アーと呼ばれる者

始めに無ありき



正確には混沌である。
無限の存在故に、傍目には無に見える混沌である。
その透明さ故に、見る目の適わぬ混沌である。

アーは何時からか其処にいた。
何時の間にか、其処にいた。
全てを知るものとして、ただ一人其処にいた。
偉大なる全ての母。

次に無と異なる物、光が創られた。
時は進む方向を見つけ、色は彩りとなった。

同時に闇も生まれた。
無と光を隔てる物として。
無を覆い隠すヴェールとして。


 アルカナの生まれる更に前。唯一神アーしか存在しなかった頃。 この時は、まさしく無の世界だったと言われている。 この無から、アーは光を創り、世界の基準を作り上げた。 それとほぼ同時に、闇を作り、光の世界と無との間に置いた。 この後に、権能者すなわち、アルカェウスが生まれるが、それは次に語るとしよう。

 考察に入ろう。
 闇は、無と光の間に置かれた。つまり、現在地上と呼ばれる所はおろか、 アーのいる所ですら闇により抱擁された、部分的な無の内側なのである。 闇は最も強固にして、柔らかい壁とも言うべき存在である。 世界を隔て、世界を守る「壁」である。

 光は、アーの手により、無から創られた始めての存在である。 光の存在により、あらゆる物が存在意義をもち始めた。 光の存在するところは、無でなくなった。では、光とは何か。 輝く者か? いや、実はここで語られる光は輝く光ではない。 確固たる「存在」を指す。無の一部であり、混沌そのものであったが故に、 そこには在ったが、無いに等しい何かから、確固たる「存在」が生まれたのである。 同時に、これは一つの存在を指す訳ではない。数多くの「存在」を総称して光と呼ぶのである。

 無は何であろうか。冒頭の詩にあるように、無は純粋に無ではない。 空ではないと言う意味だ。何かは存在している。が、その何かは所詮「何か」である。 形は在るようで無い。「究極の材料」とも言うべき存在が、無尽蔵に転がっていると考えた方が解りやすいだろう。 アーは、この「究極の材料」から「存在」を創りだし、一定の範囲を儲けるため「壁」と創った。

 「存在」が「究極の材料」の中に紛れ込み、再び「究極の材料」へと戻る事を防ぐためである。 その為に、「存在」が「存在」として活動する限界を定めた。いや、必要だった。 詩や、文章をたどる限り光はアーの誕生に続き、創造されたかに見える。 しかし、実際はどうであろうか。アーとは一つの人格であろうか。 アーの意思とはどこからどこまでを指すのであろうか。

 アーとは、光、闇を含めた存在である。全ての母であり、全てその物である。 すなわち、無の中に浮く闇に守られた光の世界その物がアーである。 故に唯一の神である。伝承では、この後にアルカェウスが生まれるとあるが、嘘である。 光、闇も共にアルカェウスである。或いは、アーとアルカェウスの中間の「存在」である。

 無は意志を持たない。そこには全てを均一にする法則が在るのみである。 光は希薄な意思を持つ。だが、光そのものの意思ではなく、アー等第三者の意思を受け取っている。 闇もまた希薄な意志をもつ。その性質は光と同様である。光に比べ無に近いため、 無の均一にする法則に影響を常に受けている。