ。私の侍女には手を出すなって」
 「あ、いえ、あの」
 レモンバームは赤くなってモゴモゴつぶやいた。何のことはない、少佐との情事を楽しんでいるのだろう。

 ある昼下がり、庭でメイドの女の子達の集団が、きゃあきゃあ騒いでいた。この屋敷だけでなく、近所の屋敷のメイド達もいた。
『あ、タバスコ少佐・・・』
 ご婦人に一番人気の彼が、マスタードのところへ来ていたのだ。二人ならんでいる姿を見て、みんなが騒いでいたらしい。
 タバスコ少佐もキャラウェイに気づいて、二階に向かって敬礼した。そしてその後笑顔になった。白い歯がこぼれる。
『もうすぐ出航するのかしら。海や船の話が聞けるかな』
 キャラウェイは急いで二階から駆け降りた。
 「こんにちわ」
 「姫についてはご健勝の喜びを申しあげます」
 「きょうは、どうしたの?マスタード少佐とお友達なの?」
 マスタードが代わりに答えた。
「タバスコ少佐は、明日から海賊討伐で出撃するので、私に挨拶に来てくれたのです」 
「海賊討伐?すごいっ。かっこいい!」
 いきなり目を輝かせ身を乗り出すキャラウェイだった。姫の反応に思わず笑ってしまった二人だ。
 「近海で最近商船がやられるんで、少し脅かしに行くだけですよ」
 とタバスコ少佐。
 「じゃあ、今、港へ行けば、討伐隊の軍艦がたくさん停まっているのね」
 キャラウェイのはしゃぎ方に、マスタード少佐はいやーな予感がしていた。
 「明日の夕方に出航します。キャラウェイ姫に会えたのは幸運ですね」
 「無事を祈っています」
 タバスコ少佐は、白い馬を飛ばして帰っていった。メイド達はため息ついて散会した。 
「ねえ、マスタード少佐。港へ船を見に行きたいのだけど?」
「言うと思ってましたが、ダ・メ・で・す!
 雑踏の中は危険です。それに海軍がいるってことは、武器を持った者が多くいるということです。本物の軍人か刺客かの見分けがつきません」
 「親友の出航を見届けたくないの」
 「タバスコ少佐とは親友というほどではありません。海軍と陸軍は仲が悪いので、せめて下っ端の少佐同志ででも仲良くしようか、というところです。
 『協力しあえればいいのに』、という意見がたまたま彼と同じだったので」
 「あなたたちが大臣になった頃には、うまくいくでしょうね」
 マスタード少佐は、皮肉か厭味かと思ってまじまじとキャラウェイを見たが、彼女が本気で言っていることに気づき、苦笑した。
 「でも、タバスコ少佐って優秀なのね。 あの若さで少佐だもの。まだ二十八歳でしょう」
 「姫、私は彼より二歳も若くて少佐なのですが」
 「あなたのは、親の七光でしょ」
 「・・・。」
 あまりの非礼に怒る気持ちも起きず、にが笑いのマスタードだった。

 翌日、夜が明ける前に、マスタード少佐は馬で屋敷に戻ってきた。
 ちょうどキャラウェイが抜け出そうとしているところだった。
 「また、お会いしましたね。
 港へいらっしゃるならお供しましょう」
 見つかったキャラウェイはバツが悪そうだったが、負けずに反撃してきた。
 「朝帰りですか。色っぽいわね」
 「はあ、この屋敷の女は食いつくして飽きたんで」
 キャラウェイは、キッとマスタード少佐を睨みつけた。かまわず彼は、
 「この屋敷では、あとは、ローズヒップ女史と中年のパセリどの、それとキャラウェイ姫ですが、どれも遠慮したい面々です」
 「三人とも、あなたなんて願いさげですわ」
 「でも、ローズヒップ女史のモーションがきつくて、困ってるのですが。一回お相手すれば、気がすんでくれるでしょうか。その後またしつこくされても嫌なので。結構真剣に悩んでいます」
 「バカッ!」
 「しっ。まだ夜明け前ですから、お静かに」
 「あなたなんかの護衛はいりません。一人で港へ行けます」
 むっとしたキャラウェイは、スタスタ一人で歩き出した。
 「姫!」
 マスタード少佐はその腕をつかんで、
 「そのドレス姿で港へいらっしゃるつもりですか?」

 少佐の昔の軍服は大きかったが、キャラウェイはこういうのを着るのが大好きなので、かなり喜んでいた。
 新米兵隊のキャラウェイは、垂らした髪を無造作に後ろに結び、確かに少年に見えた。 
「走らないでください。私の側から離れないでください」
 上官のはずのマスタード少佐が敬語を使っている。
 港には、キャラウェイを乗せて来た軍艦クラスがごろごろ停泊していた。
 「きゃあ、壮観!」
 満面のキャラウェイの笑顔につられて、少佐も笑顔になった。
 キャラウェイは、はじの船から反対側のはじの船まで、ゆっくり視線を動かしていた。食い入るように見つめている。
 風でマストのロープが揺れて音をたてる。白い帆や青い帆が、はためいている。
 船が波にゆられてきしんでいる音。うみねこの鳴き声。
 水平線が、赤く染まってきた。夜明けだ。船の帆が、朝日の色に染まっていく。紫の空が、徐々に赤紫に。
 「ねえねえ、夜明けよ!」
 キャラウェイが少佐の軍服の袖をひっぱった。
 「きれいね!」
 少佐も軽口もたたかずただ海の夜明けに見入っていた。
 「ねえ、ジンジャー、もっと埠頭の方へ・・・ 」
 言ってから、はっとした。少佐もキャラウェイを凝視していた。
 「あ、ご、ごめんなさい。
 マスタード少佐、もっと埠頭の方へ行かない?船の近くへ」
 ごまかして、先に歩き出す。
『ジンジャーと居るような気がしてた。
こうして、並んで海の夜明けを見て・・・。
 まだ心臓がどきどきしてる』
オーラが同じだったのだ。だから間違えた。
ついジンジャーの名前を呼んでしまった。
「明るくなると、人目につきやすくなります。そろそろ屋敷へお帰りになった方がよろしいかと思いますが」
「わかったわ」
 本当はもっと船を見ていたかったが、わがまま言って連れて来てもらったのだ。変装用に軍服まで借りた。
 いや、本当は、動揺が大きかったから思わず頷いてしまったというところかも。
 屋敷に着いて、馬を降りた後も、
「今日は本当にありがとう。感謝します」
と心から礼を述べた。
 「いえ。港の夜明けというのは綺麗なものですね。姫のおかげで、いいものを見れました」
 マスタード少佐は笑顔になって目を細めた。
『ジンジャー。似ている。やっぱり似ている・・・』
 笑った目。深い海の色。
 通った鼻筋、薄い唇。彫りの深い顔立ち。
 「ジンジャーというのは・・・ 」
 少佐の言葉にキャラウェイは硬直した。
 「以前、ブルーベリーどのの屋敷から帰った時、好きな人がいるとおっしゃっていたけれど。そのかたの名前ですか?」
 考えるより早く、キャラウェイの口からはたたみかけるような早口で、弁明の言葉が飛び出していた。
 「不義密通などしておりません!
 はるか昔の私の片想いで、しかも相手はとっくに亡くなっています!
 少佐と間違えたのは、単に似たような場面を一緒に見たことがあったからで・・・ただ、それだけの理由ですわ」
 必要以上にムキになっていた。言わなくてもいいようなことまで口走っていた。
 少佐は真面目な口調で、
 「亡くなったとはお気の毒ですね。
 でも、姫は王子の婚約者ですから、好きだったかたのお名前は、もう口にしない方がよいと思いますが。
 政略結婚ですから、他のかたに恋をしていても当たり前だと思いますけどね。私は王子に密告しようとは思いませんから」
 キャラウェイはぽろぽろと泣き出した。
 「キャラウェイ・・・ 姫・・・?」
 涙がとまらなかった。
 ヤな奴のはずの少佐が、こんな時に限って優しいものだから。
 あまりに雰囲気がジンジャーに似ているものだから。
 港の夜明けが、あまりに綺麗だったから。 
「船の上で、さっきみたいな夜明けを一緒に見たの。あの時は隣で見ていたのに・・・」
 「キャラウェイ姫・・・」
 キャラウェイは子供のようにしゃくりあげていた。化粧っけのない顔が、子供のように涙でぐちゃぐちゃになっている。
 「・・・私は王子のいいなずけを抱擁して死刑になるのは御免ですが・・・。あなたが軍服を着用している今は、私の部下ですから」
 少佐は、キャラウェイを抱きしめた。
 「今はここで泣きなさい」
 少佐の腕の中は、港から帰って来たせいだろう、海の匂いがした。
 頭の中をぐるぐると、思い出が蘇る。
 海賊船との出会い。決闘。嵐。夜明け。いさかい。火事。

 港が赤い。船が燃えている。ジンジャーの船が燃える。ジンジャーが燃えつきる。
 「きゃぁあーっ!」
 キャラウェイは飛び起きた。
 「・・・。」
 屋敷の、自分の部屋のベッドの上。
 「キャラウェイさま、気がつきました?」 パセリがタオルを水につけて絞っていた。 
「疲れでしょうか、熱が出て倒れていたんですよ。庭のテラスで。覚えてらっしゃいますか?」
 「えっ? ああ、そう、テラスで眠り込んでしまって(話を合わせておこう)。
 私、その時からこのドレス着ていた・・・わ・・・ね?」
 「熟睡してらしたので、そのままに。寝巻きに着替えましょうね」
 パセリが用意した寝巻きに着替えながら、どこで記憶が途絶えたか思い出した。
 「きゃあ!」
 「なにか?」とあわてて振り向くパセリ。
 「い、いえ、なにも」
 マスタード少佐の腕の中で、眠ってしまったのだ。
 わんわん泣いてしまった。ジンジャーの思い出を口走って号泣した。
 少佐は、そんなキャラウェイを受け止めて胸で泣かせてくれたのだ。
・・・で、ドレスを着てるってことは、少佐が軍服を脱がせてドレスを着せたんだ。
 「キャラウェイさま、顔がまっかです。まだ熱があるみたい。寝てなきゃダメですよ」
 パセリがキャラウェイをベッドに寝かせて、無理やり額にタオルをのせた。
 「死にそう。心臓がドクンドクンいってるー」
 「一日ゆっくり寝てらしてください。ローズヒップ女史には言っておきますから」
 パセリは部屋を出て行った。
『マスタード少佐に、どんな顔して会ったらいいの?』

☆ 十二 ☆

 窓が赤く揺れている。
 火事だ。港の 船が!
 ジンジャーはベッドから起き上がろうとする。
 「いけません!背中の傷口が開きます!」 医者と看護婦がジンジャーを抑えた。
 「火事なんだ!オレの船が!おやじやみんなが乗っているんだ!」
 『お気の毒です。シルバー・ブルー号は全焼で、生存者はないそうです』

 「おやじーっ!」
 マスタード少佐は、自分の声で目を醒ました。自分が火事のそばにいたかのように、汗をびっしょりかいていた。
 ここは、キャラウェイの屋敷の自分の部屋・・・。
 マスタードはふうっとため息ついた。
『どうかしてる、あんな夢を見るなんて・・・』
 港になど、行かなければよかった。あれは、捨てた過去のはずだ。
 キャラウェイに『ジンジャー』と呼びかけられた時は、思わず返事をしそうだった。
 心臓が止まるかと思った。
 キャラウェイに泣かれて、どうしたらいいのかわからなかった。
 四年もたっているのに。
 たった三日間の、船の上での恋。とっくに忘れたつもりだったのに。
『なぜ、アイツはあんなにも鮮明にまだ、オレを愛しているんだ・・・』
 この四年間は、復讐のことしか頭になかった。
 親代りのワイルドヒースと海賊船の仲間を殺した奴。母を殺し、自分を追い続ける黒い影。
 逃げても逃げてもつかまるのなら、反対に手中に飛び込んで敵を倒すしかない。それ以外に安息の道はないのだ。
『そのために、オレは悪魔に魂を売った。
 もう、キャリーを抱きしめる資格なんかないのに・・・』

 次の朝には、キャラウェイの熱も下がっていた。レモンバームが朝食を寝室に運んだ。 
「おかげんはいかがですか?
 丈夫で元気が取り柄のキャラウェイさまなのに、どうしちゃったんですかぁ」
『他に取り柄がなくて悪かったわね』
 「もうだいぶいいわ。心配かけたわね」
 「あ、そうそう、昨夜バージル王子の使いのかたが来てました。
 最近国王さまの具合がよいので、明日、つまり今日ですけど、夕食を一緒にいかがですかって。三人だけの、ごく内輪の晩餐だそうで、正装の必要はないそうです。
 キャラウェイさまが寝込んでいることを申し上げたので、まだ本調子でないのなら日を改めましょうかとおっしゃってましたけど」 
「あのバージルが、夕食に誘ってくれたのね。珍しいこと。
 喜んでお伺いしますと伝える使いを出しておいてちょうだい」
 「はい、わかりました」
 レモンバームは朝からしっかり化粧をしていた。彫りが深く口が大きいセクシーな顔立ちをしている娘だ。
 「あなたって、歳いくつだっけ」
 「十八ですけど?」
『私より年下・・・。
 なんでこんなに大人っぽいんだろ。胸も大きくてウエストはくびれてるし』
 「伏せてる間に、何か他にあった?」
 「マスタード少佐のことなんですけど」
 どきーん!と心臓が鳴った。
 うろたえてはダメ。変に思われる。平静を装って!
 「また何かやらかしたの?」
 「昨日の朝、ここの庭で十五歳くらいの少年兵と抱き合っていたんですって。
 女に手当たり次第どころか、美少年趣味もあったんですね。街中の噂です」
 広めたのはこの屋敷の召使たちだろう。キャラウェイは冷汗が出てきた。
『少佐に申し訳ないっ・・・』
 「あと、ここだけの話ですけど、少佐って色々変わってるみたい。Hの時、シャツだけは絶対羽織ってるとか。私だけでなく他の子もそう言ってましたよ」
「・・・えっ?」
ある考えに、キャラウェイは凍りついた。
『背中に、大きな傷があるとしたら?』
マストの破片が刺さって、素人が縫い合わせたような。
キャラウェイは首を振った。 
『 私、無理矢理つなげようとしてる。少佐とジンジャーを』
 だって、あの腕の感じはジンジャーだったから。
 「背中にタトゥーでもあるんじゃないの?」
 「そうでしょうか。でも、エリートのくせに不良だから、あり得るかも」
『本気にするな、本気に!』
 そうだ、この子、少佐に何度も抱かれているんだっけ。
 細いけれどしなやかな肢体、ふくよかな胸、白い首筋。それに確かに綺麗な娘だ。少佐がすぐに目をつけたのがわかる。
チク、と何かが刺したような気がした。心の奥を微かに。
『・・・やだ、私、嫉妬してる?』
 「夕方には少佐が馬車で城まで送ってくれるそうですよ」
 「えっ!」
 「そんなに驚かなくても。いつも護衛されてるでしょう」
『やだな、どんな顔して会えばいいんだろう・・・』
 夕方まで、時間がある。少しは気持ちも落ち着いているだろうか。

 でも、あっという間に夕方になってしまった。
 「マスタード少佐が馬車をまわしてくれましたけど。準備はよろしいですか?」
『ああん、心の準備が! ええい、どうにでもなれ!』
 「おかげんが悪いと聞きましたが。いかがですか?」
 拍子抜けするほど、少佐はいつもどおりだった。
『意識してるのは、私だけなのだから当たり前かあ』
 護衛の兵隊が二人一緒に馬車に乗り込み、少佐が御者をした。
 あいかわらず、しらっとした、任務をしょった背中が見える。
 でも、その背中には、もしかしたらジンジャーと同じ傷が?
 キャラウェイはその思いから離れることができなかった。

 「キャリー、よく来たね」
 国王は手放しでキャラウェイの来訪を喜んでくれた。
 「お加減はいかがですか?」
 「姫こそ、今朝まで伏せていたのだって? 疲れが出たのかもしれん。気をつけてくださいよ」
 「はい、ご心配をおかけしました」
 国王は優しい。キャラウェイへの態度も暖かい。
 夕食が始まって、国王は何かと気をつかって話しかけてくれた。
 バージルは愛想がなくて、必要なことしか喋らない。
 「そうそう、それでキャリーが高い木に登って降りられなくなって。
 あの時はどうしたんだっけ」
 国王は、キャラウェイが子供の頃、遊びにきた時の思い出話を堪能していた。
 「海軍の、マスト昇りの得意な水夫が助けました」
 バージルがニコリともせず答える。
 「ははは、そうだったな」
 笑った後に国王は咳こんだ。
 「楽しいのはわかりますが、あまりはしゃぐと体に触ります」
 「大丈夫じゃよ、病人扱いせんでくれ。
 せっかくキャリーが国に来ているのに、わしは滅多に会わせてもらえん。
・・・おっと」
 疲れてきたのか、胡椒を取ろうとして取り落とした。
 「すまん、すまん」
 「あら、おじさま。手首に何かついてる」
 「ああ、これか」
 国王は、右手の袖口をめくって見せた。
 「アザなんじゃよ。鷹・・・この国の紋章のアザ。なぜかローリエ国の直系の男子にはこのアザがある。
 子供の頃は目立たなくて、二十歳すぎるとくっきりと鷹の形とわかるようになる」
 「私にもあります。私は左足の太股に」
・・・以前どこかで見た。こんなアザ。似たような形の・・・。
 同じようなやりとりがあった。
 ――何かついてるわ、背中――
『・・・ジンジャー!』
 ガチャーン!
 今度はキャラウェイが、ワイングラスを取り落とした。
 あの時の記憶の意味に気づいて、キャラウェイの毛穴という毛穴が開いた。体がゾクゾクした。寒気がしてきた。
 「大丈夫か?」
 「キャリー、顔がまっさおだ」
 「ご、ごめんなさい、少し気分が」
 「まだ本調子ではないのだろう。
 父の為に来てくれてありがとう。悪かったね」
 珍しく優しいバージルの言葉だった。
 「少し休んで気分が良くなったら、私がついて送っていこう」

 馬車の中でもバージルはうちとけたリラックスした雰囲気を作ってくれた。珍しいことだった。
 「さすがのオテンバも、気をはりつめ続けて疲れが出たか」
 「意地悪言うと、膝の上にはきますよ」
 「言い返せる元気があれば大丈夫だ。
 今夜は無理させてすまなかったね」
 「いいえ、国王さまにお会いできるのも楽しみだったけど、バージルがそんな席を用意してくれたのがうれしくて。
 でも、かえって迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい」
 バージルが優しければ、キャラウェイも素直になれた。
 「体調が戻ったら、城にウエディングドレスを合わせにおいで。
 王妃になる女性は、代々決まったドレスを着るんだ。肖像画を覚えているだろう?
 婚礼のたびに、その妃に合わせてサイズを直すことになっている」
『ローズマリーおばさまが着たのと、同じドレスを着れるのね』
 キャラウェイは目を輝かせたが、そのことは口に出さなかった。バージルはおばの話題を嫌っていたからだ。
 「直した後に、太らないように。でも胸は少し大きくなった方がいいな」
 「ひどいわ、バージルったら!」
 バージルは声をたてて笑っていた。
『昔のバージルみたい。
 そうよ、悪いひとじゃないのよ、バージルって。
 私より、大人すぎるだけなんだわ』

 帰ってすぐキャラウェイはベッドに寝かされた。
 パセリにも、「まだよくなってないのに、無理するからです!」と叱られてしまった。 
「ねえ、パセリ。お願いがあるんだけど」 
額にのせた濡れたタオルをずらしてキャラウェイ。
 「なんですか。病気の時のおねだりは、たいてい聞いてあげますよ。
 冷えたオレンジジュースですか、ババロアですか」
 パセリは、代えのタオルを水桶にひたしながら笑顔で答えた。
 「マスタード少佐の、学生時代のことを調べてほしいの」
 パセリの手からタオルが落ちた。
 「お姫さま、それは・・・」
「南方の田舎町の寮制の学校にいたらしいけど、今と比べてどんな感じの少年だったのか。性格や、くせや、外見上の特徴や。さまり、今のマスタード少佐は、本物のジャスミン・マスタードかどうか。私の勘違いであってくれればいいけど・・・」
 「・・・。」
 「調べてもらうのは、ターメリック国の人間を使ってね」
 「そ、それはもちろんでございます」
 「他言は無用よ。
 疲れたから、もう休むわ。おやすみなさい」
 キャラウェイは静かに目にタオルをかぶせた。

『ジンジャーにあった、鳥のような蝶のようなアザ。あれが、鷹の紋章だとしたら?
ジンジャー、あなたはいったい何者だったの?』
 そして情事の時でも絶対に見せないという、マスタード少佐の背中。
・・・あなたは、そこに何を隠しているの?


☆ 十三 ☆

 次の日には、キャラウェイはすっかり元気になっていた。
 さらに十日ほどたって、バージルからドレスの仮縫いに来るよう言ってきた。キャラウェイの体調を案じて、せかさずにいてくれたのだろう。キャラウェイは、『バージルって案外いいヒトかも』と思い始めていた。
 その日は、マスタード少佐が珍しく不在だったので、他の者の護衛で城へ向かった。なんでも、少佐の父親、陸軍大臣からの急な呼び出しがかかり、やはり城へ向かったという。
 キャラウェイはバージルから直々に、仮縫い室に通され、お針子たちを待つよう言われた。
 「終わったら、声をかけてくれ。執務室にいるから」
 そう言ってバージルは部屋を出ていった。

 こちらは、マスタード伯の執務室。
 机の上の書類にサインする伯を、息子の少佐がイライラして待っている。
 「なんですか、父上、急に呼び出したりして。私の任務はキャラウェイ姫から目を離せないんですよ。用事を済ませて、早く帰らないと」
 「まあ、座れ。落ち着きのない奴じゃのう。
 そのキャラウェイは、バージルの呼び出しで城に来ている。あわてて屋敷に帰る必要もないだろう?」
 「私の部下の護衛で来たのか。帰りは私もついて帰ります」
 「帰りはないよ、キャラウェイの」
 「えっ?」
 「あの子猫は油断がならないメス猫だ。おまえの学生時代のことをさぐらせている」
 「・・・姫が私のことを?」
 「今、一番おまえのそばにいるのはキャラウェイだろう。なにかボロを出したのではないのか?勘づかれたのでは?」
『あの邪邪馬、また余計なことを!』
 「いえ、そんなはずはありません。私はいつも完璧です」
 「危険なら、消すが」
「キャラウェイ姫をですか !?
 ご冗談はやめてください。そんな必要はありませんよ。
 彼女は単に私に興味を持ったんです。昔片想いだった男に似ているそうです」
 「そんなことだったのか。まあ、運が悪かったな、彼女も」
 少佐の背筋が寒くなった。
 「まさか・・・」
 「手遅れになっては困るのでのう。消すのに早すぎることはない。おまえもよく覚えておくことじゃ」
 「それで・・・。護衛の私を、キャラウェイから引き離すために呼びつけたのですね!?」
 少佐は立ち上がった。
 「もう遅いだろうよ、すべて終わっている頃じゃ」
 「私の任務は、キャラウェイを守ることです。たとえ父上でも、私の任務に支障をきたす事は許しません!失礼!」
 少佐は部屋を走り出た。
『どこにいるんだ、キャリー!
 ええと、確か近々、ウエディングドレスを合わせに来るって言ってた。
 仮縫い室か!』

 トントン。
 「どうぞ」
 キャラウェイが返事しても、お針子は扉を開けない。
『荷物が多くて開けられないのかしら?』
 扉に近づき、ノブを回そうとした瞬間。
『殺気!上だわっ』
 キャラウェイが飛びのいた場所に、天井から、全身黒タイツの男が刀を振り降ろして飛び降りた。
『刺客!・・・なぜ !?』
 そんなことを考えている場合ではない。
 「きゃあっ!」
 男の一突きをすんでのところでかわす。腕を少しかすってドレスが破れた。
 すとん。すとん。
 天井から、同じかっこうの刺客がもう二人。
 キャラウェイは仮縫い用の鉄のメジャーを手に取った。
『重さもあるし、しならない。これなら使えそう』
 ビシッ!ときびしい音と共に、最初の一人の喉にメジャーがはいった。
 「ぐふっ・・・」
 相手が咳き込んだ隙に手元を狙う。うまく指先をはたいた。
 「うっ・・・ 」
 カラン。
 キャラウェイは男が取り落とした刀を素早く拾い上げ、振り向きざまに後ろの一人の胸に突き刺す。男はぐわっと血をはいて倒れた。キャラウェイはドレスに返り血を浴びた。
『たいして強くない。恐れることはないわ』
 もう一人が襲いかかる。刀を合わせると力で不利だ。キャラウェイはくるりと男の脇から逃げて後ろへ回る。そして背中から切りつけた。血しぶきがキャラウェイの胸と顔にかかった。顔をぬぐいながら、倒れている最初の一人に刀をつきつける。
 「誰に頼まれたの?誰が私の命をほしがってるわけ?
 言ったら命は助けてあげる。ほら、命が惜しくないの?」
 男の喉に刀の刃をあてた。
 「バ バージルさまに 」
『 えっ!・・・バージルに?』
 「きゃあっ!」
 男はキャラウェイの手を蹴りあげた。刀は離さなかったがキャラウェイはよろめいた。そのスキに男はドアを開けて逃げて行った。

 ドアから、黒づくめの男が走り出た。
『あの部屋か!』
「キャラウェイ姫!」
 マスタード少佐は部屋に走り込んだ。
 血まみれの壁と床、転がる二つの死体。
 「あら、マスタード少佐」
 キャラウェイは、すでに血がついてしまったドレスで、手や顔の血をぬぐっていた。
 「姫、ご無事でしたか 」
 少佐は息を切らして肩で息している。がっくりと膝をついた。
 「ご無事で何よりです 。
 私が飛んでくる必要などなかったようですが。お見事な腕前ですね」
 「こんなの、お姫様の自慢にはならないでしょ。女ひとりで刺客三人を返り討ち、だなんて。みんなに広めないでよ。
 ドレスを試着する前でよかった。代々のお妃が着るドレスを、血まみれにしちゃったら大変ですもの」
 「そんな心配する前に、ご自分の心配をして下さい。怪我は無いですか?どこも?
 とにかく、誰か呼びましょう。死体を片づけて、部屋も掃除させなくては」
 「とんだお針子をよこしてくれたわ、バージルも」
 「えっ?」
「バージルがさしむけたのよ。逃げた奴がそう言ったわ。
すんだら執務室に来いって言ってたっけ。
 すんだわよ。彼の思惑とは違ったでしょうけど」
 血まみれのドレスのまま、バージルの部屋へ向かうキャラウェイを、少佐は落ち着かせようとした。
 「刺客が最後に言う名前なんて、アテになりませんよ」
 「でも、あの部屋で待てと言ったのはバージルよ」
 バーン!とドアをあける。
 「なんだ、騒々しいな。
 どうしたんだ、そのかっこは。なんの余興か」
 「今、あなたのよこした刺客と闘ってきたのよ。一人逃がしちゃったけど。残りは部屋で死体になって転がっているわ」
 「キャラウェイ姫、おやめください。証拠もないのに!」
 マスタード少佐は必死でとめたが、怒りと悲しみで頭がいっぱいになったキャラウェイは冷静ではなかった。
 「刺客が君を襲ったのか。・・・それが、私の刺客だというのか、君は」
 バージルもかっとして立ち上がった。
 「逃げた一人がそう言ったわ。あの部屋で待たせたのも王子だわ」
 「あなたが今日仮縫いに来ていることは、知っている者も多い。
 だいたい、なぜ、私があなたを殺さねばならない?」
 「ひとつ。私がいなくなれば、ブルーベリーと結婚できる。
 ふたつ。私がローズマリーおばさまに似ているから憎んでいる」
 「いいかげんにしろ!」
 バージルは手にムチを握り、振り降ろした。
 シュッとムチのしなる音。
 「きゃっ!」
 ピシンと皮膚の裂ける音がしたのに、キャラウェイに痛みはなかった。マスタード少佐がキャラウェイの前に立ちふさがっていた。少佐の首に赤い線ができている。
 「王子、女性にムチなどあてないでください!私は王子を尊敬しておりますので」
 バージルはムチを握ったまま、怒りで震えている。
『この男は、キャラウェイをかばったのか?』
「本当なら、王子の私を疑っただけでも処刑ものだ」
 バージルは奥歯を噛み締めながら、やっとのことで声を絞り出した。
 「マスタード少佐に免じて許してやる。この程度ですむのをありがたく思えよ。
 少佐、キャラウェイの護衛の人数をふやしてくれ。死体はそのままだな?少し調べさせよう。
 おまえらは、もう帰れ。
 キャラウェイ、歩く時、絨毯を血でよごすなよ」
 「私より、絨毯の方が心配ですか?」
 「キャラウェイ姫、もういい加減にしてください!失礼します」
 少佐はあわててキャラウェイを連れて部屋からさがった。キャラウェイはバージルをにらみつけまままだった。
『あの少佐、甘くみていた。親の七光で昇格した、甘ちゃんのプレイボーイだと思っていたが・・・。あいつは危険かもしれない。
 それに、あの二人。いつのまに、あんなに親密な雰囲気に?』
 閉じられたドアに、二人並んだ残像が残っている。
『裏切るな、キャラウェイ。
君は、私を裏切らないでくれ。お願いだから・・・』



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