アルカェウス

アルカェウスは、アーの心より生まれた。
アーの心の様々な側面から生まれた。

そう、生まれたのである。
創られたのではない。

虚空の中に、アーの思いから創られた。
語る者が、創られた。

そう、創られたのである。
生まれたのではない。

アーは、一つを創った。
アーは、万を同時に成した。


 アルカェウスは、アーに仕える者である。 アーと同じく自らの意志をもち、自らの意思で語る者である。 光、闇の後に生まれた権能者と呼ばれている。 それぞれが、異なる資質を持ち、同じ資質を持つものは存在しない。

 アーは一を創ると同時に、万を創った。正確には、その万が一だったのである。 超巨大な観点から、すなわちアーの観点から見れば、彼女の動作は一である。 だが、超微小の観点、すなわち我々の視点から見れば、彼女の動作は万である。 マクロコスモとミクロコスモの両端から物事を眺めてみよう。そうすれば、 普遍的な事実が浮かび上がる。この場合、アルカェウスの「創造」が行われた事さえ理解できれば、 それで及第点である。

 アーは虚空の中からアルカェウスを創った。 虚空の中に満ち溢れる、アー自身の「思い」を用いて、である。 この頃、闇により保護された光は、未だ無に近い状態であった。 アーの様々な「思い」で満ち溢れていた、と考えても良いだろう。 逆に言うなれば、「そこ」には思いしかなかったのである。 アーは、その「思い」全体に対して、「創造」を行ったのである。

「思い」は心と結びつく。アーの「創造」は、そこに在った「思い」を材料にし、 新たな形を取り出した。闇により保護されていた無に近い光は、さらに細分化し、 より確固たる存在、すなわちアルカェウスへと変化したのである。 この時、「思い」しかなかった「そこ」には、「思い」以外の存在が生まれた。 思いに対して行われた「創造」は細分化し、万の、より確固たる存在を生み出した。 では、「思い」は消えたのであろうか。「思い」そのものは消えた。 しかし、「思い」その物により「生まれた」者はいる。すなわち、その者達が「思い」である。

「思い」は、「存在」の形の一つである。すなわち、光の一部である。 故に、アルカェウスは光り輝くように見えるのである。 確固たる存在であるが故に、それを見止めてしまうのである。 光り輝くように見えるのは、それがより確固たる存在であるからである。 実際に光り輝いているわけではない。また、「存在」のうち、「思い」が希薄になった分、 当然「存在」もまた希薄になった。故に、夜空は暗いのである。見止める事が可能な「存在」が 「そこ」に無いからである。

 アルカェウスそれぞれの資質を知れば、アーを知ることになるだろう。 彼ら全員を知る事、これこそが、アーの御心を知る唯一の手段である。 アルカェウスの資質は表面的なものではない。本質的なものだ。 つまり、アーは本質である。全ての母と呼ばれる所以の一つであろう。