:::::::::: バラの話題 ::::::::::
バ ラ の 雑 学 |
イバラ(茨)、あるいはウバラ(茨)の略。
刺の一名 波羅樹から、イラハリアリギ(苛刺在木)の意
別称・方言:イバラ、ショウビ、ソウビ(薔薇)
Rose バラに対するラテン古名で、バラを意味するギリシャ語 rhodon に由来し、更にさかのぼるとケルト語の rhodd(赤色)に由来する。
季題は、「夏」
花言葉は、イギリスとフランスで若干異なり、次表のとおり。
区分 | イギリス | フランス |
全体 | 美、愛情 | 無邪気、さわやか |
赤バラ | 愛情 | 内気な恥ずかしさ(真紅) |
白バラ | 私はあなたにふさわしい | 純潔 |
黄バラ | 愛情の薄らぎ、嫉妬 | 恥、誠意のなさ |
観賞用として栽培されるほか、花から香料を採る。
ノイバラの成熟果実を乾燥したものを漢方で営実(えいじつ)と呼び、水腫、便秘、痩毒などに用いる。
我が国の文献でバラと思われる植物が始めて現れるのは、万葉集である。防人の歌に「道の辺の荊(うらま)の末に這ほ豆のからまる君を別れか行かむ」とあり、この荊がノイバラを指すと言われている。
平安時代に入り紀貫之が「そうび」の題のもとに「我はけそうひにぞみつる花の色をあだなる物といふべかりけり」と歌っている。そうび(薔薇)という名は源氏物語や枕草子にもみられ、このそうびが中国から渡来したコウシンバラだと考えられている。なお、藤原定家の明月記には、「長春花(コウシンバラ)」と明記されている。
主に、宮廷などに植えられていたが、江戸時代になると一般的な花木として広く栽培されるようになり、江戸末期には、西洋バラも盛んに栽培されるようになった。
美と愛、喜びと青春の象徴とされ、ギリシャ神話では愛と美の女神アフロディテや恋の神エロスに捧げられた。ギリシャ神話のバラには、アフロディテとその恋人アドニスにまつわる伝説が多い。赤いバラはアフロディテの血から生じたとも、アドニスの死を悲しんだアフロディテの涙が白バラを赤く変えたともされる。
紀元前16世紀頃のものとされるクレタ島のクノッソス宮殿の壁画には、ダマスクバラ R.demascena やローザ・ガリカ R.gallica と考えられる絵が残されている。
紀元前6世紀になると女流詩人サッフォーがバラを「花々の女王」とうたい、その後もアナクレオンの詩、ヘロトドス、プラトン、アリストテレス、プリニウスなどの著作にバラが記されてきた。このころすでに、ギリシャやローマでは、バラが栽培され、ローマ皇帝ネロやヘリオガバルス、エジプトの女王クレオパトラらは、香を楽しむため、豪華な宴会を開いては惜しみなくバラを使い天井からバラ水をまいたり、花びらを部屋に敷きつめたりしたという。
キリスト教の普及とともに、マリア崇拝と結びつけられるようになり、バラは処女マリアの聖なる愛と優美さを象徴するものとされた。 15世紀イギリスでは、紅バラを紋章とするランカスター家と白バラを紋章とするヨーク家の間で王位をめぐる激しい争いが生じた。30年間にも及ぶこの戦争は「バラ戦争」と呼ばれ、ランカスター家のヘンリー7世の勝利で終わった。 ヘンリー7世はヨーク家のエリザベスを妻とし、チュードル・ローズと呼ばれる白バラの中に赤バラを納めた紋章が現イギリス王家の紋章となった。
バラ祭は、ドイツやフランスなどで行われる民間風習の一つ。両親に最も親孝行で行儀の良い娘が祭りの中心的役割をはたす「バラの女王」として選ばれ、バラの冠で飾られる。
ギリシャ神話でバラが沈黙の神ハルポクラテスに与えられた故事から、バラは秘密を暗示するものとされた。ローマ帝国末期には、バラの花を天井から吊るした宴会では、その席での話は他言しないという風習が生まれた。16世紀の中ごろには、ローマの教会では懺悔室にバラを掲げるようになったという。会議室の天井中央に一輪のバラの花をつけるのも、会議の内容を外部に漏らさない誓いのしるしとされる。これらの風習から「バラの下で( under the rose )」というと「秘密に」という意味になる。
王室の紋章であることから、バラはイギリスの国花とされ、アメリカでは、ニューヨーク州が州の花とし、アイオワ州、ノース・ダコタ州カナダのアルバータ州などもバラを州花としている。 我が国では、茨城県が県花、横浜市、広島県福山市、千葉県市川市・八千代市など多くの市町村で市(町・村)花としている。
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参考文献:柏書房株ュ行「花と木の大事典」(木村陽二郎監修)