私が異動で現在の職場に来て早6年。なぜか、以前一緒に山だ・スキーだと一緒に行った、クラブの同輩や先輩達と、仕事中しょっちゅう顔を会わせたり、また一緒に仕事をする機会が多い。うーん、世の中狭いものだ!。 ならば雪が降れば毎週末、一緒に山で遊ぶ仲間には事欠かないか?と言えば、まるで逆。彼らは皆、就職や結婚を機に、山やスキーから足を洗った連中ばかり。ちょっと淋しい。 その彼らに共通している事として、彼らは皆それまでに、言うなら”完全燃焼し尽くした”とか、”高みを極めた”感がある。大学生活を人より2年余計に過ごし年間の1/3を山で過ごした奴とか、クラブの部長を勤め上げた先輩とか、果てまたヒマラヤ遠征隊で輝かしい功績を残したe.t.c.とか。 それに引き替えこの私、なんの進歩も功績もありませんなあ。学生時代も彼らほど深く山にのめり込む事もなく、その後岩に転向とか、氷壁に挑んだ事もなく旧態依然。今滑っている山域だって、高校時代からなんも代わり映え無し。(とは言っても、高校生が冬の羊締だ、旭岳だ、十勝連峰だって行っていた事自体、今から考えると怖い話だけど。) 別にここで、”高みを極める”とか、”よりレベルアップを目指す”とか、”より困難に立ち向かう”と言う、人が生まれながらにして持っている素晴らしい素質自体を、なんら問題にしている訳ではないのです。でも一度、”高みを極める”と、後は下るしかないのも世の常。学生時代に海外遠征まで行って実力が十分あっても、社会人になってもその山行レベルを維持し続けるのは、決して不可能じゃないけど、一般サラリーマンには犠牲にするものが多過ぎてちょっと無理。かといって、そこまでのレベルの人が、私が行って喜んでいる、例えば塩谷丸山程度の低山を滑って同じ位の達成感を味わえるか?と言うと、それも疑問。”だったらこれを期に、”卒業”するか!と思うのも、無理のない話。
これはトライアルに限らず、ロード、モトクロスも同じようで、国際B級は人呼んで、”ライダーの墓場”だそうだ。 ”高みを極めて”潔くすっぱり卒業する道がよいか?、それとも細く長くずるずると引きずってそれと生涯付き合っていく道がよいか?、それは人好き好き。でも、遊び仲間をこれ以上失いたくない私としては、後者の道も強くお勧めするけどね。 まあ、段々話が大きくなりすぎたのでここらで止めるけど、私の場合、”高みを極める”替わりに、同じ遊びでもそれだけじゃなくて、それとは別になにか”+αの遊び”の要素を付け加えて、それなりに楽しんでやっています。山スキーだったら、ピークハンターが目もくれない新スロープ開拓とか、またこのHPの作成だってその”+αの遊び”の一つ。なかには”山頂のビールと下山後の露天風呂の為に登るのだ!”って公言してはばからないクラブもあることだしね。
それが日本に導入されると、”スポーツなのだから競技に必要なもの以外は無駄だ!”とばかり、公道も走れない競技専用車で、セクションオンリーの狭い箱庭パークを、”勝つか負けるか”のみの短期決戦型の個人競技になってしまった。これも効率第一の国民性かな?。替わりに遊びの要素が全てなくなっちゃった。これじゃー、勝てなくなったら面白くなくなってバイク降りるのもしゃーないか?。 でもね、スポーツの語源って本来は、”気晴らし”、”遊び”なんだってさ!。(決して”難行苦行”や”決闘”じゃないのにね!) ただなかには、一度足を洗った趣味だけど、子供や後進の指導・引率がきっかけで、無理なくマイペース派として再開する人もいるようなので、身近に明るい動きもなくはないのが救いかな?。 但し最後に、誤解して欲しくないので繰り返しになりますが(口うるさいおやじだね!)、肩肘張らずにのびのび長く楽しむ事と、基礎やリスク管理を怠る事とは、同意義語ではないのでお間違いなく。基礎なくしては安全に楽しめないし、リスク管理なしでは第一長く続ける事なんか出来やしないもんね。チャンチャン!。
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