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鑑賞バラの誕生とジョセフィーヌ

 現在、野生バラは、北半球全域にわたって約280種が自生していますが、野バラやハマナシ(ハマナス)、テリハノイバラ、庚申バラ(チャイナローズ)など、アジア生まれのわずか8種類が親となって、現在の観賞用ガーデンローズがつくられてきたのです。
 中世サラセン帝国の拡大によってアジアのバラがヨーロッパに広がっていきましたが、実際に鑑賞用バラとして改良されたのは、ナポレオンの皇后ジョセフィーヌがパリ郊外のマルメゾンに世界各地から集めた約250種のバラを交配し、2500種あまりのバラを発表したのが始まりとされています。
 これが、現代バラの基礎となり、フランスがバラ改良の中心となったのです。また、ジョセフィーヌは、宮廷お抱えの画家ルドゥテにバラの細密画を描かせ、これが、現在にいたるボタニカルアートの原点になっています。



ジョセフィーヌ

 フランス領西インド諸島マルティニク島に生まれ、パリに出て16歳でボーアルネ子爵と2子をもうけたが、革命中に夫は処刑され、自らもしばらくの間投獄される。
 「テルミドール9日」後出獄し、1796年6歳年下のナポレオン・ボナパルトと再婚、1804年彼が帝位に就き、皇后となってパリ郊外のマルメゾン に二人の居を構える。
 1809年二人は離婚したが、ジョセフィーヌは、死去するまでマルメゾンの館に住みつづけた。
 ナポレオンは、1810年オーストリア皇女マリールイズと結婚したが、1814年エルバ島に下る前、ジョセフィーヌ宛てに「これが最後のお別れです。私は、あなたを決して忘れはしないでしょう」と送るなど、離婚後も本当にナポレオンが愛していたた女性は、彼女であったことがうかがわれる。



マルメゾン

 マルメゾンは、パリの西約10km、凱旋門からブローニュの森を越えて電車で約10分。セーヌ川のほとりにある人口7万人の街である。先史時代から人類がすんでいた史跡もあり、RUEIL(ルエユ)と呼ばれていた。
 華やかな歴史に登場するのは、ナポレオンとジョセフィーヌが館を構えてからである。ジョセフィーヌは、離婚後もこの館(シャトー・マルメゾンとシャトー・ボワプレオ)で暮らしマルメゾンの中心にあるサンピエール・サンポール教会に葬られている(見学できる)。
 シャトー・マルメゾンは、現在国立博物館として、一般公開されており、その中の展示品は、レプリカでなく全てが本物であることを誇りにしている。(ベルサイユなどには、残されていないものが数多く展示されている。)

 また、マルメゾンは、印象派の画家たち(モネ、マネなど)がこよなく愛し、セーヌ川で遊びまた多くの絵を残したことから、印象派のふるさととも呼ばれている。

 現在は、パリ郊外の高級住宅地として、フランスの政財界、芸能界の超大物が多く居住している。市長は、ジャック・ボメル氏、ドゴール将軍とレジスタンスを戦った第2次世界大戦の勇者でもあり国会議員も兼務する。

 1990年11月7日千葉県東金市と姉妹都市となった。




マルメゾンのホームページ(フランス語のみ)

パリに立ち寄った際には、是非マルメゾン訪問を。団体ツアーコースにはない本物のフランスがそこにあります。






ルドゥテ

 Pierre-Joseph Redoute: ジョセフィーヌお抱えの画家として、多くのバラの絵(ボタニカル アート = 図鑑などに見られる超細密画。:1817年から24年の間にマルメゾンのバラが『バラ図譜』として刊行された。)を残し、ばらの絵師といわれたた。植物画を芸術の域に高め、未だ彼を超えたものはいないといわれる。




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